特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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夢のつづき

夢のつづき

 先日、出版本でのインタビュ-の中で、最終的な目標は何か?という質問があった。

 私の答えは「ない」だった。

 いつも前に倒れて死にたいと思っている。

 何をどこまでやれば満足いくのか?それははっきりしない。
 子どもたちを1000000人救えば満足するのか?それとも数人でも良いのか?といわれれば別にどちらでも良いと思うからだ。

 医療も人生も一期一会。

 だから何かしら、その瞬間に、完結しているような気がする。

 死後、誰かにほめられても別にどうでも良いだろう。
 だから生きている間に、納得いく人生をと考える。
 将来に、何かしら達成目標はあっても良いが、別にその途上でもOKと考える。
 到達距離よりも、到達すべき方向性が大事なのだと。

 何をなしたかということよりも、何をなそうとして動き出していたか?それが大事だと思う。

 私はこの先どこへ行こうとしているのだろうか?
 10代で見た、夢のつづきを、齢50近くになっても追いかけている。

 人生にはゴールなど存在しない。
 今という”永遠なる現在”が、果てしなく続いているの過ぎない。



 

 
by japanheart | 2012-03-31 21:10 | 活動記録 | Comments(0)

感性一本で通す!

感性一本で通す!

 私が大好きな言葉は
          「感性一本で通す!」

 麻雀の天才、桜井章一のことば。
 正確には
      彼は、「男なら感性一本で通す」だが。

 私は、男も女も、感性一本で通せ!と思う。

この前の講演会でも言ったが、
 感性は、そのひとがそれまでの人生をかけて手に入れたすべてを一瞬で発露させたものだ。

 感性を大切にするというのは、すなわち自分の人生を大切にしている、ということ。
 自分の人生を信じているということ。

 信じるものは救われる。
 自分の人生を信じるものは救われていく。

 もしかしたらと、ふと思う。

 人生報われていない人たちは、感性を大切にしていない人たちじゃないか?
 理性が働く前の一瞬にしか、感性の言葉は聞こえない。
 一瞬を捕らえよ。

 一瞬の心の声を聞き、素直に従い、行動に移せ!

 それは、魔法の杖になる。

 「感性一本で通す!」
by japanheart | 2012-03-25 22:43 | 医者の本音 | Comments(2)
あなたにとって大切なもの

 今回のようにたったひとりの子どものエネルギーをを割こうとすると決まって昔からいわれることがある。

 たとえば、アフリカではたった50円の薬でひとりのいのちが助かるのに、どうしてひとりの子どもに300万もかけるのですか?

 たとえば、下痢やマラリアで亡くなるこどもはわずかなお金で助かるのに、たったひとりのこどものためにお金を使うのは理解でしません。

 予防や教育をすればもっと多くの人たちが、もっと少ないお金で助かるようになります。そのような活動に興味はありますか?

 まあ、何年にもわたっていろいろ似たようなな意見をされてきた。


 ややこしいので、結論をまず言う。

 「絶対に正しいことはない。あなたが正しいと信じることをしなさい」


 あなたの子どもが大きな病気にかかり、3000万円必要と言われたらどうする?
 同じ3000万円で20000人のアフリカの子どもが助かると言われたらどうする?

 別に、あなたの友人のこどもでもいいよ。
 いくら何でもその友人に向かってそうは言えないだろう。
 「そのお金があれば20000人のアフリカの子どもが救えるって。」
 
 そういう考えはどこか歪さがあると思った方が良い。
 理屈じゃそうかも知れないが、私たちは血も涙もある人間だからね。

 別に、そういうあなただって、あなたが食べる食事を素食にし、着るものを始末にし、あらゆるものを切り詰めてアフリカの子どもたちのためにがんばっている訳じゃない。
 人のいのちは、何よりも大切って考えている一方で。

 それってなぜよ?
 なぜ、そんな日常を送ってしまうのか?

