未来を予想する
2009年 06月 23日
人の未来を予想する。
この人はその道でどれくらいのレベルになるかは、1月ほど一緒にいれば大体わかる。
そのパラメーターは、いくつもあるが、大切なパラメーターはたった二つしかない。
人格のいい、悪いはほとんど関係ない。
パラメーターのうち、ひとつは健康。これは日常的なことがらからわかる部分と、人の運命も関係しているような部分もあるので、はっきり予想できない私は未来の判断基準からは除外している。
だから結局はたった一つのパラメーターで大きく判断していることになる。
ただこれは現在の状態が、続いた時間的延長線での話なので、途中で生き方を変えれば、またそこから予想をしなおさなくてはいけなくなる。
さて、それはいったい何か?
答えは、「自分に訪れる、あるいは目の前を通り過ぎる情報(出会い)に対してどれくらい強く、しかも高い頻度で積極的に関われるか、そしてそれをどのくらい維持できるか」ということだ。
たとえば、医者として働いて、重症の患者がやってくる。そのときめんどくさいなと思う医者もいれば、私が診たいと積極的に前に出る医者もいる。
救急外来で患者が来たとき、いつも一番最初にやってくる医者がいる。なかなか来ない医者もいる。
寝たきりの患者の爪が伸びていても気にもしない看護師がいる、すぐに気づいてきってくれる看護師もいる。
電車の中で目の前に怪我をしている人が立っている。
目の不自由な人が切符を買おうとしている。
重たい荷物を引きずっている女性がいる。
薬の内容がわからない老人がいる。
地図を見ている迷った人がいる。
日常生活の中で、自分の目に飛び込んでくるこのような情報(出会い)に日々、刻々どう向き合うか?
これで人生決まる。
どれも学歴はいらない。
人格もいらない。どれも常識の範囲内だ。
積極的に前に出る人間に人生の女神は微笑む。
なんでも人より積極的に関わる医者が10年たったら、そうでない医者に比べてどうなっているのかは、誰でも想像できる。
日々のあり方が、時を掛け、あっという間に、大きな差になる。
実はこのことは誰でもなんとなく、直感的にはわかっている。しかし、意識化できないので、大きな”むら”を個人の中で生んでいる。この”むら”の平均値が自分の人生に結果として投影されるので、それぞれに今の人生がある。
その平均値をあげるにはどうすればいいのか?
答えは簡単。
いつも意識上にあげておく。
常に心で、もう一歩積極的にと言い続けて行動する。
その高い状態を、努力して維持する。
1年でびっくりするくらい、人生が進む。
これこそ人生の極意。
このことは、一足先に、妻に教えた。
少しくらいメリットがないと、うちの妻も報われないから。