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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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限りなく

限りなく

思うようになかなかはかどらない。
私、個人の想いと他のスタッフたちの想いの間に程度の差が大きくある為だ。

日本で僻地医療のサポートをしたいと思っている。
日本や海外でガンで苦しむ人や家族たちのために少しでも力になりたいと思っている。

私の想いとは裏腹に少しずつ予定がずれ込んでゆく。

ある友人がこんなことを言っていた。
『私も先生も自分自身のこの活動以外のことは何もしていない。だから常に100%で臨む。しかし他の人たちはその程度が大きく落ちて、やればやるほどその差は開いてゆく。』

そうかもしれない。
しかし、それでは困る。本当にそれでいいのだろうか。
私たちのスタッフはこの仕事をライフワークとして、生涯、自分を高める為の道として決め、今そのために色々な分野に散っている。全てはこのためにしていることなのに、一番大切な事を、置き去りにしてそれを達成する為の手段習得に振り回されて、本筋を見失っていまいか。
星を見ないで航海しているようなものだ。やがて人生という大海原に取り残され沈没する。

私たちは自分だけのことを考えたり、見ていてはいけない。

常に自分と他人が、自分と社会が同時に潤うように生きようと決めたのではないか。
by japanheart | 2007-11-30 00:26 | 随想 | Comments(2)

今日の知らせ

今日の知らせ

今日ある知らせが届いた。
数ヶ月前お腹に腫瘍がある若い女性のコメントを書いた。
お父さんが先日ガンでなくなり、母親と二人取り残された。
父親の治療は、田舎で農業をしている親子にはとても大きく借金だけが残ったそうだ。

それからあまり時間もたっていないが、自分の体調の不良に気付く。

私のもとにやってきた。
お腹に大きな固まりは触れた。
検査した。そして開腹し組織を調べた。
ガンだった。

もう全てが手遅れのように思えた。
もちろん私の手元には抗がん剤もない。

日本から好意で頂いている抗がん作用のあるという薬を煎じて飲まし続けた。約3ヶ月。
進行は全く止まっていた。むしろやや縮小していた。

しかし、別れの時が来た。遠くの村で一人待つ年老いた母親をほっておけないといって、深々とお辞儀をして、うまれ故郷の村へ嬉しそうに帰っていった。

あれから数ヶ月。
今日、まだ20歳代だった彼女の死んだ知らせが届いた。
by japanheart | 2007-11-27 02:30 | 病と人間 | Comments(1)

毎日のこと

毎日のこと

自分より若い世代の人たちが、世界中どこでも行ってみたいという。
どんどん色々なものを見て、吸収してみたいという。
そういえば、私は全くそういう考えがないことに改めて気付く。
どこ行きたいのかと聞かれれば、温泉としか出てこない。しょうがない日本人だと思う。

何故だろうかと今日、この異国で吉冨看護師と話をしながら考えていた。

最近、毎日の小さなことに幸せを感じることが多くなった。
空が青いとか、空気がいいとか、目の前の子供たちが幸せそうにしているとか、入院中のおばさんたちが楽しそうにおしゃべりをしているとか、、、、。
1年前に比べて明らかに私に増えた独り言は「私は何と幸せなんだ!」

何処に行かなくても、何かを演出しなくても、毎日の中に幸せを見つけることができるようになってきた。
by japanheart | 2007-11-26 01:44 | 医者の本音 | Comments(4)

医療と人生と

医療と人生と

 私は現地でも、いつも皆に自分の頭で考えて結論を出すことを強制している。
答えがないのは許容しないことにしている。
間違っても、答えを出せという。

 今までの研修修了者たちはおそらく、ある程度はそれが出来ていると思っていたと思う。
しかし、それができていなくて私が最近皆に説教をして廻る羽目になった。

私が望むことは、単に医療の場面で出来ればいいということではない。
医療の場面のみそれが出来たとして、一体その人たちの人生に如何ほどのメリットがあるだろう。
その能力が、医療を通じて自分の人生そのものにまで落ちてこなければ意味がない。
自らの人生を自らの意思と理性で生きることが出来なければ、むなしいではないか。

