ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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医者の環境

医者の環境

 最近、特に医者不足について言われているが、誰でもが分かるように、以前からこうなることは分かっていた。本当に長期的な展望で物事をすすめることが下手な国だと思う。
 誰のせいでこうなったのかは、あえて触れずに、医者の立場、特に外から見た医者の立場で客観的に話をしてみたい。
 
 医者を取り巻く環境の中で、一番問題なのは、今でも医局制度だと思う。
昔ほどの威力はなくなったといっても、依然として存在しており、中には昔同様の権力を維持しているところもある。
 大学病院が研修の名のもとに、多くの医者を取り込んでいたのだ。ほとんどの医師を自力で集められないというより集める努力もしなかった市中病院を、医師派遣という人事権をもってコントロールし権威を振るってきたのだ。多くの大学病院では医者が余り、雑用ばかりさせられたり、市中病院では看護師がする仕事を、全部研修医にやらせる始末。大学病院の看護師たちは忙しく働く市中病院の看護師に比べ、話し合いばかりをしている印象がある。
大体、大学の教授というのはその道の研究者のトップのことだろう。
なぜ人材派遣業者みたいなことで権威を持つ必要があるのか理解に苦しむ。

人はどこに行っても弱い生き物で、権力や権威に容易に擦り寄る。
若い医者たちのことだ。
だから足元を見られる。
安い給料(私の頃は私大の医学部の給与は一月2万円台のところもあって、給与とすら呼んでいなかった)

劣悪な保障(完全に日雇い:私はミャンマーから一時帰国して小児外科を国立病院で勉強したが、採用通知には任期1日、希望により毎日更新と書いてあった。しかも土日祝日は給与なし。研修医よりも上のレジデントのときでこの様)

劣悪な労働時間(24時間休みなし。しかも上記のごとく給与なし)

何で、こんなことを世間が許していたのかが未だに理解できない。
医者たちも志が高いのか馬鹿なのか分からない。
将来の安定と引き換えにこんな条件でも働いていたのだ。
将来の安定を与えるのが医局の役目。それがほしい弱い人間たちがそこに集う。
お互いにとっても不幸なこのような制度は大きく改めた方がいい。

しかし、医者として外から見えないことが私には分かる。
この馬鹿げた制度を根底で支え続けたものは何かというと、実は妄想なのだ。
自分のいる大学の医局はレベルの高いことをしている、結構いい線をいっている、という妄想なのだ。
だからそこへ入ると将来の安定という遠い目標ではなく、現在結構自分はいい勉強をしているという妄想を頂いて、結果的に雑用ばかりしている。
世界を知らないとこうなる。

そしてこの妄想を更に生み出しているのが、医者たちのコンプレックスなのだ。
自分はどこどこ大学出身だという、例の偏差値教育の思い出ばなし。
市中病院なんかで研修をしたら、自分がレベルが低いのだと勝手に勘違いしている。
逆に、大学病院だと結構自分がレベルが高いと思い込む。さらに入学試験の偏差値が高い大学で研修するほど、気持ちいいらしい。
全く疲れる連中だ。
このコンプレックスー妄想ー保証の連鎖が医局制度を作ってきた。

さまざまな世界を見れば、妄想は崩れる。
市中病院が自力で医者を集めだせば保証は低下する。
一番厄介なのはコンプレックスということになる。

そして最後に私が言いたいのは、医者の価値を、別に先端技術という観点においていることがナンセンスだと思う。
医者の価値は、そんなことではないだろう。
誰か若い医者たちの目を開かせてやってほしい。みんな先端を目指さないといけないと思っている。
田舎へ行ってしっかり地域医療をやる医者。
都会の市中病院で、多くの患者たちを治療する医者。
先端技術を生み出す医者。
開業して地域の人たちの健康を管理する医者。
どれも比べられない価値がある。
知識の多い少ないだけが価値基準じゃない。

社会が今は日を当てていないそんな地道な医者たちの評価を上げてゆけば必ず医者は分散する。
今の医者の状況は社会のあり方を映し出したものなのだ。
by japanheart | 2009-04-30 21:21 | 随想 | Comments(0)

働く場所

働く場所

 このような活動をやっているとかなりの割合で受ける質問がある。
     ひとつは  「なぜミャンマーか?」

 もうひとつは
   「なぜ日本にも医者や看護師が不足しているところがあるのに、そこをほって外国へ行くのですか?」

 今回はこちらの質問に答えたい。
  
 答えはシンプルいにまとめると、
                私の自由でしょ!  あなたがやれば!

