特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ:随想( 58 )

親父の形見

 いつも子どもたちに接していて思う。

『自分には何をこの子たちに残すことができるのだろうか?』と。

e0046467_11200966.jpg

この子たちの才能の在り処を見つけるのは、至難の業。

一体どうすれば、私の子どもとして生まれてきたことを将来誇りに思うのか?或いはそれほどのレベルでなくても、後悔しないでいてくれるのだろうか?

親の後姿を見せることは大切だと思う。

私も努めてそのようにしてきたのだが、果たしてそれで上手くいくのだろうか?


 私の父親は、私にとってはあまりよろしくないイメージの男だった。

e0046467_11505945.jpg

あの頃の男親というのは、ほとんど子どもの面倒を見ることはなかったし、週末にはいつも、昼間は競馬かパチンコ。夕方からは、部屋中をタバコの煙で満たしながら、ほぼ徹夜でマージャン。と何かにつけて、子どもにはまったく理解できない生活スタイルだった。

戦後、苦労を重ねようやく車関係の縫製業を営む祖父の仕事が上手く回り出し、若かった父親は20歳頃からいい時代を過ごしていたようだ。しかしそれもつかの間、オイルショックが日本を襲う。そこからは、車関係の零細・小工場は衰退の一途をたどることになる。近所のおばちゃんたちのたくさんの笑い声で満ちていた我が家は、いつしか誰の笑い声も聞くことがなくなり、私が高校の頃には、たった一人で仕事をしていた父親が廃業をして、家業は終了した。


こんな父親だったから、私はいつも反面教師にして間逆をいくようにしてきた。それはそれでよかったのかもしれない。だから成長したあとの私は、父親をまったく尊敬などしてもいなかった。

  

 父親は小さい頃から頭脳明晰で体力もあり、運動神経も抜群だった。

背はあまり高くはなかったが、高校の頃までは短距離走でも大阪の中ではトップクラスだったらしい。中学生当時、素足で走って113というタイムだったと言っていたが、どうだろうか?

幼い私がタンスの奥をほじくっていた時、父親の賞状がたくさん出てきたので、多分本当にそこそこなものだったのだと納得した記憶がある。

子どもの頃のこの父親の姿と、私が知っている姿にあまりにもギャップがあり、同じ人間だとは思えないほどであった。

どうしてこのようなギャップになってしまったのだろうか?


父親は子どもの頃に終戦を迎える。

戦争に日本が負けて大変な思いをして何とか生きていくが、家庭はまだ貧しく、アルバイトもするが、どうしても学費が払えないので大学進学を断念したようだ。

高校を卒業して地方の銀行員になるが、高卒では昇進も厳しかったのもあってか、家業の縫製業を継ぐことになる。当時はそれが常識だった。

それから間もなく、オイルショック。そこからは坂を転がるように、一度も上向きに転じることはなく、40歳代後半で廃業に至る。

e0046467_11561743.jpg

その後いくつかの職を経て、最後の仕事は、大きなスーパーのガードマンだった。

廃業してからの父親の姿はさらにひどくなり、ギャンブルで借金しまくり、アルコール依存も加わって目も当てられなかった。 


私にはどうしても不可解なことがあった。

どうして私よりはるかに才能に恵まれ優秀だった父親が、会社を失くし、最後にはスーパーのガードマンで終わらなければならなかったのか?

大きな社会の時代の波をかぶって、彼の運命はその波の中に飲み込まれていったとしか言いようがなかった。

しかし、もっと何とかできなかったのだろうか?

もっと上手く時代を乗り切ることができなかったのだろうか?


