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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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子供のいのちの重さーその2
手術用ベッドに静かに寝かされた12歳の少女は、痛みに耐えながら上を向いていました。
ゆっくり腰から麻酔薬が注入され、その後、血管麻酔薬が打たれました。
大変な手術になりました。
5時間を超えた手術の末、ようやくこの少女の運命が死から生へその舵を切り返しました。
大きな石が総胆管を圧迫し、胆嚢も閉鎖していました。
生まれつきこの肝臓からでている管が、すい臓から出ている管も合わせて異常であり、それに貧血を起こす病気も抱えているようです。

この管も激しい炎症が起こったために癒着が激しくなかなか大変な手術でした。
途中2時間を過ぎた辺りで、腰から打った麻酔が切れ、ガス麻酔に切り替えました。これはつい数日前、東大阪中央ロータリ-クラブが寄贈してくれたものでした。
本来、このような手術は呼吸をはじめ筋肉の動きを止めてやるべきものですが、私たちは人手の関係でそれが出来ないのではじめから腰からの麻酔を選択していました。しかし、手術が予想以上に困難だったために仕方なくガス麻酔を使い、呼吸は止めずに意識と痛みのみをとるという方法で手術を続けました。

総胆管という肝臓からの管を切り開き、続いて十二指腸を切り開き、最後に胃に穴を開け、内側からお腹の壁に縫いつけました。肝臓から十二指腸、そして胃へと細いチューブを通して、お腹の外に胆汁という消化液を導いています。

今、手術後4日目、この少女は元気です。
今更ながら、一人の人間の命を助けるという作業は大変なものだと感じています。
by japanheart | 2006-02-25 23:03 | 子どものこと | Comments(0)

子どもの命

子どもの命ーその重さ

日本にいる若い世代の人たちには、きっとこう信じて疑わないことだろう。
人の命は平等だ
しかし、私は断言する。

そんなことはありえない。

人の命は神仏の前では、平等ではあっても、我々人間の世界では平等に扱われることは困難なのだ。

今日今から、肝臓の下の胆汁が流れる総胆管というところに大きな結石が詰まって苦しんでいる12歳子供の手術をします。毎日、激痛に耐えています。
このままほっておけば、膵炎や感染を起こして、或いは肝硬変で亡くなります。

私たちには人手が不足しており、或いは医療機器の不十分さも手伝い大きな麻酔を必要とする手術が難しい状況にあります。

私は無理して手術は出来ないこともないが、やはり十分な設備を持ったところでやったほうがいいと考え悩んだ末、このこの両親にそのようにしてはどうかと伝えました。
しかし、そのためには最低でも日本円で3万円の費用が要ります。恐らく5万円や7万円はかかるのだろうと思います。それがはっきり分かっているからこの子も両親も私のところにたずねてきたのだということです。
ここに来る多くの人たちが、そうであることを今更ながら、改めてそうなのだと思い知らされます。
そんなお金はこの家族にはどこをどう叩いても出せないのです。このまま座して死を待つか、私たちに運命を預けるかどちらかなのです。

私は両親に次のようにいいました。
「ここで手術をすれば命のリスクは高くなりますよ」
両親はこう答えました。
「ダメならば、、、、、、諦めるしかない。助かるように頑張ってください」

無いものを数え上げればキリがなし、あるものを数えてみれば片手に余る
私のいつもの口癖です。

 
再び天命が私に下ったのでしょう。

    静かなる河ものほとり 見上げたる 
              異国の山間に 昇る日ノ本


        今から行ってきます。
by japanheart | 2006-02-22 12:52 | いのちの重み | Comments(0)

