ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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ミャンマーの夜

ミャンマーの夜

 毎日10件程度の手術が続く。
 
 昨日は朝の4時にようやく、業務が終わった。

 皆お疲れ様と言いたい。

 長くこのようにやってきて、段々ではあるが、誰でもが続けれる方法を模索しなければと思うようになってきた。

 数年前までは、根性比べのように、ひたすら働く続ける集団だった。
 決してやめない、あきらめない、ということが当たり前だった。

 最近は色々な人が関わるようになって、こんなことは続かないなと、思い出した。

 自分の考えや哲学を引き継いでくれる人がいれば、200年後でも私は誰かの役たっている。

 人を救う、という活動も、規模や予算を誇る人たちもいるが、どれも時間の観念が私とは既に違う。


 最近、本当に最近200年や300年の勝負をしてやろう、と考えるようになった。

 疲れ切ったミャンマーの夜中に寝間の中で、こんなことを考えている。
by japanheart | 2009-11-28 01:54 | 活動記録 | Comments(1)

脳瘤の子ども、退院す

脳瘤の子ども、退院す

 日本に連れてきた脳瘤の子どもが昨日岡山の病院を退院した。
 青山院長をはじめとする、国立病院機構の皆さんには心からお礼と敬意を払いたい。

 この日行われた記者会見で、目の前には10台以上のカメラが並び、記者たちが子どもの元気な様子を見守っていたが、私が放ったこのコメントの深い意味を汲み取ってくれた真のジャーナリストが何人いただろうか?
 私は次のように言ったのだ。
 「この子の親にも言いましたが、この子は多くの病気の代表として日本に来て治療してもらいました。今回の経験で、同じ手術は現地でできませんが、許された現地の環境の中で、どうすれば同じ病気の治療が可能になるか、我々にはそのための多いなる学びの経験でした。」

 この子の後ろには同じ病に苦しむ、何万人もの同じ病気の子どもたちがいるということを、そして今回の経験がその多くの人たちに微かな光を与えたものだということを理解してもらえたのだろうか?
 今回の14時間に及ぶ手術を100点とすれば、80点の手術を2.5時間で私は達成しなければならない。しかも麻酔は、とても同じにはできない。

 病に苦しむ、貧しき多くの人たちの現状と私の決意。

 
 昔、まだ祖父が生きていた頃、小学生の私に祖父がこう言ったのだ。
 「技術をつけなさい。技術は誰にもとられない。」

 そして、私は今思うのだ。
  「技術は他人に盗まれてこそ、そして、盗んでこそ意味があるのだ。」

 脳瘤の技術をしっかり盗ませていただきました。
by japanheart | 2009-11-21 22:57 | 活動記録 | Comments(1)

さみしい気持ち

さみしい気持ち

ここには何人もの長い期間、治療をした患者たちがいる。

昨日ひとり。
明日ひとり。

その患者たちが治療を終えて帰ってゆく。

長い時間、いいことも辛いことも見てきただけになんとなくさみしくなる。

手術をしている時、麻酔の聞いている間、遠い意識なかで、何度もその子は、もうこんな辛い治療はしませんといいながら、つぶやいていた。

手術後、強い痛みに一晩中、泣いていた。

共に6回も7回も手術を受けた10台の子どもたちだ。

この子たちのその苦しみや背負って来た悲しみが、薄らいでゆく。
完全にいわゆる普通にはならないが、ずいぶん良くなった彼らの姿かたち。

ただそれだけで、ずいぶん堂々としていて、すがすがしく見える。
彼らはこれからきっと上手くいく。
そんな予感がする。

「先生がよければ、私はもうこれで充分です」 という彼らの謙虚さに申し訳なくなる。

彼らの人生が花で満たされますように。
by japanheart | 2009-11-17 03:27 | 医者の本音 | Comments(2)
11月23日 13:00 パシフィコ横浜

 珍しく一般向けに講演会をします。
 
 日本小児科学会が主催する 子どもの人権20周年記念 の講演です。

 日時・場所は11月23日 13:00 パシフィコ横浜。

 参加費無料です。

 私以外に4名の小児関係の人が、講演します。
 (私は60分・その他の人は各30分です。)

 休日ですので、お時間のある人はどうぞ。
by japanheart | 2009-11-17 03:11 | 講演会 | Comments(0)

大病に関して

大病に関して

 生まれつきの異常、すなわち奇形や疾患のことだが、
例えば、口唇裂、多指症、顔面の形成異常、その他もろもろ、こころに大きなストレスを与えるもの。
身体の方は、心臓病や腎臓病、小児のがん、などなど、それらを大病としてイメージしている。

 このような病気に苦しむ子どもは多い。
 誰のせいでもない、多分、この異常の発現は本当に心が痛む。

 このような異常の発現に関しては医者は決して子どもや家族に最大限の注意を払わなければならない。
 また、その後の状況に関して、何が起こっても子どもを責めてはいけない。
と私は思っている。

 いい医者に出会えるかどうかは、運みたいなところがある。
 しかし患者側からすると、どの医者もいい医者なのだということを信じることからしか、医療を受けることが始まらない。
 その医者がいいかどうかは治療を受けてみて初めて患者側には、なんとなくわかるものだから、初めからは多分わからないだろう。

 むかし、5歳のある子どもががんになって、目に転移を起こし、見えなくなってしまった。しばらく子どもも混乱し、性格が変わるほどに当たり散らしていた。しかししばらくして少しづつもとのように安定した性格になってゆく。
 当時の私には、どのような状況になっても、正しいこととそうでないことは、子どもに親や周りは教えなければいけないと思っていた。
 しかし、今はそうは思わないようになっている。
 この子どもがあるとき、目が見えないのに病棟から突然、消えていなくなってしまう。
大騒ぎになり、皆が必死に探す。1時間以上探し倒した時、ようやく倉庫のもの陰にかくれていた子どももが発見される。一同、そっと胸をなで下ろす。
 私の上司の医長が、大きな声で、本気になってその子を怒った。私も親も看護師たちも、それは仕方ないことだと、あるいはこの子は今回は悪ふざけが過ぎたなと、いう思いで、その光景を静かに見守った。

 しかし今は思うのだ。
 本当に悪ふざけが過ぎたのだろうか?
 目の見えなくなってしまった、つらい治療が続く、この子の立場に立った時、その行為は一体、何を意味していたのだろう?