 私が40歳を過ぎたある日、この父親の人生が私の中で走馬灯のようにつながって意味を語りはじめた。

そしてどうして父親の人生が、あんな風にならざるを得なかったのか?その理由をはっきりと私に教えてくれた。

私が父親から受け取った最大のものは、この命、そして彼が一生をかけて私に悟らせたそのメッセージだった。


 うちの小学生の長男は、口では受験をしたいと言うが、日々ダラダラして一向にやる気にならないらしい。

「毎日、面白くないのか?」

長男曰く、まったく面白くないと言う。

「なぜ?なぜ面白くないのだと思う?」

と聞いてみる。

理由はわからないらしい。ただ、つまらないという。


だから私はこう答えた。

「その理由は、人間、その人の能力以下の時間を生きていると必ず、人生つまらなくなる。

「面白くなくなってエネルギーをもてあましはじめると、それを消費するために、多くはくだらない事をしはじめる。」

「暇をもてあましたら、ゲームをしたり、テレビを見たりダラダラする。大人だとタバコを吸ったり、必要以上の物を食べたりするのも同じことだ。」


そして、

エネルギーを振り切るくらいのものを見つけ、日々生きなければいけない。

と言った。

それがなければ、目の前のことに今は全力を注いでみる。そこがスタート地点になる。

と話した。とにかくエネルギーを余らせるなというメッセージだ。


人間、その人の才能・能力に見合ったエネルギーの消費をしなければ、列車が脱線するように軌道を外れてしまう。

余ったエネルギーをうまく誘導し、建設的に使える人間はそう多くはないと思う。

ほとんどはその使い方を間違い、どんどん軌道を外れていく。

軌道を外れるとは、才能が廃れ、人生は開花しないということになる。


エネルギーをフルで消費している間は、あまり余計なことをする余裕もない。

野球の選手でも辞めた後に、或いは少し余裕が出て遊びを覚えた時などに、魔にはまり込んでいく。

このは、日本語ではに通じ、とは時間や空間のことだ。

上手く人生をいきたければ、をコントロールすることを覚えるしかない。

人間いつもフルスロットルでは走れないので、時々は休む時間、すなわちを持つ必要がある。

だからこのが上手くコントロールできれば、それがまた次のエネルギーに付加されていく。


 結局、父親の最大の失敗は、その才能と能力に見合った日常を送れなかった、送らなかったことにある。

その余ったエネルギーは、ギャンブルとアルコールに投下された。

そして人生の軌道はずれはじめ、ついに修正することなく生涯を終えてしまった。

はるかに私なんかより才能があったのに。


そんな人間はたくさんいると思う。

自分の毎日を面白く充実したものにしたければ、そして、人生をそこそこ満足したものにしたければ、自分の才能を裏切らない人生を送るしかない。

もし、毎日がつまらないのならば、それは自分の才能・能力以下で生きてるということだと思う。


e0046467_17443979.jpg


を上手く使い、エネルギーを上手く誘導して、とにかく何でも一生懸命にやるしかない。

自分の才能に出会うまで、やめてもいいから、その時間、その期間は、縁のあった目の前の事柄に全力投球する。




by japanheart | 2017-08-24 17:46 | 随想 | Comments(0)

 ものごとの全体像をと捕らえて把握するという作業はなかなか厄介で、普通の人間はどうもこれが上手くいかず悩んでしまう。


e0046467_16545166.jpg


 先日、今年の暮れ頃から日本を出発し、海外の活動地や国内の離島に順次赴く看護師たちに話をしたときに彼らの挑戦や成果に対する不安、またそれぞれの現在の葛藤を聞いていて思ったことがある。

 

結論からいえば、悩みすぎ、考えすぎ、期待しすぎということだ。


e0046467_16572044.jpg


 何かに挑戦するときは、あまりに考えすぎると緊張し、硬くなる。これは肉体に限ったとこだけでなく人生にも当てはまる。考えすぎたり悩みすぎたりすると、現状という時間に人生が張り付いてしまい、動けなくなってしまう。

何事も経験が大事だというけれど、このような時は経験がかえって足かせになってしまい、子どもの頃のように素直に前へ進めなくなってしまう。

何事も行なってみなければわからないのだから、行なってみるしかない。

誰でも経験上、自分の頭で考えた予想とその結果は今までの人生でも大きく違っているのが常なのだから、悩みすぎは禁物で、時間の無駄だ。


 50歳を過ぎて思うのは、“何で私は未だにこんな位置に留まってしまっているのだろうか?”ということで、自分の人生に対してどうもしっくりきていない。

“もっと行けたんじゃないか?”と心がかしましい。

それでふと自分の人生を振り返ると、悩みすぎ、考えすぎた上に、だらだら過ごしすぎたと思い当たるばかりで、なんともやるせない気持ちになる。

だからせめて、ここから最後まで悩まずに、前へ前へ進もうと思っている。

神様が私の時間をまだ残してくれていたことに感謝するしかない。


 もう一つどうしても気になったことがある。

それは期待しすぎということだ。

結果的に期待以上ということはありえるのだが、私の経験上は、普通の日本人看護師が、一年や二年の時間投下で海外でも国内で通用するようなスーパーナースに生まれ変わることは難しい。

