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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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学生と国際協力

学生と国際協力

 私が多分まだ初めて海外に行く直前の1995年ころ、研修医時代を共にすごしたある医師から次のように言われたのをはっきり覚えている。
 「私は学生時代から今まで多くの人たちが将来、途上国で医療協力をしたいと言っていたのを聞いてきた。しかし、初めてそれを実行する医師を見た。」

当時は大学卒業時、97%の学生が大学の医局へ所属するという今では考えられないような時代だった。
研修システム自体が、変わる前の話だ。

だから何がしかの目的を持たないと、市中の病院へいきなり就職するということはなかった。
先ほどの友人の医師はアメリカへ行ってしまった。

今でも多くの学生たちが私の元へ、かつての私のように将来、途上国でやりたいといって訪れる。
今は医局制度も弱体化して、やりやすくなったかもしれないが、それでも多くの人たちは学生時代のいい思い出としてこの経験を、墓まで持ってゆくことだろう。
まだましな人たちは、数ヶ月はやるかもしれない。
中にはかなり少ないが1年や2年はやる人もいるかもしれない。

私の経験でいえば、10年目を過ぎて、様々なことが理解できてきた。本当の仲間も持つことができた。
信頼できる現地の人々に出会うことができた。本当に尊敬すべき現地人とも働けるようになった。
みんな私のこころの中をのぞいたら、びっくりすると思う。まあ、理解できないだろうが。
知りたければ経験してみるしかない。
10年以上、やってみる勇気のある人はいるかどうかはしらないが。

あるミャンマーの友人が私に昔、こんな話をしてくれたことがある。ミャンマーのことわざ由来、そのことわざは忘れたが。
「かつてどこかの国の大軍に囲まれた数少なくなったビルマの軍は、イラワジ川を越え向こう岸で大軍と最後の一線を構えることにした。ビルマ軍の大将はあろうことか、自分たちが乗ってきた船を根こそぎ沈めてしまった。退路を断ったのだ。後退はない。死ぬか進むかどちらかという状況を自ら作り出した。そして、大軍を奇跡的に打ち負かし、撤退させたのだ。」
背水の陣をひいたという話だ。

私と同じ境遇を得たければ背水の陣をひいてもらおう。
あらゆる困難は、敵の大軍みたいなものだ。
勝つか負けるかそれは分からない。今だって分からない。

やります、やりますといってやらなかったやつ。
はじめからあきらめて何もしないやつ。
どっちがましか分からないな。
by japanheart | 2009-02-27 00:08 | 基本 | Comments(1)

そんなに面倒か?

面倒か?

 最近になってというべきか、医者を20年近くやってきて、ようやく気付いた、あるいは言葉にできた。
 
 医療を、するために最も大切なことのひとつは
       ”面倒がらないこと”
だと思う。

 人間だから、疲れてきたり、患者やその家族からぐちゃぐちゃ言われたりしたらついつい面倒くさくなってしまう。
 思うような医療や管理をしているところへ、言うことを聞かなかったり、すぐにトラブルを起こす人が入院でもしてくると、本当に嫌になる、のも分かる。
 
私はもう長いこと医師をしているので、医療従事者の本音が手に取るようにわかる。これは上手いことを言っているが、面倒がっているなとか、すでにうんざり来ているなとか、さまざま本当によく分かる。
 いつも自分の思いどうりにやろうとすると、必ず面倒になり、皆がすこしづつ面倒がって、やがて大きな失敗をしでかす。大体、患者は他人なのだから、自分の思い通りになどならない。当たり前だ。
この当たり前の前提が間違っているから、面倒になる。

