ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2011年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ミャンマー人看護師たち

ミャンマー人看護師たち

 はっきり言って、最近の現地、ミャンマー人看護師たちは頼りになる。
 就職難のこの国で、17才くらいから25才くらいまでの若い女性たちが看護師という職業に就くために、様々な田舎から、私たちの活動地にやってきて学んでいる。
 
 彼らは日本人看護師の助手的な役割、下働きなどを1年して、それから看護学校へ通う。
 その学校を卒業すれば、さらに1年、現場で学び、それから様々な場所に散ってゆく。
その中でも、地元の人は、そのままここに就職し、働き続けている。
 
 
 はじめの頃、彼らは日本人たちを見本にやってきた。
 だから日本人たちのレベルが低いと、彼らには本当に気の毒だった。
 レベルの低い見本には百害がある。
 隔世の感があるが、今や、現地ミャンマー人看護師を日本人たちが見本にしている。
 消毒技術も、手術の助手も、現場での動きも、普通の日本人たちより格段にレベルが上。

 日本人たちの手術後の消毒技術には、私も散々、泣かされてきた。
 今や、術後管理の責任者は、ミャンマー人。
 少しでも傷の状態が悪いと、本当に自分の技術のせいだと思っていて、私に会いたがらない。
 怒られると思っているからだ。
 しっかり自分の責任でやっているということ。
 かつて日本人看護師で、このように振る舞った人間はいない。
 すなわち傷の状態がどんなに悪くても、自分のせいだと思っていないからだ。
 私から見ると、こうなったのは明らかにお前のせいだと言いたいのだが。
 口ではすいませんと謝りながらも、こころは反省などしていない。
 だから、同じ失敗を何度も繰りかえす。
 患者たちが気の毒で仕方ない。

 手術場の責任者も今や、ミャンマー人。まだ、二十代後半の女性。
 日本人たちに、いちいち小声でアドバイスする。

 彼女が、先日こう言った。
 「Aさん(日本人看護師)も.もう少しやる気になって、積極的だったら、もう少しやらしてあげれるんだけど。」
 「あのレベルでは、何をやらしていいのか悩んでしまうわ。」

 すごいスピードで成長している。

 また、あるミャンマー人看護師が、私が日本人看護師を怒ったあと、その看護師を慰めながらこう言ったそうだ。
 「あなたはまだきて数ヶ月だから、仕方ないよ。私たちはもう2年もここでやっていて、慣れているから。」
 このミャンマー人看護師は、まだ免許を取って6ヶ月足らず。
 おいおい、日本人たちは免許を取って一体何年、日本で働いてきたんだ?

 自分の病院でしか通じない技術や知識では患者たちは困る。
 日本人たちには、しっかりせい!と言いたい。

 途上国の看護師たちと思って、馬鹿にしてはいけない。
 彼らも能力を目覚めさせれば、たいしたもんなんだ。
 人は皆同じ。
 掛けた情熱と努力の分だけ、報われる。

 
 
 
by japanheart | 2011-07-31 01:12 | スタッフと想い | Comments(0)
私は神様にいじめられている

 テレビや報道を通して、私は大変横柄な人間だと思われている。
 それは否定できない事実かも知れない。

 ジャパンハートのスタッフたちは、私のことをとっても怖い奴と思っているに違いない。
 きっと、ミスをしたらシコタマ絞られる。

 ある人たちは、私のことをどうもS気たっぷりの人間だと思っているようだ。

 しかし、と私は言いたい。

 私は自分の人生を、なんとM気たっぷりな人生なんだと思っている。心の底から。
 私をいじめているのは、あろう事か神なのだ。
 私は神にいじめられている。

 今回も、考えられないような大きな甲状腺腫瘍の女性がやってきた。赤ちゃんの頭くらいの大きさ。
 年齢23才、極度の貧血(Hb 2.7)、普通の人の5分の一から4分の一程度の血液の濃度。
 立って歩けない。もちろん。
 しかも、小さい子どもと若い亭主が心配そうに付き添ってきた。
 子どもは何も知らずにはしゃぎ回り、しかもやんちゃで元気。
 腫瘍は、なぜかしら、破裂していて、大きな穴が開き腐って、中からたくさんのウジ虫が出てくる。

