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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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スマイル、スマイルーその1


 ガンや難病の子どもたち家族での思い出の記憶をとはじめたスマイル・スマイルプロジェクト。
 
 子どものいのちの未来は分からないが、病気で戦う子どもも、その親や兄弟にも少しでもいい思い出と生きる気力をもってもらうためにとはじめた。
 医療者がその旅行に付き添うこと、どこでも可能な限り希望の場所に行く、ということがこの特色だ。


 昨日、7月にディズニーランドに旅行に行った女の子のお父さんからメールが届いた。

 29日、この女の子はこの世を去ったという内容だった。
 でも念願のディズニーランドに家族でゆき、誕生日にはイチゴのケーキを食べ、、、、、、。

 本当に感謝をしてくれているようだった。


 しかしながらといっては何だが、やっぱり私は奇跡でもいいから子どもには生きていてほしいと思った。
 どんないい思い出をつくっても、ちょっとむなしい気がした。
 短い文章からでもこの父親が、どれほどこの女の子のことを愛おしく思っているかが、痛いほど分かった。

 何と私たちは無力なのだろうか。
 いのちに対して何と。

 せめてこれくらいのことしかできない自分がこころ苦しい。

 そんな気持ちを引きずりながら、それでもやってゆくしかない。
by japanheart | 2011-08-29 22:49 | いのちの重み | Comments(1)

少女の歴史が変わるとき

少女の歴史が変わるとき

6歳の時、左頬に感染を起こした少女がいた。
もちろん、医療が村人たちから遠い時代、彼女はその他の村人たちがそうするように、伝統治療の塗り薬で
その部分を治療しようとした。
おそらくひどい感染とその薬の影響だろうか、左の頬の三分の二が融けて消えてしまった。
歯茎と奥歯までもがむき出しになってしまった。
その後も、お金の問題を含む様々な理由で医療を受けれないできたんだと思う。
今、19歳の彼女はある日、ジャパンハートの外来にやってきた。
あまりの酷さに、これは無理だと思った外来をやっていた医者が、そう言って帰そうとした。
その時、通訳のミャンマー人が、結論を出す前に私に一度診せるようにと言って、彼女が私の前にようやく座ることになった。

彼女は上手く発音できない、とても発話が聞きにくい。
左側の頬がなくなり、歯も明らかに本数が少なく、大きさも生え方もいびつになっている。
それから、多分、言葉では言われぬような悲しい思いをしてきたんだと思った。
彼女の声は、虫の鳴くように、すごく小さくか細い。
声の大きさは、その人内面の状況と比較的相関する。

私は全く自信などなかったが、手術をすることを決心し、彼女と母親に告げた。
2ヶ月後、彼女は手術のために入院してきた。
この2ヶ月間、多分、彼女とその家族にとっては、今までにないような充実した毎日だったと思う。
人間が明るく生きていくためには、希望が必要だ。

きっと誰もが、無理じゃないと思ったに違いないけど、私には何となく上手くいくような気がしないでもなかった。
出会ったその時から、自分にはできるかどうか何となく分かるものだ。
できないときには、イメージもわかない。
これは格闘技やスポーツでも同じかもしれない。
向かい合ったその時に、勝負がついている気がする。

手術は数時間かかったが、何とか、何とか、上手くいった。

私は今回、本当に感じたことがあって、それは、どんなにすばらしい技術や力があっても、
結局、それを使える環境にいなければ、あるいはそれに出会わなければ、ないのと等しいということだった。

私より、上手い医者は日本には腐るほどいるかもしれないが、ミャンマーにいて彼女に手術をする機会に縁がなければ、彼女にとってはこの世にいないのと等しい。
少しくらい腕は悪くても、自分の手術を施す人間の方が現実なのだ。

このまま感染が起らなければ、彼女の歴史は、家族をも巻き込んでこれから大きく変わる。
19歳までの、悲しく自信も明るい未来も描けないような人生とはおさらばだ。

残りの人生何十年もある。
うらやましい。
きっと恋人でもできてくれたらいいなと思っている。
by japanheart | 2011-08-25 18:58 | 活動記録 | Comments(1)

安井 佑が往く

安井 佑が往く

 数年前、ジャパンハートの海外ボランティアに2年間ほど参加した安井 佑という医師がいる。
 ミャンマーのサイクロン救援を仕切ってくれた男だ。
 彼が、帰国後日本で働くなかで、出身大学の東京大学を中心に医療者を集め、GMJ(Good Medicine
Japan)という団体をつくり,いろいろな医療支援の形を模索してきた。