でも、できないわけではない。しかし二年では時間が足りない。

もちろん私の元で本気でやってもらえれば、20歳代と30歳代の看護師ならば五年でスーパーナースになると思う。


 私の言うところのスーパーナースとは、臨床能力が凄いということだけではなく、環境の変化や苛酷な状況下でも自己制御ができ、医師がいなくても患者の最低限の安全は確保し、必要があればその土地の行政や権威と折衝も交渉もできる、ということである。

さらに、なんといっても一番伝えるべきは、『医療は患者のためにある』という当たり前のこと(これをいつしか忘れてしまう医療者が多すぎるのが現実)と、常に一体化した医療人であるということだろう。


e0046467_17520373.jpg

 

そう考えると、私の残された時間で、このようなスーパーナースをいったい何人世に送り出せるのだろうか?


まあしかし、一年や二年でもしっかりやれば道筋が見えてくるとは思うのだが、後は自分でやらなければならない。人間、自分に甘いのでこれはなかなか大変だが。


 私が現地で厳しくやっていると「親にすらあまり怒られたことがない」という言葉を、いまどきの日本の若い世代からよく耳にする。

何でも褒めればいいという人もいるけれど、私はそうは思わない。

欠点や異常な癖の修正は、それらの指摘や注意から始めなければならないことは自明だ。


物を盗んだ子どもに、“君にはすごくいいところがある”という前に、“盗んではいけない”と注意することが当たり前のように。

 

 看護師という能力を本当に伸ばしたければ、どうしても欠点と癖の修正が必要になる。

それは看護師という職業が総合職であるという性質が強いからだ。だから、看護師の場合、人間力そのものを伸ばさなければならない。

ここが医師と違うところで、医師は長所の伸長に力点を置けばいいことが多い。それは医師は専門職という色彩が強いからだ。別に人格的に問題があっても、手術が上手い医者は結構いるということが現実なのだ。


 今の日本に少なくなってきたのは、怒ってくれる人かもしれない。

だからといって、よくスポーツで殴ったりするコーチもいるが、あれはどうかと思う。

殴って上手くなるかな??

基礎ができている選手たちには絶対に、欠点を責めるよりも長所を伸ばしたほうが効果的だと思うが。


怒って気づかせ、褒めて伸ばし、寄り添って支えるということができなければならないと思う。

そこではしっかりとした指導哲学や、方法論を自らに持っていなくてはならないと思う。


 日本の指導者で、学び続け、悩み続けて、考え続けている人は何パーセントくらいいるのだろう?


 私もこれからは指導が中心となっていくのだろうから、この辺をしっかり自覚していなければならないかもしれない。

 教えるほうも、学ぶほうも、人間やはり生涯勉強ということだろう。







by japanheart | 2017-07-24 18:11 | 随想 | Comments(0)

空白の時間

空白の時間


発酵と熟成は、成長においてとても大切な要素だということに気がつく。

これを上手くコントロールできれば、きっともっと発展的な成長ができるのではないか?

いつからか、このような法則が世の中にも働いているのではないのかと気がついていた。

それに気づいてもう30年ほど経つが、いまだに上手くコントロールできているとはいえないのだが。



私は子供の頃そこそこ足が速く、小学生の頃クラスでは一番だった。

父親は戦前生まれだったが、中学生の頃100メートル走で、大阪府での記録を持っていたと聞いたことがある。

そんな私の小学生の頃、大して徒競走が速くないが、まじめに陸上をやっている友達がいた。

その友達はある出来事を境に急激に足が速くなり、あっという間に私も抜き去り、学年で一番の俊足となった。


e0046467_18140590.jpg

また高校生の頃には、陸上部の短距離走で活躍しているクラスメイトがいた。

この友達も同じように、中学生の頃、ある出来事を境に急激に足が速くなったそうだ。


そのようなことを何度か知るにつけ、俊足だったという父親にそんな経験がないか聞いてみた。

すると同じような友人はいたと話してくれた。そしてその友人もある出来事を経験していた。

そのある出来事とは何であったか?


