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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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変化する安定

変化する安定


 人は上手く自分を誘導しなければ努力などしない。
 世のほとんどの人間は、大体、怠け者に生まれついている。
 たとえばかつてブログに書いたマイノリティーマインドを持つように環境設定するのは有効な方法だと思う。
 とにかく外国に行かなければ自分がマイノリティーになれないわけではない。
 国内でも、学校でもそれはコンセプト次第で可能となる。
 医師や看護師にも、若いうちは2年長くても3年くらいで職場を変わるように勧めている。
 人間3年も同じ場所にいると慣れてしまって、ついつい初心を忘れ怠惰に時間を生きるようになる。

 こういう変化を嫌ったり、恐れる理由は安定の喪失にある。
 しかし、今日と明日同じでありたいと願う。
 明日と明後日同じでありたいと願う。来る日も来る日も同じでありたいと願うが、それは不可能だと知っている。
 人の世は自己の肉体のように遷ろう。
 というか、肉体もこの世の定めのひとつに過ぎない。
 同じであると思っていた今日は、昨日とは違う。明日とも違う。
 人に肉体が、日日朽ちていくように、形あるものはそれが完成したときから崩壊へ向かう。
 私たちが願う安定は、その状態がずっと継続してほしいという願いは、この世に存在しないものを欲していることだと知らねばならない。
 もしそれがあるならばそれは、死かもしれない

 安定とは、常に変化するある秩序をもった状態のようなものだ。
 コップに入った水は、激しく分子がぶつかり動き回る。しかし、静かの表面の水面をたたえている。

 すべてものは変化する中に安定を形成する。
 だからこそ変化を恐れてはいけないのだ。
 変化を恐れることは、死を求めることだ。
 
 常に変化しようと心に意識している状態は、常に生命力を開花しようとしていることと同じことだ。
 変化を恐れない。
 変化を求める。
 変化の中の安定を知る。
 
 それが、そういう状態そのものが、生きているということなのだ。
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by japanheart | 2015-03-31 19:45 | 活動記録 | Comments(1)
ラオスで1歳の総胆管のう腫ー【ジャパンハート総医療局】

 先日ラオスで手術ミッションを行ったときに、1歳のお腹の腫瘍の子どもを診察した。

 現地では確定診断は付いておらず、治療が出来ないということでやってきた。

 診察すると、どうも肝臓から腸へ消化液を流している胆管系の生まれつきの異状(いわゆる奇形)による胆管閉鎖がおこり、膵炎を起こしたり、感染を起こしたり、お腹に大きな腫瘍(胆汁が詰まった)を発生したりして致死的になることもある。

 もちろん治療が出来なければ早晩、そうなるに違いない。

どのくらい余裕があるかはケースバイケースなので、何とも言えないが、どうも最近この子の状態が思わしくなくなりつつあるという連絡が入る。

 ラオスではパスポートを取得に数週間、そして日本行きのためのビザの取得にも少しは時間がいる。
 ぐずぐずしていたら間に合わない。
 今日本は、メディカルツーリズムなるものを推進しているが、日本で医療を受ける場合はこれのルールに合わせなくてはいけなくなり、かえって時間がかかる羽目になった。
 これは日本が医療で儲けようとするスキームなのだが、私たちのものとは本来、コンセプトが違う。
しかし、この辺は硬いことが好きな日本政府、きっちりそのスキームでやらせようとする。

 そこで今回は、日本から小児外科医2名を派遣することにした。
 
 こういう形を将来拡大していきたいと思っている。
 すなわち、現地のニーズに応じて医師や看護師を選択し、ピンポイントで派遣していく医療支援の形。
 事前に、データはすでにそろえてあり、執刀医たちはそれを日本でWeb経由で見ている。
 そして、現地には必要な指示を与え、手術を行い、日本に帰ってくる。
 そして別のチームが術後管理に当たる。

