常識にとらわれない
2010年 02月 12日
私が大切にしている考えの一つに、医療者たるもの患者の人生を忘れてはいけない。という当たり前のこと。
一般の人からは、意外に感じるかもしれないが、私のしている活動というより行動に関しては、批判的な人達がいる。
実際の医療活動より予防医学や保健活動を行うほうが効果的であり、なおかつ現地の秩序を乱さない。
医療をするならば、人材育成や技術移転を優先すべきである。
などなど。
まあ、耳にたこができるほど聞きあきた感がある。
私は好きにする。
人材育成はしているし、技術移転もやぶさかではないが。
病人には、その人の人生がある。
家族もいて、その病ゆえに苦しんでいる。
それを忘れていたり、目をつむったりできるか?
医者の私にできるか?
それが出来るようなら、医者は辞めている。
予防医学も結構、保健活動も結構、それを否定はしない。
そこにやりがいを感じたり、意味を見出したりする人はそれでいいのだ。
しかしそれを私がして、目の前の患者たちをほおっておく事は私には出来ない。
私が知っている実際の医療を否定する人達は、必ず自分は保険・保健制度に守られ安全な場所にいる人たちだ。
病気をしてもかかる場所もない、お金もない人たちの境遇など理解すべくもない。
だから、その境遇を理解しているその国籍の人たちからは、現地にいても、日本で会っても、他の国で話をしても、感謝の言葉しか聞いたことがない。
その国の人々はどこにいても自分の国の医療状況の不足にはこころを痛めている。
自分が、自分の子どもが死の淵に立った時、どんな人が一番必要なのか、どんな支援が必要なのかが分かる。
保健活動と、医療活動は車の両輪だ。
途上国では、ともに不足している。
だから、どっちをやってもいいのだと思う。
あとはそれをする人間の、哲学と生きざまの問題だ。
私は医療が主。
保健活動が従。
そう決めている。