ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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こころの年齢

こころの年齢

こころの年齢というものがある。
最近、サプリや食事療法、肉体改造などによる今流行りの実際の年齢よりかなり若く見える体の話が巷を賑わしている。
しかし、私の経験から言うと、もちろん肉体が若いのはいいことだという前提だが、実際にある経験を人生の中で味わっていくときの幸せ度は、肉体の若さと相関せず、こころの年齢に相関してそれが決まる。

分かりやすくいうと、いくら50歳で20歳の肉体が持てても、所詮、50歳のこころので感じる幸せしか感じることができないということだ。
50歳で、20歳の女性と恋愛しても、20歳の頃のような気持ちや感動はなく、50歳、その年齢相応の恋愛しかできないということ。
一瞬、感情の高まりはあるかもしれないが、それは長続きはしない。

人には、こころの年齢に見合った生き方、感じ方というものがある。
そのことを知らねばならないだろう。

それぞれの年齢に見合った経験を積み重ねていく。
人間とはそういう風に、生きていくしかない。

今の私には、人生の大きな目標というのは存在しない。
ジャパンハートの代表としての目標はあるし、医師としても目標もある。
しかし、私のという人間の目標は存在しない。

私という人間は、ただただ、生きていることに幸せを感じることしか有り様を表せないのだ。
到達点もない。
今、このときを、いかに密度高く充実した時間にするか、それしかない。
”永遠なる現在”を意識した生き方。

そういえば、こころの年齢を重ねると感じることがある。
私だけにある感覚かもしれないが、時代とのマッチングを色で見分けるという感覚だ。
今までの時代は、原色の時代だった。
濃い赤や茶色、青もそう。
しかし、これからは薄い色の時代になる。
薄いピンク、薄い青、薄い緑。
そういうイメージを持っていない組織は時代に取り残されていく。

たとえば古いデパートは何色をイメージする?
医師会などの制度は、どんな色?
日本政府は何色だろうか?

ジャパンハートはもちろん薄い色に導いていく。

まあ、そんなこともこころの年齢を積み重ねると何となく感じるようになる。
肉体は、衰えを隠せないが、歳を少しずつとっていくのも悪くないかな?と自分を慰めている。



by japanheart | 2014-06-29 19:45 | 随想 | Comments(0)
これからのアジアで何をするのか?

 先日のインドネシアの調印は無事終了した。
 インドネシアは東西に広がる島々からなり、その広さはアメリカ合衆国と同じ位になる。
 ここで災害が起こればどうすれば医療団をアプローチさせることができるのか?
 インドネシア政府主導の青年団2万8000人所属の全国組織TAGANAという団体をカウンターパートにこれから災害訓練を行っていくことになった。
 フィリピンもそうだが、一部の医者やクリニックの人たちと懇意にしてその人たちに支部をつくらせいざという時に動くのは限界がある。
 そして、アジアの国々の人々は今までのような格下の相手ではなく、対等のパートナーとして上手くやっていってくれると思う。
 だからそれぞれの国でジャパンハートがカウンターパートにするのは全国的な組織ということになる。
 インドネシア、フィリピン、ミャンマー、徐々にその範囲を拡大していく。

 さて今日の話はそれよりも、アジアの今後を俯瞰して私たちがやっていかなくてはいけない役割とは何かについて再確認しよう。
 1)これからのアジアは、貧富の差はどんどん広がる。
 2)意外かもしれないが、東南アジアの国々はかなりのスピードで高齢化社会に突入していく。
 3)国民皆保険を十分に発達できないような経済格差が都市部と地方に存在する。
   (都市部と地方の経済格差は30から40倍になるといわれている)

 ここから導かれる解は、貧困層は相変わらず医療にアクセスしにくい状況が続くということになる。

 これらに人々に医療を届けていくのがこれからも私たちの使命のようだ。

 さらに私がもう一つやってみたいことがある。
 今まではあえてそうしなかった方法だ。
 その地域の人々に見合ったレベルの医療を提供していくということだったが。
 簡単に言うとミャンマーの貧困層の人々に、日本の人々が受けているような最新の医療行為はしないということだ。
 それなりの理由があったからだが、、。

