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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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死にゆく子どもを救え

私の2冊目の本が出ます。
このブログを編集・加筆、そしてさまざまな写真などを付け加えたものです。
自らの魂の変遷の記録のようです。

よろしければ皆さんにご購入し、一読してもらえればと思います。

タイトル 「死にゆく子どもを救え -途上国医療現場の日記」  

        吉岡 秀人 著
     
    出版:冨山房インターナショナル




◆単価:1,365円(本体価格 1,300円)
    本文244頁
  

発売日:2009年7月15日(水)

◆購入方法:書店、ならびに冨山房インターナショナルのHP、amazonなどネットでも購入可能

写真やキャプションは現地で共に働く医療スタッフが日々撮影したもの、日々の思いを盛り込みました。

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by japanheart | 2009-06-30 00:01 | リンク集 | Comments(2)
新しい本の出版ーブログ本になる

このブログが、加筆、修正、様々な構成を加えて書籍になる。
また、詳しく紹介しますが、
この本の書籍化には、大手広告代理店のある女性の方と冨山房インターナショナルの社長のご好意によってすすめられた。
 まあ、自分のことを言うのもおかしいが、別に無理して書籍化し、みんなに知ってもらうほどのものでもなしということだが、この女性の方が、出版社の社長と本当にぜひ哲学を社会のために広めてくださいと、このようなレベルの者の考えを、知らしめるために本当にご苦労いただいている。

 本当に彼らの善意と編集にかかわる方々の努力だけで、進んできたのだ。

 ところが大きな問題があった。
 私の不徳のいたすところ、ジャパンハートのスタッフたちが動いてくれない。心が。。。
 知らない、分からないを理由に、全部人任せ。
 いったい、誰の本を作っているのか?と思えるくらいなのだ。
 このようなスタッフたちの応対や態度や心持をみて、
 全くある光景が蘇ってきたのだ。

 それは、彼らのあり方が、
看護師たちが入院患者を受け持つ時のメンタリティーと全くオーバーラップするのだ。
全部、医師の責任でリスクや手間は取らないように行動する。できる範囲、自分にストレスがかからない範囲で関わり、それ以上は極端に距離を置く。分からないこと知らないことに関しては、すぐに思考停止になり、それ以上は放棄し開き直る。自分の働く病院がどうこうという意識は全くなく、ましてや経営概念などかけらもない。
全く同じ。
そのまま、単に働く場所が変わっただけ。
こういわれて心外な人もいると思うが、思い当たる人も多いはずだ。
決まって、これは医師の仕事です、あるいは看護師の仕事ではありません。という人が多いのだ。
法律は法律として、それをしなかったら他に何をするのかという話だ。何もしないでお茶を飲んだり話をするなら横で医師の仕事を見ているほうが何かの役に立つ。
仕事を自ら制限、抑制することは、自己の能力の開放を放棄することになる。そんなことをしていると、仕事に興味がなくなり、日々マンネリ化し、休みがこよなく待ちどうしく、休暇のために働いているようになって来る。
しかし、考えてみてほしい。
休暇はどんなにとっても、働く時間の半分もない。
ではその短い時間のために長い時間をがまんし無為・無駄に過ごすなど、馬鹿げていると考えなくてはならない。
労働時間こそが、人生のメインの時間であり、自分の人生の質に直結している。
そこで逃げていてはだめなのだ。
迎え撃たなくてはならない。
人生は迎え撃つべし!

それもこれもあれもどれも、あなたの仕事だ。あなたの仕事なのだ。気づいた事は全て自分の仕事にしてもいいのだ。

去年の今頃、看護師たちは、私の次々に発信される命令や要求に辟易し、看護師だけでもっと独立性の高い自立した組織にしたいと言い出した。
それを私が叩き壊した。
正解だった。
1年たって、その確信はさらに深まった。

君たちには無理なのだ。
君たちは命令されるのがにあっている。
独立性とは囲い込んだり、能力を抑制するための装置ではない。
自立の意味も分からず、知らないことに遭遇するとすぐに思考停止し、それ以上になると開き直るような人たちに一体、どんな社会的な貢献をなせるだろうか?
自分で考え、前に出て行動する人間でなければ、知らないところで社会に迷惑をかけている。
医療をやりながら、患者を悪くしている医療者が山のように日本にもいる。
自ら自分の使命と人生を引き受けない看護師は、右の天使と左の悪魔を交互に使い操っているようなものだ。
by japanheart | 2009-06-27 05:04 | スタッフと想い | Comments(3)