それは風邪で学校を休み、運動ができないという時間を数日持った経験だった。


中学生や高校生の頃、テスト期間を経て再び部活動に参加したときに、動きが大きく進歩した経験のある人は結構いるのではないだろうか?


ある科目をがんばって勉強しているにも関わらずなかなか成績が伸びなかったが、しばらく他の科目に集中してやりこみ、数日して再びその科目に取り組んでみたら、理解度が数日前と明らかに違い進歩した経験を持った人も、多分、たくさんいるはずだ。


テニスをはじめて、毎日練習してもなかなかサーブが形にならず、あるいは自分が打ち返したボールがなかなか相手のコートに返らなかったのに、ある日を境に、いきなり相手のコートにバンバンとボールが戻り始めたりすることがある。


感覚的には、次元が変わったという感じだ。

坂道を上がるように直線的に進歩したのではなく、ある時、段差のある2つの坂をぴょんと飛び越えた感じ。

これは、進歩というのではなく進化と呼ぶほうが適切な表現かもしれない。


自分の人生の、連続性のない次元の違う2点間を繋ぐために必要なのが”空白の時間”だと考えている。

この”空白の時間”に起こっている出来事が、発酵と熟成という変化だ。


米をつき、かき混ぜる。

私たちの日常でいう所のこれは、努力というやつだ。


e0046467_18152310.jpg


この後、発酵して自然の力すなわち、何らかの法則が働き、米はまったく次元の違う、お酒に姿を変えはじめる。

そして熟成をさせることでその深みが増していくのは、人生も同じかもしれない。

このほとんど何もしない発酵の時間に、その次元を変化させる秘密がある。

何がどうなってそういうことが起こっているかは、別に知らなくていい。

ただ、そういう時間を持つことが大切だということだ。

ただしどのくらいの長さの時間が適切かは、経験に頼るしかない。

そこは酒造りと同じで、トライ&エラーを繰り返して最適な解を求めるしかない


手術のような技術の習得も同じだと理解している。

毎日休まずにずっと手術をやり続けていたら、きっと進歩の角度は緩やかになる。

よって投入している労力に対して、結果は大きくないと思っている。

ところが、集中的にやりこんだ後に時々、”空白の時間”を作ってあげると、その間に次元上昇がおこり、技術は飛躍的に進歩するのではないか?


緊張と弛緩を、バランスの良い組み合わせとして持つ必要がある。


もちろん緊張はかなりの努力を必要とする。それは米をかき混ぜるのがかなりの重労働であるのと同じだ。

ここなくしてはお酒は生まれない。

しかし、良質のお酒を造れるかどうかはこの後にかかっている。

すなわち弛緩のあり方である。

特に私が重要だと感じるのは、弛緩の後半。


病気の期間でいうと、熱が出て寝込み、辛い期間(緊張期)を経てから、熱が下がり体が回復期に入り、体の中に力がみなぎりはじめたときではないだろうか?

ここで一気に、自分のその対象での経験が、その他すべての自分の過去のものと脳内で攪拌され、結合し、新しい価値を生み出していく。


自己の人生に関する限り、これは脳の機能によるものだというのが今の自分の仮説だけれども、世の中で起こる場合はどう呼ぶのだろうか?

しかし、そのような法則性はきっとあると思う。


弛緩の前半は、まだ攪拌だけが行われている段階だと思う。

本格的な結合はこの後半の時期に行われるのではないか。

ここで一気に成果を形作る必要がある。

そのためにはこの時期に、陸上の選手ならば、その動きをできる範囲で再現しはじめなければならない。

外科医ならば、手術書を開き、頭の中で手術のシュミレーションの繰り返しを集中的にやらねばならない。


視点を未来に向け一気に駆け上がる。


ところでそういういわゆる”空白の時間”を、人為的に意図的に自分の人生に投入できれば、人は何度もワープしたような成長ができるのではないだろうか?と考えている。


では、どのタイミングでその”空白の時間”を持つか?


