特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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日本女性に告ぐ!

日本女性に告ぐ!


 「っていうか、あなたたちは!」と心の中で何度つぶやいたことだろう?

 そう!日本人女性たちに私はひとこと言いたいのだ。


 海外で医療をやっていても本当にたくさんの人達が私を訪ねてきたり、医療活動にボランティアに訪れてくる。

 1年に医師と看護師だけでその数は600名を超える。

 それ以外に一般人や学生、その他の人たちを合わせるとどのくらいになるのだろう?

 そしてそのうちおそらく7割以上は女性である。

 10代の学生から50代くらいの女性までいる。

 

 現地では私はさまざまなことを彼らと話すのだが、女性はどうも、恋話が大好きなようなので、私も何かにつけて、たとえコジツケでも、恋愛にたとえて話をすることにしている。

 その例え、いまいち分かりませんといわれるが、女性は恋愛の話がすきなのだと私は思い込んでいるので、あまり気にせずに続けている。


 ところで、たくさんの女性たちと話をしていてると彼らから飛び出す最も多い台詞の上位3つは、

 

 1、いい出会いがない

 2、いい男性が私の周りにいない

 3、私は結婚できないかもしれない


 という感じになる。




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 私に言わせれば全て間違っている。

 いい男性など元々、日本にはそんなにいなかったと思う。

 戦前の日本人女性は性格はともかく、はっきり言ってすごかった。

 朝の早くから、夜遅くまで、あらゆる仕事をこなし、子育てもして、そして十代のうちから結婚して休むことなく生きていたのだ。

 その女性と日本人男性が結婚して、まあ何とか上手くやっていたということは、いかに日本人男性がいい加減でもやっていけたのかという、今の私たちから見るとそれはうらやましい限りの時代だったのだ。

 だから当然、戦前の日本人男性は甘やかされている。

 だからきっと今の女性が戦前の日本人男性をみても、きっと惹かれはしないと思う。

 きっと「少しくらい家事しろよ!」と怒鳴るに決まっている。

 

 私が思うに日本人女性にいい出会いがない最大の理由は、女性のメンタリティーにあるのではないかと疑っている。

 それは、現在の日本人女性たちの結婚や恋愛に対するメンタリティーが時代にマッチしていないということだ。


 戦前までは、日本人女性たちは職業も持てず収入もなかったために、男性に経済的に頼らざるを得なかった。だから、どうしようもない男であっても、どんなに不釣合いに劣っている男性であっても、何とか自分に言い聞かせて納得してやってきたのだ。

 時に男があまりに酷いときは、その男ではなく、私はその家と結婚したのだと慰めながら、子どもに未来を託し、生きてこなければならなかったのだ。

 ところが、現在は女性はたちは、自分で収入を持つことができ自分ひとりくらい何とかやっていける、生きていける収入は既に獲得できる時代になっているのだ。

 しかも、日本人は既に飢えの恐怖から開放されており、男にいまさら頼らなくても女性一人でも生きていける時代なのだ。

 

 だから何が言いたいのかというと、そんな時代になっているのに、肝心の女性のほうが前代的なメンタリティーのまま現在も男性との関係性を位置付けているということだ。

 だから、現在は既に女性が男性を選ぶ時代になっているにもかかわらず、まだ女性が男性に選んでもらうというメンタリティーから抜け出せていない。

 男性からのアプローチを待っていたり、なかなかいい人が現れないと嘆いている。


 違うのだと言いたい。

 男性から選んでもらおうとするな!女性が選ぶのだ。そう!あなたが選ぶ側なのだ。女性こそアプローチをできる立場であり、あなたがなかなかいい人が現れない男性の前に現れてやるのだ。


