特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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公休もらって国際医療へGO!

 先日、長崎県医療企業団とジャパンハートの間で正式にジャパンハートの海外医療サイトへの短期ボランティアが研修として認定された。

 長崎県医療企業団は、長崎県が主催する対馬や五島列島のなどの離島の病院および島原市や雲仙市などの公立病院を束ねる医療団のことだ。
 この地域の病院に半年以上、看護師や医師として勤務したものは、ジャパンハートの海外医療サイトでのボランティア活動が研修として認められ、正式に公休をとって活動に参加できることになった。有給や休みを取らなくてもいいわけだ。

 実は、対馬や五島はその病院が最終受け入れ先になることも多く、離島とはいえ比較的大きな病院が存在し、検査もほとんどそこで可能になっている。

 都会の看護師たちはぜひ、生涯一度は、1年、せめて半年は、僻地や離島での医療を体験してもらいたい。
 きっと、ジャパンハート看護師たちが声をそろえて言うように、本当に勉強になる素敵な時間になるはずだ。
 もちろん、給与もしっかり保障してくれる。しかも、海外医療にも参加できる。

 公立の機関が、勇気を持ってNGOと組み、人材確保に乗り出したことは特筆すべきことだ。
 そうしなければ、10年後は取り返しのつかないことになっているかもしれない。
 施設はあっても、結局は医療は人が行うものだから。人あってこその医療だ。

 企業団の理事長の先見の明と副企業長の努力はすばらしいと思う。
 裏で力を貸してくれた、佐世保区の政治家の人も知人で佐賀県のNGOーMIS代表の古賀氏にもこの場を借りて感謝したい。

 今後の僻地の医療の未来は、都市部の医療者をどう循環させるかにかかっている。
 おそらく、意気揚々と自ら都市部の医療者が僻地に乗り込んでいくことが当たり前になるにはあと20年くらいはかかるだろう。まだまだ、医療者は都市部に集中するだろう。
 まだ、時代はそこまでいっていない。
だから、何かしら魅力ある仕掛けを都市部の看護師たちに示しながら、僻地医療を支える流れを作らないといけない。

 田舎の医療は、信頼関係で成り立っている。
 都市部では、人間関係が機能的な関係になりがちだろう。

 都市部の医療に疲れたら、一度離島に行ってみるといい。
 きっともう一度、看護の魅力に気づくに違いない。

 そのときは、ジャパンハートにぜひ声をかけてもらいたい。
 信頼できる僻地離島の病院を紹介してあげることができる。

 来年あたり、ジャパンハート主催でツアーを組んで看護学生を大量に、離島医療体験でもさせるかな。

 海外医療パートナーシップ推進事業


by japanheart | 2013-11-30 03:13 | 活動記録 | Comments(0)

憐れ、日本大企業

憐れ、日本大企業

今も、フィリピン台風の支援は続く。
昨日は200名の患者たちが押し寄せ、120名しかみれなかったそうだ。

東北の大震災のとき、ジャパンハートを支援してくれたのは誰だったか?

一般の日本人。
外国の企業。

今もジャパンハートを支援してくれているのは、ドイツのルフトハンザ航空であり、BMW、アメリカのインテルだ。
もちろん、同支社の日本人たちの尽力は大切な要素だ。

日本大企業は、全く、その気は無い。

ユニセフや日赤には、中身も確認せずに意気揚々と寄付をする。
JAlの機体には堂々と、ユニセフのロゴが刻まれる。

馬鹿な人たちだと相変わらす思うのだ。

中身もしっかり、確認せず、詳しくも知らず、ただ、それを何十年も続けている。
外国企業では、申請し中身をしっかり評価して、そしてお金が下りてくる。

そうしてもらったお金だ。

日本の大企業のこの前近代的なメンタリティーとあり方は何とかならないものか??

だから庶民の寄付が、無駄になる。

大企業群のこの偉そうな上から目線の、新しい力を無視したような、あるいは否定したような態度は、絶対に修正を迫るつもりだ。

このような大企業のあり方は、少なくとも日本の恥だと思う。

時代はすでに、次の段階に進んでいるのに。




by japanheart | 2013-11-24 13:26 | 活動記録 | Comments(2)

大切な時間

大切な時間

昨日23時、まだ働いている理髪店があった。
どのくらいの時間を一日に働いたのだろうか?

