看護師からの手紙ーその2
2010年 06月 11日
今日も、荒木看護師からメールが届いた。
気になる子どもの経過とも併せてお話したい。
最後に私が彼女に送った返信も添える。
「ライミョウですが・・・歩けなくなってしまいました・・・。
3人かかりで抱えて立ち、椅子に座るのが・・やっとです。
月曜日には3cm大だった、左後頚部から新しく飛び出した腫瘍は、水曜日には15×12×4cm大ほどになっており・・・今じゃ寝て過ごすのがほとんどです。
しかし、私たちが訪問した時は必死に座ってくれ・・・ガーゼ交換の間も耐えてくれます。
腫瘍がはびこりまくった・・・頭が重すぎます・・・。
「座ってガーゼ交換をするのはもう限界かも知れない・・・」と思い・・昨日、マンダレーの寺子屋に行った際に、座椅子を探してみましたが・・やっぱりありませんでした・・・。
食事も入らなくなってきました・・・。私が訪問した時に一緒に食べる時しか摂取しない・・・とお母さんが話していました。
オメプラールを1週間内服したところで、胃痛が軽減したため、プレドニゾロンを開始してみましたが、胃痛が再燃し・・・中止しました・・・。
ライミョウにしてあげられる・・・最後の薬だったかも知れないのに・・・・です・・・。
しかし、今日は2回笑ってくれました。
もう、腫瘍が大きくなり過ぎて、顔も腫れ始めて・・笑いにくくなった顔で、私の顔を見て笑ってくれました。
そして、マンゴーをフォークで口に運んでくれました。
甘いお餅を好きだと言うと、手に乗せてくれました。
肉まんは二人で半分こして食べました。
彼を愛しいと思う気持ちにブレーキがかかりません・・・。
朝の瞑想時間は、いつしか雨が降らないように祈る時間になりました。
ミャンマーの神様(?)にお願いするために、新しいミャンマー語も覚えました。
モーマユ-バーゼーネ
雨が降りませんように・・・。」
私は返信した。本当はあまりかける言葉も見当たらないのだが。その場にいる人間にしか分からないことや、感じないことは多い。
率直に、思ったことを少ない言葉に載せてみた。
彼女の経験は特殊な経験だが、本当は昔は多くの医療者が少なからず経験して来たものだったはずだ。
時は過ぎ、ガンそのものより、抗がん剤の副作用で死ぬ人が多くなり、その姿は、ガンそのもので死ぬ姿とは違うものになった。それは良いか悪いかではなく、そうなった。
抗がん剤でできる限りやったなどと、自分も慰めることもできるようになった。
たいした治療法がまだなかった時代、多分、医療者たちは苦悩したことだろう。
何とかできたらと何度、苦い思いをしたことだろう。
私は多くの看護師たちが、マザ-テレサにそのあり方を求め、インドに行く人を多く見てきた。
でも、そんなことは本当に必要だろうか?
本気で思う。
今も、目の前にいるだろう。あなたの優しさを求める人たちが!
今働いている環境の中でなぜ、そうしないのだ?
それが私には未だに分からない。
環境や他人があなた方に、それを与えてくれるわけではない。
ましてや、マザーテレサが与えてくれるわけでもない。
自分の中に眠っている優しさや良心を呼び覚ますだけで良いのだ。
定時が来たら、すぐに帰りたがる、あるいはそのために患者の欲求を遮ってしまうようなあり方はどうかと思う。
患者のシーツが汚れていたら、誰に言われなくとも代えなさい。
患者の爪が伸びていたら、たとえ汚くとも喜んで切りなさい。
患者の手が足が汚れていたら自ら進んで、洗いなさい。
患者が死に、家族が悲しんでいたら、かける言葉がみつからなくとも、黙ってそこにいてあげなさい。
これは私の言葉だけど、マザーならそう言いそうだろ?
それは誰だって、分かっているはずだ。
でもしない。
5分10分20分の時間が惜しいと思う。なんで?
それで、あなた方は看護師になって、何がしたいの?
そして私の返事。
「世の中の人たちとの、その経験や思いをshareしてあげてください。
日本の看護師たちもまた、迷走しています。
何が大切で、何のために看護師をやっているのかわからなくなっている人ばかりです。
経験が人を育てるとしたら、あなたにとっても大切な時間です。
できうる限り、寄り添ってあげてください。
よろしく。」






