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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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信じられいなかもしれないけれど

 信じられないかもしれないかもしれないが、国際医療というと多くの日本人たちは多分,医師が海外で孤軍奮闘して貧しき途上国の人々を救う姿を想像するだろう。私が知らなかっただけかもしれないが、私が海外で医療をはじめようと決心したとき、世界中でのその姿を純粋に実現している日本人医師は誰もいなかった。
誰もいなかったのだ。
信じられないかもしれないが。

ある人は、医療から始まりやがてもっと社会インフラを整備することが大切だと認識し、そこへ向かって進んだ。
ある人は、医療では多くの人は救えないと、保健や教育分野へ進んでいった。
またある人は、海外で活躍するも、1年や2年で日本へ帰ってしまった。

私のようにずっと海外で医療をやっている人間は誰もいなかった。
だから誰にも頼ることもなく、見らなうべき雛形もなかった。
ただただ、手探りで進んできた18年だったように思う。

私が私なりに開いたこの道は、今は多くの国際医療を目指す医療者達が、参加できるようになった。
一生やりたければ、それも可能だ。
もう、誰も一人ぼっちじゃない。

これから私は、私の国際医療はどこへ行くのだろうか?
自分でもよく分からない。
だから、今でも毎月、最前線に出る。
どこかのNPOの代表のように、日本でいい生活をして、指令だけを出すつもりはない。
私は職人だし、現場を知らない指導者が、国ですら滅ぼしていった教訓を抱えていることは、日本人ならばよく分かると思う。
せめて、最前線で時代のトレンドを感じながら、次の方向をこの体でかぎ分ける。
机上の上では、分からない世界がそこにはあるから。


私は感性の声をだれよりも聞きたいと願っている。
自分の直感を信じ、自分の運命を信じたい。
どんなに状況が苦しくとも、最後には自分は未来にしっかりと立っているのだと信じている。

だから、誰も知らない世界をのぞいてみたい。
そうすることで、誰にも手に入らない感性を手に入れることが出来るかもしれない。
何かが目覚めるかもしれない。

信じられないかもしれないが、私は1月食事を断った。
一切の食を封鎖した。
カロリーは時々のむ紅茶と砂糖が入ったジュースが全てだった。
食塩は、1gも入れなかった。
体はどんどんやせていき、様々な体の変化に苦しんだが、こころの力は格段に上がっていった。
ひたすら自分の体と対話し、こころの声に耳をかたむけた。
何かが変わったかは、今は分からない。

30日間生きていたという実感だけがある。
きっと感性も大きく変化していると信じたい。
何かが変わったはずだと。

これには後日談がある。
本当は、食事をゆっくり1月以上かけて戻すべきだったのかもしれない。
長男が長らく一緒に食事をしていないので、一緒にインスタントうどんを食べたいと言い出した。
快く一緒に食べた。
それから、お構いなしに一気に、食事を普通に戻した。
ミャンマーに帰った今月の21日、体は完全に心不全状態だった。
全身が浮腫んで、足のすねは押すと1cm以上簡単にくぼみが出来た。
手も顔もパンパンになった。
坂道や階段は上がると息切れした。

それでも医療を、手術を最前線で行ってきた。
たとえ倒れようと前のめりに倒れ、手には刀を握り締めて、少しでも前をにらみつけて死にたいのだ。


そして今日、日本に再び帰国した。
今は、良くなっている。
働きながら心不全状態から脱していく方法をいろいろ試した。
支離滅裂だと思うかもしれないが、一応、職業は医者ということになっているから。

今になっていのちかけて何をやっているんだと思うが、そこまでしても欲しい世界がある。
だからいのちをかけて手に入れに行く。

私が何を手に入れたか、これからゆっくり見せていきたいと思う。
by japanheart | 2013-03-27 03:32 | 活動記録 | Comments(3)
やり切ることの、本当の大切さを知る

 今日はやり切ることが如何に大切なのかを知ってもらいたい。
 やり切るというのはどのくらいのレベルの達した状態なのかは、なかなか難しい問題ではあるが。
 
 挫折とやり切りは、近くて遠い関係にある。
 具体例をあげて説明すると分かりやすい。

 あなたが高校生でグラブ活動でテニスを始めたとしよう。
 テニス部の練習はつらい。
 ランニングや筋トレばかり。そして素振りの繰り返しの毎日。
 いつまでたってもボールを打たせててくれない。
 やがて段々面白くなくなってやめてしまう。
 テニス部に退部届けを出した。

 まあ、挫折はしたけれど、しかし、振り返るとこの経験は決して無駄ではなかった。
 自分なりに努力はしたし、いい経験もできた。それはそれで良かったし、今回の経験は、人生の中で何らかの意味をもってくれることだろう。
 これは、決して間違った認識ではない。