 一度考えてみる価値はある。

 一言でいうと、あなたにとっては自分のいのちや人生ほど大切なものはない、ということでしょ。
 だからアフリカの子どもを見捨ててでも、自分の服買ったりする。
 
 だけどそれを誰もせめられない訳よ。
 だからあなたも誰も責めてはいけない。
 あなたが自分の人生を大切にするように、他人も自分の人生を大切にしている。
 あなたが自分の考えを大切にするように、他人もまた自分の意見を大切にする必要がある。

 ルールを決めるのはあなた。
 あなたの基準に沿って。

 もしも、3000万円かかっても、ひとりの子どもを助けたかったら、それをする。
 同じお金を使って20000人のアフリカの子どもを助けたかったら、そうする。
 どうするかは、他の誰でもなく、あなたが決める。

 そして今回、私は提案した。
 300万円のお金を集めて、この子どもを助けたい人はいますか?と。

 はい、私は助けたいです!といった人たちが500人以上。
 
 あなたにとって大切なもの。
 それはあなたの人生から導き出された価値観や考えであって、他人は本当はどうでも良いのかも知れないね。
by japanheart | 2012-03-19 22:09 | いのちの重み
たったひとりのこころと体を救うプロジェクト

1月21日以来、ミャンマーのひとりの女の子のこころと体を救うというプロジェクトで募金を集めてきた。
ようやく300万円の目標額に達して、これから実行に移されていく。
ご協力頂いた皆さんには、彼女の家族に代わってお礼を申し上げたい。

今回のプロジェクトには隠された意義があった。
300万円のお金は、たったひとりのお金持ちにはたいした金額ではない。
だから今回のようなプロジェクトはお金持ちがひとりでもやってのけれることだった。
じゃあ、私たちがやる意味あるの?ということになる。

答えは 、自信がなきゃしないということだけど、こういう活動を始めてからずっとそれを意識してきた。
たとえお金を積んでもできないことは何なのか?と。

その答えは、プロセスにある。
そのプロセスで、私たちにしかできない形で、彼女とその家族に「あなたは大切な人です」と伝えることだろう。
この時の伝え方こそ、私たちの質が問われる。

そして既にそれが始まっている。
だから皆さんにも参加してもらったのだ。
たった一人の金持ちの人に頼らず。

さあこれからがいよいよ動き出す。
彼女があなたの子どもならどうする?
彼女が大切な友人の子どもなら何をする?

彼女があなたの生徒なら何をする?

そこに私が皆さんに突きつけたいメッセージがある。
by japanheart | 2012-03-14 11:37 | 子どものこと | Comments(0)

ピックアップ・ブロガー

エキサイトブログ ピックアップ・ブロガー


震災1年目の今週、エキサイトブログの ピックアップ・ブロガーに取り上げてもらいました。

エキサイトのブログのトップページから入れます。
震災特別編/「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」の吉岡秀人さん登場!

または、以下のアドレスからもリンスしていますので、よろしければ覗いてみてください。

  >今週のピックアップブロガー
by japanheart | 2012-03-13 14:05 | リンク集 | Comments(1)
こうやって歴史は刻まれる

 震災から1年が経った。多くに人が、現場から去り、被災地も徐々に回復し始める。
 建設業界は、活気づき震災バブルが続く。
 漁業が破壊され、未だに復帰できない人も多い。
 仮設住宅の中で、寂しく生きている人たちも、そのままになっている。
 家族を失った人たちの悲しみは多分、私たちの考えているよりずっと生き残った人たちを、釘づけていくことだろう。

 そんなことは”いのちの現場”で何度も目撃してきた人間ならばよく理解できる。
 しかし、こんなに一度に、その光景を見せつけられると、なんと声かけをして良いのかもわからない。
 
 60数年前、東京大空襲ではアメリカの無差別爆撃で10万人が一夜にして亡くなった。
 あの時の人たちは、どうやってそれを耐えたのだろうか?
 広島の、長崎の原爆も同じだった。
 あのあと人々は、どうやって悲しみを癒し、自分たちを元気づけ、生きてこれたのだろう?

