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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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Power Of Medicine

Power Of Medicine

 ようやく手術ミッションが終わった。100件を今回も越えたようだ。

 まあしかし、よくも続くものだと思う。

 新しいスタッフが続々ここに集い、そして去ってゆく。
 
 今回は子どもの手術が多かった。全部無料で提供できているのが救いだ。
 年々、支援者の輪は広がり、ようやく子どもは無料で治療が出来るようになった。
 支援してくれているみんなの成果だと思う。
 今までは金銭的な理由から、たびたび検査や入金を諦めたケースもあった。
 しかし今は、その割合を極めて少なく出来るようになった。

 なぜか最近は多くの患者やその家族の笑顔を多く見るようになった。
 手術件数を増やすことでなく、一人の失敗もしない医療を目指した結果。

 衛生教育や保健では、救えない人々がいる。
 そんなことを声高に言えば、誰かに批判されそうだが、それは事実だ。
 
 私には最近いつも心の中でつぶやく言葉がある。

 Power Of Medicine!

 時間も空間も超えて行く。

 
 
by japanheart | 2009-08-29 04:37 | 活動記録 | Comments(1)

床に寝る

床に寝る

 手術を始めて7日が終わった。
 手術件数は70件程度。
 今までになく疲れが出ている。歳のせいかと笑っていられない。

 手術のミッション期間中、私がメインで執刀する。
 簡単な手術は、若手に任せている。
 
 今日は業務終了後のミーティングが11時半頃、終わった。
 みんなが立ち去った手術室の前の石の床に一人寝転んでみた。
 冷たくて気持ちよかった。
 思えばここでどのくらいの時間を過ごしただろう?
 時が経つのは早い。
 今日も何人もの人がここを通り過ぎた。
 多くの人たちの満足げな表情が頼りだ。
 子ども達の泣き声が、この狭い空間に木霊していた。

 疲れて眠る。
 やるべきこと、やらねばならないことをやるだけやって、疲れて寝る。
 それは、幸せなことなんだと思う。

 うつらうつらしていたら、看護師の貞子さんが、皆帰ったのではやく起きて手術着を脱げという。
 すでに12時半を回っていた。

 
by japanheart | 2009-08-24 04:09 | 活動記録 | Comments(1)

サガインー3日目

サガインー3日目

 サガインに戻って3日目。すでにかなりお疲れモードに入っている。
 大学時代の同級生の外科医師が、今来てくれていて、手術してくれている。

 昔懐かしみ色々話をしているが、体は正直で、お互い疲れたなと、慰め合っている。

 大学時代、一生懸命、医学を勉強した記憶が全く無い。
 日本の医学の大学教育は、ほとんど上手く機能していない。
 教育は、国の柱、上手く機能するために、アイデアがあるのだが。

 それはさておき、最近、すっかりミャンマー人スタッフが増えた。看護師養成のための、新しいメンバーも加わった。
 数年後彼らが、せめて自分の子どもやきょうだいや親の生活を支えれるだけの、生活力を持って欲しいと思っている。

 かれらの生活は、決して豊かではない。
 今回来た17歳の女の子は、チン州という、インドとの国境を接する州から一人やってきた。
 ヤンゴンでスタッフが面接した時、親も同伴していたが、正月休みには親元に帰しますといったら、親は勉強し終わるまでは帰ってくるなといったそうだ。

 先日、お茶を喫茶店で飲んでいたら、彼女が公衆電話の前に来て順番を待っていた。多分寂しくなって、親に電話でもしたいのかなと思ってみていた。彼女は腕時計を見た。どうやら時間がなくなったらしい。また病院の中に帰っていった。
 本当にこんなありがたいチャンスは無い。だから免許がとれるまで帰ってこなくてもいい。頑張って看護師にしてもらいたい。とは、この子の親が、その時言った言葉だ。
 私達の責任は重い。
 こんな子をこれからもどんどん増やしてゆきたい。


 
by japanheart | 2009-08-20 02:42 | 活動記録 | Comments(1)