 皆が、少し面倒な心を抑えて少しづつまじめにやれば、失敗はある程度防げるはず。

 面倒でも、患者の話を聞く。
 面倒でも、何度も患者のもとへ足を運ぶ。
 面倒でも、何度も体温を測る。

 忙しいといって、自分を守っていたらいつまでたってもミスは減らない。

 これは、医療だけに留まらない。
 多くの人は医療が自分の生活の大半を占めるのだから、いい医療をしたければ、生活を良くしなければならないのが道理。

 面倒でも、部屋を掃除する。
 面倒でも、食事を作る。
 面倒でも、服をたたむ。

 面倒がらずに自分の生活がしっかりできていなければいけない。
 他人の生活は、自分の生活の延長線上にある。

 日々のいい加減な生活が、いい加減な医療の元凶である。
  
by japanheart | 2009-02-25 03:54 | 医者の本音 | Comments(0)

30年後の私が思う

30年後の私が思う

 私はよく最近は30年後の私はどう感じているかを考える。
 当然、想像しているので実際とは違ってくるし、第一、生きている保証はないことは百も承知。

 私にとって30年後とは一体どういう時間かというと、
 今、44歳の私は74歳になる。男の平均寿命から考えると、かなり動けなくなっているかもしれない。
 医者はとうに引退している。少なくとも技術的には。
 この近い将来に死を意識したときの私の感じ方はかなり重要だと思う。

 おそらく私は後悔している。どう口で後悔などないよい人生だったと言っても、心の中では他の何かよい人生を失ったのではないかという釈然としない感覚を持っていると思う。しかしまあ、ふたつの人生は歩めないので仕方ない。
 どんなに立派に、どんなに挑戦に満ちた人生であったも、生に対して未練は残る。私にあと10年あればと考えるだろう。


  しかし、逆説的に、どんな人生を生きても、後悔するならばといつも心の声を発する。

 思いどうりに生きよう。
 様々なことにチャレンジしよう。
 できる限り恐れずに前に進もう。
 コンプレックスなど些細なことといつも考えよう。
 できる限り幸せをふりまこう。
 

 さまざまな理由で、可能性を諦めて行く。
 さまざまな理由で、毎日流されてゆく。
 こんな人生など私には拷問で、牢屋に入れられた状態と一体、何が違うと言うのか?とさえ思う。
 あなた方は無期懲役の罪ですでに牢屋の中にいるのだ。
 愚かなことに宣告したのは、自分自身で、しかもそこがいい世界だと勝手に思い込んでいる。
 30年後に分かる。覚悟しておいた方がいいかもしれない。


 30年後の自分が、泣いている。今、泣いている。
 こんな人生など、私の人生ではないと叫んでいる。
 私はもっと可能性のある生き方ができたのにと地団駄を踏んでいる。
 未来の自分が生き方の修正を皆に迫っているのだ。
 今、すぐに。

 
 
 
by japanheart | 2009-02-22 01:55 | 天職 | Comments(0)

講演会ーバンコク

講演会ーバンコク

 講演会をバンコクですることになりました。
 もちろんタイ王国。

 4月9日朝10時から現在場所を調整中。

 来れないでしょうが、一応、お知らせを。
 
 
by japanheart | 2009-02-22 00:05 | 講演会 | Comments(0)

夜の病院で

夜の病院で

 手術のミッションの最終日の夜11時頃、私は真っ暗になった病院を後にしようと、病院の出口にさしかかった。
 その時、ニ人の人影が私の前に現れた。

 一人は顔が火傷で解け胸と顔が引っ付いてしまっていた18歳の女性。
 1年以上にわたって手術を繰り返し、もう一息で正常に近い状態に戻るところまで来ている。

 もう一人は生まれつき右腕が巨大な脂肪増殖でで肩の部分から逆の腕の3倍以上に大きく太くなり、3本の指は20倍以上に巨大化してしまっていた16歳の少女。
 3度も手術を繰り返し、ようやくシャツに腕が通るようになった。巨大化した指は、切断しもう隠すこともなくなった。

 この二人が私の元に跪き、何度も拝み始めた。
 ミャンマーでは心からの感謝を示すときにとる姿勢である。
 最初の頃は、私も何となく違和感を感じたが今は慣れてしまった。
 感謝など無用の私であるが、彼らの今の心の状態を知るにはいい機会だと思っている。