婦人科の手術

産科婦人科の扱い
私が今いる、病院はこの国の有名な僧が建てたもので、仏教系(ミャンマー人は殆どが仏教徒なので問題ないのです)慈善病院ですが、ここを使わせてもらって診療や治療をしています。大人も子供も問題なく治療できるのですが、女性の病気は、分娩も含め、基本的には禁止になっています。それが仏教病院の方針だということで我々も従っています。時にどうしても手術が必要な緊急事態や、お金がどうしてもなくほかの病院で治療を受けることが出来ないケースだけ、特別に申請して許可をもらい治療を行っています。2日前は子宮外妊娠で1000cc位出血をしていた女性を緊急手術し、今日も大きな30cm(通常は7cm)の巨大子宮筋腫の手術を行いました。
なかなか外国で国際医療をするといっても国が違えば、宗教も歴史も環境も全て違うので大変難しいこともあります。
by japanheart | 2006-02-21 00:08 | 活動記録 | Comments(0)

最近結構忙しい

最近結構忙しい

『今日はご飯は食べません。もう寝ます。』と
昨日、国際医療ボランティア医師の高橋先生は、夜ご飯を食べずに寝てしまいました。いつもご飯を楽しみにしているはずですが。
昨日、看護婦さんたちも含め、スタッフみなが食卓に着いたのは夜の1時過ぎ、皆朝5時過ぎから働き詰めて疲れています。最近連日忙しい日々が続いており、夜は大抵就眠が1時から2時過ぎになっています。毎日2から4時間くらいの睡眠でやっているようです。やっているようというのは、私はもっと寝ています。彼らにある程度は任せつつやっていますので、私の役目は、彼らを間違いがないように監督する、要はチェック役みたいなものです。
 みんながしんどそうにしていればしているだけ、私はいい事をしているなと、一人ほくそえんでいます。
一生にうち一回や二回位このような時間があってもいいだろうと、思っているのです。
この状態が少なくとも来週の終わり、私が日本に一時帰国するまで続きそうです。人というのは勝手なもので少し暇になると、もっと忙しいほうがいい、といっていたのに、本当に忙しくなると、疲れた顔をする。望みどうりこんなに忙しくなったのだから、さぞかし嬉しげな顔をしてくれると思っていたのに。
だからこれからももう少し、皆を喜ばすため、しばらく朝から朝まで働いてもらおうと思います。
by japanheart | 2006-02-18 15:57 | 活動記録 | Comments(1)
上手くいくことばかりじゃない
国際医療ボランティアジャパンハートとしての活動をする中で、患者を治療したり、手術をしたり。
どの人もよくなって帰って行ってほしい、と患者やその家族と接するたびに思うのが医療従事者の性のような気がします。
この15歳の少年は巨大な膀胱結石を手術し、そのあとおしっこの管が尿の沈殿物で閉鎖し膀胱の縫合が離開し、尿が漏れてしまいました。そのため再手術を施しましたが、再び離開。それを重ねること5回目、現在また手術後の経過を見ています。
私自身も何度も多くの膀胱の手術をしてきましたが、このようなことは経験したこともなく、なぜそうなってしまうのか理由を見つけ出せずにいます。
確かにこの少年の膀胱は普通の膀胱と少し違い厚く小さめで、粘膜も筋肉から擦り剥けるように最初の手術のときから剥がれてしまうような感じでした。
その後は手術の時には却って厚い筋肉の層にひっつき、少しも伸びないような感じでした。それは今まで私が手術してきたそれとは明らかに感じの違うものであるという感じは後から考えるとします。とはいうもののかつてはもっと厚く小さな膀胱を手術してきたこともあり、なかなかうなずけることは出来にくい状況です。
今は祈るような気持ちで手術の結果を見守っています。
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by japanheart | 2006-02-14 00:31 | 活動記録 | Comments(0)

出来ないことについて

出来ないことについて
誰にでも苦手なこと、出来ないことがあります。
私は何かなと考えると、やっぱり語学かなと最近よく思います。
もう10年以上この国に関わっているのに、ミャンマー語が本当に出来ないのです。
後から来た看護婦さんたちは例外なく私を抜き、彼らに途中から通訳してもらったりしたいます。言葉はセンスなのか?と考えていたとき、ふとあることを思いました。
いつも私は自分で、英語やミャンマー語がうまくないことを恥ずかしいと思っていました。しかし、できる出来ないは程度の差、それを恥ずかしいと思うのではなく、私が恥ずかしいと思わなくてはならないのは、英語を、ミャンマー語をうまく操れないことではなく、うまくないくせに、うまくなるための努力をしていないことだと気づきました。
それ以後、40を超えた今から、英語やミャンマー語を少しづつ、昨日より今日は少し、今日より明日は少し、と努力して行こうと決心してやっています。

