特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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運命というもの

運命というもの

人には運命というものがあるのだが、、、。

2年前、全身に腫瑠が無数にできた女の人が来た。
外国人の名前がついた病気で、いわゆる”エレファント・マン”で有名な遺伝の病気だ。

顔が変形し、体は大きなイボだらけ。まさに顔は変形し、象のようになっていた。
この人はどうしてこのような人生を背負わねばならないのか?と見ている人間が辛くなるほどだ。
顔を隠し、30年も生きてきた。それだけで辛い。
この土地では、学問をして見返してやるというような選択肢もなく、母と2人、つつましく生きてきた。

いつものように、顔の変形を治す手術に挑戦し、数ヵ月後、彼女の顔からいつもそれを覆い隠してきた布切れは取り去られた。

それからしばらくは今までの人生よりも少しだけ幸せそうに見えた。
彼女は明らかに明るくなった。

2年前のことだ。

その彼女が今回、立てなくなったといってやってきた。
足が痛い。手が腫れる。

私に何ができるだろうか?

彼女は乳がんだった。転移もしている。足が痛いのは、転移で骨が溶けているからだ。

実は、1年少し前、彼女が外来で胸にしこりがあることを私達に告げていた。
しかし、私は無視を決め込んだ。

その頃、そのしこりはもう十分大きかった。数センチはあった。
もし乳がんだったら、日本であらゆる治療をしても厳しい大きさだろう。
だから敢えて見逃した。
彼女にはお金はない。苦しい抗がん剤治療や胸を全部取るような手術をしても望みはあまりないのだ。

そのまま、自然に見送りたいと思った。


そして今、予定どうり私の前に彼女はいる。
私は何もできずに、痛み止めと笑顔を振りまくだけの状態だ。

私は神ではなく、その選択が正しかったか、そうでなかったか分からない。

ベッドサイドでその少しゆがんだ顔から時々私に見せる笑顔が、とても素敵で、私の心に突き刺さる。
by japanheart | 2008-03-31 02:27 | 病と人間 | Comments(2)

暑い季節

暑い季節

暑い季節がやってきた。

35度位あるかもしれない。
若い先生や看護師さんたちはそれでも元気そうで、見ていてうらやましいい。
相も変わらず昨日も就寝時間は午前4時だった。
これから10日間はこの生活が続く。
彼らと話していると、それでも自分はここで何かをやりきるという覚悟があり、立派だと思う。

彼らがここへ来た数ヶ月前、こんな人たちではなかった。
よくある日本人たちと変わらなかった。
ただ何かを得ようと一歩前へ出ただけの段階だった。

しかし今は違う。
立派な若者だと、誰もが言うほどに変わった。

今の日本人に足らないものは、道を示す指導者と自分を磨く環境かもしれない。
最近触れた中国の古書の言葉に
「窮すれば変じ、変ずればすなわち通ず」
というものがある。

人生もこのような環境が必要だということだ。
by japanheart | 2008-03-27 11:38 | 活動記録 | Comments(0)

締めくくり

締めくくり

今回、2007年度締めくくりのミッションが始まる。
向こうの水祭り前にほとんどの手術を終え、現地の患者をほとんど家に送り返してゆく。
彼らにとっては、この季節は、本当に大切な季節なのだ。

この期間に、私たちもスタッフを休ませる。
緊急救援でない長く現地に密着した形の私たちの医療は、現地の文化・風習・慣習などにあわせて動き、構成される。

これがまた、現地で働く日本人スタッフたちにも新鮮で喜びだと思う。

患者たちが、この季節に必死に病気を治し、家へ帰ろうと努力する。それをかなえるために外国人のスタッフが、一生懸命努力する。
それが日本式なやり方だと思う。
by japanheart | 2008-03-25 10:03 | 活動記録 | Comments(0)

過渡期

過渡期

 最近、特に自分自身が医者としての過渡期にあるように思う。
正確には、医者というアイデンティティーを脱ぎさって別の何かになろうとしている。

 人によっては、私自身が、一人の医者として、患者たちのために生涯やってもらいたいと期待している人たちも多いが、おそらくその形は少し無理かもしれない。
 人にはそれぞれに本分がある。
私の本分は、多分医者ではない。むしろ教育者に近い存在になると思う。
10代の頃、性懲りもなく、教師になろうとしていた。
なぜだか分らないが、それが自分の天職のような気がしていた。
しかし、気が付けば、医者になっていた。

