ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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2008年を終わって

2008年を終わって


今年も今日で終わり来年はどういう年にしてゆこうかと考えてる。

今年色々なことがあって、様々なことを考え直していたら、新しいビジョンが見えてきた。

少し大げさに言えば、日本の現在と過去と未来を癒し、少しでも世界を潤す方法を思いついた。
しかし誰にも言っていない。

そんなことを言えば、スタッフたちはまた新しいことをはじめるのかと困惑し、迷惑そうな顔をしながら、今の現実をまず解決しましょよという雰囲気を前面に押し出してくるからだ。

それに、昔シンガポールで講演会をしたとき、未来のビジョンを語ったらある年配の方に、吉岡さんは両親に素直に育てられたんですね、と皮肉っぽく言われたこともある。
しかし現実は猛烈にそのときのビジョンに向かって近づいている。

誰にも言わないのもつらいので、せめて妻にだけは今度こそっと語ってみようと思う。
いつも優しい妻は、決して私を否定することも無く、いつも褒めてくれるからだ。
多分今回も。

さあ新しい年が始まる。
未来は、全て私の心から始まる。
全てはそこから始まることをすでに私は知恵として知っているのだ。
by japanheart | 2008-12-31 12:49 | 医者の本音 | Comments(0)

患者搬送に悩むー5

患者搬送に悩むー5


 先日書いたブログ「患者搬送に悩むー1~4」の家族がバンコクへ搬送してしまった患者の続きがある。
というよりその後の経過がわかった。

 なぜかというと彼女の父親から私にメールが入ったのだ。

 内容は英語で書かれていたが日本語で訳すと

 「私の娘はバンコクの病院で治療し今日帰ってきました。少し症状は良くなりました。
 これからどうすればいいのでしょう?私と私の娘にはドクター、あなたの助けが必要です。
私たちの事を忘れないで下さい。」

 日本にいるいとこからも同様にメールが届いている。

 私はスタッフを通じて、できうる限り協力します。私にできることはどうぞ相談してください。と電話しておいた。

 その2日後、ヤンゴンにいる河野看護師を、彼女が帰ってきて入院した病院に、訪問させた。

 私は今、治療を続ける患者たちがいる現場、サガインを離れることはできないが、
1月5日再び、日本へ一時帰国する前に、彼女とその家族に再会することになるだろう。
by japanheart | 2008-12-28 01:19 | 活動記録 | Comments(0)

体温のある医療-3

体温のある医療-3

 この国では明らかに人の命や病からの解放は、お金の多寡に依存している。
日本では想像もつかないことかもしれないが。おそらく日本以外のほとんどの国では、自分が望む医療は、自分が差し出したもの、あるいは自分が現在持っている金銭に比例して与えられる。

 神ならぬ身の私が、患者の命をどこで見切るかを決める。
 誰も止めも批判もしない。
 その任は時に重過ぎて、わが身を焼かれることもある。
 その苦しみは、時とともにわが身、わが心に降り積もり今の私の生き様と人格の一部を形成している。


 この患者は、兄弟たちが必死で見守ってきた。彼らの心も決まっている。
できる限り診て欲しい。
しかし、おそらく日本のように人の最期と言えぬほど、尊厳を否定された不自然な死は期待していない。
 また最期は私が結論を出さねばならないかもしれない。

 この子を見守ってきた看護師と私たちのミャンマー人スタッフ責任者のウテンゾウがこの病院の院長と死ぬかもしれないがみてやりたと交渉した。なぜそういうことを交渉するのか、悲しい現実である。
 前の女医の院長なら即座に拒否しただろうが、最近代わったばかりの70歳台の院長は、家族が望むならOKということで入院となった。
いつも問題ばかり起こすあまりよろしくない病院のミャンマー人医師に代わって若くてよく働きそうなミャンマー人医師を私たちが連れてきたいのだが、この病院の理事長は、私たちがミャンマー人の医師を連れてくるのを拒否する。
どうも病院に私たちと私たちが雇ったミャンマー人医師を同時に働かすことは病院を乗っ取られると考えているようだ。
 それで今までミャンマー人医師と私たちのトラブルは後を絶たない。

