特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2008年 05月 ( 11 )   > この月の画像一覧

孤立した村

孤立した村

 マヤンゴンというひどい災害地域から船でしかいけない島。3時間ほど小船でかかるその村々は完全に支援の対象から取り残されていた。

 災害後、一切の支援は届いていなかった。
 村人たちは十分な食料もないまま12日以上何とか生き抜いていた。
 
その村に支援を届けてゆく。
多くのミャンマーの若者たちが協力してくれている。
by japanheart | 2008-05-26 08:23 | 活動記録 | Comments(0)

救援活動ーその後3

救援活動ーその後3

 その後も救援活動は続いている。
何をするかはその組織のポリシーによる。

 私たちにできる支援とは何かを考えたとき、日本政府や国連とは自ずとその役割が違ってくる。
 彼らが到達できないような、あるいは大きな動きの中では零れ落ちてゆくような村や人たちに支援の手を届けることが、私たちにできることだと思う。

 そういう場所を探し、そういう人たちを見つけ、そっと支援を届ける。
by japanheart | 2008-05-25 08:22 | 活動記録 | Comments(0)

ミャンマー:私の考え方

ミャンマー:私の考え方

 明後日24日(土)、昼11:30からTV東京系列で私が出演します。
その時、限られた時間の中で私の考えを語りますので、良かったら見ていただければと思います。

今までの経験上、その番組の構成で、なかなか上手くいきませんがそれなりにやってみたいと思います。

 先日はTV東京のニュースと地方局のニュースに出て少し語りました。
by japanheart | 2008-05-23 00:04 | 活動記録 | Comments(0)

取り残される村

取り残される村

 実際に支援活動をしてみると、様々なことがわかってくる。
大きな幹線道路の近くは、早く物資や支援が届く。
道が貧弱な地域は、ほとんど届かない。

大きな災害になれば船でしかいけないような地位な島は、最後まで取り残される。
そこでは食料を仕入れるすべもない。

現地スタッフが発見したある村の報告をのしてみたい。

「今日はカ◎という村に物資を配給してきました。3回目の配給です。
ここはポンジー(僧侶)もしっかりしており、もともと大きな町の近くにあり、企業や政府の配給も受けており、そこまでの困っている感はありませんでしたが、カ◎の手前に政府からも村の存在に気づいてもらえていない村を発見しました。そのため、政府やそのほかからの配給が一切届いていません。僧院や学校も村にありません。セアマ(看護師)ももちろんいません。もともと車がやっと通れるほどの道に竹が倒れており、徒歩とバイクで物資を運びました。 」

 誰にも気づいてもらえないようなこのような人たちに何かできることがまた私たちの喜びでもある。
by japanheart | 2008-05-22 08:44 | 活動記録 | Comments(0)

静かな復旧

静かな復旧

 静かに被災地が復旧してきている。

 少し前までは1000以上の規模で被災していた人々が、少しずつ自分の村へ帰り、家屋を組み立て始めている。

 ある村は人口が4分の一程度になるほどの死人や行方不明者を出している。
ほぼ全滅した村もあるという話もある。

しかしながらそれでも子供たちは明るい。
今日は彼らにも衣服を配ったが、悲惨さは彼らにはない。

今回は風でやられたダメージはそう致命的ではなかった。
やはり致命傷を与えたのは、暴雨や高波という水だった。

被災がひどい地域は根こそぎ飲み込まれた後という感じがする。

この季節、それでも雨は毎日降り、汚染された大地を洗い流している。
未だに感染の大きな発生がないのはそのためかもしれない。
by japanheart | 2008-05-18 02:52 | 活動記録 | Comments(0)

救援その2

救援活動ーその2

 救援物資を届けている。
うまく援助が入っている地域とそうでない地域の差が少しある。
さまざまな人たちが援助を行っているが、どうもやはり十分ではないのかもしれない。

明日私のみ日本に一時帰国する。スタッフにはそのままがんばってもらう。
今後のことを相談しなければならない。
この緊急救援は1月はしなければならないかもしれない。
大きな伝染病はまだ私たちは遭遇はしていないが、もし起こればすぐにでも対処できるのが私たちの強みでもある。

薬の配布は少しでも続けてゆきたい。

それでも少しずつ人々が活気を取り戻しているのがわかる。
ミャンマー人は確かにタフな人たちだと思う。
by japanheart | 2008-05-17 02:59 | 活動記録 | Comments(0)

救援活動

救援活動

 11日からヤンゴンに到着し、救援活動をできうる限り行うことができている。
 軍や政府もがんばって救援活動を展開しているが、何せ範囲がひろく、すべてをカバーでできてはいない。