 では、やり切りはどんな経験になるのだろうか?
 そのつらい練習を乗り切り、やがてテニス部をがんばって3年間続ける。
 これをやり切った状態と仮定しておこう。

 ここで得ることが出来る経験とはなんだろうか?
 考えて欲しい。
 分かるだろうか?
 やり切りによって選れる結果は、単にテニスを経験したという以上のものを受け取れるということを。
 得れるものを、例えば列挙してみよう。
 
 テニスの大会に出れた経験や緊張感。
 3年間やりきったという自覚。
 テニスを通してできた生涯の友達関係や友情。
 テニスでの、思いで。
 様々な遠征や大会を通じて、校内を越えた人間関係。
 体力。
 毎日の充実。
 学校生活での勉強以外での、充実感。
 仲間意識。
 スポーツへの理解と意味づけ。
 などなど。

 テニスというスポーツを突き抜けてそれ以外の財産をたくさん持てていることが分かる。
 これこそが人生で、テニスをやったということ以上に意味を持ってくるのは簡単に理解できる。
 やり切りは単に、その事象を飛び越えて広がりを見せ、様々な恩恵を人生に与えてくれる。

 だから、何かにつけ中途半端はいけない。
 何かひとつでもふたつでも、人生の中でやり切っていくことが出来れば、大変な恩恵を受けることが出来るのだ。

 何度の挫折はしてもいい。
 人間だからね。そりゃ仕方がない。そんなに強い人間は、あちこちにいるわけないから。
 でも、人生の中で、いくつかはやりきった経験を持とうとしたほうがいい。
 ここは踏ん張りどころだと思って、がんばる時間が欲しい。

 一度突き抜けてしまえば、後は自然にやっていけるものだ。

 やり切るという感覚を、大切にして数年に一度は力を入れてみたらどうか。
 
 あなたが最後にやり切ったのはいつだったか?
 思い出してみて欲しい。
 
 
 
by japanheart | 2013-03-17 02:44 | 基本 | Comments(1)
これから医師としてどう動くのか?

 時代はもう逆戻りはしないだろう。
 大体、医者達にそんな力はない。
 大きな白い巨塔は、徐々に崩れ去っていく。

 もしかしたらどこかの巨塔は残るかもしれない。
 それも旧日の面影虚しい変わり果てた姿になっていることだろう。

 色々な人たちと話をしていると相変わらずどこかに囲いたがられている人たちもいるが、10年もすればそれほど包容力があって安心できるものなど何もないと悟るだろう。

 時代は、すでに走り出している。
 どんなに医師会が抵抗し、どんなに大学医局が人を呼び戻そうとしても、それは無理なことだと思う。
 時代の長れには、人力では抗しようがない。

 これから医療者はさらにばらばらになる。
 実力のあるものにとっては最高の舞台となるだろう。
 ないものたちは、細々と生きていくしかない。
 医療の世界は成長産業だから、生きていく場所はあるだろう。
 僻地や離島、市井に近い場所に潜って、患者達に迷惑をかけないように祈るばかりだ。

 昔といっても20年位前は離島へ行くと、どうしようもない医師が一人や二人はいた。
 都会から流れ流れて、住み着いたのかもしれないが、僻地の人にとってはいい迷惑だ。

 今年から医療ボランティアの参加者がどんどん増えている。
 多分この流れは止まらない。
 それほどまでに人が首輪をつけるのを拒否しているということだ。
 昔は、教授が行くな!と言ったのでとか、部長から許可が出ません!婦長が、行かせないと言ってますとか、そんなことばかりで、来ない人も多かったのだ。

 震災から丸2年。
 医療者にはすでにボランティアの意識が出来始めている。
 しかし、東北には医療者を受け入れるボランティア組織はほとんどない。
 そこには、震災前よりさらに悪化した医療過疎があるだけだ。
 現実に医療行為をするのは今の被災地では簡単ではない。


 しかし、その医療者たちの、意識は目覚め続ける。
 被災地救援に行った人はもちろん、行きたくても行けなかった多くの医療者の意識が今目覚めつつある。

 この流れは、きっと世界へ向かう。
 海外へ向かうと予想している。

 昔、上司に止められてやめてしまったのは、一体、何だったのかと思うくらい、簡単に行ける時代がもうそこまで来ている。
 それを止めようとしている上司は、時代に逆らう愚か者で、濁流を逆向けに行く舟の船頭のようなものだから、そいつから早く離れたほうがいい。早晩、その舟は転覆する。

 これは、世界的な、そして日本を取り巻く意識の流れだ。
 決して医療界だけで起こっているのではない。
 ネットの世界を見てみろ。
 流通の流れ。情報の流れ。
 アジアの人の流れ、世界中の人の流れ。
 