 これを大きく変えていこうかとも思っている。
 せめて、手術は最先端の手術器具を使い、先端の治療を行ってあげたいなと。
 そうすれば、富裕層の人たちほどではないにしても、それなりの満足と安心は得ることができる。

 これが正しいことかそうでないかは分からないが、誰も損しないならやってみよう。

 最近すごく感じていることがある。

 それは、ジャパンハートの医療のあり方自体がもうすぐ大きく変化するだろうということだ。
 それは私たちの要求というよりは、時代の流れということだと思う。
 それに、適応するように変化すればそうならざるを得ないということだろう。

  最後に、、、。 
 
人間、時間があれば余計なことを考えてしまう。
 目の前のことに、一生懸命に生きて死んでいくのが幸せなのだろうか?
 ふと振り返れば、あっという間の数十年。
 大きな目標を掲げ、あるいは何かの目標や目的を達成するために、今日や明日はやりたいことや時間を犠牲にして生きてみる。
 そんな生き方は今の私にはもうありえないと思う。
 その生き方をできる人間は、無邪気にも明日や数年後の自分の生を信じている人間だけだ。
 私には、その確信が持てないのだ。
 だから、せめて今の時間に生の確信を求める。

 大きな栄達は結果であって、目標にしてしまっては人生台無しになる。
 その過程の時間を常に、意識して生きてみたい。

 私はあとどのくらいのことを成すことができるのだろうか?
 たとえ、どんなことが成せたとしても今日という一日一日に満足しなければ、死んで生きているようなものだ。
 人は生きて、そして死んでいかねばならない。

 この部屋の窓の外から入る夜風が心地よい。
 私はこの風の心地よさを感じるために生まれてきたのだ。
 

by japanheart | 2014-06-22 02:40 | 活動記録 | Comments(3)

日本政府を嘆く

日本政府を嘆く

 政府は国民以上にはならない。それは、国民から選挙で国会議員が選ばれているいる以上は当たり前すぎ話し。

 どうして、人間は上に立ったと思った瞬間から、このようになってしまうのだろう?
 あるいは相手が、政府の役人だと思った時から、日本人たちはそんなにへりくだるのだろう??

 今、国際協力の分野での日本政府のやり方はパターン化されていて、まず比較的簡単な草の根の支援を政府の予算の一部を使って行う。
 次に、JICAなる組織を使ってどんどん援助を落としこめて行く。
 それで結構いい線いけていると考えているのが彼らである。

 しかし考えてほしい。
 世界は広い。
 そんなものでカバーできるわけがない。
 
 見る人が見たら、穴ぼこだらけで、笑っちゃう!

 この大きな穴を誰が埋めるのかといえば、民間に頼るしかない。
 民間の人々が動き、政府のやっている間隙を埋めていくしかない。
 問題は、その民間も政府も、もうその内容や価値を判断できる人間がその場にいないことが問題なのだ。
 しかも、この上から目線とお金ほしさの下からのへりくだり。
 政府の援助をもらうと、よく言われることがある。
 きめ台詞はこれだ!「国民の税金なんで。」
 僕はその国民の一人なんだけどと思ってしまう。
 自分のお金を自分で大切に使えない人間はバカである。

 たとえば、私の専門分野。
 アジアの人命にとって最も重要なポイントは何か?
 そりゃ、子どもの命でしょ、となるが、カンボジア、ラオスの子ども病院は韓国が全部先に手を入れてすでに日本は蚊帳の外。
 ミャンマーの心臓病の子どもは100人に1人いて、手術をしなければ大方近い将来に死ぬ。
 しかし、子どもの心臓外科医は一人もいない。
 これってどう???
 100人に一人の子どもの命ってすごくない?
 これって日本がすればすごくない?価値があることない?
 未来永劫、100人分の1人が助かっていくってすごくない?
 
 でもそのことを発見できた人間は僕だけなんだ、、、、。
 
 でもそこはぐっと我慢して、外務省に行ったのだ。
 そこで外務省の人間から言われた台詞を国民のみんなが聞くとびっくりするぜ。国民の代表としていったのにね。
 アジアの富裕層相手の病院経営のためにしこたま企業を支援して支援金のお金を出すのはいいけど、せめてその一部でもアジアの貧困層の子どものために使う。本当に、本当にだよ、効果があるこんなことに国民の税金の一部をつかってもいいじゃない?