 昨日は5000人のキャンプに医薬品・食料を配給。子供の下痢などの治療薬を配布した。
 
 明日は30キロにおよびサイクロンが根こそぎ破壊しつくした地域に1t以上の医薬品、食料、子供用の服等を届ける。数千人規模の人々を対象に配布をする。

  少しでも末端に必要物資が届くよう、感染症のアウトブレイクに備え、適切な医薬品の配布を行うということを目標にしている。

多くの避難民がいる寺院を中心に、文化、伝統の中心的役割を果たしている僧侶たちの協力をもらいながら、しばらくがんばってみたい。

 こうゆう時こそ、秩序の担い手である僧侶には期待している。

 
by japanheart | 2008-05-15 23:44 | 活動記録 | Comments(0)

サイクロン後ーその2

サイクロン後に思う

 サイクロン後、さまざまな情報が現地から入って来る。
なかなか被災の中心地へは届きにくいようだ。
現地の人たちも気の毒だと思うが、私は長く彼らと接してみて、彼らのタフさも十分承知しているので、日本人が台風や津波でやられた後の悲惨な心境とは少し違うと思う。

 しかし、病気や飢えは間違いなく彼らを襲うことになる。
世界中のミャンマー人が、それは在外の大使館員たちでさえ、皆本国の人たちを少しでも助けたいと思っていることは私にはよくわかる。
なぜなら、今の状況は政治的信条の食い違いで起こったことではないからだ。
皆、ミャンマー人なのだ。

このような援助を簡単には受けないだろうという状況は実は、はじめから私には予想できたことだった。今までのこの国の外交的なあり方は、隅々までそうであると思う。非常にプライドが高いといった外交官もいた。
国と国との関係や国連のような大きな組織と国との関係は、単に人道支援のレベルに話が止まらないのだと思う。長い時間をかけて、お互いにきづいてきた関係が、今回のようないざというときに大きな問題となって現れている。
本音と建前は確かにあるのだが。
私はこの国の成り立ちの中で、日本との関係性をよく理解しているので、本当に日本の政府には期待していたが、ここ数年で、関係がめちゃくちゃになった。
本当に日本という国の、外交には心を痛めている。

もし、日本に歴史的舵取りをする外交手腕があったなら、今頃日本の物資だけが現地に届き、日本の救援隊だけが多くのミャンマー人を救っていただろうことは、決して夢ではなかったであろう。
数年前、この国の指導者が言った、もう日本には期待しないという言葉が今頃、蘇るのだ。

嘆いていてもしょうがないので、私は動くことにしたのだ。
by japanheart | 2008-05-10 01:21 | 随想 | Comments(1)

サイクロン後

サイクロン後

 5月5日に医師を派遣しているが、いまだに連絡を取れないでいる。
他の関係者とは少しづつ、連絡が取れるようになってきている。
 現地では大変な状況が続いているようだ。

 今、日本で支援物資や義援金を募り、現地入りする準備を進めている。
数名の医師、看護師と現地に入る用意は整えつつある。
最大の災害地には軍隊の装甲車や航空機などがなければ到達できないようだ。


せめて医薬品や現在必要とされているものをいくらかでも届けよう。

現在、ミャンマーは人的な直接的援助は受け入れていない。
しかし、通常、物資などの寄付に関しては寛容な国で、それを受け入れることには躊躇なく受け入れる文化もある。

 私にとっては、あるいはミャンマーに関わる誰にとっても、大きなことはできないまでも、何かをすることが大切だと考えている。
 
 
 
by japanheart | 2008-05-08 09:37 | 活動記録 | Comments(1)

意識をつなぐ

意識をつなぐ

 意識をつなぎ続けるということは、意味あることだろうか?
 
 何年も前、治し切れずに見捨てざるを得なかった子供のことをいつも気にしていた。
ある時、その子を訪ね見つけ出し治療に踏みきり、命を助けることができたこともあった。

あくまで結果的にだが、 なぜ、そんなに上手くいったかを考えたとき、ひとつは私がその子供のことをいつも忘れなかったことがあるように思う。
その子のことに意識をつなぎ続けていたからだと思う。

 今回も、この帰国前、生まれつき肛門がない腸閉塞で生まれてきた子供がいる。
生まれて早期に、人工肛門を施され、2歳になって肛門造るために私の元にやってきた。手術は上手くいったが、術後の管理か悪かったために、傷口は開き、感染状態のままうちに帰す羽目になった。親を説得し、何とかこの彼らにとって大切な水祭りの期間も、日本人が残り治療を続けようとしたが、どうしてもこの期間を村で過ごすと、帰ることになった。
消毒の仕方を親に教え、泣く泣く家に帰した。

今その子はどうなっているのだろうか?
私は意識をつなぎ続けている。
先日来日した現地スタッフにも、現地に戻り次第村へ連絡をつけるように指示を出している。

今の私には距離は無関係に患者のことを考えるという習慣ができた。

意識をつなぎとめることが、将来子供たちに少しでも幸を呼ぶのであれば、そうすることが医療者の務めかもしれない。
by japanheart | 2008-05-05 00:20 | 子どものこと | Comments(1)