 特に日本は女性の親権も強いのだから、たとえ離婚しても余程のことがない限り、子どもは女性の元に引き取られる。

 いい国ではないか。


 これから時代は人の労働形態は、ひとつの職場、ひとつの職業という過去の形ではなくなる。

 おそらく結婚の形も多様化する。

 バツイチ同士の結婚なんて当たり前すぎる時代になる。

 同性同士の結婚。

 未婚のシングルマザーとして子育てする。

 数度の離婚暦。

 それを違和感があると感じている人は既に、時代から遅れ始めている。

 これからは個人の時代。

 社会に合わせる自分ではなく、自分らしく生きるを追求する時代なのだ。

 多様性の時代なのだ。


 過去の決まりきった形にとらわれず、自由に柔軟に時代を生きていける。

 そういう流れの中で、徐々に日本人女性たちは様々な状況から解放されていくだろう。

 その向こうに無理やりでない自然な女性の登用もある。



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 実はこの男性社会、すなわち旧型の仕組みを維持する最大の勢力は、私はマスコミだと思う。

だってこんな時代に何で女性たちが、昔の思考回路を維持しているかというと、誰かが子どもの頃から織り込んでいるからだ。テレビも何もかもそういう女の人イメージばりりで埋め尽くされ、そんな女がとても健気でかわいらしい、すばらしいのだと、知らぬ間にあなたたちは理想のひな形を押し付けられている。
 バカバカしい!
世の女性は男性の所有物ではない。
男性の願望のひな形に押し込まれている時代を卒業するべきだ。
 自分がどうありたいか、どんな女性でありたいかは自分で決めるべきだ。

 女性に関する啓蒙は、3割の力でアクセルを踏み、7割の力でブレーキを踏んでいるようだ。


 全ての日本人女性にいいたいのは、結婚だって、恋愛だって、あなたたちが主人公で、あなたたちこそ選択できる立場なのだと、早く気付くこと。

 

 そして、古い社会の仕組みに振り回されずに、どうぞ自分らしく生きてくださいということだ。

  

 この時代、多様性の時代は、一生懸命生きていればどんな形の人生だって恥ずかしいものなんてない。

 離婚したって、少々歳をとっても、後ろめたさなど持たずに、堂々と次の恋に向かって進んでもらいたい。


 そういう時代だと分かっている私から見れば、女性がうらやましいよ。


by japanheart | 2015-10-20 03:12 | 医者の本音 | Comments(0)

アタリマエを疑う

”アタリマエ”を疑うということを日常化する


 ここ10年で一番私自身が変わったことは、”アタリマエ”を疑えるようになったことだ。

 この”アタリマエ”という常識の罠はどこにでも転がっている。

 しかし、こういう常識は時代や社会環境の変化でいくらでも変わることは誰だって理解できるだろう。

 70年前の日本は国家のために死ねることが常識的な正義だったし、今でもそうかもしれないが老後に備えて貯金をすることはアタリマエなことなのだ。しかし、これは本当なのだろうか?誰かがそう思わせているだけではないのか?


 よくよく考えてみれば、常識というのは誰かの基準であって、それを社会に浸透させていったものが多い。時の権力者や国内の大資本、今ではグローバル企業によってきっと私たちはある種の洗脳状態にある。マスコミだって、偏らない公平な視点といいながら、誰が見ても思いっきりバイアスをかけている(そして国民はそんなことを十分にアタリマエに嘘くさいと理解している)。


 「本当にそうか??」 と幾度となく自身に問いかけれるようになった。


 公務員は公僕である。

 病院が何より患者さんのために私たちはがんばっていますとか、

 アメリカは自由と正義の国だとか、

 イランやミャンマーは危険な国だとか、

 

 何でもいい。社会にあふれているありふれたアタリマエに全て??を一度付けてみて、その後、自分で調べながら、自分の頭で考え、結論を出すという経過を意識してやり始める。


 そうすると、面白いことに世界観が変わる。

 

 そこから導かれる結論は、やはり最後に信じれるのは自分の頭と体験だけなのだということになる。



 最近、わが子を全て東大の医学部に入れたある親の話が話題になっている。

 すごい母親だということかもしれない。

 受験は時間との勝負だから、恋愛は逃げだと確か言っていた。

 