人生の様々な場面で、目の前の押し寄せる事柄を、ひとつづつ、選び取る。正しいかどうかは判りはしない。しかし選ばなかった選択肢と、それから派生するであろう全ての出来事は未来永劫、この世から消え去る。もともと存在しなかった選択肢として。
分るだろうか?
どのような答えを出そうとも、人生には始めからそれしか答えがなかったのだ。

問題は、選ばないでいる人間なのだ。先延ばしにする人間なのだ。選ばなければ全ての可能性は消去される。何も始まらない。正しいかどうかも分らない。
   ゼロ。
だから間違ったと思っても選ばなければならない。

私は現地でしているのは、この訓練なのだ。医療に留まらせるつもりはない。
人生を可能性に満ちたものに変えてもらいたい。
可能性をつぶしていたのは環境だけではなく、自分自身なのだということに気付いて欲しい。

そうして初めて医療と人生はリンクする。
by japanheart | 2007-11-22 10:20 | 基本 | Comments(1)

気付き

気付き
 おそらく私の元を訪れる人たちだけでなく、多くの人たちは、医療関係者ならなおさら、多分海外で医療をするということを考えたり志して現地を訪れるまでは人の命を救うということばかりに目がいっているに違いない。
 だから海外医療というと、緊急救援をすぐに想像してしまうのだろう。
同じようなメンタリティーが日本で科を選ぶ時にもあって、若い医者や看護師は救急医療に憧れる。
人の命に関われる、人の命を直接作用できる場所で働きたいと思う。

 私はどうだろうか?
 答えはいつもシンプルで申し訳ないが、「どっちでもいい」と思っている。
別に命に関わる医療でなくてもいいと思っている。
それは現地で活動する中で、単に生死という次元を超えて、人の人生の質に対して貢献することに喜びを覚えている。人の人生の質を上げることは、すなわち自らの人生の質を上げることに他ならないと気付いている。あとは質の中身の問題になる。より高い質を目指す。




 
by japanheart | 2007-11-20 23:18 | 基本 | Comments(0)

自己相対化

自己相対化

 時に人は自己相対化する必要があると思う。狭い世界感や目の前の世界だけに追われ続けると疲れてくる。
 最近、九州へ行ったときに1日、時間が取れたので海の見える海岸でゆっくり半日過ごした。空は青く、海は美しかった。
 こんな世界が自分の周りには広がっているという事実を体感した時に、自分は幸せだと感じる。そして小さなことに拘る無意味さを感じる。
そんな時間を皆少しでも持つべきだと思う。
 多くに医者たちは、毎日少しでも多くの患者を診るとか、少しでも有名な医者になるとか、多くの手術を経験するとか、そんなことばかりの人生を送っている。
本当に数十年の人生で、もったいないことだと思う。

そういえば10代の浪人生の頃、成績も悪く、受験が近づくにつれ追い込まれていった時にも同じようなことがあったことを思い出す。
 それはある記事だった。
 昔の中国の修行僧の話。どうしても悟りを得たいと苦しむ若き禅僧に高僧が言い放った一言。
 「お前が悟ろうが悟るまいが、世の中の人の苦しみは変わりはしない。自分の事で悩む暇があれば、町へ降りて苦しむ人々に手を差し伸べなさい。」
 それを聞いて「はぁ!」とする若き禅僧とその頃の私。
自分、自分、自分、、、。
世界はこんなに広く、こんなに美しい世界が広がっているのに。
 もう自分のためだけに悩むのは止めようと、思った10代の私。

 自己相対化は、常に私が心がける大切な習慣になった。
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by japanheart | 2007-11-15 00:43 | 基本 | Comments(1)

はかどらない人たち

はかどらない人たち

 今現地には日本人が数人働いているが、はじめの頃はなかなか思うように働いてはくれない。
基本的には私は日本での医療経験はそれほど重要視してはいない。経験が少なくてもいいと考えている。
むしろ過去の経験に固執している人ほど、新しいことや環境を受け入れることに抵抗する。抵抗すれば自ずと習得は遅れる。
習得が遅れれば、現地の患者たちに迷惑がかかる。ということに気付かない。