 毎日、腫瘍を洗い、輸血をした。
 すると3日目に、右足がぱんぱんに腫れ上がった。
 調べると足の太い静脈に血栓を作っていた。
 ミャンマーでは、血液は全血で輸血する。日本では、たとえば赤血球とか血小板とか、必要なものだけを輸血する。しかも日本は放射線を照射していたり、してなるべく副作用を起こらないようにしてある。
 調べる術はないが、多分肺にも血栓が飛んでいたと思う。酸素濃度が少し低くなっていた。
 血液を固まりにくくする薬を飲ませれば、逆に止まりにくくなりすぎという状態。
 まあ、しかし何とか1月がんばって、やっと手術へとこぎ着けた。
 本当は、やりたかないけど、私に隠れ場所はない。


 手術が始まり、血が止まりにくい。
 しかも、腫瘍が動脈や静脈とひどく癒着し、はがすのがすごく大変。
 そして時々停電。

 2000CCを越える出血。
 どんどん輸血する。
 用意していた1000CCの輸血はあっという間になくなり、A型の血液の人いますか??
 とスタッフたちに声をかけると、皆快く、応えてくれる。
 こういうときに普段さんざん飯を食っていて、太ってしまった人間に限って、血液型が違っているのが、おぞましい。

 どんどん進む局面の中で、私は地球の中心からこう叫ぶのだ。

 ああ、神様、なんでこんなに出血させるんですか???
 ああ、神様、なんでこの大きな動脈がこんなにひっついているんですか??
 ああ、神様、なんでこういうときに限って点滴のラインが詰まるんですか??

 そしてだんだん、腹が立ってきて、最後はいつもこうなる。
  「ああ、神様、なんで、なんで、こんな目に私をあわせる訳!! ??」
  今までも、何度もこころで叫んだ私の言葉。
 

  俺って、もしかしてついてない?

  
  若い亭主は、どたばたとして、たくさん運び込まれる血液を見ては不安をかき立てられ
  手術室の外で、そわそわ歩き回る。
  子どもは何も知らずに、看護師たちと遊んでいる。

 そして、 5時間後。
 すっきりした首になった23才の若い母親は、意識を取り戻しながらゆっくり手術室から運び出された。

 今日は手術後3日目、朝から座ってご飯を食べている。

 子どもは相変わらすやんちゃに忙しい。
 
 亭主は、にこにこしてご機嫌がいいようだ。

 私は、こんな経験は二度とゴメン被りたい願っている。
 いつものことながら。
 
 だけど、神様は、また私をいじめにくるはずだ。
 なんか対抗手段を講じないと。
  
  
  
by japanheart | 2011-07-27 02:46 | 活動記録 | Comments(6)

人生50年という在り方

人生50年という在り方

 第二次世界大戦末期、神風特攻隊が飛び立った鹿児島県知覧にある記念館には、若き特攻隊員たちの遺書が残されている。
 その多くは、戦時下、人の命は人生20年と認識されている。
 25才の若者は、人生20年の時代に5年も多く、時を重ねてしまったと書き遺す。

 信長は人生50年といい、今では平均寿命80年程度、人は知らぬ間にどこまでも人生続くのだと錯覚して生きている節がある。

 寿命が延びれは、幸せなわけではない。
 人生がいつまでもづづくのだと、錯覚していると濃度は、必ず落ちる。 
 齢50を越え、情けない姿をした人や、醜態をさらして生きている人たちを見るのは別に特別なことではない。

 やはり寿命が長すぎるのだ。
 人生50年、このくらいがいいのかもしれない。
 昭和の初め頃の、日本人の平均寿命は男44才、女47才程度、子供がたくさん死んでいた。

 私は46才だから、あと4年で寿命ということになる。 
 もし、本当に50才で死ななければならないとしたら、もうこのくらいで富を蓄えたり、名声を欲したりするのはやめにするだろう。
 ここから数年しかない人生、出し惜しみ無く、蓄えたものを出し切って死のうとする。
 汲々として、名声や地位を求めて、残り少ない人生の時間を無駄にもすることはない。

 人生50年、若き特攻隊員たちが言い遺したように、50を過ぎれば、それは余分な人生と考える。
 すなわち”余”生なのだ、と認識して生きる。
 これがいい。

 50までは、地位を求めようが、お金を求めようが、それはいい。損得で生きてもいいかもしれない。
 本人がそれで良ければ。
 そして、人は50で、一度死んだと考える。

 そこからは生まれ変わった気になって、損得ではなく、善悪を生きる基準に置く。
 どうせいつ死んでも、どんなに損をしても、既に死んでいる人生、大きな障害はないのだと考える。
 もし多くの壮年・老齢の人たちが、善悪を基準に生きてくれたら、どんなにか社会が豊かになるだろう。
 若者たちが、どんなにか救われるだろう。
 何を信じていいのか分からない若者たちが、50を過ぎればあんな風に生きれるのだと知ることは、どんなにか価値があるだろう。

