違和感
2009年 05月 14日
きっとまたこんなことを言い出すと、多くの仲間たちはうんざりして警戒するだろう。
が、敢えて言っておきたい。思考はエネルギーなので、ほっておくと弱まってゆく。
ジャパンハートは今多くの関係者の協力の下、今年も派遣するスタッフを100名以上は出すことになりそうだ。それで何をするかだが、というのも参加する多くの人たちは、自分が何をしたいか、何をするかは考えているが、今年一年、組織が何を目標にしててやっているか、あるいはどのあたりを目標にしているかは、全くといっていいほど興味も関心もない。
大丈夫かな?船がどこへ向かって、どのくらいのスピードで進んでいるかも知らない。目的も知らない。
少しくらい組織がしっかりしたり、大きくなったりしただけで、すぐに安定し、現状を維持しようという力が働く。
個々人に、ビジョンがないのだろうね、と思う。
未来のゴールから線を引き、今どうするかを決めないと意味がない。
この意味が分かるだろうか?
どこかの組織のように、代表が名誉だけほしがって、やっているとやがて腐り始める。
ジャパンハートをもってして何をなすか?というのが大事。
とすると、明らかに今の現状は私の要求を満たしていない。
毎日スタッフたちが、現状の中で一生懸命動き、それなりに幸せで、それなりに大変そうにしていることに、違和感がある。
さらに、その現状はいつも受身であり、積極性に欠けるところにも不満がある。
うだうだしている時間があれば、外へ出て友人を作る。
人の話を聞く。
何でもいいのだが、エネルギーを閉じ込めてはいけない。
昨日、大学で働いていた頃の恩師の国立病院長青山先生に会っていたときに、院長が私が大学にいる頃、一気に大量の論文を書いていた頃の話をはじめた。もう昔のことだが、私は著者として論文を年に30本くらい書いていた。書いたことがあるものなら、この数の意味は分かると思う。正直、ほとんどがくず論文だが。ーちなみに、大学の修士課程、大学院というのは通常、2年かけて一本論文を書くーそれで、私はいつも5から6本くらい論文を書いていた。勤務中は急がしいいので、夕方から夜中にかけて病院で書いていた。大体いつも2時頃までやって、それから帰宅していたかな?
古い病院にはすごい数の貴重なデータが残っていて、ただそれに誰も気付かず、誰も使わないから、私がやっていただけのことだが。
その頃のことを思い出して、吉岡はすごいといってくれたのだが、私はそんなことなんでもない、ただ病院の莫大な過去データという金脈に誰も気付かず、ほったらかしにしていたのを私が、スコップでちまちまと掘っただけです。と答えた。
事実はその通り。
だから掘れば掘るほど、論文が書けた。
くどくど長くなったが、ここで何が言いたいのかというと、私は昼はしっかり働いていた。そして余った時間でそのくらいの仕事をこなしていた、ということ。
余った時間でできることを、そのときにやらず大切な時間を使ってやっているから、時間がどんどん失われてゆく。
時間配分を上手く自分で決めることができないといけない。
明るいうちは、行動する。
暗くなってからでもできることは、夜、自分の時間を使ってやる。
なんでもそうだろ?
上手く時間を使って余ったら、寝ていたらいい。
人は自分のお金の使い方は点検することもあるが、時間の使い方を本気で点検する人はあまりいない。