脳瘤のこども

脳瘤のこども

 脳瘤という先天的な(生まれつきの)病気、正確には(奇形)がある。
 いくつかタイプがあるが、ミャンマーで多いのは、ちょうど眉間の部位にあるものだ。

 眉間の骨がなく、穴が開いている。そこからひどいものは脳の一部が飛び出し、ほとんど皮膚一枚(+α)で外と隔てられている。
 今回も大きな脳瘤の2歳の子どもがやってきた。
 一度、現地の大きな病院で手術を受けているが、簡単な手術をしただけで、奇形は直っていない。
さらに悪いことに、そこに感染を起こし、ひどく腫れ上がり、小さな穴が開いて、髄液という脳を包み込んでいる液体がもれ出ていた。
 そこにひどい感染を起こせば、脳炎や髄膜炎になる。そしてほとんど死ぬ。

 抗生剤をがんがん点滴して、何とか感染を収めた。

 この子どもは目が眉間に大きな塊があるために大きく離れている。まっすぐにはものが見れない。
 私が正面から普通に話しかけると機嫌よく、真横を向く。
 どちらかの目で私を見る。そしてにっこり微笑む。
 知能は正常のようだ。

 感染は収まったものの、奇形は直っていない。
 現地の私に与えられた環境で手術をするのは難しい。

 先日、国立病院機構岡山医療センターの青山院長に相談した。
 脳外科、形成外科、麻酔科、そして小児外科。
 話し合いがもたれたそうだ。

 返事がきた。
 
 WELCOME!

 これから忙しくなりそうだ。

 ひとりの子どもを救うのに、100人以上の人たちが動く。
 なんと非効率なことをしているのだろう。

 もし私が日本で再び働くことがあったとしても、あなたやあなたの子どものために、こうしてもみたいと思う。
 
by japanheart | 2009-06-26 00:00 | 活動記録 | Comments(2)

未来を予想する

未来を予想する

 人の未来を予想する。
 この人はその道でどれくらいのレベルになるかは、1月ほど一緒にいれば大体わかる。
 そのパラメーターは、いくつもあるが、大切なパラメーターはたった二つしかない。
 人格のいい、悪いはほとんど関係ない。
 パラメーターのうち、ひとつは健康。これは日常的なことがらからわかる部分と、人の運命も関係しているような部分もあるので、はっきり予想できない私は未来の判断基準からは除外している。
だから結局はたった一つのパラメーターで大きく判断していることになる。
 ただこれは現在の状態が、続いた時間的延長線での話なので、途中で生き方を変えれば、またそこから予想をしなおさなくてはいけなくなる。

 さて、それはいったい何か?

 答えは、「自分に訪れる、あるいは目の前を通り過ぎる情報(出会い)に対してどれくらい強く、しかも高い頻度で積極的に関われるか、そしてそれをどのくらい維持できるか」ということだ。

 たとえば、医者として働いて、重症の患者がやってくる。そのときめんどくさいなと思う医者もいれば、私が診たいと積極的に前に出る医者もいる。
 救急外来で患者が来たとき、いつも一番最初にやってくる医者がいる。なかなか来ない医者もいる。
 寝たきりの患者の爪が伸びていても気にもしない看護師がいる、すぐに気づいてきってくれる看護師もいる。
 電車の中で目の前に怪我をしている人が立っている。
 目の不自由な人が切符を買おうとしている。
 重たい荷物を引きずっている女性がいる。
 薬の内容がわからない老人がいる。
 地図を見ている迷った人がいる。

 日常生活の中で、自分の目に飛び込んでくるこのような情報(出会い)に日々、刻々どう向き合うか?
 これで人生決まる。
 どれも学歴はいらない。
 人格もいらない。どれも常識の範囲内だ。

 積極的に前に出る人間に人生の女神は微笑む。
 なんでも人より積極的に関わる医者が10年たったら、そうでない医者に比べてどうなっているのかは、誰でも想像できる。
 日々のあり方が、時を掛け、あっという間に、大きな差になる。

 実はこのことは誰でもなんとなく、直感的にはわかっている。しかし、意識化できないので、大きな”むら”を個人の中で生んでいる。この”むら”の平均値が自分の人生に結果として投影されるので、それぞれに今の人生がある。
 その平均値をあげるにはどうすればいいのか?