若い頃、40時間以上は連続で少なくとも働くことが当たり前だった。
当直も、週4回した頃もあった。
寝ているのが、なんと電車などの乗り物を乗っている間だけという時期もあった。

でも幸せだった。

家族を持ち、子どもと過ごす。
それはそれで幸せな時間だと思う。
でも、そればっかりではいつか、子どもたちがうんざりくる。

お金だけのためでなく、無我夢中で働くことは、そんなに損なことか??
私はそうは思わない。

趣味を持てばいいという人もいるだろう。
でも、趣味は所詮、趣味だ。
本道ではない。

人生で一番長く時間を過ごす仕事。
この中で、自分に一番の生きがいの時を設定するするのは、道理にかなっている。
しかも、人生の中で、若くすばらしい時間を犠牲にしているとしたら。

理髪店の中で、働くと人を遠くから眺めながら、うらやましいと心から思った。
あんな風に、一生懸命に働かなくては、人生、損だと思った。

やればやるほど深みのある何かを求め続ける、そんな人生を歩みたいものだ。
一生、前を向いて進める。

仕事を馬鹿にしてはいけない。
なめてはいけない。

それこそ自分の人生を輝かせてくれるものだ。

時間を大切にするには、目の前にある仕事を大切にするということときわめて近似的な関係にある。




by japanheart | 2013-11-18 10:20 | 基本 | Comments(2)
フィリピン台風被害緊急支援

 今回、フィリピンのレイテ島を中心に襲った台風被害に対して緊急支援を開始することになった。

 医師2名、看護師2名、ロジ1名の5名を第一陣で送り込む。
 今年開設した、タイのバンコク事務所を拠点に支援を行う。
 もちろん日本からも、スタッフが各地に向かう。
 
 私は本来、その国に拠点が無い場合は支援はしない方針だった。ジャパンハートはそういうスタンスだった。
 ミャンマー・日本・カンボジア・ラオスなどは事務局もあり、ロジがしっかりしているので、活動はすぐに軌道に乗るだろうし、やるべきこと、サポートすべきこともしっかり把握できるので、効果が上がりやすい。

 しかし、フィリピンにはそれがない。
 行き当たりばったりでは、何もできない。

 しかし、またもや支援をしたいと、海外のスタッフから連絡が入った。

 それであまり乗り気でなかった。
 医療者は何とでもなる。
 しかし,兵站をどすうるのか?

 これがもっとも大切だ。
 これが確保できるのか??
 
 まあ、しかし、ロジは、外部から精鋭を招き入れた。
 すでに現地でのさまざまな状況やネットワークを確保したらしい。
 それでようやく、私も不安ながら、GOサインをだすということになった。
 果たして上手くいくかどうかは不明だが、本日、先遣隊が出発する。

 ミャンマーの津波のときもそうだったが、若い人間が前に出るときに、私はあまり止めない事にしている。
 行けば、医療専門職ゆえ、邪魔になることはあるまい。
 しかし行くからには、どこの組織よりも、確実に成果を上げてほしいと願う。

 そういえば、ミャンマーのサイクロンそしてそれに続く津波のとき、日本政府の医療団は、かなり遅れて入ってきた。
 まあ、いつものことながら、遅すぎるということかな。

 私たちは海外での医療活動のために生きているから、せめてアジアで災害があったときは、真っ先に飛んでいって、被害者を救うことができれば有難い。

 まだまだ課題が多いが、組織も人間と同じ。
 経験を一つずつ積み重ねるしかない。

 とりあえず、今日、ジャパンハートは飛び発つ。
 


by japanheart | 2013-11-13 01:56 | 活動記録 | Comments(3)

日本は変われるのか?

日本は変われるのか?


 最近、”いのちの授業”を小学校ではじめた。
 私には、これをしなければならない理由があるからだ。
 単に、子どもたちに私の人生を伝えるためではない。

 運命か?
 この授業がスタートした場所は、佐世保の公立小学校で、10~20%の生徒がアメリカ人の子どもだった。

 日本は1941年、戦争に突入した。第二次世界大戦、すなわち大東亜戦争(この名称はGHQによって禁止され、太平洋戦争と変えられる)。
 ミャンマーでは30万人の日本人が戦争に参加し、20万人程が亡くなった。
 日本全国で約300万人が亡くなったのだ。

 国内外で、日本人たちに求められたのは、生きて捕虜にならないという考えだった。
 中国という国際法という認識すら無かった人々を相手に戦っていたせいかもしれない。
 つかまって、串刺しにされたり、足を裂かれたりして殺された話は、たくさんあるから、自分で死んだほうがいいと思ったのかもしれない。
 
 ミャンマーでも、無謀な玉砕が繰り返される。
 刀で、イギリスの戦車隊に切り込む話は何度か現地の年寄りから聞いた。
 最後は、死ぬ。
 机上や希望的観測で無謀な作戦が立案され、そして飢えと病気で多く死に、戦闘で玉砕する。

 何で死なないといけなかったのか?
 といつも、考える。
 生きようとしたらだめだったのか?
 生きて、再起をかけ、もう一度、敵に挑んではいけなかったのか?
 戦争は、戦闘だけではない。
 多くの若者が生きていれば、きっと戦後もっと日本は早く復興したに違いない。
 次世代があれほど、生きる道を迷わずにすんだかもしれない。
 
 しかし、命令は、生きて帰るな!だった。
 命令を下した人たちは、早めに逃げ、そして責任も取らなかった。
 今でも、日本でもよくある光景だ。
 あれだけ、たくさんの若者を殺しておいて、職を辞したり、階級を下げる程度で済ませていいのだろうか?
 日本政府も、官僚も、どこかの電力会社も、同じじゃないか? 今でもきっと。

 何が間違っているんだろう?
 いや、何を日本はあの戦争から学び、何を変える必要があるのだろうか?
 