 本題に戻る。

 この患者は、本当に病院に搬送時、死にかけていた。
酸素を与え、ひっきりなしに痰を吸引し、ようやく少しずつ良くなった。
、が再び痰が自力で吐けなくなり、窒息寸前、気管に直接穴を開け、気管チューブを挿入しそこから直接、痰を吸引できる手術を行った。

 栄養状態の悪さ。極度の貧血。呼吸もできないほどのひどい肺炎。

 栄養の点滴、輸血、ありったけの抗生物質。
 長年、寝たきりの、家族にとても愛されている子に、全てできることをしている。
 (この子は話は出来ないが、全て状況を分かっている。)

 このような国で、私のやり方に反対する保健衛生関係者もいる。
 効率的に人の命を救うことが彼らの使命であるからだが。
 
 私は何を見ているか。
 当然そのような人たちの意見や中傷は眼中には無い。
 私は頑固で、何を言われようがこの活動を始めた15年前から、いつも同じ様に行動する。

 私の目線の先には、
 
 この子の生命力がどれほど残っているか?
 この子を取り巻く人々の祈りがどれほどあるか?
 それを支える私たちの力がどれほど残っているか?

 それを見ている。それを感じている。


 この子はいまだに生死の境にいる。

 一昨日、もう多分、死ぬかもしれないと泣いていた兄と今日、病院まで続く道の途中ですれ違った。

  満面の笑顔で私に微笑んだ。

 自分とつながる命の価値や重さが分かる。

 統計や効率の中には、それは無い。
 その世界では、その笑顔の意味を知ることはできない。

 私はどうも器用か不器用か、この生き方しかできない。

 しかし、一ついえることがある。

 その笑顔の意味を知れるということは、笑顔を失った人とも多く出会いをしているということだ。
 本当の喜びだけを知ることはできない。
 本当の喜びは、本当の悲しみと対になっている。

 高い尾根は深い谷があってこそ存在する。
by japanheart | 2008-12-22 20:54 | 活動記録 | Comments(0)

体温のある医療-2

体温のある医療-2

 この患者は、あるお寺に預けられていた。
そのお寺の中で、地元の看護師が一人で、面倒を見ていた。

私の元に訪れたその看護師は、私にどのような薬を処方したら良いか聞くのだ。
状態も状況もわからないが、かなり危ない状態が予想され抗生剤を通常量の2倍、頭に菌が入っている髄膜炎を起こしていても、全身に菌が廻った敗血症を起こしていても対応できる薬を指定し、それを用意するように指示した。

 この国では薬は薬局で自分で買うことが多い。

 それから数時間後、私の仕事が一段落した頃、そのお寺に患者を診に行ったのだ。

 呼吸は弱り、肺の雑音も激しく、ひどい肺炎を起こしていた。
全身に菌が廻っている、あるいは頭に菌が入っているかは不明だった。

 それから数日このままそこで患者は治療されることになった。

少し熱が下がり気味だったが、3日目、近くの大きな町マンダレーに私が出かけていると、
電話がかかってきた。

原野看護師からだった。

「患者の女の子が、呼吸は1分に60回もあり。とても浅く止まりかけています。今吸引機を病院から運び、吸引して痰を吸い出しました。少し良くなりましたが、まだ大分しんどそうです。」

 
by japanheart | 2008-12-19 23:43 | 活動記録 | Comments(0)

体温のある医療-1

体温のある医療ー1

 数日前、昔から知っている看護師が尋ねてきた。
 自分が面倒を見ている患者の女の子について相談してきた。

 その子は22歳で、もう15年ほど寝たきりになっている。
 子どもの頃から、痙攣が頻発し、10歳には寝たきりになってしまった。

 手足は強く曲がり、ちじこまっている。

 20日前から熱が出て、いくつかの病院に行った。
 どこの病院に行っても、診察もされずに、遠くから若い医師たちが見て、手に負えないと思ったのだろう。
 大きな街の病院に行くように勧められる。