e0046467_18164821.jpg


たとえば、手術ならばやりすぎて飽きはじめたとき。すなわち、気持ちやモチベーションが上手く回転してくれなくなったとき。

勉強ならば、やりすぎて頭が回転しなくなったとき。

もっと大きく、人生ならば、一生懸命生きているのに何をやっても上手くいかないと自覚があるとき。


こういうときはあえて一旦、”空白の時間”を入れてみるのだ。

その後、手術やりたいな~、とか

あの勉強に関する本を読みたくなってきた、とか

日々、じっとしていられなくなって何かをやり始めたい衝動に駆られたり、体を動かしたくなってきたり。

そういう、感覚になってきたら弛緩の後半に差しかかっている。だから一気に、その方向に加速していく。



上手くいくこともそうでないこともあるかもしれないが、一度、試してみる価値はあるでしょ?






by japanheart | 2017-06-22 14:25 | 随想 | Comments(1)

美しさを求めて

美しさを求めて



 美しいモナリザの絵が目の前にある。

 この美しさきものを何とか自分のものにして所有したいと思う。

 そしてあらゆる力をつかってとうとう、それを手に入れる。

 

 目の前に本当に出会ったことがないような美人がいてこの女性をあなたの伴侶にしたいと思う。

 そしてあなたはとうとうその女性を妻にできた。


 また、あなたは自分のまだ幼い子どもが笑っているのを見て、なんとも美しくそして愛らしくなんともいえないような幸せな気持ちになりこの瞬間をなんとか留め置きたくて写真のシャッターを何度も切って記録する。

e0046467_11503051.jpg


 それから30年後、、、、。


 モナリザは相変わらずあなたの前にあり永遠の微笑をたたえている。

 時々その絵を取り出してみては何度も美しいと呟くのだ。


 若かったこの世のものとも思えないようなあなたの妻も50歳を過ぎて、髪にはかなり白いものが混じり、しわも深く刻まれるようになった。

 あなたは思う。「私の妻はいまだに美しいが、私が出会った頃の妻は本当に美しかった。初めて出会ったあの日、この世のものとは思えないような息を呑むような美しさだったな、、。」と。

 


 まだ笑顔が本当に愛おしく幼かったわが子は既に30歳を過ぎ、今ではすっかりいい男になった。背も高く、ひげも濃いが、なかなかのハンサムな息子だと今でも自慢である。



 それからさらに20年後、、、。


 モナリザは相変わらずあなたの前にあり、相変わらず永遠の微笑をたたえている。

 少し視力が弱くなってきたが、その美しさは本当にすばらしいものだと今でも思う。


 美しかった妻は、すっかりいいおばあちゃんになってしまった。

 しわは深く刻まれ、それが彼女のいろいろな人生の経験を物語っているようだ。

 あの頃に戻れてもう一度だけあの頃の妻に出会えたらどれほど幸せだろうか。


 息子も今では立派になり、彼の息子、すなわちあなたの孫もそろそろ結婚を考えていると聞いている。


 それから10年後、、、、、。


 今では取り出してみる機会はめったになくなったがモナリザは相変わらず永遠の微笑をたたえている。その美しさは本当にすばらしいものだと今でも思う。

 この絵は私は死んだ後、どうなるのだろう?それだけが気がかりだ。

 そのことを思うといたたまれない気持ちになる。


 妻は1年前に死んでしまった。毎日妻の写真を眺めては幸せだった日々を振り返る。

 出会いの頃、彼女は本当に美しかった。彼女と出会えたことは私の人生で一番の幸せだった。


 まだ子どもだと思っていた息子も孫に囲まれここしばらく会っていない。時々、ここに

子どももや孫をつれてやってきてくれる。

 ひ孫を抱いたとき、息子の同じ頃をふと思い出し幸せな気持ちになる。


 そして、、、、、、それから数年後。


 さてそろそろ私も臨終が近づいているようだ。


 モナリザの絵は、あの世にもっていけないが今でもきっと美し微笑んでいるだろう。

 目を閉じればいつでもその微笑を思い出すことができる。

 