どうせどこまで行っても終わりなき山なら、ゆっくり楽しみながら一歩、一歩を上っていこう、それがなぜか最近の私の考えです。
by japanheart | 2006-02-11 03:34 | 随想 | Comments(2)

多くの疑問

途上国で働く?ー多くの疑問
ここには多くの訪問者があります。
日本の僧侶や学生、社会人、シニアの方々などなど。
若い世代の人たちからは、よく質問されることがあります。共に過ごすうちに
「自分はどんなことが出来るのでしょう?」と聞かれます。まだ何をしたいかがよく分かりません、と。そして私は彼らと話します。

しかし少なくとも十代の頃の私は人のために働きたいとは思っていました。でも何をどうしたらいいのかがよく分かりませんでした。そして十代の終わり頃、そのために医師になると決めました。何をしたいかは少なくともはっきりしていました。人のために生きたいと思っていました。


この質問に答える前に、彼らの多くは世界を見てみたい、視野を広げたいといってここを訪れます。
私はその言葉を聴いたときに必ず次のように自分の心の中で言っています。
「ならば自分ひとりでやればいい。ここに来て忙しいスタッフの手をさらに煩わすのは、私にとっては辛いことです。」

いつも考えてもらいたいことがあります。
なぜ、自分の視野を広げたいのか。なぜ、多くの世界を見てみる必要があるのか。ということです。自分のためならば、誰にも迷惑をかけずにやればいい。静かに色々なとこを廻り、見てみたらいい。お金を払い、旅行会社にでも頼み、ボランティアを経験させてもらえばいい。
でもここでやる必要があり、なぜ私たちがその機会を設けているかを考えてもらいたいと思います。
それを超えたらはじめて「自分はどんなことが出来るのでしょう?」というにたどり着きます。
しかし誰のためにか?自分のためにか?他人のためにか?
それが大切でしょう。他人に迷惑をかけつつ、自分が成長しているなら、世の中にお返しをしてもらわないと困ります。
自分の豊かさが自分からこぼれて他人を潤してもらわないと。

十代の終わりには私は少なくとも今の私に会っていたら次のように質問したことでしょう。
「私は世の中の困っている人や途上国の子供たちのために何が出来るのでしょう?」

そして今の私はこう答えるはずです。
「心を込めて、そして本気でするなら、あなたがしたいと思うことは何でもすればいい。」
「私はあなたを応援します。」
by japanheart | 2006-02-08 16:52 | 医者の本音 | Comments(5)

講演会

講演会
先日、マンダレーという町のホテルで講演会をしました。浄土宗の僧侶の方々とその檀家の方が丁度、その町に立ち寄られるというので、以前から知見を得させていただいている方々の計らいで講演となりました。
私よりそのほとんどの方々が年長であり、なかなか話す内容も考えねばならないのですが、
いつも私が話すことは、私の頭にあるものではなくて、多分その中の誰も経験してはいないだろうという実体験から得た教訓であり、知見であり、悟りです。
私はかねてより自分の経験は何よりも尊いと思っています。ですから同時に他人の経験も最大限に尊重すべしとも思っています。
人間、一生、そんなに多くは経験できませんがそれでも私の話でも聞いてみようかと言う方々が日本にも多くいらっしゃるのはいつもありがたいことだと思っています。
今度は3月に少し帰国し日本で2回ほど講演会を行います。
by japanheart | 2006-02-04 22:21 | 活動記録 | Comments(0)
by japanheart | 2006-02-04 22:06 | リンク集