DREAM TRAIN -私にできること
2010年 10月 19日
子どもたちの施設Dream Train 。
Dream Train
(過去記事)
DREAM TRAIN
がんばります!
DREAM TRAIN ー経過
できることは誰にでもある。
誰にでもあるが、まずは教育や職業訓練の前に、子どもたちのためにご飯を与えてほしい。
だから、子どもたちのための食費を少しでも、Japan Heartに振り込んでほしい。
余裕がある人はさらに教育にかけるお金を振り込んでもらうと子どもたちは、自覚はしないだろうが、将来助かると思う。
でも食べることが最低ラインで、あとはそのあと考える。
これさえ確保されれば、誰が現地を訪れ子どもたちのために一緒に遊んでもらっても、何をしてもらっても
いいと思う。
個人単位では大きなことは誰しもできないが、小さな個人の集まりがやがて大きな成果を残すときがくる。
もう10年以上前、日本で小児外科をしていた頃の話をしてもいいだろうか。
あるとき、裕福な医者の家系にはじめて子どもが生まれる。
しかし、子どもはダウン症だった。
そして、鎖肛という、生まれつき肛門がない病気で、生まれつきの腸閉鎖だった。
母親は、どんな子どもが生まれたのか全く知らなかった。
知らされていなかった。子どもは生まれてすぐにICUに入院したからだ。
知らないのは多分、家族が死産ということにしていたのかもしれない。一度も母親を見なかったと思う。
父親とその父方の家族は、その家に生まれた子どもがダウン症である事実を決して認めようしない、受け入れなかった。かわいそうなこの子は、生まれてすぐに家族に捨てられたのだ。
そして、そのまま鎖肛という病気で死んでくれることを望んでいたのかもしれない。
すぐに人工肛門をつくらないといけない。
が、家族の許可がでない。何度か話し合いがもたれたが、家族の承諾はなかった。
日に日に、子どもは状態が悪くなる。
お腹が、パンパンに腫れ上がっている。
もうどうしょうもない状況が続き、治療をしないという結論が繰り返される。
結局、父方のいとこで病院経営をしている医者がいて、そこへ引き取られていった。
その後どうなったかは、分からないが、多分死んだだろう。闇に葬られてしまった。
実は、私は、あのとき、本当は自分の子どもとしてその子を引き取りたいと思っていた。
許されるのならそうしてあげたかった。
しかし、私自身の担当患児でなかったこともあり、全ての流れの中でそれを切り出せなかった。
結局、見捨てることになった。
今も後悔している。
勇気がなかった自分を悔いている。
今なら、堂々と言えるのだ。
「じゃ、私が自分の子どもとしてそだてましょう」と。
だから、余計に悔しい。
過去のマイナスの力で、現在や未来をプラスに変える!
だから今回は、躊躇しないとこころに決めている。
あのダウン症の子どもの代わりに、この子どもたちの面倒をもっともっと見たいと思っている。
過去を挽回したい。
私の過去の記憶が、このプロジェクトを前に進めている。