 妻よ。そろそろそちらへ私も行くときが来たようだ。

 目を閉じれば、君との思い出がよみがえってくる。

 君は本当に美しかった。今でもその美しさは永遠だ。君のその美しさははっきり思い出すことができる。


 息子よ、私はもうすぐ旅立つがしっかり生きて行ってくれ。

 お前があの幼き日に私に向けてくれたあの愛くるしいほどの姿が、その微笑が何度私を勇気づけてくれただろう。本当に感謝している。

 こうして死の際にあっても、この脳裏にしっかり思い出すよ。

 ありがとう。




   、、、、、、、、、、。



 万物流転。何一つとして留まることはない。刹那刹那に全てが変化して、同じものなどない。

 どんなに美しいものでも時と共に変化し、それは失われていく。

 人の苦しみは所有できないものを所有しようとしたときに生まれてくる。

 たとえどんなに美しい女性でも、本人ですら、それを生涯、持つことはできない。

 否、一瞬たりとも同じ美しさを持つことなどできない。

 どんなに愛くるしい存在でもやがてそれは無くなってしまう。

 本人が自覚もないうちに。

 若さも感動も、人生で本当に価値あるものは全て。


 私たちの存在は時間に制約される。


 やがて全てを手放さねばならないときが来る。

 はじめからもてないものをもとうとしないことだ。

 そこに苦しみが生まれる。


 モナリザの美しさを所有などできないのだ。

 モナリザの美しさなどという決まったものは本来どこにも存在しない。

 その絵から感じる美しさは、あなたのそれと私のそれとは全く違うものだ。



e0046467_11541829.jpg

 どんな美しさもきっと自分の中にある。

 あなたがモナリザに感じた美しさ、若き妻に感じた美しさ、わが子に感じた愛くるしさ、それらはあなただけの特別なもので、あなたの心と頭の中以外、どこにも存在しないものだ。

 それを感じる感性さえあれば、いつでもどこでも、あなたの中に蘇える。

 それが本当に所有しているということだと思う。

 だから、物理的に所有などする必要はないのだ。

 それをすれば苦しみが生まれる。


 モナリザを見たとき、なんと美しい!と思う。

 若き日の妻に出会ったとき、なんと美しい人だ!と思う。

 幼きわが息子があなたに向かって微笑んだとき、なんと美しく愛くるしい!と思う。


 そう感じた瞬間、あなたは既にその全てを、その全ての美しさを手に入れている。

 それが永遠の宝であり、誰にも奪えないものだ。



 もっと言えば、その美しさははじめからあなたの中にあったものだ。

 人は自分にないものには感応しない。

 外部の刺激であなたの中のその美が目覚めたに過ぎない。

 はじめからその美をもっていたのだ。

 だからそれを外部に求めて所有しようとしてはいけない。


 私たちの人生は外へではなく、自分の内へと深く入っていくとき真実が見える。


  

 




 

 


by japanheart | 2016-05-20 14:06 | 随想 | Comments(0)

現在の価値を知る

現在の価値を知る

医者になって二十数年が経ち、もうすぐ50歳になる。
思えば、研修医の頃が懐かしくなる。
早く一人前になりたくて、いつも焦っていた。
中身はともかく、長い時間働いていた気がする。いつもチャンスがあれば寝る機会を伺っていた。
働き出してふと見上げた空に星がたくさん輝いていた。空はもう肌寒い秋の空だった。働き出して6ヶ月も空を見ていないことにそのときはじめて気づいた。
30歳になれば少しはましな医者になると思っていた。なってみたら全くもって大した医者にはなっているとは思えなかった。
そして100万円を握り締めて軍事政権下のミャンマーに単身乗り込んだ。本当は軍事政権だとは知らなかった。
30歳の頃の私は十分な医療をミャンマーの人々に施すことは出来なかった。いつもすまない気持ちでいっぱいだった。
30台で小児外科を学び、NGOも創設した。40台で少しはましな医者になっているかと思えば、満足できるレベルには達していない。
今から思えば、上を目指して毎日、毎日、とにかく体力にものを言わせることが出来ていた研修医の頃が一番幸せだった気がする。
能力も技術もなかったが、希望だけはあった気がする。

