「ほっ」と。キャンペーン

ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2010年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

エコ(ECO)という考え

エコ(ECO)という考え

 最近、巷にかしましい”エコ”なるものついて私の意見を述べてみたい。

 ”マイナス5%”というフレーズは耳が痛いくらいによく聞くようになった。

 どのようにしてこれが始まったかが大変重要なのは、歴史の意義を知る者には、避けて通ることができないことだとわかる。

 企業というのは基本的に、お金にならないことはしない。
 ということは、このように技術の改善を、大量のお金を投資することは、自らは積極的に行わない。行っても儲けられる、あるいは投資を回収できる保証などないからだ。
 言い過ぎかもしれないが、無理やりエコさせらた、あるいはせざるを得なかった、というのが正解だろうと思う。
 なのに、何で、エコやっていますとしきりに言うのか?
 私には理解に苦しむ。なじまないということかもしれない。
 多分そこに一抹の、うそ、が感じ取れるからだろう。

 どこの施設だって、大きな施設ならば、冷暖房を弱め、温暖化防止のためエコしましょうという。
 正解は、電気代が節約したいだろう。

 車だって、家電だってみんな、ガソリン代、電気代が安くなります。
 温暖化防止に、、、と、煽ってくる。
 正解は、あなたも温暖化防止に協力できます、お金が節約できます、だから買ってください。

 世の中には、流れがあって、企業だってその流れに逆らえないだけかもしれない。

 前置きが長くなったが、本当の”エコ”とはどんなことなのだろうと考えたのだ。


 本当の”エコ”とは、やはり人のこころの中にしかない。
 しかし、社会がそれを声高に叫べば叫ぶほどに、個人の生活は肥満化している。

 マイナス5%!といいながら自分の人生の時間を、いかに無益にだらだら過ごしているのか。
 最も大切な自分の人生の無駄をマイナス5%もできないで、何が電気代、車の燃費がマイナス5%だ?

 アフリカの1国や2国を十分救えるほどの食べ物を、まだまだ食べれるうちに大量に捨てている国が、マイナス5%とは開いた口がふさがらない。

 自分たちの食卓を見てみろ。
 高カロリーの、栄養のバランスも無視した食事が並んでいないか?
 自分の部屋を見渡してみろ。
 自分の家を探ってみろ。
 使いもしない、もともと必要もなく、欲しくもなかったものが5%以上あるだろう。

 社会にあふれる、形だけのマイナス5%など、どれほどうそ臭いかわかる。
 それらを演出する人たちの、私生活はマイナス5%やエコからは程遠い。

 本当に地球のことを考え、エコを叫ぶなら、まず自分の私生活を省みることだ。
 そこからしかエコは始まらない。

 自分の人生の無駄を時間的にも、物質的にもマイナス5%してみてはどうか。

 もっと違う世界が見えるようになる。

 日本社会のあらゆるゆがみは、個々人のこころのゆがみの総和である。
 皆が自分の人生のうち、特に私生活をマイナス5%できれば、日本がマイナス5%達成するのはいとも簡単なことだ。

 マイナス5%は企業が、宣伝的にするものではなく、個人が私生活で実践するものだと思うのだ。
 私生活が、締まればやがて仕事に波及する。
 そしてやがて、その個人を含む企業全体に波及する。それが順番だ。

 社会がそれを殊更に、大声で喧伝するときは、気をつけた方がいい。
 歴史をみれば、そう証明している。
 
by japanheart | 2010-05-30 09:19 | 基本 | Comments(2)

本当のことを書く

本当のことを書く

 辛いことだけど,本当のことを書きたい。
 医療は現実を見ないで通り過ぎ過ぎることができないから。

 顔の腫瘍の13歳の男の子は,多分もう持たない。
 腫瘍は大きく成長し、皮膚を突き破り、両足はパンパンに腫れている。
 胸にも水かたまり、肺や胸膜に腫瘍が転移しているのだろう。

 荒木看護師に毎日傷の消毒に彼の家まで行ってもらっている。
 本当は僕が行けばいいのかもしれないが、、、。僕には勇気がいることだ。

 もうほとんど立てなくなったその体で、看護師たちが帰るときに必ず玄関まで見送りに来てくれるそうである。
 昨日も帰り際に子どもにもらったマンゴが届けられた。

 医師ではなく、同じ子どもを持つ一人の人間として、本当に耐え難いことだ。

 西洋医学は、悲しい学問だ。
 勝てる範囲が大体、決まっている。

 そして今回は、多分、、、負ける。

 たとえ体が動かなくなっても、脳が死んでも、必ず魂で感じているに違いない。
 そこに親がいてくれることを。
 そこに、誰かの暖かいこころが注がれていることを。

 だから、完全に死ぬまで私たちは寄り添いたい。
 彼がそれを望むかどうかはわからないが、そうしたいのだ。
 
 
by japanheart | 2010-05-29 00:35 | 医者の本音 | Comments(5)

後継者をどう考える?

後継者をどう考える?