 そうすれば2泊3日も時間があれば多くの患者も救えることになる。
 あとは費用をどこまで削減できるかだ。

 今回も間に合うことを祈っている。
 数日後には私がいったん入る。
 そして救命処置が必要ならば、とりあえずそれで時間を稼ぎ、本番の手術の日を待ちたい。
 
 こういう医者や看護師他、医療者のpoolingシステム、すなわち、ジャパンハート総医療局を造り、その中に患者の情報を流し、そこに所属する日本中の医療者が手を上げて現地に行ってもらう仕組みをもっと加速して作りたい。もちろん、緊急救援のときもそこに召集をかける。

 ぜひ、多くの医療者の参加を望む。

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by japanheart | 2015-03-24 10:54 | 活動記録 | Comments(0)
どんな医療が必要とされるのか?

 今後、アジアの途上国ではどんな医療が必要とされるのか?
 よくされる質問の一つだ。

 結論は、日本のような医療かな、、、。

 アジアは急速に経済発展し、近代化が加速する。
 電話線のない生活は、電話線のようなインフラを引くことを飛び越え、携帯電話の普及が先に来た。
 カンボジアでもミャンマーでもラオスでも、田舎のそれこそ農家の人たちが、スマホを日日の生活に当たり前に所有している。
 先日、ラオスの田舎から日本につれてきて治療した1歳の腎臓がんの子ども。
 ある時、ラオス首都ビエンチェン郊外で手術をしていたら、ラオス人スタッフが私にハイ!とスマホを渡した。
 するとそのスマホの画面の中でその子が笑って手を振っている!
 えー!この子、すごい田舎の子と聞いていたのに。そして、この親も普通にスマホもって生活しているわけ?

 私が活動するミャンマーの中部ワッチェ村の慈善病院。
 なんと、最近は入院患者がほとんどスマホを覗き込んでいる。
 こ、こんな田舎でも!しかも3G,,,,,。

 国が閉ざされていた頃、手術は特に私たちが最もお金をかけないでやれる方法を選択することは正当だった。
 日本では簡単なヘルニア程度の手術でも、腹腔鏡というカメラを使った手術をいちいち大金をかけて行っている。時間もかかるし、お金もかかる、おまけに全身麻酔が必要になる。
 でも、たぶん今ではそれがスタンダードになりつつあるのかもしれない。

 私たちは、そうはしていない。
 局所麻酔ですむし、お金もほとんどかからない。

 でも、もしかしたら、とふと思う。
 今後、この治療法を行うことは、遅れた治療を行うことだと、例の医師たちがまた揶揄してくるかもしれない。
 だから、もしかすると患者には良いか悪いかは別として、日本と同じような治療法を選択しなくてはならなくなるときが来るような気がする。
 お金もかかるだろう。

 もしそうしなければ、日本人たちは遅れた治療をしているということになるかもしれない。
 というのも、経済発展は都市部の富裕層に日本と同じ型の同じ価値観の医療を提供するようになるからだ。
 そしてそれが標準になり、それが正しい治療法だということになるかもしれない。

 医療は発展という名目のもとで、当たり前に産業化され、当たり前に高額化し、人々は貧しかろうが豊かであろうが、今までよりもたとえ効果は同じでも確実にたくさんの金銭的な要求をされることになる。
 これは果たして多くの人たちを幸せにする仕組みなのか?
 
 特に国民皆保険制度のないアジアの国々では患者負担は大したものになるだろう。

 
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by japanheart | 2015-03-20 02:02 | 活動記録 | Comments(0)
子どもひとりの命ーいくらなら払う?


 アジア各地で医療をしてきて、日本人からするとわずかなお金が払えなくて子どもの命が亡くなってしまった話は枚挙に暇がない。

 かたや日本では心臓移植をするために海外に旅立つ子どももいる。1億円は最低必要だろう。

 私はジャパンハート組織してからすでに10人くらいは日本へ子どもを搬送し治療をしてきた。
 現在も2名の子どもが日本で治療を受けている。

 1名は産経新聞の心臓病専門の基金を利用し、東京女子医大で心疾患の治療を受けている。
 もう一人は首にできた巨大な腫瘍で昨日、手術を20時間もかけて岡山の国立医療センターで受けることができた。