 私たちには法律に触れ、良識に反しない限り、自由を行使する権利が与えられている。
 だから私の考えややり方を他人にとやかく言われたくはない。
そういうあなたこそ、ここに住んでいるのはなぜ?夕張市でも行って住んであげたら。税金や住民税を落としてあげてよ。海外旅行や百貨店で買い物したりここでお酒を飲んでいるお金があったら。
 とまあ、毒舌をはかなくてもいいのかもしれない。

 要は、命に対する意識の広がりの個人的問題だと思う。
 人命は、平等に尊い。日本人もアメリカ人も黒人も白人もない。ということに表立って意義がある人は殆どいない。日本人だけの命を意識するレベルなのか海外も含めて命を意識しているのかにかかっていて、どちらにも上下はない。その人の命に対する個人的哲学に帰結する。
お釈迦様は、生きとし生けるもの、命は平等といったというから、これはすごい。
到底、私など足元にも及ばない。
私はどんなにがんばっても人間レベルにしか、平等性をもたせることはできない。

ひとついえることは、日本人は日本人の苦しみを理解しやすいということかもしれない。
しかし大切なことは、本人が何をしたいか?どう思っているのか?という意識の問題で、他人がこっちはどうだとか、こうしなければならないというのは、他人のこころの自由を侵していることになる。
私は日本人だから日本人を大切にしたい。それは、自分に近いものほど愛情を持ちやすいという人間としての感情だ。それをどこまで広げることができるかは、私が決める。
そして今、離島や僻地にもすこしづつスタッフを派遣できるようになって来たのだ。
どこまでいっても私は自分の人生を大切にする。だから当然、自分の人生が最も豊かさをもつところで働く。
それで今、ミャンマーにいる。
 
by japanheart | 2009-04-28 23:42 | 医者の本音 | Comments(1)

ビルマ戦線の話

ビルマ戦線の話

 先週、東京広尾でスタッフミーティングを1年ぶりに開いた。約70名が参加。
 毎年、私が知り合った人たちの中で、何となく今年はこの人の話をスタッフに聞かせてあげたいと思う方を選んで講演をしていただいている。
 基準は特にないのだが、私よりかなり先輩が多い。
 何でか決して私が知ることができない時代の、その方たちの苦労を私自身が知りたいからだと思う。

 そして今年は、
 第二次世界大戦のビルマ戦線に岡山県から参加された方にお願いをした。
 その方は
 「一兵士の戦中体験  ビルマ戦線 生死の境       修学社」
 という本を出しておられる方。

 
 さまざまな話を直接お聞きして、本当に叶わないなと思う。毎年の事ながら。
 一体、何なのだろうか?
 望むと望まざるに拘わらず、人はそういう運命にほうりだされるのかもしれない。
 一人ひとりが脱落して死に行く様が、悲しかった。
 岡山県からは800名程度戦線に参加し、生き残ったのが200名強。
 どうだろうか?
 この方は戦争はいけない、平和は尊い。と何度もおっしゃったが、死んでいった仲間たちのそのときの状況と生き残った自分のその後を比べておられたようだ。
 
 ビルマ戦線は今忘れ去られようとしている。それはそれで時代の流れかもしれない。
 私はこだわっているが、多くの人たちは知識として記憶にとどめる程度だろうか?
 初めてこの地を訪れたのはちょうど終戦50年目のときだった。
 多くの現地の年寄りたちが私に本当の生の声や思いを聞かせてくれた。
 もちろんその後、日本のビルマ戦線体験者やその家族の人たちの声も聞いてきた。

 あるとき、日本で講演をしたあと、私はいつもビルマ戦線の話しを入れるので、ある人が私にビルマ戦線で多くの犠牲を出したインパール作戦は誰々の完全な作戦ミス、読み違いだったんだ、と言われた。
 まあ、こんな感じだ。
 
 私は戦線の話は片手間にするが、する内容のほとんどは日本人の死に様と思い、現地ビルマ人の思い、その家族の思い。
 事柄だけには全く興味がない。そこには体温がないから。
 同じ日本人なら、圧倒的同情心を持って、知識を仕入れなければならない。
 でなければ、戦争の真の悲しみなど学べるわけがない。

 それでも限界があると思っている。
 大切な家族の一員を病で失った人たちの悲しみは、どんなに深く医師としてかかわっても、同じ次元では悲しめはしないのと同じだ。
 しかし、せめてそれくらいの悲しみをもてない医師に、患者たちは、その家族は医療をしてほしいのだろうか?
 だれもが、思うことだ。
 本当に心豊かな医師や看護師に自分や家族を見てほしい。
 同じじゃないかな?
 