 答えは簡単。
 いつも意識上にあげておく。
 常に心で、もう一歩積極的にと言い続けて行動する。
 その高い状態を、努力して維持する。

 1年でびっくりするくらい、人生が進む。
 これこそ人生の極意。

 このことは、一足先に、妻に教えた。
 少しくらいメリットがないと、うちの妻も報われないから。
 

 

 
by japanheart | 2009-06-23 23:36 | 基本 | Comments(0)

旅する心

旅する心

 さまざまな事柄を移動しながらこなし、日々医療について考えている。
今回は日本に心を動かしてみたい。

日本の医師や看護師たちに今足らないものは何か?
もちろんお金ではない。

 日本の看護師も医師もいつも給与が安いといって嘆いているが、それはもらい過ぎているやつがいるからだと思う。
 本当に優秀でよく働く医師や看護師はもっともらったほうがいいと私も思うが、たいてい安いといっている人たちは給与は減るほうになると思う。
 うそだと思うならば、他の病院に移ってみるといい。
そのはじめのころに、客観的に評価してもらえるから。

 日本で患者が入院したときカルテに既病歴という過去の病気を記載する欄がある。
 そこに医師も看護師も患者の今までにした病気や何かを記載する。

 私は本当に患者と短時間で人間関係を結び患者のために本気に医療者が働きたければ、患者の人生そのもののヒストリ^-を記載する欄があればいいと思う。
それは別に医療者が忙しい時間を咲いて書く必要はないかもしれない。
患者自身が書けばいいし、ゆっくっり医療者が時間をかけて患者と話をし書き込んでいってもいい。

患者の人生をそしてその家族の人生を患者の人生と重ねることに成功した医療者は必ずや今よりも同情的にそして真摯に治療にかかわってくれるのい違いない。

体の病気ばかり相手にしていると医療者も少しぼけてくるが、心の病気を相手にするときはこの作業は当たり前に必要になってくることだと思う。

今日本の病院は、お金を稼ぐことに必死にならなくてはならない状況に陥っている。
自分の身内が入院してみたらわかると思うが、とにかくほとんど病院側の都合で追い出されてしまう。
大して立派でもない個室に病状を理由に入れられ、一日に数万円も取られる。
世間の常識ではありえないことが行われている。という感覚すらない。
今まで国の制度に乗っかり、赤字たれながしでやってきた杜撰さを今急に解消させられている。
自業自得の面は多い。

私大の大学病院に勤めていたころ、厚生省の役人が監査に大学病院に訪れた。
そのとき、強制的に医者も看護師なども大会議室に集められ、驚くべきことに大の大人に出席まで大学側がとり始める始末。
どうかしている。
多く集まった観衆を見て厚生省の役人は、この大学のスタッフはまじめですねですって。
そうやってまで印象を良くしたいのか?
ろくな経営をしていないから、そうやって媚を売らないといけない。
まっとうな医療をして、まっとうに稼ぐようにしないと。
お目こぼしを期待して、あるいはにらまれないようにとびくびくして医療というのはするものかと思う。

多くの経営者、医師、看護師などみんなでまともな医療を、金銭的バランスと医療そんももののバランスを取っていかないと、医療者も患者もお互い不幸だと思う。
by japanheart | 2009-06-20 14:32 | 随想 | Comments(0)

考える、判断する

考える、判断する

 少しだけ前回の続き。
 私は最近、高血圧を上手くコントロールできないでいた。
 昨年の狭心症の発作後から最近までは、上は160mmHgを越え、下は100mmHgを越えていた。
 多分自分では左の腎臓の水腎症が原因だと思っているが、よくは分からない。
 カルシウムブロッカーという血圧の薬を飲んでも、下が100mmHgを越えてなかなか上手くいかなかった。

 最近は腎保護作用にある薬に代え、ようやく正常に戻った、
 という具合。
 私はもともと体は強くない。
 若い頃から当直ばかりやっていたから、どうも過労が祟っているようだ。
 だから、人一倍健康には留意している。
 ちなみにあと40年くらいはたっぷり生きるつもりでいる。
 若い世代をたっぷり怒りきってから死んでみせたい。