目標を定める

目標を定める

 たとえば、ある医者がいるとする。この医者は、若かりし頃、目標として大学教授になることを決意する。
 たいした学歴でもなく、人類にそう貢献したと思えるような成果を医学でも残したわけでもないが、何とか40歳代で教授になれたとしよう。
 そうすると、ここから彼に何が起こるか?を想像してみたい。
 
 答えは何も起こらないだが、正確には、権力に、地位にしがみつく。
 その地位の保持にまい進する。
 
 なぜこうなるか?
 答えは簡単。それ以上の目標をもてないからだ。さらに悪いことに、この日本という国は、いったんその地位に着いたら、医者の場合、死ぬまでその地位を保証される。収入を保証される。だから、しがみつくだけになる人が多い。こういう人たちは、地位や名誉をことさら、重んじる傾向がある。たぶん自分のことをほめているのだろう。


あくまで仮説だが、人生が自分の力で切り開けるとしたら、自分の志や自己のイメージが大切になってくる。
だから、目標ははるかかなたにあるほうがいい。
 到底、自分の力だけでは到達し得ないほどの距離があるほうがいい。
 本当に、驚くほどの幸運と偶然、そして人々の協力なくしてなしえないほどの。

 医者を志す学生たちが、どの科に進むかとたずねれば、私はいつも同じ答えをいう。
たとえば手術を見学して、これは私でも将来できそうだ、結構面白そうだと、思ったらその科はやめておけ。
こんな難しい手術は一生かかってもできないかもしれないと思ったらその科を選べ。と。
 今の自分のレベルで将来できそうなことは、本気で人生かければ5年もあれば達成できる。10年で飽きて、目標を失うことになる。悲しいかな人は、安全なほうへ、安全なほうへ無意識に流される。
そして10年後、医療にすっかり興奮しなくなった医者たちがたくさんいる。

最近、テレビによく出してもらったり、組織が大きくなったりして、ずいぶん私のことを心配してくれる友人たちもおおいが、私は、こんなところで休んでいる暇はないと思っている。とにかく、目標がはるかかなたに霞んでいるのだから。
今の状態など、自分の中ではまだ始まったばかりだという認識程度だ。
人の人生はあがったり下がったりだけど、目標点が低ければ、その高さで上下する。そして、翻弄される。

もし、考えられないような大きな目標を持っていれば、そして少しずつその坂をあがっていくならば、わずかな運命の上下は、全体の中で見たときに消えてしまう。小さな上下の運動は、その目標点の高さゆえに誤差になって消えてしまう。
私の人生に曲線を引けといわれたら、多分、まっすぐ目標に向かっていく曲線一本になる。

それくらい大きく生きてみたい。
だから陳腐な地位や名誉にしがみつかない。

私は子どもの頃、体の弱い、気の小さい子どもだった。
それが、今、こんな感じで、友人はみな私以上に、元気で明るかった。
一体どうしてしまったんだ?
私の中の、あの頃の気の弱い私は、今でもこころにいる。

何をしても、どんな大胆にいきても、それを行っている私の中心は今でもあの頃の私なのだ。

 
 
by japanheart | 2009-08-14 02:56 | スタッフと想い | Comments(2)

運の悪いおとこの話

運の悪いおとこの話

 運の悪いおとこがいる。
 もちろん私である。

 1995年からミャンマーで医療をはじめ、当時は未熟な自分のレベルにもかかわらず、果敢にというと聞こえはいいが、若干、無謀に思えるほどに手術に挑んできた。
 当然、手術がうまくいかなかったことはあったが、事故や危機的な状況に陥ることは皆無であった。
 当時の私は、神仏に守られている、感じていた。
 自分は運のいい人間なのだと、思えた。

 2年前はじめて、事故が起こったり、人が様々な理由で亡くなった。
 自分はそれほど運が良くないかっも知れないと、ふと、感じはじめた。
 神仏も本当は守ってくれていないのではないかと。

 昨年、本当に何人かの子どもが亡くなってしまった。
 理由は様々で、医学的に言い訳はいくらでもできるが、要は、私が、私たちのチームが治療に挑んで、あるいは挑もうとしている過程で、子どもが死んだ、あるいは死なせてしまったということだ。