 全く神が創ったようにはいかないまでも、少しは普通に近づいて、それを彼らがどの程度満足しているかを知りたい。
 それで彼らが隠れたり、卑屈になったりして生きていかないでよければ、それがひとつの治療のゴールの目安になる。
 患者の本心を知る。患者本人も知らない心の声を聞く。

 医者の欲求でもう少し完成させたいが、二人ともこのあたりで結構ですと言っていた。

 吉岡ー大村ー安井ー神白と4代1年半の間、医者が順番に治療をつなぎ、ようやくそこまで来た。

 ここに短期的関わりではできない医療を実現している。
by japanheart | 2009-02-21 01:08 | 病と人間 | Comments(1)

医者になったことーー2

医者になったことーー2

1年目の浪人の医学部を目指したいと宣言した時、多くの友人が反対した。
大きなお世話だが、ある友人は私に「国立の医学部というのは東大とか京大へ行く人が医者になるといってゆくところで、君みたいな成績のものが行くところでない。ましてや、君は理系ではなく文系ではないか。」と丁寧に嫌味と忠告をくれた。
あの時、私は彼らの言うことを尤もだと思って聞いていた。
あの時、私を含む誰もがそのは無理だと思っていた。
しかし、私には一つだけ心に引っかかったことがあった。
誰もが私の無謀さを、そして可能性を疑うのは理解できる。しかし、なぜ、私自身が自分の可能性を信じれないのか。この10代の終わりに私は私の可能性を信じれなかったり、疑ったりしたら、これから先の長い人生どれほど、私は絶望を感じながら生きつづけなければならないのだろうか?
私は私の可能性を信じてあげねば、自分が浮かばれなかった。

2年目の浪人生活が始まった。
1年目まで文系のクラスにいたのに、国語・数学・英語すべて、偏差値は30代だった。
やはり去年と相変わらずみんなを元気ずける存在だった。
しかも今年は初めて勉強する理科まで加わって、本当に泥沼にはまり込んだ心境だった。

 やはり成績は低空を飛び続け、10月の終わりまでさして希望は持てない状況が続いた。
 このまま私はどうなった行くのかと不安から夜も眠れない日がたびたびだった。


 その眠れない夜はいつも天に語りかけた。
 そして、私は神仏と取引をした。
 どうか私を医者にして欲しい。
 私は生涯、恵まれない人のために働くからと。

 信心する心の薄い私にはもちろん神仏は何も答えてはくれない。
 せめてもと毎日仏壇の水は代えた。
 神仏は下賎な取引などしないのだ。今なら分かる。若いころの苦い思い出だ。


 11月ころから、不思議なことに成績が急上昇し始めた。
 なぜかしら12月ころには、偏差値で60はゆうに超えていた。
 医学部が射程圏内に入ったのだ。
 
 私は高校時代から一度も満点に縁のない男だった。
 それがこの年の本番の共通一時(今のセンター試験)で満点を取った。

 そして2次試験。
 当時、国立大学は全て同じ日に一度だけ試験を行った。
 だから、学生たちは皆、一発勝負だった。たった1校しか受験できなかったのだ。
 決して出来は良くなかったが、合格していた。
 
 情けないオトコに神仏が情けをかけてくれたのだ。
 ただ感謝した。特定の神仏の信仰など私には無かったが、あらゆる存在に感謝した。

 だから、今もその下賎な取引の約束を果たしている。
 若気のいたりで、時々後悔している。

 
 
by japanheart | 2009-02-12 01:16 | 天職 | Comments(1)

医者になったことーー1

医者になったこと-1

 そういえば、昔のことを思い出したので年寄り臭いが、少し書いてみる。

 高校時代の私は、全く勉強しなかった。友達や女の子と遊ぶのが生きがいだった。
お陰様で、完全に浪人した。更に言うと、卒業すら危ぶまれた。
何せ高校時代、遅刻はいくらしても欠席記録にはならないことを知っていて、高校3年のころは毎日のように昼ころから学校に通っていた。
 