私は、昔、死ななくてもいいのに不幸にも戦争に行って死んだ日本の若い人たちの悲しみを拾ってあげたいのだ。
by japanheart | 2009-04-26 22:00 | 戦争 | Comments(2)

お金についてーその2

お金についてー2

 お金について、またいつの日か詳しく書きたいと思うが、今回は少しだけにしておく。

 20歳代や30歳代くらいで将来不安を感じて、お金について未練がましい人が多すぎる。
 政治の責任かもしれないが、こんないい時代は有史以来なかったことも確かだろう。
 何せ100年前の日本を、60年前の日本を考えてみればわかる。
 人が売られたり、飢え死にする人が多くいたのだ。

 お金は自分の持分が減少してゆくというときに不安や恐怖を覚える。
 いわゆる、加速度に恐怖を感じるということだ。スピードそのものではないということ。

 500万円あった残金が、400万に向かってどんどん進んでゆくというときに恐怖を感じている。
 400万にであることに恐怖などない。

 よくお金が残り少ないので落ち着かないというが、なくなってから慌てふためいては遅いのだろうか?
 がんにもなっていないのに、がんの恐怖にさいなまれて、日々生きているようなものだ。
 お気の毒としか言いようがない。
 特に若い人たちはがんになる可能性が極めて低い。だからその若い時代に、がんを怖がって生きているなどというようなことが如何にばかばかしいかわかると思う。
 若くしてお金に執着し、恐怖にさいなまれている人間とはそんな人間だ。
 
 数字は100万や50万で終わるわけでなく、ゼロで終わる。
 ならば、そこまで何も恐怖を感じる必要はない。
 
 総じて、あくまで総じてであるが、お金に対して不安を感じて、途中で苦しくなっている人間は、日ごろからお金の使い方が荒い。そして、気前がよい。悪く言えば大雑把過ぎる。

 1年先、2年先に不安を感じるならなおさら、早めに調整に入らなければならない。
 少しずつ緊縮し、2年後の状況に自分が対応できる体力をつけておかねばならないのは、何も国や企業だけの話ではなく、個人にも当てはまる。

 お金には、なるべく飄々としてと接していたいと思う。
 若いお気の毒な人たちに、アドバイスがある。
 一度、ゼロになってみたらどうか?
 たぶん、すっきりすると思う。
by japanheart | 2009-04-25 17:02 | 基本 | Comments(0)

お金についてーその1

お金についてー1

 今日はぜひ「お金」について書いてみたい。
 ジャパンハートは無償・無給で働く組織であるとテレビや雑誌などいろいろなところで紹介されている。
 最近、いろいろな理由で、というより、そう理由をつけてお金について意見を言ってくるものが多くなってきたので、私の考えを述べておきたいと思った。

 ジャパンハートの活動に参加するものは少なくとも最低1年は完全に無給でしかもすべて自己負担で参加してもらう。
 お金がほしいならばいくらでもほかの組織を当ればいい。そんな組織はそこらじゅうにある。
 持ち出しが気にくわないなら、参加しないほうがいい。別に私はそのような人と一緒に働きたいとも思っていない。
 国際協力を長くやってきた私にとっては、ほとんどの人は知識も経験もないかわいい生徒に過ぎない。

 多くのものが外国でもいい、別に国内でもいい学校へ行って学ぶときに、お金をほしいとは思わないだろう。授業料も払うのではなかったのか。
 だから私もそうしている。
 お金を払ってでも習え、いやならやめろということ。

 面白いことにこのお金がほしいという意識は、医者より看護師にうっとおしいほどにこびり付いている。
 なぜかを考えてみたら、最近は知らないが、私のころは医者の給与は低かった。特に最初の2年の研修医時代は、ひどかった。正社員ではもちろんない。私はそうではなかったが、私大の大学病院は給与とは呼んですらいなかった。東京の病院でも、一月の給与が、夜も昼もなく働き続けて1万円、2万円程度だった。いまだになんでこれを社会が放置していたのかが理解できないでいる。ありえないことだ。
 もちろん海外の病院へ研修に派遣されていく場合でも全額自己負担。何百万円も自分でで払っている。

 一方、看護師たちは、卒業してすぐに何十万(少なくとも20万円前後)も給与は発生、ししかも、正社員だった。だからボーナスもある。まだ実践を何も知らない、経験もないものがそんなに給与をもらうところからスタートする。その環境の中で、報酬という観点からお金に対する意識づけが出来上がってゆく。

 ここに来る若い医師たちは、最初から諦めている。その経験から学ぶときにはこういうものだという考えが出来上がっているからだ。
 看護師は逆。給与はなくても、せめて何らかの補助をと考える。
 そんなこと私がするわけはないだろう。
 たった一年や二年を無償でするだけの人間になぜ何年もそうしている私が保証しないといけないのか。
 学ぶときはせめて何も期待せず、愚痴も言わずお金くらい自己投資したらどうだろう?
 それがいやなら早めに退席してほしい。
 席が空くのを待っている人たちが多くいるのだ。