 それらは実は意識の流れだ。
 
 そして、今、医療界に起こりつつあるのも、そのひとつの表象にすぎない。

 そのことが解らず逆向きに意識を動かすものは滅びる。
 逆向きの動きをするものは潰される。

 その価値観が正しいかそうでないかという問題ではない。
 正解は、ひとつしかない。
 時代が動く方向こそが、正しいのだ。
 そう認識するしかない。

 だから、あなた方も動け。
 そっちの方向に。
by japanheart | 2013-03-12 03:35 | 活動記録 | Comments(0)
ジャパンハートの若手医師について

 医師たちが、もうひとつの大学医局に囲われている時代は終わった。
 市中病院も、医局をあまりに頼りにしているとやがて大変なことになると予言しておく。

 自分達で、優秀な医師たちを集める作戦を今から練っておいたほうがいい。
 大学様には、その力はほとんどない。

 ジャパンハートの医師たちは、大学的な強制力をもって統制はしていない。
 単なる揺るやかなつながりに過ぎない。
 自分の力、海外の医療に役立てたいという心で、あるいは思いでつながった集団に過ぎない。

 自由に入り、自由に抜けていける。

 そんなつながりが、時代の要請だと思っているから。


 だけども、ジャパンハートに来る若手医師たちには望めばある程度のいいトレーニングを提供したいと思っている。


 まあ、医療というのが最終的には社会のためにあるとすれば、彼らに投資するのも悪くない。

 まずは全ての若手に、超音波検査のの訓練を行っている。
 私が絶対的に信頼する病院に研修に出だし、そこでエコーの研修をお願いしている。

 参加した医師たちは、改めてエコーのすごさに開眼する。
 そのとき、診断技術が格段にアップする。
 
 次に、小児科の研修をしてもらう。
 来年から数ヶ月、広島の尾道の市民病院(総合医療センター)の方で、数ヶ月やってもらう。
 もちろん、給与も支払われる。
 ジャパンハートは小児科も多く、途上国で医療をやる場合、小児科を学んでおいて損はない。

 それから、熱帯医学の勉強を、タイのマヒドン大学で6ヶ月勉強してもらっていることが多い。
 もちろん、自費だけど、費用は格安だ。
 タイのマヒドンはアジアで唯一、熱帯医学を本格的に勉強できる大学で、しかもフィールドが十分にあるため、臨床ベースでやっている大学である。

 私が指導できない熱帯医学の分野は、そこで学んでもらっている。

 そうして、大体、若手医師たちは、育っていく。

 ジャパンハートのため、日本のため、世界のために、なるべくいい選択肢を提供していきたい。

 ジャパンハートはすでに、公器である。
by japanheart | 2013-03-09 10:26 | 活動記録 | Comments(0)

医療活動の最近

医療活動の最近

 なんだか最近は、ミャンマー社会からの風当たりがゆるい気がする。
 私が、医療をここではじめたのは30歳のとき、今の病院に拠点を構えたのは38歳のとき。
 あの頃は、ミャンマー社会からの風当たりは結構なものだった。
 近くの大都市マンダレーの大学病院を中心とする医者たちやこの慈善病院のミャンマー人の医者たちですら、
 ”この若増が!!”ってな感じで思っていた節がありありと感じられた。
 
 とにかく歳が行くということは経験と医療技術に長けるということを意味しているアジアの国々では、38才程度の年齢では、経験も中途半端である、すなわち医療技術もたいしたレベルでないと考えていたのだろう。

 あるとき、子宮内膜症を患い、骨盤癒着(卵巣チョコレート膿腫数個と10倍以上に大きくなった子宮、そして膀胱、腹膜、腸が癒着でガチガチにくっついている)状態の患者の手術をした。
 癒着を時間をかけて剥がし膿腫を摘出、子宮を摘出、膀胱を部分切除し、手術を数時間かけてやった。

 これを知った大病院の産婦人科の教授が、産婦人科でもない人間が産婦人科の手術をしたとクレームをつけてきた。このような難しい症例は、大抵、外科や泌尿器の助けを借りてやる。特に、大病院ではそうなる。
 だから、余計に一人で全てやりきったことが、不満だったらしい。

 まあ、しかし、この病院の理事長の僧侶が上手くいなしてくれた。

 こんなことがたびたびあったのだ。
 日本で何の症例をどのくらいやったか書類を出せだのこの手術はするなだの。

 あれから10年。
 今は誰も何も言わない。
 言ってこない。
 ミャンマー社会に溶け込んでしまったのか?
 それとも48歳という年齢は、経験がある歳だと認識しているのか?
 ミャンマーの社会背景が劇的に変化しているためなのか?

 まあ、しかし、どんな状況でも今までやってこれたのは、いつも患者達のおかげだった。
 彼らが、心から私を必要としてくれたからだった。
 それに応えようとし続けた結果、今になっているだけなのかもしれない。

 いつ、ここから立ち去らなくてはならないかもしれない状況は、今でもあるが、それでも何とか足元を見て、一歩ずつ、前に進む。

 医者のやることは、それしかない。
 
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by japanheart | 2013-03-04 02:17 | 活動記録 | Comments(0)