体験と理解
2010年 05月 02日
体験は大切な理解至る過程だ。
体験なくして理解へ至は、地図を持たずして砂漠に放りだされるがごとく、時間と人生の無駄を生む。
しかし体験は理解とは違う。
この間には天地のさがある。
このことを正に理解しなければならない。
たとえば現地にやってきて、1週間ほどそこにいて「分かりました」といって帰って行く人たちがいる。
何がわかったかというと、多分 現地の環境や海外で医療するということがどういうことか、あるいは途上国の現状とか、文化慣習とかなのだろう。
それは明らかに誤解している。
何年もいても上記のような事柄に,正しい解を見つけることはできないでいる。
彼らはただ経験しただけ。
薄っぺらい紙を1枚、手にいれた。
この紙を何枚も積み重ねなければ、形は現れない。
あるいは折り紙のやり方を初めて習った。
紙を何枚も使って造る芸術のような折り紙の造形を造るにはまだまだ時間と経験を要する。
一度、野球を経験したからっといって上手い打者になれるわけではない。
いろいろな経験を積み重ねて、打撃というもに対する体感的な理解を経てはじめていい打者になれる。
敵から城を守る城壁というものがある。
「経験」とはその城壁を構成する一つひとつの石のようなものだと考えればいい。
一つひとつ時間をかけ積み上げてゆき、やがて大きな高さが生まれる。
それがある一定の高さになるまでは,城壁の役目は果たさない。
ただ単なる石の積み重ねがある高さと幅を持ったときはじめて、それが敵から城を守る壁になる。
その壁を「理解」という。
これからジャパンハートは医療者だけでなく海外でも国内でも多くの学生や一般の人をはじめとする人たちを受け入れる。
こられる方々はぜひ、経験を積んでもらいたい。
それはやがて城壁を造ってもらうためのものだ。
もくもくと積み上げてゆく。
人生は長くないので、早くしかし、堅固に積み上げ、その形を顕わにしてほしい。