 こんなことを考えるたびに、たった”ひとつのいのち”の大切さを噛みしめる。
 2万人、10万人、その数はもはや私の中では数値ではない。

 何人の人間を助けてきましたかと、聞かれることがよくある。
 「何万人救いました!」というと聞こえは良いかもしれないが、それでは私のやってきた医療は、ぼやけてしまう。
 何人の人を助けましたか?
 何人の子どもたちを助けましたか?

 そう聞かれれば、私の本音は多分、以下のようになると思う。

 「いつもがんばって、目の前いる”たったひとりのこども”を助けようとしてきました。そして、ひとり、またひとりと助けてきました。」

 

 今回亡くなったひとたちも2万分の1人りではなく、誰かにとってのかけがえのない”たったひとり”だから尊いのだ。
 言葉はいらない。
 変な慰めは、かえってこころをかき乱す。
 
 多くの人は大切な人を亡くした家族のそばに寄りそう医師や看護師のように、静かに寄り添おうではないか。
 多分それだけで良いような気がする。
by japanheart | 2012-03-12 01:22 | 医者の本音 | Comments(2)

この前、東北で

この前、東北で

 先日、東北に行ったときあるボランティア看護師に
 「先生は、怒りすぎだと思うんです。人は怒られては成長しません。ほめてこそ成長すると思います。」
と言われた。

 そうかな??と私は純粋に思う。
今ではアメリカから入ってきたコーチングが大流行で、ほめることの利点にばかり焦点が当たっているが、元々は日本は、叱ることとあえてほめる機会を少なくすることが主流だったと思うけど。
 それで日本の先人たちが、全く成長もせず、大家や名人たちが出なかったなら別だが、現実は歴史の示すとおり。
 私はほめるという行為を、おいしいものを食べる行為のように理解している。
 毎日おいしいものを食べ続けると、おいしいという感覚が鈍ってくる。
 しょっちゅうほめると、ほめられても当たり前になってくる。
 もっとおいしいものを、もっとおいしいもをという感覚になっている人が今もたくさんいいる。
 そこで粗食など出されたら、食べている間中、多分文句と不平で心とお口は一杯になっているはず。
 ところが逆だとどうなるか。
 普段、質素な食事しか食べたことのない人間が、おいしいものを食べたときは、多分、卒倒するくらい心と体は満たされる。

 要はバランスなのかも知れないが、ほめて育てることはかなりテクニックがいるということだ。
 怒って育てるのには、ほめて育てるのと比べると大してテクニックは必要ないと感じる。
 毎日毎日、満足いくおいしいご馳走を作れといわれたら大変難しい。
 一方、毎日、粗食を作れといわれても、簡単なことだ。
 それと似ている。
 ほめて育てるのは相当高等な技術ということになる。
 

 もう一つ、ミャンマーの現場に行っていないその看護師にはいくら言っても理解できないから言わなかったが、もし自分のせいで子どもが死んだら、その看護師がまともなら、生涯、トラウマをしょうことになるだろう。
 すでに私はそうなっている。
 だから、怒られることくらい軽いものだというのが私の気持ちだ。
 人を自分のせいで殺めてしまったら、生涯、救われないだろう。
 しかし、殺めたことのない人間には、その危機感がない。
 殺すという、その結果が出て初めて、自分の状況を理解することになる。
 時すでに遅し。
 時計は逆には回ってくれない。

 あなたなら、どっちを選ぶ?

 私は間違いなく、ここに近づいたらえらいことになるぞと、叱ってもらう方がありがたい。
 だからそうしている。

 所詮、経験したものにしかわからない世界だ。
 さっきの看護師も、自分がそこにいて地獄を見たらわかるだろう。

 私もほめて人を育てたいものだ。
 現地では、正直、少なくとも私は、そんな余裕はない。
 
 
by japanheart | 2012-03-04 19:54 | 活動記録 | Comments(6)