 今回の震災では、彼のつくった団体GMJが気仙沼を中心に様々な支援を展開している。

 そこで今回、地元の復興を願う一試みとして、祭り、を計画している。
 時は8月21日、地元青年会や商店街を巻き込んでのかなり大規模(1000人単位)なものになりそう。
 医療だけに特科しないところが彼の偉いところ。
 ミャンマーサイクロンの支援の経験から得た知恵なのかもしれない。

 時間のある人は問い合わせて見てほしいけど。
 ジャパンハートのスタッフも参加するようだ。

 様々なレベルで、様々な支援を考えねばならない段階にさしかかっている。
 行政はどうせ、画一的な、大きく輪を掛けたような支援しかできない。
 しかし、現場の人々は、今や画一的でないきめの細かい支援を求めている。
 だから、そこは私たち民間人が、相互扶助の立場でやらなければならない。
 いつの日か、きっと私たちが住む地域に何かあったとき、東北地方の人たちが助けに来てくれるに違いない。

 いつしか、宮城で聞いたあるある男性の言葉がを思い出す。

 「ほんと、ありがてーよな。こんな所まで助けに来てくれて。
 今は何もできねーけど、3年後…いや、5年後には必ず恩返しするからよ。待っててくれよ。」


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by japanheart | 2011-08-14 00:48 | 活動記録 | Comments(0)

村へ帰る

村へ帰る

 村へ帰る、と連絡が入るといつも二つのことを考える。どちらも良いことはない。
 一つは、患者は死にかけている。だから家族が死ぬ前に、村へ連れて帰って村で死なせたい。
 ミャンマーでは、村の外で死んだ人はその村へは入れない。
 不幸を持ち込むからという、慣習だ。

 二つ目は、患者の治療がもうこれ以上の改善を望めないというとき。
 一番多いのは、がんの患者で、がんと診断されれば、静かに村へ引き上げてゆき、死ぬのを待つことになる。
 がんであることは、この国では確実な死を意味しており、宣告自体、まともになされることは少ない。

 前回のミッションで私が手術をした、背部腫瘍の男性がいたが、10cm以上の大きな腫瘍で、多分皮膚がんだろうと、予想していた。
 もうそれ以上の治療は、この人の経済レベルではできないだろうと、腫瘍の段端から5~6cmほどは少なくとも皮膚をくっつけて取り、願わくば腫瘍の再発が少しでも遅れますようにと、祈りながら手術を行った。
 背中には大きな皮膚欠損が残り、医療用の包皮材でそこを覆い、時間を待っていた。
 
 結果は予想通り、がん。

 そして近日中に、村へ帰ると連絡があった。

 まあ、情けないことに医療者はこの様なとき、一体何をすればいいのだろうか?
 治療をできなくなった医者など、翼をもがれた鷹のごとくである。
 こうやって私は今までなんども自分の無力を感じてきた。

 こうやって村へ帰られてしまえば、寄り添うことすらできない。

 現実はこんなものだ。
 助かる人もいれば、そうでない人もいる。
 しかしながら、悲しいかな医療というものは全ての病気と対峙することを意識的に義務付けられている。
 だから、いったんはどのような病気であれ、向き合わなければならない。
 
 良い面とそうでない面、人生どちらにフォーカスするかにかかっているかもしれないが、私はいつもマイナス面にフォーカスする。
 だから治療が上手くいった患者たちの顔は、ほとんど思い出せないのだ。
 
 最近知り合う多くの若者たちが、本当に病気で苦しんでいる人たちを救いたいと、医療者を目指しましたと私に告げるのだ。

 私は苦笑いするしかない。
 そこにはかつての私がいる。

 そして、どうぞがんばって医者や看護師になって、患者でなく、まず、私を救ってよと思ってしまう。

 一人ひとりの人生には、二つとない大切なストリーやヒストリーがある。
 それを知れば知るほどに、悲しみもまた深くなる。
 
 この男性は、どのような少年時代を過ごしたのだろうか?
 彼の子どもたちは、どんな子どもなのだろう?
 父親の病気にどう付き合ってくれるのだろう?
 村へ帰り、あとどのくらい生きて、最期はどのように死んでゆくのだろう?
 そして亡くなった後、奥さんや子ども、家族はどのような人生を歩んでゆくのだろう?