 それを私たちがしなければ、戦争で無くなった300万人は浮かばれない。
 ミャンマーの大地に無くならなければならなかった20万人の慟哭が聞こえる。

 私はミャンマーで使命を背負った。
 いのちや一人ひとりの人生の大切さを、亡くなった20万人から受け取りそれを日本に伝え、そしてその文化を創っていくという。
 だから、はじめた”いのちの授業”なのだ。

 日本人には、あなたの人生やいのちは大切だから、いのちは粗末にするな、何が何でも生き延びよと、教えなければならない。

 
 私は、今、日本政府と交渉している。
 ミャンマーの心臓病の子どもを救うための交渉を。
 100人の1人の子どもが、心臓病で生まれ、そのほとんどが幼くして死んでいく。
 子どもの心臓外科医が一人もいないからだ。
 
 しかし、厳しそうだ。
 彼らは言う。
 命に直接かかわる場合、もし患者が死亡すれば、国と国との問題になると。
 
 しかし、私は言いたい。
 そんな問題にならない!と。
 なぜならば、この子達は、手術をしなければどうせ死んでしまうからだ。
 どうせならば、治療を受けれて死んだほうがまだましだ。

 海外の人々の命を助けることは、日本人の命を助けることにつながるのだ。
 なぜならば、こういう活動を通じて、私たちは命というものはかけがえなのないものだという文化や概念を、自らの国の中に創っていくことができるからだ。
 そしてそれはやがて、戦争や災害のような危急のときに大いに発揮され、それにしたがって人々は行動するようになる。
 だから、いのちを救う作業は、日本人のためにやっている作業でもあるのだ。
 その日本人とは、自分たちよりもむしろ私たちの子孫のことだ。

 また、上の人間がそれをできないと言ってのけるのならば、この国はやはり、あの戦争からもっとも大切なことを学んでいないということだ。
 悲しい国だ。
 まだ、学んでいない。

 でも、私は、せめて私だけでも、それをやりたいと思う。
 あの戦争でなくなった300万人の人に、申し訳ないから。
 あの世に行ったときに、顔向けができない。

 講演会のときに小学生たちにこう言ったんだ。
 首相に手紙を書いて!
 私の話は届かないかもしれないが、君たちの手紙ならば届くかもしれないからと。

 なぜならば、君たちは私たちの”未来そのもの”なんだ。
 だれでも”未来”からのメッセージには耳を傾ける。
 
 未来からのメッセージを政治家や役人が無視したら、もうこの国は終わりだと思う。

 

 

by japanheart | 2013-11-09 01:36 | いのちの重み | Comments(1)

いのちの授業

いのちの授業

 今年から小学生を対象に、”いのちの授業”を始める。
 一クラス程度の少人数相手の授業にしたいと思っている。

 小学生の講演会を全校生徒にといってよく頼まれるが、それが平等だと教師たちが勘違いしている節がある。
 小学校の1年生と6年生に同じ話をしても、同じように理解はできない。
 低学年には低学年の話し方があって、それをすると高学年は興味を失う。

 しっかりいのちについて理解してもらいたいと思えば、どうしても高学年に焦点を与えることになる。

 そうすると、低学年はきっとあまり分からないだろう。
 相手の理解度も無視して、一部の人たちに理解できる内容をすれば、それこそ私は不平等だと思うがいかがだろうか?

 たった60分程度の話のなかでは限界がある。

 話を戻そう。

 いのちの授業は、無料で行う。
 交通費は負担してもらうが、講演費は無料。

 子どもたちにいのちについて理解してほしければ、自分のいのちを相対化するような経験を持たさなければならない。
 人は他人と比べて初めて、自分の立場を理解する。
 
 安全で、解毒化された日本の子どもたちに、打ち込む予防接種みたいなものだ。
 社会が、親が、面倒見すぎているのかもしれない。
 大人から見て気の毒なことが、本当は子どもにとって必要なことだってたくさんある。

 そういえば、ずいぶん前にミャンマーの子どもが亡くなるストリーを写真を少し入れて小学校かどこかで話したことがあった。
 あとで校長に、あの話はちょっとまずいようなことをと言われた。
 結末が不幸になるような話はしないでほしいと言う。

 世界は、不幸で満ちている。
 世の中には、残酷な世界もあるんだ。

 それを知ることも大切な教育だと思う。

 おとぎ話の世界だけを、子どもに押し付けてどうする?

 人は死ぬ。
 人は病気になる。
 
 別に、不思議なことではない。

 いのちの教育は、人が死ぬということから、教えていかなければならない。
 
 
by japanheart | 2013-11-03 08:18 | 子どものこと | Comments(2)