うちの父親は74歳で亡くなり、祖父は73歳だった。
もう一度、医師になってからの時間をすごしたときに、私はもうこの世に存在していないかもしれない。
ついこの前、医者になった、研修医をしていたと感じるのに。

時間とは無常なものだ。

どんなに努力し、優れた技量や強さを身に着けても、その存在と共にこの世から消えてなくなってしまう。

毎日、毎日、惰性を貪っていた過去が悔しくて仕方ない。
今も、毎日、失敗しても良いから若かったあの頃のように、体力のその限界まで自分と向かい合ってみたい。
夢などなくてもいい。
人にはもしかしたら理解してもらえないかもしれない。それでもいいのだ。


きっと今やらなくては、未来の70歳の私が後悔する。

時間は私の人生そのものだ。
今もこの瞬間も磨り減って消えてゆく。

今、この瞬間は過去の自分が夢見て希望していた通りの私であるだろうか?
今、この瞬間を私はしっかり味わい、そして恍惚の中で生きているのだろうか?
さくらの散る美しさを私は十分感じたこの春だったろうか?
五月雨をこの身に受け、毛穴を開き、その地球のしぶきをわが身わが心で歓喜と共に受け止めることができたろうか?
夏の熱い太陽の日差しを受け、この身に吹き出す玉の汗を喜びをもって、送り出すことが出来ていただろうか?

未来の目標や希望は私たちに力を与え、生きてゆくエネルギーになるかもしれない。
でも、そんなことより、今、この瞬間を心から味わい感じ、辛ければ心から苦しみももがき、うれしければ心から喜び笑う。
それ以上の幸せなどない。

1000年後、この世に今の誰もなく、今みんなが不満を抱いていることもこの世になく、すべては宇宙の闇に帰る。

うちの父親が死んだとき、病室で10時間その亡骸と二人きりだった。
私から見ても決していい人生でなかった親父から、「俺は後悔ないよ」という言霊がびんびん伝わってきた。
「お前もそういう人生を生きろよ」というのが親父の最期の教えだった。

e0046467_16394627.png

by japanheart | 2015-05-26 06:25 | 随想 | Comments(0)

人生はマラソンでしょ?

人生はマラソンでしょ?

 最近よくスタッフにアドバイスしているのは、この台詞。
 前からよく、人生を相対化しろというけど、こちらの方がずっとイメージしやすいと思う。

 医者としての私の人生がたとえ40年あっても、私の人生の一部に過ぎないから、ここは大切なポイントかもしれないけど、そこが全てではない。
 医者としての人生は、私の人生の前半中盤あたりから人生の後半にかけての時期ではあるが、普通に生きれば医者を引退してからまだ10年くらいは生きなければならないことになる。

 医者人生40年とすると、このうちの1年を早く走っても仕方ない。その時間に無理をして、ペースを乱し人生をガタガタにしたら元もこもない。
 また、医者としての人生を膨らましすぎて、人生の全てが台無しになっても仕方ない。
 
 こう考えて日々生きていくほうがきっと上手くいく。

 昔、岡山大学の大学病院外科で若い医者の自殺が相次いだ事件があった。
 何があったかはわからないが、最終的には心身喪失になったのだろう。
 この若い医者たちは、日本では確実にエリートで、大学に受かったときはさぞかし両親も本人も喜んだことだろう。
 でも結果から言うと、医学部に受からなければ、自殺などすることはなかった。
 医者にならなければ、そうならなかった。
 大きな大学病院に入らず、小さな地方の診療所に勤め、周りに大切にされていればそうならなかった。
 
 人生というのはトータルで見てみないとなんともいえない。
 人生全体を最高のものにするためにどう走ればいいのかを考える。
 これは人と比べてどうのこうのという問題ではない。
 人生はマラソンと唯一の違いは、スピード競争ではないということだ。
 しかもたった一人で走る競技なのだ。

 だからどのくらい早く走るのかということではなく、どのように走れたのかということが大切なのだ。
 自分の納得いく走りができたのか?
 ただそれだけだ。

 毎日を必死に走ることは大切なこと。
 しかし、この考え方のいいところは、自分が逆境のときに役に立つことだ。
 苦しいとき、思い通りにならないとき、人生はマラソンだから、この時間をどのように位置づけ、考え、過ごすのか。
 そのように考えるべきだ。