 どっちに税金を使ってほしいのか?
 聞いてみるといい。ドナーの国民にだよ。
 僕はきっと国民の常識を信じるね。

 アジアの子ども病院だって、日本がやればいいだよ。
 民間を信用しないから、そこにきづかなかったんだよな。
 わずか600万人の人口のラオスにJICAが派遣している人間の数と予算を聞いたら国民はほんとにそれがバランスがとれたことだと思うかな??

 僕に任せてくれたら、アジアでほんとに必要な医療支援は軒並み日本が主要な役割を果たせるようにする自信があるけどね。
 僕は民間の人間だからな、、。政府はまた適当にやるだろうね。


 今からインドネシアに行ってきます。
 インドネシア政府と正式に調印するんだ。
 災害の国際緊急救援の枠組みをアジア全域に張るその始まりよ。
 インドネシア政府はそれの価値を分かってるんだね。
 日本政府はね、だめ!!JICA,JICA,JICA.......
 やがていいポジションを子ども病院のようにほかの国に持っていかれる。
 
 でも安心してくれ!日本国民の若者たちよ。
 僕が君たちがそれを実現できる枠組みを身を挺して残しておくから。
 
 日本人はすごい!本当の友達だ!!
 日本人はありがたい!って
 必ず、君たちに言ってもらえるようなそんな仕事ができる枠組みを残すから。

 日本政府はぼくらのことをなめてるのかね??

 
 


by japanheart | 2014-06-08 14:50 | 活動記録 | Comments(3)
再現性という魔術ーその2


 再現性の効力についてまだ、認識不足のようだから今日も再度、それについて話したい。
 究極の再現性はどういうときに発揮されるか?ぴんと来ないからその有効性を認識できない。

 究極の再現性は実は、生死を分ける戦争のようなときにこそ発揮される。
 山本七平さんが生前、第二次世界大戦の日本兵の優秀さについて書いた場面がある。
 一読されたし。
 その優秀で強靭な兵士たちは、武器ももたしてもらえず到底、日本兵ほどの訓練も受けていないアメリカの若い兵隊たちに火炎放射器で黒焦げにされたり、爆弾で吹っ飛ばされたりしてしまった。

 それ以外にも、もちろん戦闘機のパイロットたちの優秀さは戦争が始まったときには世界でも群を抜いていたと思う。

 しかし、その優秀なパイロットたちは結局、初期のうちにほとんどが死んでしまった。
 名人ばかりをそろえても、それに続く平均的な人々も育っていなかったからだ。

 どのようにしてアメリカがその人的なギャップを埋めたか。
 その人的ギャップを上回る圧倒的な兵器を作り出したのだ。
 戦闘機もしかり。

 この再現性は、別の言葉でいうと、科学性と言い換えてもいいのかもしれない。
 科学性を、もって事に当るようになれば、個人の頭の中から思考が飛び出し、構造的に、そして具体的になっていく。
 構造的、具体的なものは誰にも再現が可能になる比率は圧倒的に高まる。
 東洋医学と西洋医学の差は実はそこにある。
 東洋医学の名医たちの医術は、再現性に乏しいゆえに、持続性が薄い。
 彼らはまさに芸術家のようなものだ。

 だからこそ私は、ジャパンハートという組織を再現性のある組織にする。
 そうすることで組織にも、活動にも永続性が生まれる。
 それができれば、社会が受けるメリットは圧倒的に大きくなる。

 日本人はマネージメントができないとよく言われる。
 それは科学的な思考が、できないことに起因する。
 科学的な思考が自分に落としこめるようになると、自然とマネージメントができるようになると思う。


 さて、最後にこれはいっておかねばならない。
 では最高の形はどういう形なのか?

 それは、上に立つものが卓越した芸術性を持ち、下のものが再現性を強く実現できているような組織である。

 日本の医者に多くいるゴットハンドたちは、どうも下の人間を大切にしていない人が多い。
 あるいは、一匹狼な人が多いのは困ったものだ。
 それはすなわち再現性の弱い組織を生み出してしまう。
 頭だけでっかくて、体が小さいとバランスが悪くなる。
 肉体も組織も同じである。 
 


by japanheart | 2014-06-03 02:40 | 活動記録 | Comments(0)