 私の1度目の寿命があと数年で尽きようとしている。
 
 
by japanheart | 2011-07-18 07:19 | 医者の本音 | Comments(0)
学生セミナー開催のお知らせ

8月8日(月)にセミナー開催します。

場所は(財)人権教育啓発推進センター
地図はこちら

朝10時30分から夕方17時00分まで

参加費;1000円(昼食代含む)

希望する人はジャパンハートのホームページから問い合わせを。
こちらから申し込む

先着順に20名程度になります。

参加資格は学生です。
年齢は問わず。

では、待ってます。
by japanheart | 2011-07-15 18:31 | 活動記録 | Comments(1)

人生、防御力の磨き方

人生、防御力の磨き方

 お知らせがまず2点。
 
 (1)先日、お知らせした学生対象のセミナー8月8日(月) OR 9日(火)のどちらかになりそう。
 場所は今回は東京都内。参加費は1000円(昼食代込み)。朝10時くらいから夕方5時前までを予定。
 募集人数は15名程度。今回は、学生ならば誰でもOKということで。中高生でもOKです。
 追って、JHのホームページとこのブログでお知らせします。

 (2)ブログの書籍紹介の下に、ミャンマーの子どもたちが作った手作り石けんの紹介をしました。自然派石けんなので興味ある方はぜひ。収益は子どもたちの自立支援に使われるようです。


 さて、今日の本題。
 防御力の磨き方について。

 とにかく人生、攻め続けようと決心した私だが、防御は今更ながらしないと決めた。
 「攻撃は最大の防御」とはいうものの、最近この考えの違った側面を感じている。

 柔道で最初に学ぶのは、”受け身”といういわば、保険のような考えに元ずく体裁き。
 自分より強い相手と対戦したときに、その衝撃を最小限にくい止める方法。
 これは日本人にはよく分かるし、防御大好きの日本人にはしっくりくる。
 私も祖父に、そのように教えられた。
 受け身こそ、最も大切な柔道の考え方なのだと。

 まあ、しかし、自分の経験に照らしていくと、本物の防御力とは、攻撃の中から生まれてくる。
 はじめから負けることが前提の練習などは、いらない負け癖がつくとしか、今では考えられない。
 
 誰でもそうだが、攻撃力がつくと、遅れて防御の力がついてくる。
 不思議と防御の練習ばかりしていても、防御は上達しない。
 テニスや卓球、格闘技を、あるいは集団スポーツをした人間なら心当たりがあるはずだ。
 武術も人生も同じではないのか?
 防御は如何に完璧でも、いつかは破られる。人生は数十年の長期戦。
 あなたは防御だけで、持ちこたえる自信があるか?
 一度、防御がやられると、ダムが決壊するように、途中からは一気に崩れてゆく。

 ”攻撃の中に、防御を忍ばせる” あるいは ”防御力とは攻撃力の一部であると認識する”
 これが私が、人生から得た極意の一つだ。

 もしあなたが人生のはかなさを感じ、脱サラして何かをしようとする。
 その時、家族のこと、生活のこと、将来のこと等々、頭に浮かび、前に進めない。
 
 ある少年が、野球選手になりたくて、悩んでいる。
 親はしっかり勉強して、いい大学に進み、公務員にでもなった方が、いいのだと考えていることも知っている。

 もし、このような人たちが、自分の気持ちを裏切って、様々ないわゆる常識的な考え通りの行動をしたならば、それはまず防御をしたということだ。
 防御から始まる、体術には勝利はない。どんなに完璧に防御しても引き分け。でも多分いつかは、防御は決壊する。
 人生は自分自身との戦い。しかも、未来の自分、今よりちょっとレベルの高い自分との戦いになる。
 武道には、後の先を取るという考え方もあるが、多くの人にそのようなテクニックはできないし、必要もない。
 
 まず攻めろ!が合い言葉だ。
 攻撃、まず前に進み相手を打ちのめす。初手で難しければ、次手で捕らえる。
 続けざまに打ち出される攻撃の中に、防御を忍ばせよ。
 相手の攻撃がやってきたならば後ろに下がらず、前に出て攻撃を弱めよ。
 押し込まれた状態から返される攻撃の軌道は、読みやすい。
 
 もしも手痛く打ちのめされたら、次回はそれを防御の知恵とせよ。
 
 後ろへ下がるものに、はじめから受けの形を取るものに、勝利はない。
 自己の人生は、常に自分との勝負。
 さらにいえば、僅差の力関係にある未来の自分との勝負となる。
 僅差の力の差しか無きところに、余裕をかました受けの姿勢など、正気の沙汰ではない。