 海外から子どもをひとり連れて来て治療を行うのは決して簡単なことではない。
 1度や2度は出来ても、10度、繰り返すのはなかなかの仕事になる。
 
 手術や治療というのは最後の山場ではあるが、それまでにはさまざまな苦労がある。
 まずは1月以上の期間、医療用語のわかる通訳の手配とその宿泊先の確保、また患者とその家族の搬送、
日本サイドでは、長期間海外の病院という閉鎖的な環境で生活をしなければならない家族や外国人通訳に対するメンタルケアーというフォローも必要になる。

 そしてお金の問題もある。
 
 まともに日本で保険外の治療をしたらあっという間に1000万円くらいは請求される気がする。
 
 初めて日本に患者を連れてきたとき、そのくらいのお金は覚悟をしていた。
 そんなお金を一度に、しかもたったひとりに投入するなどということは、ちょっとどうなの?と多くの人に揶揄された。
 ほかにもたくさんそんな患者がいるでしょ??という感じだった。
 私はそうは考えなかったから日本に連れてきたが、そういう人は1億円もかけて世間から寄付を集めて心臓移植を受けようという日本人のことをいったいどうかんがえるのだろうか?

 まあしかし、航空券代やもろもろの費用はどうしようもないが、治療費か目玉が飛び出るくらいに国立病院機構の岡山医療センターは安くしてくれている。
 だから何度もそこで治療を行えるのだ。
 ありがたい事に。

 わが子であれば、いったいいくら払う?
 親友の子どもだったら?

 私たち医療者は、自分の家族のつもりで患者を診るという心構えがある。
 自分の子どものつもりで治療する。

 ならばいくら払えるのか?
 他人の子どもに、いくら払えるのか?

 人として、医師として、いつもこの理想と現実の間で苦悶することになる。

 現地で医療をやっていてもそれは日常的に当たり前に突きつけられる課題なのだ。

 そういう子どもを現地で治療できるようになると経費はかなり削減されるが、ゼロになるわけでもなく、それでも結構、大きな金額になると思う。治療を現地人の医師がやろうと日本人がやろうと関係ない。日本人の医師たちは無償でやっているのでむしろコストはかかっていない。


 現地人たちで出来るようにと声を大きくして言う人間も多いが、患者から見ると助けてくれれば、別に現地人の医師でなくてもいい。
 しかし、現地人たちだけですべて回ることがそれほどすばらしいことか??
 本当にそれが自立などというのか?
 その考えはおかしくないか?
 私が、現地人たちで回るようになったほうがいいなと考える理由は、単に効率の問題で、それ以上でもそれ以下でもない。不規則な日本人医療者の流れだけでは、医療が安定しないからだ。
 
 世界中で人が入り乱れて、国境をまたぎ、産業界は外国人が無数に外国で働いているが、なぜ医療界は外国人が多く混ざっていたら自立できていないというのだろう?
 大体、今年からアセアン各国は医師免許が統一されどこでも働けるようになる。
 ヨーロッパでもそうじゃないのか?
 そのうち日本もアセアンと免許の統一がなされないと誰が言える?

 だから古い枠組みの考えに汚染されて、簡単に上から目線で自立などということを言わないほうがいい。

  さて、今回連れてきた子は首の腫瘍の13歳の男の子。
 ミャンマーでは2度、組織を調べたが悪性ではなかった。
 だから連れてきて手術をしてもらったが、今回もし日本の検査結果で悪性の所見が出れば、傷が治ればすぐにつれて村に返し、死ぬまで静かに家族で過ごしてもらおうと思う。
  日本の子どもにするように無理な治療はしない。
  
 長年、ミャンマーの人々と付き合ってきて、今はそういう形が一番いい医療だと思っている。
  

興味ある人は以下をのぞいてください。
  頸部腫瘍ミャンマーの男の子「ピョーくん基金」
 
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by japanheart | 2015-03-13 02:17 | 活動記録 | Comments(0)