 このとき、私は本当に運のないおとこだと認識した。
 神仏などにも守られていないのだと。
 そんな何かに頼ろうとする弱い心を、もっているから、人を死なせてしまうのだと、わかったのだ。

 このとき、宮本武蔵の、「神仏は尊し、神仏は頼まず」を理解できた。
 それから、自分を本当に頼りにするようになった。
 それ以来、人は亡くなっていない。

 昨年までの医者たちが、ちょうど今年の3月で総入れ替えになった。
 それからまた私が前面に出て、手術を始めるようになった。
 妥協をする気はない。スタッフにも私の中の厳しさと同じものを持ってもらう。
 私が怒るのは、それが足りないからだ。
 私の怒りに、びびるのは、同じ厳しさを自分の中にもてないからだ。
 私の怒りは、武蔵の白刃だ。
 同じレベルにないと、恐怖する。
 武術家は自分のいのちは、自分で守る。
 私たち医療者は患者のいのちは、自分が守る。ということだ。
 神仏は守ってはくれないと知る。
 その意識だ。

 いくつもの、死んでいった患者たちのことを思い出す。
 そのとき私と一緒にいたスタッフたちよ。
 今何をしているのだろうか?
 おいしいものを食べ、酒を飲み、歓談し、輝く未来を空想し、、。
 
 片時も忘れるな。
 誰か他人のせいにするな。
 運や偶然のせいにするな。
 全部、一人ひとり、自分のせいなのだ。
 
 医療者とは、そういう職業なのだ。
 
 
 
 
 

 
by japanheart | 2009-08-12 01:23 | 医者の本音 | Comments(1)

獲得されしもの

獲得されしもの

 前回のブログのことを再び違う角度から述べてみたい。
 大切なことだ。

 実際、ミャンマーの医療活動地で生活するのはほとんどお金はかからない。
 女の人なら、野菜と一日にお米一号程度、そしてお水とふりかけ、卵一個、たまにインスタントラーメン、というのが毎日の標準。
 それで、活動期間中、平均6ヶ月滞在するので、そんな感じで生きている。
 多くの人は、人生で初めての経験。
 肉や動物性の蛋白はほとんどないような感じ。しかし、みなすこぶる元気に朝から夜中まで働き、生きている。日本にいるときはこんなに元気に働けなかった。
 この生活をするまでは、今の日本人から見ると、こんな貧粗な食事で大丈夫かと思うかもしれない、健康が損なわれるのではと、不安を感じた人もいたと思う。
結果は、全く逆になる。今の日本人は、飽食で過食だとわかる。

 ジャパンハートは、無償・無給で最低1年半は働かなくてはならないが、あるとき働き始めて6ヶ月くらいの看護師たちからこんなことを言われたことがあった。
 彼らは現地にいた後、日本に帰国、国内の僻地・離島研修に出発する前だった。

 彼ら曰く、「現地では食費はどんなにかかっても1月1万円程度ですが、日本ではそうはいきません。
 何もかも物価が高く、経済的に不安です。ですから何かしら生活費のサポートのようなお金はいただけないのですか?」というような内容だった。

 私は応えて曰く、「毎日、米と塩と、味噌と少々の野菜と水で生きなさい。1月1万では余り過ぎるから。」

 彼らは何も言えなくなる。
 もちろん私は本気で言っている。

 彼らはまだ気付いていない。
 私はお金などほとんどなくても生きていける力をすでに彼らに与えていることを。
 お金をもらうより、もっと価値ある力を与えているのだ。
 与えてもらったものの価値がわからないから、感謝もない。
 そして不遜にも、こんなことを言うのだ。
 情けない奴等だ。

 人生を、世の中を、本当に賢く渡っていくために、あらゆる本を読破し、世界中の知識を集めることなど、短い人生の中で多くの時間を手段のために、費やすことは、愚行だとわかっているだろう。

 それより、多くの本を読破しなければ獲得できない知識を持った人間と同じレベルの知恵を身につけることが、人として賢い人間のすることだ。それには、そんなに多くの時間は必要ない。ただし、体験はそのために必要になる。
 