今年はどんな感じな動き方をするかな?
本気で上手い方法を考えないと,おしりに火がついてきた。
あと10年も同じことを、同じペースでしろといわれても,難しいことは私の周りの誰もがわかっている。
ましてや、10年後の世界情勢が今と同じはずの訳もなく、どんな状況をにもある程度対応できる何かいいやり方を生み出していかないと、そろそろ息切れする。
私個人への支援は,私のエネルギーの消耗と共に、減退してゆく。
私がその一部でしかなかった組織や形を一刻も早く,生み出さなければ。

良いか悪いかではなく、私のように、長年、海外医療に人生かける医師を見つけるのは難しい。今の日本の医療界で、そんな医師を見つけるのは,宝くじで当てるがごとくかもしれない。
幸運には期待できない。というよりしない。
現実は厳しいから。

私なしでも、成立し得る医者たちのシステム。看護師たちの動き。医療団としての活動。
それが私に突きつけられた問題なのだ。

哀愁を漂わして一人奮闘する姿は、それなりに世間の同情を買うのかもしれないが、それではやっている本人は自己陶酔し、自己満足するだけになってしまう。
それなりにその姿を見て,奮い立つ人もいるかもしれないが、まあ最終的にはあまり成果を残せないと思う。自分の人生にはそれなりに成果を残せるだろうが。

今年からカンボジアで始める誰もが参加できる短期医療プロジェクト、これに突破口を見いだそうとしている。

不特定多数の多くの医療者に,私の代わりをしてもらう。

私の体力は,年々歳々低下する。
次々に現れる若き医療者の合力は決して年をとらない。

多くの次世代の医療者に、こころから期待している。
by japanheart | 2010-05-18 08:38 | 随想 | Comments(3)

子どもの才能

子どもの才能

 多くの子どもを才能をまざまざと見せつけられることがある。
 ああ、自分も子どもの頃、そうだったかもと思うとちょっとうつろな気持ちになる。

 才能なんて何でもいいと思ってしまう。
 
 そういえば私は結構器用貧乏な少年時代を過ごしたともう。
 何をやってもそつなくこなせるような少年時代だった。

 それで努力というのが、全く苦手であっという間に友人たちに抜かれていったような気がする。

 だから努力する人間には今でも敬意を払うし、畏れもしている。

 今、私の子どもたちも、自分のどんな才能に気付きし、そして開花させるだろう。

 子どものことばかりではなく,私自身の才能をもっと開花しなくては。
by japanheart | 2010-05-15 00:09 | 基本 | Comments(1)

今年の目標-2010

今年の目標-2010

 2010年はいい年にしたい。
 2年ほど前から、この2010年という年は,自分にとっては飛躍に年と定めてやってきた。

 だから今年は,大きく飛ぶぞ!と妙に気合いを入れていたが、どうもそうはいかないらしい。
 いかないらしいというのは、私を取り巻く様々な事柄の流れを読む。
 流れを読むという、”くせ”を身につけている私にとってはなんと逆の方向に物事が動いているのがわかる。
 流れというのは,小さな水の流れのようなもので、いくつも集まりやがて本流の大きな流れに合流する。
 その流れる方向はだいたい決まっているので、その流れから大きな本流の流れを予想する、感じ。

 そうすると明らかに今年は飛ぶのではなく沈めと流れが出ている。
 外にではなく,内に。
 今年は内充をもってして生きることになりそうだ。

 ”基本”に返る。

 生活も、こころのあり方も行動も、いつも足下を見ながら進めなければならないと、こころの声がする。
 謙虚に、自分に向かい合えるだろうか?10代の頃のように。
 今よりもっと自信が無く,おどおどしていた頃のように。
 

 
by japanheart | 2010-05-06 22:02 | 医者の本音 | Comments(1)

体験と理解

体験と理解

 体験は大切な理解至る過程だ。
 体験なくして理解へ至は、地図を持たずして砂漠に放りだされるがごとく、時間と人生の無駄を生む。
 しかし体験は理解とは違う。
 この間には天地のさがある。
 このことを正に理解しなければならない。

 たとえば現地にやってきて、1週間ほどそこにいて「分かりました」といって帰って行く人たちがいる。
何がわかったかというと、多分 現地の環境や海外で医療するということがどういうことか、あるいは途上国の現状とか、文化慣習とかなのだろう。

 それは明らかに誤解している。
 何年もいても上記のような事柄に,正しい解を見つけることはできないでいる。
 彼らはただ経験しただけ。
 薄っぺらい紙を1枚、手にいれた。
 この紙を何枚も積み重ねなければ、形は現れない。
 あるいは折り紙のやり方を初めて習った。
 紙を何枚も使って造る芸術のような折り紙の造形を造るにはまだまだ時間と経験を要する。
 
 一度、野球を経験したからっといって上手い打者になれるわけではない。
 いろいろな経験を積み重ねて、打撃というもに対する体感的な理解を経てはじめていい打者になれる。

 敵から城を守る城壁というものがある。
 「経験」とはその城壁を構成する一つひとつの石のようなものだと考えればいい。
 一つひとつ時間をかけ積み上げてゆき、やがて大きな高さが生まれる。
 それがある一定の高さになるまでは,城壁の役目は果たさない。
 ただ単なる石の積み重ねがある高さと幅を持ったときはじめて、それが敵から城を守る壁になる。
 その壁を「理解」という。

 これからジャパンハートは医療者だけでなく海外でも国内でも多くの学生や一般の人をはじめとする人たちを受け入れる。
 こられる方々はぜひ、経験を積んでもらいたい。
 それはやがて城壁を造ってもらうためのものだ。
 もくもくと積み上げてゆく。
 人生は長くないので、早くしかし、堅固に積み上げ、その形を顕わにしてほしい。

 
by japanheart | 2010-05-02 09:12 | 基本 | Comments(1)