 今の私はどうするだろう?

 今の私なら、笑ってその子を抱きしめようと思う。
どこに隠れていたのか?どうしてそこを選んだのか?その時どんな気もちだったのか?わくわくしたか?そんなことをいろいろ聞いてあげたいなと。

 そして、また次の日も、その次の日も、その子が飽きるまで少しの時間でも見つけそれに付き合いたいと思う。
 医療とは、一体どうあるべきだろう?

 大病にある子どもには、ことばを選ばなければならない。
 大病にある子どもには、こころを砕かなければならない。

 これがいい加減な医療者は、やはり少しおごりがあると思う。
 おごりは自信と少し違う。
 このことをいつも肝に銘じておきたい。


 
by japanheart | 2009-11-12 10:56 | 活動記録 | Comments(3)

本当のところ

本当のところ

 先日の脳瘤の1歳の子どもの手術が無事終えられ、患児は順調に回復に向かっている。
 頭蓋骨を開け、脳の表面を擦るように剥しながら、生まれつき開いた大きな骨の空洞を塞ぎ、そこから眉間の皮膚直下へと飛び出した余分な脳を切除した。

 国立病院機構岡山医療センターの院長をはじめ脳外科・形成外科・小児外科・麻酔科の医師たちや看護師、その他の病院事務方のスタッフの努力には大変感謝している。

 手術中にも丁寧にそして大切に、頭蓋骨を修正、最接合する際、ミャンマー人のこの子にとっては身に余るほどに高価な資材を使っていただいたともおもっている。

 私は、本当はこの子には、最低の質の資材でやってもらいたかった。それが本音だ。
 この子は、日本に来て、手術を受けられただけでも幸運すぎるほど、幸運だと思っている。
 だから、日本人が受けるほどの医療を受けさせる必要もないと思っている。
 ただ、何とか治ればいいというのが私が目指したところだ。

 もし、少しでも値段が安く済んでくれれば、この子に投資した分の少しでも残し、別の子どもをまた来させて、手術してもらいたいというのが、私の本音だ。だからこの子や親には、最低限で我慢してもらいたい。皆が少し我慢することで、少しでも多くの子どもが幸せになれる可能性がある。

 この病院は、本当に親切なことに、あらゆる手を尽くし、なるべく安く医療をこのような海外の子どもにも提供してくれている。
 今、その存在意義を問われている国立病院が、目指すひとつの形だと思う。
 国立病院の使命は何なのか?
 私立や市民病院と何が違うのか?
 その答えのひとつが今回の試みかもしれない。

 海外から見たとき、国立病院が動けば、日本という国が、いのちというレベルにおいて、海外の子どもたちにもできうる限り、手を差し伸べるという宣言になる。

 そしてその動きそのものが結果的に、内に向かい日本人たちを勇気付ける。
 
 
by japanheart | 2009-11-06 00:59 | 医者の本音 | Comments(3)

何を残すか

何を残すか

 人生もまた然り、ということかもしれないが、このような活動をして何を残すか?ということについて考える。

 多くの活動家たちは、今システムを残そうと奔走する。
 もっと簡単なのは、建物などをつくることかもしれない。

 よく言われるのは、継続性や維持性の問題で、それがないと今ではかなり評価されにくい現状がこの世界にもある。
 しかし私はことさらこの件に付いては、意識していない。
 まあ、世の中の趨勢にあまり振り回されないようにしているということかもしれない。

 では私は何を残そうとしているかというと、すなわち「ひと」を残したいと考えている。

 自己の使命に目覚め、特殊で個性的な能力を発揮する人たちを多く残してゆきたい。
 どうせシステムを残しても、数十年もすれば古びてくる。
 建物は30年がいいところで朽ちてゆく。

 ちまちまと、ひとり一人のいのちに、向き合っているのもそのためかもしれない。
 たとえちまちまでも、一人の人間が助かれば、すなわちそこから再び新たないのちが発生する。
 そうして子々孫々、いのちが伝えられれゆく。
 すなわち自動的に、継続性や維持性は、保証される。

 そう考えている。

 世の中は、他人の価値観の借用にもかかわらず、それがあたかも絶対的な正解のように発言する人間が多いのに、少しうんざりきている。

 たとえば、教育は大切だ、という考え。
 たとえば、人材教育は大切だ、という考え。

 教育は大切かもしれないが、問題は中身ということが多く欠落している。
 人材教育も然り。

 教育というとすぐに、英語や数学のようなものを思い出してしまう。
 その手のものは、将来の就職のためには必要かもしれないが、人間としての根本にもっと影響するものとはなんだろうか?
 日本のように塾に行き、高い教育を与えているというが、どうだろうか?

 教育とは最終的には、その人の人格を高めなければいけないと私は考えているが。

 そういえば、吉田松陰の書物の中で、「教育とは世俗の官位名声のためでなく、人として自らを高めるために、人が生涯なさねばならないこと。」と語っていた。

 なるほど。
by japanheart | 2009-11-05 02:58 | スタッフと想い | Comments(2)