 私は鬼ではないので、今年から3年以上働いてくれているものには、給与を発生させることにした。
 といっても、パートタイム程度の薄給だが。
 多くの看護師が黙々とそんなことも言わずに働いてくれてはいる。
 
 ここは日本のボランティアの組織、多くの寄付者が人件費にはお金を使わないでくれというのだから仕方ない。ぎりぎりまで、やっぱり、その希望をかなえなければいけないだろう。

 
by japanheart | 2009-04-24 08:57 | 基本 | Comments(0)

患者助かる

患者助かる

 ヤンゴンに急きょ引き返した。
 現地からは日にちを追ってというより時間を追って状態が悪くなってゆく患者の連絡が入っていた。
 右腕はすべて腐り、そこから大量の膿が噴き出す。
 こうなってはもはや抗生剤など効きはしない。
 高価な薬も所詮、何とかのすかしっぺ、徐々に状態が悪くなる。

 ヤンゴンの事務所についた。
 もはや15時間以上かけて搬送して手術をする余裕は患者にはない。しかもサガインの病院はあと数日は閉鎖している。

 ヤンゴンのオフィスの一室が手術用に改造される。
1996年メティーラという田舎町の家の一室を改造し手術を始めた頃を思い出していた。
あの頃、1年間で1000件くらいそこで手術をしたんだった。

 極度の貧血、ひどい感染、電気メスなどないさびしい医療環境。
 ああ、昔のようだと思った。
 しかし、一つだけ昔と違う事があった。
 私の周りには多くの日本のスタッフたちがいた。

 右腕、切断。
 30分。
 患者の思い、家族の思い、スタッフたちの思い。
 すべてを思いを背負ったと、心でつぶやき一気に手術を終えた。

 翌日、患者はベッドに腰かけていた。
 20日以上続いていた40度を越える発熱は、37度に下がっていた。
 
 患者はひさしぶりに笑った。
 家族にも笑顔が戻った。
 スタッフ達も皆幸せそうに笑っていた。

 私はすっかり疲れて、ひとり渋い顔をしている。
 今、すっかり疲れが出て、風邪をひいたようだ。
 
by japanheart | 2009-04-19 11:21 | いのちの重み | Comments(1)

再び、ミャンマーへ

再び、ミャンマーへ

 今日夜、再びミャンマーへ今日旅立つ。
 現地の状況は全く想像もつかないが、ミャンマーはきっと水祭りに浮かれている。
 どうも私の周りは切迫しているが。

 私たちは未来のことが見えないから、こうしていられるのかもしれない。
 上手くいくことはまだしも、失敗することなどしっていたら、私なんて上手く生きれそうにない。
 本当にそれがありがたい。
 現地の患者の命。
 日本でいる父親の命。
 すべてどうなるかわからない。
 何となく暗雲立ち込めるような気がするが、全て私の心が造り出した幻想なのだろう。
 全て幻影。
 惑わされぬように生きてみたい。

 結果は天命と受けとめて、先の分からぬ私はおどおどしながら下を向いて毎日懸命に生きるしかない。
by japanheart | 2009-04-13 11:14 | いのちの重み | Comments(0)

患者を残して

患者を残して

術後の状態が悪く、前腕を切断した患者がいる。
サガインの病院は、この水祭りで数日間閉鎖される。
この患者をどうするか?

ヤンゴンへ車で15時間以上かかって搬送した。
患者が私に尋ねる。
「先生、返ってしまうんですか?日本へ。」
私は答える。
「うん、帰る。」「新しい医者を3名呼んだから、安心して。」
患者は
「でも、先生ほど信頼はできない。」
私は
「そうだね。、、、、」

患者は私が帰る時、切断した反対の手で私を掴み、私は大丈夫ですか?と聞いた。
私は「ああ、多分。」と答えた。

現地の看護師や医師から連絡が来た。
感染の状態がひどく、切断した腕が上腕まで壊死してきているそうだ。

私は再び、現地へ帰らねばならない。
昔のように、薄汚れた部屋の一室でこの患者の未来をかけ再び手術をするために。

一方、今私の父親は危篤だ。やっと昨日家にたどり着いた。
父親は昨日もいれて、3日連続して手術を受けた。
手術前のICUで、気管内にチューブを入れられた父親に「大丈夫だから」と言った。
父親が頷いていた。
もう生きて会えないかもと思っていた。
ただ会えてよかったと思った。

その頷いた父親の目が、ミャンマーに残してきた患者と同じ目をしていた。
私は帰らねばならない。
by japanheart | 2009-04-12 11:12 | いのちの重み | Comments(0)