数年前までは1年くらい彼らの成長をゆっくり見守れたが、最近ではその半分くらいになってしまった。派遣希望者が多くなり、とても受け入れきれないからだ。

何とか短い期間でも成果を挙げたいが、こちらの焦る気持ちと裏腹に、過去に固執する人たちによって思うようにカリキュラムが進まない。

 こんな異国まで来て、かけがえのない時間とお金まで使い、どうして心から学ぶつもりになっていないのかが私には理解できない。

 成果が上がらない人たちは、自業自得だ、と思う。
by japanheart | 2007-11-14 23:56 | スタッフと想い | Comments(0)
子どもを救うということ-2

20歳代の女性で、腎不全、尿毒症の状態が続き、あとこのままでは余命いくばくもない患者が来た話の続き。

 大きな手術を出来ないことから、とにかく腎不全を改善する必要があった。
腰椎麻酔のみで、側腹部を少しメスで空け左右の腎臓を突っ切って腎盂という尿管にチューブを留置して、しばらくおしっこがここから出てくるようにした。
約1月間、ののままその状態を続けた。
 おしっこが正常に出だしたことで、腎機能は少しづつ改善し、正常に近づいた。

 そしてお腹を開け、両方の完全に詰まった結石を取り除き、膀胱を開け尿管から膀胱を突っ切り皮膚へ貫けるチューブを挿入し、手術を終えた。
 それからさらに1月後、身体に入った5本のチューブは全て抜け、無事元気に退院していた。

 この女性には1歳くらいの子どもがいた。
家族は来た時おそらく多分長くは持たないだろうと思っていたと思う。それほどひどい状態だった。
 この女性の子どもは、いつも病院に一緒にいて、親の状況は知る由もなく無邪気に遊んでいた。
時々、女性のベッドの下にこの子がいた。何やら物を持って遊んででいるようだった。
 看護師さんたちにも愛想がいいためかとても可愛がられていた。

 母親を失った子供は寂しい。ここの人たちも、麻酔の切れるころに殆どの人は、大人も子どもも「アメー、アメー(お母さん、お母さん)」無意識に叫んでいる。

 この子はこれからもこの母親と共に、ずっと生きていけると思う。
 この子がもうすぐ物心つく。母親の記憶をしっかりと持って生きていける。
by japanheart | 2007-11-12 01:11 | 子どものこと | Comments(0)

講演会のお知らせ

講演会のお知らせ

 再び講演会のお知らせです。


  11月17日(土) 聖マリアンナ医科大学
      14:00~16:00 

  11月21日(水) 東京外国語大学
      15:00~17:00

  です。
ジャパンハート、看護団のスタッフたちが参加します。
 
by japanheart | 2007-11-10 17:50 | 講演会 | Comments(0)
子どもを救うということ-1

 私は今までこのブログのタイトルのごとく、子供を救うとは、すなわち病気の子供たちを治療で助けていくことだと思っていた。

 しかし、今回ある患者の治療をきっかけにこういう子供の助け方もあるのだということを悟ったので、ぜひ皆さんと共有したい。

 あるときお腹の腫れ上がった20歳代の女性が歩けないくらい苦しんで私たちの元にやってきた。お腹には大きな腫瘍があり、全身状態は殆ど末期的状況がもう目の前だった。
 超音波やレントゲン検査の結果、大きな尿管結石が両方ともの尿管を塞ぎ、ひどい水腎症で、尿毒症を呈していた。慢性腎不全になっていた。
 確信を得るために大きな町の病院で、CT検査を受けさせる必要があったが、患者は貧しさゆえそれが出来なかった。
そこで私は、大村先生・神白先生・福田先生そして看護師さんたちに声をかけ、みんなからお金を集めそれでCTを撮らせた。皆、患者のために快くお金を出してくれた。

手術をする体力はおそらく残っておらず、何とか腎不全の状況を改善するしかなかった。
今手術をするとおそらく術後、死んでしまうように思えた。
by japanheart | 2007-11-08 00:45 | 子どものこと | Comments(0)