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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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途上国小児がんへの挑戦

途上国小児がんへの挑戦

 
 ミャンマー・カンボジア・ラオスなでのアジア途上国地域では、小児がんは今だにほとんど救命できずにいる病状の一つだ。

 先日、ラオスで発見し、日本に搬送し治療をしている小児の腎臓がんの1歳の女児は、順調に経過をたどりあと数ヶ月の抗がん剤の治療を行えば、大丈夫のようだ。
 この腫瘍は、発見時の状況からしっかり治療すれば救命できる見込みは十分にあったわけで、それだからこそ日本へも連れて行ったわけだけども。

 ところが発見時からがんの種類によってはちゃんと治療をしてもかなり予後の悪いものもある。

 先日ミャンマーで出会った10歳の少年は8時間も満員のバスに乗り父親に連れられて病院にやってきた。
 右足のひざから下は大きく腫れ上がり、触るとかなり痛がる。
 レントゲンを取り、骨や組織の様子を見てみると、、、、。
 悪性の骨肉腫を疑わせるの十分なものだった。
 このようなものに出会うと、私たちはもうお手上げになってしまう。
 ミャンマーでは、政府が民間の病院には麻薬類や抗がん剤の類の薬剤は一切、流通を止めているというわけの分からない状態になっているので、骨肉腫でなくても、全くお手上げになってしまう。
 政府の病院は、治療費までは面倒を見ないので、多くの人々は治療を受けないか、途中で中断してしまう。
 よって、ほとんどの子どもたちががんによって亡くなることになる。

 一応、、両親には悪性の可能性と政府の病院に行って治療をするように話をしたが、両親はここの病院で治療を受けたかったと何度も言った。

 彼らはよく分かっているのだ。
 政府の病院では治療が不適切で、値段も高く、医療技術も確かでないことを。
 そしてなにより、医療者たちが不親切な人が多く、自分たちは十分大切にされないことを。

 約20年の私の途上国での医療で、この小児がんの子どもたちに何もしてあげれずに本当にたくさん見送って来た。
 みんな既に亡くなっていることだろう。

 私はようやく積年のリベンジをする用意を整えつつある。
 来年、カンボジアに小児がんも治療できる病院の建設に着手する。
 日本に連れてこなくても、ミャンマーからもラオスからもわずかな時間でがんを治療してもらえる病院を作る。

 日本政府は、日系の企業や病院などに、経済産業省経由でかなりのお金をつけアセアン全域に富裕層相手の病院建設を進めるサポートをしている。

 だからカンボジアにもミャンマーにもラオスにも、日本の病院関係者や企業がどんどん大都市に病院などを作り始めている。

 言っておくけど、私たちはもちろんお金を儲けるためにやるわけではない。
 お金のために人を助ける必要も全く感じない。
 
 そんなことより、人としてそれが大切だと思うから、それをしなければならないから、やろうと決めているだけだ。
 もちろん、お金なんて十分でない。日本政府も出してなんてくれないだろう、、多分。
 でも、やる。
 やると決めたのだ。
 自分の子や孫に誇れることを一つや二つ生きてる間にやってみないか?
 たくさんお金を儲けた、すごいでしょ!などういうのは、昭和の時代ならいざしらず、次の時代にはバカにされる、そんな時代になると思うから。

 アジア中から病気の子どもをかき集め、できる限り治療してあげたいというごく自然な欲求なんだ。

 興味ある人は、ぜひ力を貸してほしい。
 あなたが自分のヒストリーを子や孫に語るとき、その1ページにアジアの子どもたちの命を救う試みに参加した物語が加わることを願っている。
 
 
 
 
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by japanheart | 2014-10-31 03:35 | いのちの重み | Comments(1)

日本のNGOの将来について

日本のNGOの将来について

これからの日本のNGOはどのようになっていくかというとそれは既に大方、決まっていると思う。
どうせ欧米型のNGOのようになるに違いない。どんどん大型の組織が生まれる。
多額の宣伝費をかけ、多額の寄付を集める。
多くの資金が必要な事柄を抱える組織はそれはそれで仕方ないと納得するしかない。
寄付は宣伝に2億円かければ6億円は集まる。
寄付する日本人たちはそれで納得するだろうか?自分の寄付が宣伝広告費になっていくことに。

しかし現在、多分そういう団体に多くの人たちはその現実を知らず寄付しているから、納得する以前の問題かもね。

世界に出て本当にしっかりした規模の活動をしていこうとするとどうしても資金はいる。
だって、そこで働く日本人たちも現地スタッフも給料を立派によこせというのだから、どこかを削れるわけではない。
規模だって妥協できるはずもない。人命や人生がかかっているような事柄であればなおさらだ。