  少しでも長期戦になれば、すなわち一瞬で決まる勝負以外は、全て何らかの防御を必要とする。人生はこの型の勝負ばかりだ。

 「攻撃は最大の防御」は、攻撃していれば相手からたいした攻撃されることはい、という意味ではなく、攻撃と防御は一体化され、相手からの攻撃に対しては上手く防御がなされ、攻撃状態が続く、ということだと理解している。

 人生は逃げてはいけない。
 背中を向けては、また今日と同じ明日が続く。

 防御力の磨き方は、至ってシンプルだ。
 ただ、攻め続けることだけを考えて日々、行動する。
 
 息を吐くのと吸うことが一連の作業のように、自然と一本化が始まる。
 すなわち、攻撃力強化によって自然と防御力が磨かれてゆく。

 世界一防御力が強い国は、どこだ?
 アメリカだろ、多分。
 世界一野球が強いチームはどこだ?
 多分、いちばんいい投手陣を抱えているチームだろう。

 
 
by japanheart | 2011-07-13 16:33 | 医者の本音 | Comments(1)
魂のメス-1万人の命を救った小児外科医

 昨年の3月に毎日放送が近畿地区エリアを中心に、土曜の深夜1時から
           「魂のメス-1万人の命を救った小児外科医」
 と題して、私のミャンマーやカンボジアでの活動を1時間、放映してくれた。
 深夜の1時からの放送にもかかわらず、視聴率が5%を軽く超え、異例の事態となった。

 その放送の英語バージョンがつくられ、海外の映画祭に出展された。

 昨日、制作会社のプロデューサーの方からお電話いただき、2つの賞を獲得したらしい。

 ドイツ・ハンブルグで開かれたワールド・メディア・フェスチバルの
           ドキュメンタリ-部門で銀賞。

    アメリカ・ロサンゼルスで開かれたUS国際映画祭の
         ドキュメンタリー社会問題部門で第三位受賞。


  
 欧米の人たちの目線から見たこのような活動は一体、どのようにとらえられているのだろうか?
 何かストイックで、宣教師の禁欲的な生き方に、重ね合わされているのだろうか?
 それでも評価を受けたというのは、もちろん作り手の能力があっての話であろうが、
 そこにある種の、独創性や日本的な文化を感じ取ったからではないだろうか。
 どんなに大きく、すばらしいことをしても、彼らがそれをまねれるならば、あるいは彼らのやり方そっくりであったならば、多分評価はそれほどでもなかったかもしれない。

 今こんな時代だからこそ、日本人が、日本が、このように評価されるということは、意味のあることだと思う。

 私の活動は、かねがね書いてきたように、日本の歴史と深くつながっている。
 それゆえ、私の活動に対する評価は、すなわち、それを辿れば、日本の深き文化や慣習にその源があるゆえ、日本の文化や在り方に対する評価なのだ。
 
 この世界からの賞賛を、今、苦しい思いをしてがんばっている全ての日本人に捧ぐ。
 
 
by japanheart | 2011-07-12 15:28 | 天職 | Comments(3)
ドリームトレイン-2011年夏


 ドリームトレインが開院から半年で100名を越え、現在104名となっている。

 とうとう一時的に受け入れを停止している。
 というのも、彼らが入る建物のスペースが足らなくなっているからだ。
 現在、2つ目の建物を建設中で、そこが完成するのが多分10月頃、そうすればあと少なくとも100名は入る。

 子どもたちは、毎日トラックの荷台に載り、小学校や中学校へ通っている。
 病気をしたとき、学校を休む。
 そしたら、本当に悔しがっているらしい。
 教育を受けれるということは、それほどありがたいことなのかもしれない。

 日本人の多くの人が、学生時代に自分は全く教育を受けれたことをありがたくも思わず、さらに勉強を如何にサボるかばかりを考えていたにもかかわらず、教育こそは大切だと、学校ばかり建てている。
 本当にこころからそう思っているのだろうか??
 まあ、どうせ誰かの折り込みをそのまま自分の意見のように信用しているのだろう。

 そういう折り込みや洗脳で世の中成り立っているから、普通の人は、一体、本当に自分の意見や気持ちがどうなのかはよく分からない。自分が立派に判断し、考えていてもその基準はその前の折り込みだったりする。
自分の経験則をあまり採用しないことが多い。だからたいていの人は、同じ失敗を何度も繰り返す。

 最近私、一気に人生変えてみたいと思っている。
 自分に染みついた、古くさい常識的な価値観を振り払いたい。
 いい年こいてといわれるかもしれないが、小さい子どものように人生を楽しんで生きる決心をした。