医者になった頃、外科医になろうと思った。
しかし、小児科がどうしても足らなくなって、地域の人たちのためにやってくれないかと言われ、しばらく小児科でお世話になった。
海外で働くためには、産婦人科も出来て、分娩が安全に出来ないといけないと考え、寝る間も惜しんで東京の病院でしばらく産婦人科をやった。
一体自分は、何をやっていくべきか悩んだ時期もある。あいつは一体何かをやるつもりだと皆が思っていた。
はじめて2年間海外で働いた時、お腹が膨れてなくなってゆく子供たちを、何人も見てきた。
私は外国人で、子供の患者で、むこうの医者たちが見ている患者を私が救ってやるとは、とても言えなかった。その時の自分には無理だった。
それで、今度は手術が必要な子供たちを救える医者になりたいと思い、小児外科を学んだ。

今、全てが繋がった。
小児科も、外科も、産婦人科も。全て私の一部になり、今多くの子供たちを救うことが出来ている。

今私が若き日、なぜ教師になりたかったのかも少しづつ、霧が晴れてゆく。
そこに、確かに天職への道があったのだと、なんとなく感じている。
by japanheart | 2008-03-22 03:01 | 天職 | Comments(0)

流れ

流れ
 自分たちがやっている世界にも流れがある。

分りやすく大げさに例を挙げてしまえば、江戸時代開国の頃の日本。帝国主義の外国を追っ払らうことに命を賭けた人たちがいたが、ほとんど討ち死にした。生き残った人たちは、ほとんどイギリスやアメリカとうまくやってゆくと決め動いた人たちだった。
そこで考えてみた。果たして日本がまとまれば、外国を追っ払い、鎖国を再び決め込むことが出来たかどうか?
あるいは独自の独立を成し遂げることが出来たかどうか?

私の答えは、無理。
当時の西洋と日本の力の違いは何桁も違っていた。
当時日本が、植民地にされなかった主要な要素はいくつかあるが、西洋諸国のパワーバランスの中でそうなったように感じる。彼らは幾度も内政不干渉の条約を取り決めけん制しあっている。
開国、西洋化、イギリス・フランス・ロシア・アメリカの帝国主義が当時の大きな流れであったと思う。
そのうちどの国の流れに属するかという選択だった。日本独自の選択など、夢のまた夢だったと思う。
第二次世界大戦にしても、田中角栄のロッキードにしても、独自の選択をしようとした瞬間に、いつも葬られている。
それが現実だと思う。
その流れの中で許される日本独自の生きる道を、見つけていくという選択だけがある。

翻って、私たち国際協力の世界もそうだと思う。
この世界は、キリスト教の考えをベースに援助の意識、方法、形態がつくられやってきた。その際たるものが国連だと思う。
おそらく、私たち自身は独立自尊でやれば、ある程度の大きさになったところで、この世から消えてなくなる運命だと思う。消し去られるだろう。
国連を表立って批判した人は大抵、馬鹿のレッテルを貼られるだろう。
なぜなら、知らない間に日本人も含めて多くの人は、国連のやり方を基準に全てを考えている。
それを知らず知らずに受け入れている。
そのような大きな組織はいいことも悪いことも全て大きく併せ持っている。

そこは、大きな無駄と大きな欺瞞があるかもしれないが、それがこの世界の流れなのだ。
江戸末期の日本と同じ選択を私たちもまた迫られている。

大きな無駄と大きな欺瞞を抱えて国際協力をやってゆくしか選択肢はない。日本に開国しかなかったように。
それが嫌ならば誰にも気付かれない様な小さな規模で我慢するしかない。そして、自分が止めたら、後はこの世から消えてなくなる。
どこの組織も、少し大きくなれば無駄や欺瞞を抱える。

しかし私は思う。
それでも、その中で人間としての美しさを示してみたい。日本の素晴らしさを示してみたい。

それらの考えや大きな流れに心まで飲み込まれることは、断固拒否しようと思う。
by japanheart | 2008-03-20 23:46 | 医者の本音 | Comments(0)
飛騨高山ドギュメンタリー映画祭