 さて今日の本題。

 本当にそれでいいのかと思うことがある。
 ここで働く医療者たちの、非常識のことである。
 
 挨拶できない。
 物事の順番を上手く構成できない。
 手紙のやり方を知らない。
 電話の応対ができない。
 相手に対してわかりやすい話し方をしない。
 すぐ人に頼る。
 などなど、、、、、、、。

 いくらでも言うことができる。

 よくこれでやってこれたなと思う。
 日本中でこれをやっているのかと思うと恐ろしくなる。
 弱い立場の患者を相手にしているからだ。
 患者が強くなったというが、訴訟は最終手段で、やる方だってメンドクサイ。
 だから自分や家族が患者の立場にならないと、客観的に医療者の言動の異常さが分からないのだ。
 
 
 今、実際の医療だけではなく様々なことを経験させている。
 講演会や交渉事、物品の管理や購入、事務仕事など。

 まあ、どれもひどいレベルだ。
 
 しかし、言っておきたいのは、他のことをやったときのそのレベルが、その人の医療のレベルだということだ。
 様々なカモフラージュをして隠してはいるが、客観的に見て相関する。
 事務仕事が満足にできない人間は、医療も満足にできていない。
 自分のまわりの環境をきれいにできない人間は、患者の衛生環境や身体そのものの状態の把握がラフである。
 いつも緻密なことをしていない人は、手技をさせたとき、明らかにミスが多い。
 お客さんと話しているとき、コップのお茶がなくなっていることに気付かない人間は、患者や家族の心や身体の様々なことがらに気付かない。

 全部、相関する。

 こんな人たちが日本の一流と信じられている病院で働いているのだ。

 日本人たちはお気の毒だ。

 考え、考え、いつも考え、判断する。
 心を砕き、気を使い、アンテナを張る。
 そうするしか、早くいい医療者になる方法がない。

 日常生活が、全ての根源にある。
 

 
by japanheart | 2009-06-18 03:44 | スタッフと想い | Comments(0)

前略 医師たちへ

前略 医師たちへ

 今サガインにいる、医師たちへ、そしてこれから海外でやってみたいという医師たちに今日はメッセージ。


 自分の人生を上手くハンドリングできない理由はいつも自分にある。

 私は昨年度からの結構な高血圧、そして狭心症の発作を起こし、渡航のたびにもしかすると、笑えない状況にならねばいいがと少し不安を抱えながらミャンマーでの生活を送っている。命は大切にするが、いつもまさかのときの覚悟はしておかねばならない。
 だからちょっとした感染や怪我ぐらいでは取り乱さない。人間だから不安は誰も同じだが、取り乱す姿は、美しくはないからだ。
 昔、離島で数ヶ月働いていた頃、50歳代の医者に、ここでは若い医者は6ヶ月しか持たない。特に家族のいる人間はさびしくなって、3ヶ月が限界かな?と言っていた。
 今は私も家族を持ち、あまり一緒にいることもできないが、何とかやっている。人間、さびしいのは同じだが、ぐっとこらえてやる姿は、どの職業の人でも、滲み出るような何かを生み出す。
こらえた苦しみや涙は、皮膚を通してオーラとして外に出る。
 
 今ここで誰かのために何かをできる自分の幸せのはじまりは、私の命のはじまりに遡る。
 親の恩は、無から有を生み出したことだと自覚する。
 そして、そこからの自分の人生の物語を現在まで辿ってみる。多くの人の導きがあったことが分かる。
 助けてくれたのは決して神仏だけではない。
 その全ての助けに、恥じぬような生き方をしなければならない。

 未来に線を引いてみる。
 両親はすでに亡くなり、子どもたちも自立し、自分にもそろそろお迎えが来そうな時間に立ってみる。
 子どもの頃、両親の喜ぶ姿が見たくて、一生懸命に彼らの理想に適うようにと、生きてきた。途中からは恋人や妻、そして後半は子どもたちにいいところを見せたかった。
 しかし、今では世間からすごいと言ってもらい、褒めてもらっても喜びもあまりない。それより寿命を1年でも長くしてもらいたい。
 この期に及んで、やっと分かる。
 地位や名誉やお金は、何だったのだろ?
 人より勝ることは、何の意味があったのだろう?
 他人に自慢してきたものは、なんだったのだろう?