 ミャンマーで彼らが得たものは、質素な食事でも十分生きていける知恵と体験。
彼らの食に対する、栄養に対する不安は体験によって塗り替えられたのだ。

 私が言いたいことは、世界中の書物を読もうなどという愚行はするなということだ。
 甲状腺の手術を行うのに、首にあるあらゆる解剖や生理を覚える必要などないのだ。
 知識はわずかでいいのだ。
 あとは体験によって、いくつかのポイントを知れば、手術はたいていの人間でも行える。
by japanheart | 2009-08-07 01:49 | 基本 | Comments(5)

何を求めるか

何を求めるか

 最近、己の技量もわきまえず本を2冊も出し、しかももちろん頼まれたときには下手くそな字で名前まで書いている。
 売れているのか売れていないのか、出版社にだけは迷惑をかけたくないとは思っているのだが。

 今後の講演会はいくつか決まってはいるけれども、本当は1月に2回くらいまでにしたい。
 なんせ、本当に言霊をこめて話をしたいのだ。
 何かのセミナーや方法論、あるいは活動報告や活動経験の感想のようなものではなく、もっと掘り下げた思いを言葉にしたい。
 いつも聞いているスタッフたちが決して飽きないようにいつも心がけている。
 だから話はいつも変化させている。

 最近ひとつ考えていたことがある。

 ある人が億万長者になるためには、どうしたらいいかという問いに対して、億万長者のように振る舞い、億万長者のメンタリティーを身につければ現実が追いついてくるといっていた。
 私ならどう答えるか?

 私なら、多分次のように言う。
 「あなたは億万長者になる必要はない。」
 
 わかるだろうか?
by japanheart | 2009-08-04 04:55 | 基本 | Comments(3)

秩序について

秩序について

 以前,人を囲い込まないと言うブログを書いたが,その中である秩序が出来るまでは,今の若い人たちは,囲い込まれたり,過度の干渉をされると,皆逃げてゆくと書いた。その為緩やかな囲い込みこそ,時代にマッチした囲い込みなのだと。

 囲い込みとは何かと言えば,
 例えば,ジャパンハートの医者であることを極端に押しつけられ,それ以外の場所での医療行為を禁止する。
 あるいは,他の組織とコンタクトする,交互交流することを禁止する。
やり方は違うが,お金を充分積んで,長く留まらせる,などなど,一般の企業でも,顧客の囲い込みをあの手この手でやっている。が,まあ,贅沢は飽きるので,美味しいえさだけで満足させ続けるのも限界がある。という事は,このようなえさをばらまく方法は,長い目で見たとき有効ではないということになる。
飴でもムチでも度が過ぎると,人間逃げたくなる。

 一方,ある秩序が生み出された後は,緩やかな囲い込みこそ,効果を発揮すると言ってもよいとすら思っている。

 この秩序とは何か,一言で言えば,ロイアリティ,ということかもしれない。
 言葉を換えれば,愛情,もっといえば愛着の方がさらに私のイメージに近い。
 
 私たちの場合で言うと,ジャパンハートがジャパンハートに愛着を生み出すシステムを作り出せれば,そのあとは緩やかな囲い込みだけで充分になる。それ以上求めれば,愛情が,愛憎に変わる可能性がある。

 ジャパンハートの医師には,人手不足で困っている組織があれば,出来る範囲で行って手伝えと教える。
 看護師にも,ジャパンハートで学んだ後は,よその組織も覗いてみろとアドバイスする。
 肉体でなく,心を緩やかに囲い込む。

 彼らは別の組織に片足をつっこんだ時点で,常にジャパンハートへのロイアリティを認識する。その組織が,ジャパンハートより劣れば,ジャパンハートに愛情を抱く。
 
 まさにいつも同じブランドのバッグを買うよう女性のようにブランドに恋心を抱かせる為のシステムを編み出さないと行けない。
この装置を,それぞれの組織ももつ必要がある。
 大切なのは,ブランドそのものが,偽物でないこと。本当の価値あるものでないといけない。

 まず自分の組織を,特別な価値ある組織にし,それに愛情を持たせるシステムを,私との個人的な信頼・愛情関係をベースに今構築し直している。
その為の,方法は秘密にしておく。
by japanheart | 2009-08-01 02:39 | 基本 | Comments(0)