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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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講演会-1

講演会
そういえば、来月12月16日に中央大学にて講演会をすることになっている。

12月16日(土曜日)多摩モノレール 中央大学明星大学駅 を降りてすぐ。
午後14時から。

一般に開放された講演会は時々しかしないので、興味のある人は聞きに来てもらえればありがたいと思っているのだが、、、。

しかし今回は話すのは40から50分程度で少し短い。
学生たちの要望もあるので。
しかもこれとこれを中心に話をということだから、なかなかね。

あとは、写真展も同時にすることになっている。

ぜひ、この男は本物か偽者か、化けの皮を剥しに来てもらいたい。
by japanheart | 2006-11-25 01:00 | 活動記録 | Comments(6)

静かに

静かに

 今サガインでは看護師2人が残り、術後の患者の管理をし、良くなった人たちを送り出しています。
 現在、一月100件を超える手術とそれ以外の患者を併せた月にして数百人が入院加療する。一旦治療を中止して、私が日本へ帰国をしている。約3週間後の今ほとんどの患者が退院している。
ここでは患者たちのほとんどの対応を看護師が行っている。
そういう形の医療を私は目指している。
治療のみが完全に医師の役割と限定し、それ以外は医師も看護師もなく共有している。
途上国での医療はこういう形の役割分担が良いと今は思っている。

わずかな患者のために、自分を、自分の時間を使ってみるという形の医療も、またひとつの国際医療の形だと思う。
by japanheart | 2006-11-23 23:02 | 活動記録 | Comments(0)

宣告ーその3

宣告ーその3

もうひとつ最近の経験を語りたい。
患者は20歳代の男性、その妻は25歳くらいかもしれない。子供も2人いる。
遠く離れたカチン州のある町から丸2日間汽車を乗り継いで、この家族は私の元にやってきた。
数ヶ月前からお腹がはれるということで、近くの病院や医者にかかってきていた。
十二指腸の潰瘍や腸の癒着、はたまた肝臓に傷があるなどといわれていた。

お腹に固い塊が触れる。
超音波を当ててみた。
大きな腫瘍、というより肝臓の全てが腫瘍に置き換わっているようだった。
私の診断が間違っていなければ、肝がんの末期。
おそらく、もうどのような治療も効果はないだろう。
体もすでに痩せ細っている。
もう1月か、もって2月の命かもしれない。

ミャンマー人のスタッフと相談し、妻にそのように告げねばならなかった。
そのほうがどう考えても、いいと私も思った。
そのことを告げたとき、彼の妻は天を仰いだ。
涙だけが音もなく流れていく。


おそらくどの医者も、ほとんど最初から肝がんだと思っていたに違いない。
でも誰も告げなかった。なぜだか分からない。

家族は私の元で治ると信じていた、と思う。
少なくともがんではないと思っていたはずだからだ。
そして、家さえ売り払って、ここまで治療を求めてきたのだ。

私にはどうすることもできない。
早く、せめて家族に死の前のわずかな準備時間を造ってあげたいと思った。
しかし、それが正しいかどうかは、全く分からない。
最期まで、治療を求めて借金をしながらでも、国中をわずかな希望をもって動いていた方が、家族は幸せだったのかもしれない。

いつも思う。
私は一体、何様なのだ?
by japanheart | 2006-11-17 23:22 | 病と人間 | Comments(0)

宣告ーその2

宣告ーその2
いくつか最近私が遭遇した経験を語ってみたい。

あるこちらの看護師が自分の故郷に帰ったとき、いとこの若い女性を診て欲しいと何時間もかけて連れてきた。
お腹の辺りに固まりがあるらしい。
触ってみると確かに固いしこりを触れる。数ヶ月前からあるらしい。
超音波をしてみた。
お腹の中のリンパ節がいくつも大きく腫れていた。
おそらく悪性のリンパ腫か何かの腫瘍のリンパ節転移ではないかと判断し、大きな病院で検査をしてもらった方がいいと、大都市の病院を紹介した。
なぜか数日後、そこで簡単な検査だけ受けて帰ってきた。
私は少し複雑な気持ちになった。ここではどうせ治療もろくにできないのに。

私が彼女に病気のことを少し話し始めたときに、その女性が語り始めた。
その内容は、

最近父親が病気で亡くなったこと。
その治療のため、沢山の借金ができたこと。
家族は亡くなった父親と自分と母親しかいないこと。

彼女は泣き笑いをしながら、こう言った。
「本当に、うちの家族は運が悪いことに、父親の次は私が病気になってしまいました。もうお金もないし、母親も可愛そうです。たった一人で村で私の帰りを待っています。」

そう言われても、私には何もないのだ。何もないくせにこう言ったのだ。
私ができるだけのことをしますから、また12月に母親と一緒に入院の準備をしてこちらに来てください。

先日、アマゾンに蘇生する木の樹皮の一部からとった抗がん作用のある薬を手に入れていた。
アメリカでは抗がん剤として認可を受けているらしい。
この薬はたいへん高価な飲み薬だが、無料で分けてもらっている。
私は西洋医学の医者だが、何でも使う。目的ははっきりしている。患者を治すということ。
日本では、患者を治すこともできずにいるのに、民間療法や代替療法を拒否する医者もいるが、私は何でもいいと思っている。第一、私たちは世の中の全てを知っているわけではない。

今回もこの若い患者はわらをもつかむことだろう。
ならば一緒につかもう。
こういう医療もある。
by japanheart | 2006-11-09 23:22 | 病と人間 | Comments(1)

宣告ーその1

宣告すること

 この国では通常、昔の日本のように本人にはガンの宣告はしない。
ただ家族は、知っているから、それを死ぬまで決して本人には知らせないように努めている。
だからガンの患者がこの病院にやって来ても、すぐに帰すことはしない。
しないというより、家族が患者本人に悟られないようにして欲しいと懇願し、3日ほど入院し、なにがしかの治療をしてから、またないがしかの薬をもって帰っていく。
そのほとんどはおそらく1月以内に亡くなっていると思う。
多くの患者が最後の希望として外国人の私のところへ治療を求めてやってくる。
しかし、私には何もない。何も出来ない。この国の医者達の方が抗がん剤やなんかをよほど持っている。
だから、何も出来ずにただ淡々と語って無理だという。
 患者やその家族の顔は、いつも悲しい。
私は何回、人に悲しみを与えてきただろうか?
最後の希望が絶たれたとき、人はどのような気持ちになるのだろう。
私のように、もし、その希望が自分で、その自分はその力がないと良く分っていて、さらにその自分が、死の宣告をしなければならないとしたら、多くの人はどうするだろうか。
いつも、ごく当たり前に繰り返されていく、この現実を私は、何年もの間、ただ淡々と生きている。
by japanheart | 2006-11-04 02:01 | 病と人間 | Comments(0)

休憩の時期来る

休憩
11月ここサガインは、病院の改修工事に入る。
11月5日で治療を一旦停止。
12月上旬、1週ほど再開、下旬に本格的に活動を再開する予定。

毎日、忙しく過ごしてきたからここらあたりで少し休憩。
私にとってこの活動は生涯続くものだから、あまり焦っても仕方ない、とわかっている。
しばしご無沙汰している、友人や知人にも会いに行こうと思う。
家族ともしばしの時間を楽しむ事にしている。

  終わりなき海にこぎ出でて
        しばしの夢 波枕に潮の香楽しむ

by japanheart | 2006-11-02 01:23 | 活動記録 | Comments(0)