 かっこいいから医者をする?
 かっこいいから国連や名前の知れたところで働く?
 かっこいいから国際医療も経験してみる?
 
 学歴は高い割りに、知性は低い人が多いということだ。 
 まあ、死ぬ頃には分かる。
 
 
 1.患者のこと。病気の事。医療技術のこと。心のこと。その他、医療をなすために必要な様々な知識や経験の習得のこと。
 

 2.地位のこと。名誉のこと。お金のこと。待遇のこと。

 この間を私たち日本の医者は行ったり来たりする。

 本当に医療者として大成したければ、なるべくいらないことは考えないことだと思う。
 
 
by japanheart | 2009-06-16 01:22 | スタッフと想い | Comments(1)

今回の患者ー卵巣腫瘍

今回の患者ー卵巣腫瘍:2009年5月

 今回の患者たちの中で一番記憶に残りそうなのは、多分30歳代後半の卵巣腫瘍の患者になる。
 巨大なお腹をして、低栄養、貧血そして全身のむくみもあった。

 おそらく腫瘍による消化管の圧迫のために食事はあまり取れていないように思えた。
そして、腫瘍が大きすぎてすでに上を向いては寝れない状態だった。

 手術をして取り出してみたら腫瘍は36キロの重さだった。
 この女性は体重が半分になってしまった。
 手術中にこの重さを量ろうと男性の医師に持たしてみたらよろめいていた。
 
 彼女が帰るとき病院の玄関先で、バイクトラックに乗り込むのを偶然見たが、軽やかに荷台に飛び乗って笑っていた。

 命の安堵を得たんだと思った。

 その笑顔の中に、また美しい景色を見た。
by japanheart | 2009-06-12 02:35 | 活動記録 | Comments(0)

方針の変換

方針の変換

 今までここに来た医者たちには簡単に手本を見せ、すぐに実践をやらせてきた。
 診察はもちろん手術もそうしてきた。
 早く実践に働いてもらうほうが後半、加速度的に、彼らが役に立つようになるからだ。

 しかし、今年は大きく方針を改めてじっくり特に、手術に関しては見てもらうようにした。
 手痛い想いを今までしてきたからだ。
 私がカバーできるときとそうでない時もある、というのが実際のところだ。
 その期間の間に伝えないといけないことが分かったからだ。

 それは決して手技的な事柄ではなくて、むしろ限られた環境で如何に患者たちのリスクを減らす努力を私がしているかを伝えることだと認識している。

 いかに早く行い、しかも簡単な手技・方法で、命へのリスクを減らすことができるかがポイントとなる。
 だから麻酔もできるだけ簡単なものを使う。少しくらい痛くても患者には我慢してもらう。
 停電が頻発し、水道から無数の菌が出てくる環境の中だから仕方ないと思っている。
 傷の痕がきれい汚いは、二の次だ。

 私の中にある恐怖心が、同等にうまく伝わった時点で、医者たちの手術の実践が始まる。
 
by japanheart | 2009-06-10 02:23 | 基本 | Comments(0)

サガインへ

サガインへ

 いよいよ2週間少しの手術期間が大詰めを向かえ、緩やかに患者数も減ってきた。
 手術は1日に5から6件のいわゆるマイナーなものばかりになってきた。
 夜の7時過ぎにかすべての予定を終了し、休みもある程度取りながらやれるようになっている。

 そこで、今日はスタッフの半分を引きつれサガインに夕食を食べに行った。
 焼きそばや焼き飯、ラーメン程度のものを食べるだけだが、みんな本当にうれしそうにしている

 この期間それぞれに、がんばってきたからかもしれない。
 ここへ新しい日本人スタッフとして来た人たちは5名、1月間この小さな村に閉じこもり、病院と宿舎だけを往復する毎日だった。
 たまには休むのはいいことだ。

 私の経験では、このような場所に来て潰れてゆく人というのは、
 1.文句ばっかり言っている人
 2.自分の過去のあり方をかたくなに守る人
 そして、
 3.ひま過ぎる人

 たちだ。

忙しく働くことは、自分の存在価値、存在理由、そして日々の満足を得る上で大切なことだ。

 人間、ひま過ぎると、ろくなことを考えないから。
  
by japanheart | 2009-06-03 23:36 | 活動記録 | Comments(0)