 飛騨高山では開かれたドギュメンタリー映画祭で、江口さんという女性がジャパンハートを描いたドギュメンタリーがグランプリに輝きました。

  審査委員は映画監督の篠田正浩さんや写真家の大石芳野さんらが勤めた。
 
関連記事は
記事①

記事②

です。
by japanheart | 2008-03-12 18:13 | リンク集 | Comments(0)

成長する前に

成長する前に

 いよいよカンボジアのミッションが出た。
 調査に入っている。
皆さん特別な志を持って旅立っていった。
数人には出発前に会ったのだが、私はちょうどたぶんバンコクの空港で食べたものにやられて、完全に食中毒で大変だった。

 大変といえば、4月から僻地や離島への看護師の派遣がスタートする。
人選を含め、大変苦労している。
あれやこれやと希望をいう人もいるが、先方との兼ね合いもあるので、なかなか難しい。

これからは少しずつ、看護研修者を、厳しく審査してゆく方針だ。なぜかというと、今軽い気持ちとはいわないが、少しだけ経験してみたいという看護免許保持者も多くいて、この道で生きてゆく、あるいはこれにチャンスがあったら関わってゆきたいという人たちが、こちらが決めている現地へ受け入れ日程の関係で、日にちが埋まってしまってこれないことが多いからだ。
だからなるべく本気の人にがチャンスが失われることがないように、少しづつだが、審査してみたい。
あまり仰々しくなる必要はないが、あまり軽いのりでくると、本気で働いているスタッフがさらに大変になるようなので。
by japanheart | 2008-03-10 01:26 | 活動記録 | Comments(0)

ある少女の物語

ある少女の物語

前に書いた火傷の18歳少女のその後。
5歳で全身に火傷して、両腕と胴体が引っ付き、顔が半分溶けていた。
溶けた顔の奥に口があり、胴体に付いた片腕はかろうじてその口に通じる穴に届き、そこから13年間食物をとって生きながらえてきた。

この少女の手術をこの数ヶ月間、繰り返し行なってきた。
今回、ようやく顔の輪郭をはっきりさせる手術を行なうことができた。

若い医師たちや看護師たちが朝から何件も続く手術にもめげず、夜9時頃手術が始まった。
毎日このような調子で、疲労困憊しているはずの私たちのスタッフ。

手術が終わり、宿舎にもどったのは、明け方の4時を回っていた。

しかし誰もがその顔に微笑を浮かべ、満足げに見えた。幸せそうに見えた。
ミャンマー人スタッフも日本人スタッフも共に彼女の明るくなった未来を祝福していた。

どうか、この少女が明るく幸せに生きていけますように。今まで辛かった分、これからは良い事が雨あられのようにこの子に降ってきますように。
その少しのおこぼれが、この子の未来に関わった私のスタッフたちに当たりますように。

そう満天の星が輝く天を、仰いで呟いてみた。
by japanheart | 2008-03-05 02:25 | スタッフと想い | Comments(2)

今ある状況

今ある状況

現状を言えば、何人もの医師たちに最近はこちらでもお手伝いしてもらって、私の仕事はもっぱら見ているだけという状況になりつつある。
診療も治療もほとんど皆さんでこなしてもらっている。
時々、難しい手術や診断に借り出される程度で、緩やかな毎日になっている。
とはいうものの、私以外は毎日早朝から深夜まで睡眠時間を削りながらやってもらっている。

それを横で眺めながら、若い人たちはすごいなと言うことが私の日課になっている。

今のうちに、もう少し自分が出来ることをしてみようと今日ふと思っている。
まあ折角、日本の医師の免許を持っているのだから、日本でも少しくらい役に立とうかなと最近思うようになった。

長い間小児医療に関わった経験を生かして、小児科のいない離島や僻地に何箇所か年数回程度は行って、子供たちの検診や育児相談にのってみようかと思っている。
私も長い間ほとんど収入が無いので、交通費のみを負担してもらえれば、無料で出かけていこうかなと。


どうだろうか?

今年はネパールやカンボジアやラオスにも出かけなければならないから、忙しくなるのは承知だが、少しくらいはできると思う。
誰もやらないから、私がやろう。
by japanheart | 2008-03-04 02:22 | 活動記録 | Comments(0)