 高校3年の進路指導の時、教師はてっきり私は就職すると思っていて、資料を用意せず、翌週再び進路指導になった。
 その指導でも、大学へ行きますと意気込む私に、これだけ受けて1つうかるかどうかです、と全て女子の短大の名前を書いた資料を並べていた。(今は知らないが当時女子の短大で男子をわずかに募集していた学校もあったのだ)
めでたく浪人。
予備校に入るのに、5回も試験を受けようやく新学期ギリギリに受かった。
友人たちからは、私は特別に1回目から5回目までの合計得点で受からしてくれたのだと、笑えない冗談を言われた。

 1浪目でも生活は変わらなかった。相変わらず遊んでいた。そして合間に適当に勉強した。
結果は、明らかだった。しかし、この底辺の時機に私は自分が医者になるという光をつかんだ。そして、決心した。
 大海を知らない蛙の如く、その無謀さに気づかなかったが、今考えるとそれこそが、神の加護だったとイスラム教徒なら言うかもしれない。
 偏差値は全ての科目で、30代であらゆる受験生を元気付ける存在だった。

なぜ、医者になると思ったのか?
   突然思い出した気がした。
   それが自分の使命のような気がした。
   気のせいだと何度も振り払ったが、頭から離れなかったのだ。
   
 私は文系で、医学部に進む選択肢はほとんど無いのは分かっていたが、それが私の進むべき道に見えた。
  損得感情など微塵もなかった。
 ただ、医者になり、誰でもが一度は思うように、不幸な境遇の人たちのために何かしたかった。
そういう衝動が自分の中に沸き起こったのだ。


  
by japanheart | 2009-02-07 03:42 | 天職 | Comments(1)

流れを読む

流れを読む

今の日本はどうなるのか?大げさなことを考えていたら、そういえば最近は政治家の人も、いったい誰に相談しながら、アドバイスをもらっているのだろう?と思ってしまう。
昔は、それ相応の人がいて、陰で政治家たちを指南、大局を指し示していたのに。
それが無いから、目先のことに奔走するのか?
しかしまあ、そういう人を生み出せないのも、今の日本人のレベルが低いということだから、甘んじて受け止めねばならないのかもしれない。

そんなことを考えていたら、今の状況を、把握しどう動くのかということを自分なりに分析してみた。

 私はいつも天の声、人の声をしきりに聞こうと考えているが、これは実は難しく、後になっていつもそうだったのか、そういう意味だったのかと残念がっている。
 だから別に特別な能力があるわけでもなく、ごく普通に挫折しながら生きている。

 しかしながら、一つ参考にしている感覚がある。
 誰でも例えば、賭け事で、負けるときの感覚、すなわち負けこむときの感覚だ。
 一つ失敗をし、取り戻そうとして再び失敗、伸るか反るかで最後にやっぱり失敗。
 この感覚、体験は、だれでも知っている。
 次は次はでは傷がどんどん大きくなるという知恵だ。

 こういうとき私は早めに3つの行動のうち、どれかを選択する。
 1、一旦、止める。
 2、方向を変える。
 3、本当にやめてしまう。

  その判断は、3点を見極めるという一言に集約できる。
 多くの人は1点のみで全てを判断するので、いつやめるか、進むのか、など全く
勘や感情
に流されてしまう。

 私は 1点で判断しない。
 2点を刻めば、方向が見える。
 3点刻めば、流れが見える。

 流れを見極めて、全てを判断している。

例えば

  1、朝起きて、歯ブラシを落とした。
  2、病院に行き、入り口でこけかけた。
  3、患者が、少し微熱がある。

  私は、この患者は手術をするかどうか悩まず、すぐに中止にする。

 そういう流れ感覚のことだ。
by japanheart | 2009-02-03 23:06 | 基本 | Comments(1)