 医療を通して垣間見える人生は、等身大のその人や家族のそれを見せてくれる。
 私には結構、重たい現実だ。
 悲しいかな、そういう現実を、年々歳々、分かるようになってきてしまった。

 
 
by japanheart | 2011-08-12 02:27 | 活動記録 | Comments(3)

成長のゆくえ

成長のゆくえ

 日本やアジアの社会にいると、どうも人能力を評価するときに、経験主義になりすぎる傾向がある。
 アジアでは、年寄りの医者は経験があって良い医者だと認識されがちである。
 
 そういう部分も否定はしないが、基本的には余程の勉強家でない限り、自分が体力X知力がピークの時を限度として、その辺りの医療レベルが最後まで幅を利かせる傾向がある。
 80才の医者で、それが50歳の時だったとすると、30年前の医療レベルが幅を利かせているということで、とても最新のものを軸にやっているというわけではない。
 
 だからある程度ピークを過ぎる頃から、後進に道を空けるべきだと思っている。
 最後まで、居座る人たちが多いので、その人がいなくなるたびにその施設の医療レベルがダウンしている。
 医療というのは内容はともかく、レベルを一定に保つことが患者にとっては大切なので、その視点で人事も考えていかねばならない。

 経験主義は、私の中にもあって、これがどうも幅を利かせていると、若い世代からいろいろなものを受け取れなくなる。
 自分より少しでも経験が少ないとなると、途端に学ぶべきものがないような錯覚に陥ってしまうものだ。
 アジア人は、このパターンがひどく多い。

 これから私の課題はそこにある。
 自分より若い世代を尊敬し、尊重し、彼らの能力認め、役立てる。
 
 そうすれば、私の能力もまだまだ伸びてゆくと確信している。

 そういう後進に多く出会ってみたいものだ。
 そうすれば、自分の身の程も知るだろう。
 
 自分の後の世代をどこまで信用できるかは、どのような後進に出会うかにかかっているので、本当に良質の若い世代との出会いを求めている、今日この頃である。
 
by japanheart | 2011-08-06 14:25 | 活動記録 | Comments(0)

嫉妬

嫉妬

以前、書いたブログにミャンマー人をもっともよく理解するキーワードは
 嫉妬、すなわち ”ジェラシー”だと書いたことがある。

 人間、一体どういうものが嫉妬という感情なのかを理解するには、難しいかもしれないが、
これはもしかしたら人が上昇してゆくためのモティベーションになるかもしれない。ただし、マイナスのエネルギーが張り付いてはいる感情だ。
 人は、時にマイナスの感情を上手く利用して、上昇しなければならない。
 プラスの感情利用だけでは、不十分だ。
 
 あの人の人気に嫉妬する。
 あの人の技術に嫉妬する。

 だからがんばって自分もそんな風になろうと努力する。
 それが人の、自然な在り方かもしれない。
 
 ミャンマー人だけでなく、人は皆同じか、、、。

 ところが最近、ここに嫉妬の感情を喪失してしまった人間がいる。
 そう、何を隠そう、この私。

 最近、もう人がどうでも良くなってしまった感じがする。
 前から、後進の医師たちには、私をどうぞ抜いていってくださいという風に思っているが、
 これが良いか悪いか、いろんなところに広がってきてしまった。
 まあいいや、まあいいや、で私のこころはとんでもない状態になっている。

 先日書いたブログ、「人生50年論」のように、本当に後4年をどう生ききるかを自問自答している。
 もう、他人になんか嫉妬していられない。
 嫉妬は、比較から生まれる。
 他人と比較する段階から、自分しかできないことを生み出さねばならない段階にさしかかっているからだ。
 比較するものがあるとすれば、それは他人ではなくて、昨日の自分だろ。
 
 私は、今や嫉妬という感情をかなり弱めながら、何を求めていくべきなのか、悶々としている。
 先日、今年までジャパンハートで働いていた石田先生とやりとりしていたら、いつも前向きで良いですねといわれた。
 自分では、最近、意気消沈している感じがあるが、他人から見たらギラギラ感、丸出しらしい。
 46で、ギラギラしていて何が悪い?と独り言。

 最終的に、何を求めますか?という問。
 さあ、何だろう?

 冒険家の植村直己は、いつまでも冒険をやめず、そして斃れた。
 革命家のチェ・ゲバラは政治家にはならず、最期まで革命家としてゲリラを指揮して、処刑された。

 彼らはなぜ、どこかで線引きをできなかったのだろうか?
 最近、彼らのこころがよく分かるようになった。

 彼らは死に場所を探していたのかもしれない。
 
 今、ちょうど「13人の刺客」という時代劇映画がやっている。
 この映画の中で、とても無理そうなミッションを上から仰せつかった、役所広司が次のような台詞を言う。
 「この平和な時代、武士としての”死に場所”を探しておりました。」
 そしてそのミッションを、死を賭け、喜んで引き受けた。

 私も、もしかしたら斃れる場所を、探しはじめたのかもしれない。
 どこまでも続くであろうこの道の先、最期は、ただただ、前のめり倒れよう。
by japanheart | 2011-08-03 02:46 | 医者の本音 | Comments(3)