 これはすごいということで紹介されたのかもしれないが、私の頭と体験は、それをすごいという結論には結び付けなかった。

 東大の医学部へ入るのがすごいことなのだというアタリマエを疑ってみたのだ。

 大体、東大の医学部出身=いい医者、優秀な医者、社会的安定という方程式には医局制度が解体し始めた今はそういう時代ではないと思う。

 また、私の経験では、10台の恋愛体験はすばらしいと思う。

 10台の恋愛体験は、20台や30台のそれとは全く違うし、すばらしい経験だと思う。

 それは決して逃避でない。

 それともうひとつこの年になって思うのは、10台や20台はまさに自己拡大の時期であったのだということで、我ながら後悔している。

 自己拡大は、すなわちさまざまなことを経験し、さまざまな人々と出会い、自分の視野を広め自己相対力を高める時期で、これが出来ていると30台や40台を越えたあたりからかなり威力を発揮できるようになる。ところが、医学部と医者の世界は、全く逆に人生が振れる。

 10台から学問は医学だけ、受験は忙しく、大学に入っても勉強に忙殺され、医師になってからも研修、レジデント時代と毎晩病院に泊り込み、医療をすることに明け暮れる。

 世界はこんなにも広く、世界にはこんなにもすごい人たちもいて、世界にはこんなにも価値あるものがたくさんあるのに、外へ外へと動かずに、内へ内へと人生が収縮していくようだ。

 そういう意味では医師になるというのは、人生の大変貴重な何かを犠牲にしてなっている可能性がある。その犠牲の前には将来の多少の収入の増額などほとんど価値があるとは思えないのだ。

 そういう世界に自分の息子3人も一度に引っ張り込んでしまっていいのだろうかと?と私は感じてしまう。それだけ優秀な子どもたちならば、きっともっとすばらしい世界が見れたのにとも思ってしまうのだ。




 私たち国際協力の世界では、現地の自立という概念が重宝される。

 学生たちと話していても、自立させるという言葉がよく出てくる。

 現地の医師や看護師たちに技術移転し、最終的には現地人だけで運営するのが自立であり、すばらしいことなのだというスタンスである。

 しかし、これも本当か?と疑っている。

 現地人だけで医療をすることが本当に自立ですばらしいことなのか?

 医療というのは患者のためにあるとしたら、患者が最も幸せになる仕組みこそが最も優れた医療の体系ではないのか?それを阻害する構造は改定されるべきものではないのか?と思っている。

 例えば、ビジネスの世界では、アタリマエに多国籍の人々が行きかい働いている。それを日本人だけで働いていないと自立していないのだとは誰も考えないだろう。

 なぜビジネスの世界では外国人が多く働いていても自立していないとはいわないのに、国際医療の世界では外国人が混ざっていると、あるいはたくさん働いていると自立していないと考えるのだろう?それって誰かの洗脳なんじゃない?と思っている。

 現に、ユーロ圏は医師たちは比較的自由に医療を出来る仕組みが整いつつあるし、アセアンでも医師の免許は統一の方向に動いている。ということは、そういう思考回路自体が、古い、人や経済の流動性が弱かった時代の発想であると思うのだが。既に世界は、大きく動き出し人々が国家という仕組みを超えて混ざり合う時代に突入し、現地人だけで運営される医療がすばらしい自立したあり方なのだという概念を吹き飛ばす段階まで来ている。


 今まで常識と思っていた事柄がどんどん音を立てて崩れていく感覚がある。

 それは同時に、全くすごい可能性の時代の中に自分がいることと、その古い常識や既得権益にしがみつく人々の近未来がかなり厳しいものになっていくだろうことを感じさせる。


 世の中には二通りの人間しかいない。

 自ら変わる者と、無理やり世の中の力によって変えられる者。

 自ら変わる者は、新しい時代に上手く合わせるチャンスと時間をもてる。

 常識を、アタリマエを疑えず、最後までそれにしがみ付く人間は、突然、時代の高波に襲われることになる。


 世の中のアタリマエを疑えば、時代が見える。

 実は時代のトレンドは、世の中のアタリマエのカウンターポジションとしてひっそり進行しているのかもしれない。

 

 

 


by japanheart | 2015-10-04 01:09 | 基本 | Comments(1)