 私、本当に、この日本を新しい時代に引っ張りたいと思っている。
 だから、まず、自分に染み込んだ古い考えや価値基準をかなぐり捨てて、やってみたい。

 もう10年も前のことになるか?
 ある女の人から手紙をもらって、そこにこんなことが書いてあった。
 「世間の人たちは、先生の考えや行動を揶揄して、批判するけど、私はそれは間違っていると思う。
 なぜなら、先生には行動が伴い、彼らには行動が伴わないからだ。今までもそうであったように、いつも新しい時代を、切り開いていく人は、世の中からは、”きちがい”といわれる。しかしそんな人でなければ、新しい時代など開けはしない。、、、、」

私って”きちがい”??
っておもったけれど、最近、これっていいなと思っている。

だんだん、年取ってきて、いつもいいかっこして、いわゆる、スマートに生きようと知らず知らずに、世間に合わせてしまっている自分も自覚している。でもそんな、私じゃ、世の中変えることはできない。

何か大切なものを失う覚悟もできている。
どうせ、人間、100年も生きれない。
思うように生き、こころの命ずるままに、やってみたい。
不細工でかっこわるい人生でも、まあ、いいかと思っている。
今までが、上出来すぎた。

齢40過ぎた私でもそう思っているんだから、若い人はもっとね。

「殿!!乱心でございます!」と、殿じゃないけど、言わせてみたい。

これから人生、常時戦場の場として、生きてゆくか。
また、世間から”きちがい”といわれるほどの、人間になりたいものだ。

そこで、私と本気で向かい合うものは、地獄の底まで一緒にいってもらうかな。
天国かもしれないが。
いずれにしても、生まれてきたからには、どっちかを覗いてみたいと思わないか?
by japanheart | 2011-07-10 07:32 | 活動記録 | Comments(2)
学生たちを信じることができるか


 自分の学生時代を振り返ると、全く信用ならない。

 今時の学生と同様に、あまりに芯がないような気がする。
 自分の学生時代は棚に上げて、敢えてここで言う。
 学生の奴らは、まあ、一言でいうと、”子ども”っていうこと。
 
 甘えている、真剣でない(持続する真剣さが無い)、冒険しない、謙虚でない、しかも図々しい。
 いくつも挙げれるが、まあ、ざっとこんなところ。

 一緒に働くと、その分、子どもっぽくてかわいらしい。
 上のうちひとつでも、備えていれば結構いい感じに思ってしまう。

 私は口が悪くて横柄だと思われているから、あんな奴(私のことだが)のところへなんか絶対に行かないと決めている奴もいると聞く。
 それはそれでいい。
 手間が省ける。

 そこでだが、こんなできの悪い日本の学生を相手に、今年から一発、私を囲むセミナーを開催したいと考えている。もちろん、私とディスカッションするんだよ。
 他にもJHのスタッフに参加してもらうけど。

 大体、年2回、多ければ3回はやれるかも。
 一度に多く集まると、少し混乱するから、大体20名程度にするかな。

 場所は、私の好きなところでやろうかなと思っている。
 別に合宿じゃないから、交通の便の良いところで。

 今年はとりあえず8月下旬か9月のはじめ。

 参加する人は、誰でもいい、資格は学生であること。
 話を一方的に聞きたい人ではなくて、聞いてみたいことがある人。

 私のことが合う合わないは、まあ食ってみてからいえって、思っているけど。
 あなたの人生、食べなくても別に困りはしない。
 しかし、ちょっと癖のある食べ物は好きになると、やみつきになるだろう?
 
 学生の間は、本当に将来、海外で医療やるために医療系に進みました!!!という奴が多いんだ。
 しかし、働き始めると笑かすくらいに、初心を捨てる。こういうときは、思いっきりがいい。
 
 だからでっかいことをいえる学生のうちに、多くの奴らにあって、働き始めたらまたどこかでであって、言ったとうりにしていなかったら、思いっきり馬鹿にしてやろうと思っているんだ。

 今でも、私に会えない奴多いだろう!!
 
 まあ、そんな情けない君たちのために、国際医療活動の初歩コースをつくるから。
 汚い水だめです、、。
 汚い部屋だめです、、、。
 虫が我慢できません、、、。

 OK,OK,OK!!!

 そんな、君たちにも海外医療をさせてあげます。
 近い将来、何とかしますから。


 さて、こんな私だけど、一度会ってみますか??


 
by japanheart | 2011-07-06 00:07 | 活動記録 | Comments(11)