日本社会との妥協ラインは一体どこなのか?
ずっと考えてきたんだけど、最近はある事柄を思い出した。

昔のロンドン軍縮会議の戦艦の比の妥協ライン。
大英帝国:アメリカ合衆国:日本=10:10:6.97
このとき、日本が7になれば、イギリス、アメリカとも日本に単独では勝てない可能性が強いと踏んでいた。
そのくらい日本の海軍は能力があったということかもしれない。

ということで、何の根拠もないけど、欧米型のNGOが10の宣伝費をかけてお金を集め、何かをしたときに、私たちは6.97くらいの宣伝費をかけ、お金を集め、欧米の大型のNGO以上の成果を出すということを考えてみた。
日本のスタッフにはそれくらいの能力と成果を求めることになる。

足らないところは人的な資源とその能力で有史以来補ってきたのがこの日本という国柄だから、まあ、今後もそんな感じで行くしかない。

何でも欧米のやり方にまねする必要はないと思う。
効率論は、時として破られるのだ。
とにかく勝ちゃいいんだろう的なのりで日本の企業は、世界を席巻してきたしね。

世界に冠たる日本のNGOを作ってみたいと思う。
その時、それはもちろん、今までに誰も見たことがないような宇宙戦艦ヤマト的な組織のインパクトになっていたいものだ。

日本のNGOは一体、どうなっているんだ??といい意味で畏れられたい。

ここから10年で日本もアジアも大きく変わる。
10年後、NGOはどうなっているのだろうか?

誰も思いつかないそんな世界に踏み込んでみたいと思う。






by japanheart | 2014-10-22 03:21 | 活動記録 | Comments(0)

人生はマラソンでしょ?

人生はマラソンでしょ?

 最近よくスタッフにアドバイスしているのは、この台詞。
 前からよく、人生を相対化しろというけど、こちらの方がずっとイメージしやすいと思う。

 医者としての私の人生がたとえ40年あっても、私の人生の一部に過ぎないから、ここは大切なポイントかもしれないけど、そこが全てではない。
 医者としての人生は、私の人生の前半中盤あたりから人生の後半にかけての時期ではあるが、普通に生きれば医者を引退してからまだ10年くらいは生きなければならないことになる。

 医者人生40年とすると、このうちの1年を早く走っても仕方ない。その時間に無理をして、ペースを乱し人生をガタガタにしたら元もこもない。
 また、医者としての人生を膨らましすぎて、人生の全てが台無しになっても仕方ない。
 
 こう考えて日々生きていくほうがきっと上手くいく。

 昔、岡山大学の大学病院外科で若い医者の自殺が相次いだ事件があった。
 何があったかはわからないが、最終的には心身喪失になったのだろう。
 この若い医者たちは、日本では確実にエリートで、大学に受かったときはさぞかし両親も本人も喜んだことだろう。
 でも結果から言うと、医学部に受からなければ、自殺などすることはなかった。
 医者にならなければ、そうならなかった。
 大きな大学病院に入らず、小さな地方の診療所に勤め、周りに大切にされていればそうならなかった。
 
 人生というのはトータルで見てみないとなんともいえない。
 人生全体を最高のものにするためにどう走ればいいのかを考える。
 これは人と比べてどうのこうのという問題ではない。
 人生はマラソンと唯一の違いは、スピード競争ではないということだ。
 しかもたった一人で走る競技なのだ。

 だからどのくらい早く走るのかということではなく、どのように走れたのかということが大切なのだ。
 自分の納得いく走りができたのか?
 ただそれだけだ。

 毎日を必死に走ることは大切なこと。
 しかし、この考え方のいいところは、自分が逆境のときに役に立つことだ。
 苦しいとき、思い通りにならないとき、人生はマラソンだから、この時間をどのように位置づけ、考え、過ごすのか。
 そのように考えるべきだ。

 本気のアスリートたちは、ペース配分を考えることがあっても、手を抜くことはない。
 このことは大切だ。
 だから毎日、必死に走らなければならない。

 大切なのは歩いてもいいから、途中で走るのをやめないこと。
 最終的にどんな走りになっても、手を抜かず必死に最後まで走ればきっとそれなりに「まあ、こんなもんかな」と自分は納得すると思う。

 という自分ももう後半に入っているので、これからどんな走りをするのか、したいのか、今も必死で走りながら考えている。
 


by japanheart | 2014-10-13 03:03 | 随想 | Comments(0)