僻地医療について

僻地医療について

 看護師を中心に国内僻地・離島の6箇所に派遣を行っている。
本年度からは更に少し増やす予定にしている。

 この活動に関しては、非常に協力的な病院と今一、そうでない病院がある。

 この団体や活動に賛同してもらわないと、うまく行かない。

 それぞれに看護師も学びが多いようだが、大きなむらがあるのも事実。

 その理由は、その場所の賛同の具合にかかっているようだ。

 そこで、本年度はこの辺を踏まえて仕切り直しをしたいと思っている。
 
 ジャパンハートが派遣する看護師たちは単なる労働力ではない。

 こちらも無いエネルギーを裂いて人を派遣している。だから大切にしてもらいたいと思っている。

 多くの更なる依頼を断ってきたが、今年は少し動く。

 ジャパンハートの看護師が引いて、人的に苦労する病院もでると思うが、彼女たちも気持ちよく、働き成長したいのだ。
そういう病院と今後はやってゆく。

 ある僻地の医師は、いつも彼女たちの成長のために考え動いてくれている。
 だからそこへ行った人は皆、また次年度もそこを希望する。
 
 一方、別の場所では翌年派遣を断る看護師もいる。
 施設に問題が多いからだ。
 だから派遣をやめ、施設を変えてしまったほうがいい。

 
 なぜか?

 ここから行く看護師たちは本当に、役に立ちたいと思っているのだ。
 将来は、僻地で働きたいと思っているものもいる。
 その人たちが、いやになってそれやめてしまったら?
 それを社会の損失という。

 なんと言われようが、10年単位で、社会のメリットが一番大きいように決断し、動く。
 そう決意している。

 
 
 
 

 
 

 

 
by japanheart | 2009-02-02 00:10 | スタッフと想い | Comments(0)

自我の拡大

自我の拡大

 先日、一日の業務を終えたミーティングの時、最近の雰囲気、生活の乱れ等があるということで、看護師たちを中心に、なぜこの活動を始めたのか、なぜジャパンハートを選んだのかということを再確認しあっていた。

 黙って聞いていて感じたのは、初年度の人たちは多かれ少なかれ、自分の技術力、知識の獲得、今までの憧れであった国際協力をやりたいためということが多かった。
 2年目以降の人たちは、動機は同じようなものであったが、今は、この組織のコンセプトに共鳴し、社会や周りの人たちのために働いているというようになっていた。

これは、おそらく1年以上の苦楽の成果だと思う。
自我の意識が自分を離れ、集団や社会に広がっているのだと思う。

社会を癒そうとするものは、当然の帰着として社会に大切にされ、世の中の力が自分の力に加わる。
自分のために動けば、自分ひとりだけの力で届く範囲でしか成長できない。

散々怒りまくって、付き合ってきたけれど、知らない間に皆成長している。
ありがたい事だ。

お金を決してかけても手に入れることが出来ないものを手に入れる。

先日サイクロンの救援に奔走した安井医師のために、数時間もバスを乗り継ぎやってきた村人。
その手には手作りの、象の人形を握り締め、たった一人やってきた。
静かにその人形を置いていこうとして、スタッフに呼び止められ、安井医師に手渡したそうだ。
彼が帰るとき、だいの大人が子供のように泣きじゃくって感謝を言って帰ったそうだ。
こんな経験は、お金じゃ買えない。

安井医師の心は彼のみぞ知るだが、今は自分のためだけにやるという選択肢は無いのではないか?
技術や知識は日本でも付く。
彼も家族をはじめ色々な人に反対をされながら活動を続けたと思うが、その延長線に、この体験があった。

結局、本気で自分の人生と向かい合い、かけた情熱の代償をただ受け取っただけかもしれない。

今いる多くの人に真剣に聞いて見たい。

「あなたの場所から見える景色は、どれくらい美しい?」
by japanheart | 2009-02-02 00:06 | スタッフと想い | Comments(1)