エコ(ECO)という考え
2010年 05月 30日
最近、巷にかしましい”エコ”なるものついて私の意見を述べてみたい。
”マイナス5%”というフレーズは耳が痛いくらいによく聞くようになった。
どのようにしてこれが始まったかが大変重要なのは、歴史の意義を知る者には、避けて通ることができないことだとわかる。
企業というのは基本的に、お金にならないことはしない。
ということは、このように技術の改善を、大量のお金を投資することは、自らは積極的に行わない。行っても儲けられる、あるいは投資を回収できる保証などないからだ。
言い過ぎかもしれないが、無理やりエコさせらた、あるいはせざるを得なかった、というのが正解だろうと思う。
なのに、何で、エコやっていますとしきりに言うのか?
私には理解に苦しむ。なじまないということかもしれない。
多分そこに一抹の、うそ、が感じ取れるからだろう。
どこの施設だって、大きな施設ならば、冷暖房を弱め、温暖化防止のためエコしましょうという。
正解は、電気代が節約したいだろう。
車だって、家電だってみんな、ガソリン代、電気代が安くなります。
温暖化防止に、、、と、煽ってくる。
正解は、あなたも温暖化防止に協力できます、お金が節約できます、だから買ってください。
世の中には、流れがあって、企業だってその流れに逆らえないだけかもしれない。
前置きが長くなったが、本当の”エコ”とはどんなことなのだろうと考えたのだ。
本当の”エコ”とは、やはり人のこころの中にしかない。
しかし、社会がそれを声高に叫べば叫ぶほどに、個人の生活は肥満化している。
マイナス5%!といいながら自分の人生の時間を、いかに無益にだらだら過ごしているのか。
最も大切な自分の人生の無駄をマイナス5%もできないで、何が電気代、車の燃費がマイナス5%だ?
アフリカの1国や2国を十分救えるほどの食べ物を、まだまだ食べれるうちに大量に捨てている国が、マイナス5%とは開いた口がふさがらない。
自分たちの食卓を見てみろ。
高カロリーの、栄養のバランスも無視した食事が並んでいないか?
自分の部屋を見渡してみろ。
自分の家を探ってみろ。
使いもしない、もともと必要もなく、欲しくもなかったものが5%以上あるだろう。
社会にあふれる、形だけのマイナス5%など、どれほどうそ臭いかわかる。
それらを演出する人たちの、私生活はマイナス5%やエコからは程遠い。
本当に地球のことを考え、エコを叫ぶなら、まず自分の私生活を省みることだ。
そこからしかエコは始まらない。
自分の人生の無駄を時間的にも、物質的にもマイナス5%してみてはどうか。
もっと違う世界が見えるようになる。
日本社会のあらゆるゆがみは、個々人のこころのゆがみの総和である。
皆が自分の人生のうち、特に私生活をマイナス5%できれば、日本がマイナス5%達成するのはいとも簡単なことだ。
マイナス5%は企業が、宣伝的にするものではなく、個人が私生活で実践するものだと思うのだ。
私生活が、締まればやがて仕事に波及する。
そしてやがて、その個人を含む企業全体に波及する。それが順番だ。
社会がそれを殊更に、大声で喧伝するときは、気をつけた方がいい。
歴史をみれば、そう証明している。