負ける戦いはしない

負ける戦いはしない

 この10年はずっとミャンマーの医師たち、特に自分が偉いと思っている医師たちによってずっと活動が邪魔されてきた。
 そういう問題と取り組み続けた10年間であったともいえる。

 今でもそうだが、この手術はするなとかあの手術はするなとか多くの注文をつけてくる。
 それをのらりくらりとかわしながら、じわじわと自分の思うところを実現していく戦法をとってきた。
 なぜならば、私たちはミャンマーやカンボジアでは外国人たちであり、マイノリティーな存在であり、力がない存在だからだ。

 我慢できなくなって、切れてしまったらおそらくそこで終わりになってしまう。
 我慢、我慢の日日。
 海外でその国の人間と裁判をしたり、揉め事を起こして勝つことはまずない。
 どんなにこちらに正義があっても、結果は負けることになる。
 
 それはもう常識として意識しておかねばならない。
 アメリカでなぜ、黒人がいまだに白人警官からリンチにあって殺されても、白人は無罪になるかというと、アメリカというのは白人の国だからだ。

 前に、ブログに書いた女の子で腸閉塞で危うく死にかけた子は、人工肛門を救命するために造った。
 ちょうど腸が一塊になって腐って、全身状態いも悪かったので空腸という場所に人工肛門を造ったのだ。
 通常の場所とは少し違うが、状況からとにかくそうした。

 やがて子どもは元気になるが、この子は遺伝病で、消化管にポリープが多発するのだ。今回も、それが原因で腸が閉塞し、腐ってしまったのだ。
 胃や十二指腸は胃カメラで見ることができ、大腸は大腸カメラで見れるが、小腸はカメラで見ることは難しい。
 そこで、小腸の人工肛門から検査をし小腸にポリープがあれば人工肛門を閉じるときにそれを一緒に取って、また今回のようになることを避けようと考えた。そこで、活動地から近いマンダレーという都市の大きな政府の病院で検査をしてもらう依頼をしたところ、、、、。

 子どもの付き添っているミャンマー人スタッフ2名がその大学病院の教授と医師たちにこっぴどく怒られたらしく、びびりまくって助け求めてきた。
 「この子の腸は日本人の医者によってめちゃめちゃにされた!」
 「その日本人の医者は、本当に外科医なのか??」
 「その医者をここに連れて来い!」
 から始まりまあずっとやられたらしい。

 こういうときはいつもむかつくが、冷静に対応する。
 
 いつものことだが、かなり冷静に対応する。
 決して怒ってはだめだ。
 話が大ききなればなるほどこちらが不利になる。
 ここは日本ではない。

 そこで、ミャンマー人の責任者と私がいつも阿吽の呼吸で対応する。
 私は決して表に出ない。
 ミャンマー人同士で解決させる。
 ここはミャンマーなのだ。
 
 決して怒らないように指示を出し、そしてしっかりと彼らが嫌がる、あるいはびびる資料を用意する。

 彼らはあくまでも公務員だから、政府の一員としてルールを守らねばならない。
 
 ジャパンハートはミャンマー政府と正式に契約し医療活動をしている契約書。
 これは保健大臣と交わした契約書になる。
 保健省から医師会を経由して、正式に発行された私の医師免許。
 内務省からの許諾書。
 そして私の経歴や経験。
 その他、もろもろ。

 もしこれにケチをつければ彼は政府や内務省(今は情報省の機能もある)の許可にクレームをつけたことになる。
 もちろん私の今までの手術や治療の経験値は、彼らのそれよりも大きく上回っている。

 そうして今回も、騒ぎは静かに収まった。
 
 ミャンマー人責任者に教授はさっと資料を見た後こういったそうだ。
 「日本の先生は、忙しいのに子どものためにがんばってくれましたね!」

 その一部始終を横で見ていた怒られた二人のミャンマー人スタッフは、その後こう言ったそうだ。
 「あまりの態度の違いに、びっくりしました!!」

 長年やっているといろいろある。
 ひとつずつ、ひとつずつ乗り切って10年たった。
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by japanheart | 2015-03-03 04:59 | 活動記録 | Comments(0)