 家族は、だれも麻痺を治して欲しいとは言っていないのに、ろくに話も聞きはしないから、そのような反応になってしまう。
 家族は今出ている高熱を下げて欲しかった。

 責任を逃れたい医師たちは、患者を見ただけで、すぐに心が逃げる。
 診察をすれば、責任が発生することをわかっているのだ。

 熱が出ておそらく、20日目、40度を越える高熱になって4日目に私の元にやってきた。

 しかし、今いる病院の関係者は、入院を拒否する。
 生きるか死ぬかわからない患者の入院はいつも拒否される。

 死ねば病院の評判に響くと考えているらしい。

 この病院の、表には淋しく看板が掲げられている。
 そこには、
  「 24時間、いつでも救急患者を受け入れています」
 とミャンマー語で書かれている。
by japanheart | 2008-12-14 19:50 | 活動記録 | Comments(0)

ミャンマー人看護師

ミャンマー人看護師

 ミャンマー人看護師を少しでも養成したいと考えている。
 とにかく職がない人も多い中で、どこの国でもそうなのかもしれないが、女の人たちが本当に良く働く。

 今いる村近くから、今4名受け入れている。今後少しずつ、学校に行かせとりあえずの彼女たちが生涯食べていける職は確保したい。

 学校の費用、寮費、食事代、その他生活費全てジャパンハートで負担する。

 これから国境の村々から、孤児の女の子たちも来ることになった。一度に多くはできないが、6ヶ月に2名程度ずつ、受け入れて、自分の故郷へ返してゆきたい。

 少しずつ、少しずつ、私がしたいことが叶ってゆく。

 幸せを感じる。
by japanheart | 2008-12-13 01:25 | スタッフと想い | Comments(0)

6度目の正月

6度目の正月

少し早いが、2008年度の感想を。

2003年、再びミャンマーへ帰ってきて6度目の正月を今年も迎えそうだ。

 毎年、家族とは年を越してはいないが、亭主のいない我が家は、今年もいつもと変わらない年末を迎えることだろう。

 ミャンマーは、いわゆる日本の正月の時期には、新年のお祝いをしない。
 そのため、いつもと変わらず患者たちがやってきて治療が行われている。
 日本人たちは、何かしら正月で神妙な表情をしているが、ミャンマー人たちは、いつもと変わらない感じで、淡々と過ごす。

  今は多くの仲間たちにも恵まれ、寂しい年末を迎えなくても良いのがせめてもの救いかもしれない。

 今も多くの子どもたちが、入院している。せめて少しでもよくなってくれれば私も救われる。
 異国でがんばる寂しい日本人たちも救われる。

 
by japanheart | 2008-12-12 01:22 | スタッフと想い | Comments(0)

バンコク空港閉鎖で

バンコク空港閉鎖で

 デモ隊のバンコク空港閉鎖によってミャンマーへの帰国が延びてしまった。
 ミャンマーへはタイのバンコク経由で行くのが一般的に便利。
 私の場合、現地発の航空券なので、他の都市経由はいまさらできないという始末。

 現地の神白先生からはできれば5日までに現地に入ってほしいと言ってきたが、仕方ないか。

 
 この時期には、もともと現地への見学を予定していた医師や看護師、学生が何人もいる。
 残念ながら、調整を試みたが入国できなかった人もいる。
 あるいは、バンコクの空港での乗り換えだけでも何か怖いことが起こるのではないかと、辞めようと尻込みする人もいる。
 恐ろしければやめるのがいい。


 しかし私は驚くのだ。
 この数日私は、現地入りできるかばかりを考えていた。
 私が遅れれば待っている患者たちが気の毒だからだ。
 関心は、患者たちのことだけだった。
 強いて言えば、バンコクの空港は早く解除されれば、すぐにでもいけるのに、という程度だっ  た。

 一方で、バンコクの空港での自身の安全を心配し尻込みする人もいる。
 これは医療者としてどうかとも思うが、近年の様々な爆破などをみると、これくらいの用心深さは必要になってきているかもしれない。
 今までであれば、貧弱は意志だと一刀両断にしていたが、そんな無責任な発言もできなくなっている。

 まあしかし、私はどうも昔のままで、患者のことしか見えなかった。
 
 渡航をやめる人たちと私、どちらが長生きするかはわからないが、医療者としては私は幸せだなと思った。

 
 
 
by japanheart | 2008-12-03 02:31 | 医者の本音 | Comments(2)