 本気のアスリートたちは、ペース配分を考えることがあっても、手を抜くことはない。
 このことは大切だ。
 だから毎日、必死に走らなければならない。

 大切なのは歩いてもいいから、途中で走るのをやめないこと。
 最終的にどんな走りになっても、手を抜かず必死に最後まで走ればきっとそれなりに「まあ、こんなもんかな」と自分は納得すると思う。

 という自分ももう後半に入っているので、これからどんな走りをするのか、したいのか、今も必死で走りながら考えている。
 


by japanheart | 2014-10-13 03:03 | 随想 | Comments(0)
ファーストレディー 安倍昭恵さん について

色々揶揄するマスコミもいるが、私が知っているファーストレディー 安倍昭恵 さんについて語ってみたい。

彼女とはじめて知り合ったのはご主人がまだ、官房副長官の頃だった。

昭恵さんは以下のように私の中でイメージされている。

1)日本のことがとっても好きで、本当に日本のために生きようとしている。
2)涙もろい。
3)私よりはるかにお酒が強い。
4)できる限り公平性を持ちたいと心がけている。
5)一本気。

江戸時代のどこかの姫様みたいなイメージがある。

2008年ミャンマーがサイクロン、津波による被害で14万人も亡くなったときに渋谷の街頭に自ら立ち募金を呼びかけていた。現役のばりばりの政治家の奥さんでこんなことをする人はいなかった。
今も、東北にあしげく通っているが、政治家の妻としてより、一人の人間として通っていると思う。

私は彼女が日本のアジアや途上国に対する国際人道支援の広告塔にもっともふさわしい人間だと思っている。
彼女のような人が広告塔になってくれれば本当に日本のイメージもどんどんアップすると思う。

これは僕の勘だけど、将来はご主人よりも別の意味で名前を残すのではないかと思っている。

70年も前にミャンマー(ビルマ)のような国で亡くなった日本の人たちのことをいつも心に留めていてくれる人に悪い人はいない。
私も彼女もそういう意味ではミャンマーという土地で歴史の声を聞いた人間だと思う。

私の背中にも、彼女の背中にも、20万人の日本の人たちの”日本をよろしく!”と言う声がいつも木霊している。




by japanheart | 2014-09-28 10:05 | 随想 | Comments(0)

芸術としての人生

全てを手に入れた人は最後に何を求めるのだろう?
学生で企業家を目指す人たちを前に人道支援について講演会をした時に、ある学生が私にこう感想を述べた。
「とは言っても、僕は金持ちになりたいんです。」

それでなくても今時の人は、昔の大名みたいな生活をしてぜいたく品を食べ、
便利な乗り物にのり、病気の時はしっかり医療を受けることができ、、、、。

人は、果たして最後にたどり着くのは、、、どこなのだろうか?

大きな目標を掲げ、前に向かってどんどん進み、大きくしっかりとした時間の中で生きる。
子どもの頃の、小さな時間で達成される目標から始まり、しっかりと時間をかけなければならないような目標にどんどんシフトし、
やがて人生の多くの時間を費やさねばならない目標に取り組む。
それらがおおよそ達成されるような事態になったときに、さらに大きな目標はその向こうに見えてくる。
若い頃は、大きな目標を達成することが喜びで生きがいだった。
達成したときの自己肯定感はたいしたものだった。
しかし、いつからだろうか?
大きな目標を達成しても、若かりし頃のあの感覚は蘇らない。
生きがいとか、充実とかそういう日々を与えてくれそうで与えてはくれない。

極大は至りて極小にいたる。

長い時間を賭けて大きな目標を達成していくと、やがて満足感とか充実というのは目標そのものの中にはなくなってしまう。
目標は所詮、目的になってしまう。

そしてやがて悟るのだ。満足感や充実というのは長い時間を無限に細切れにした中にこそあるのだと。
すなわち、全ては瞬間の中に宿るのだと。
そしてその中でしか充実などという感覚は得れないのだと。

日々、生きている実感がほしければ、少しでも密度の高い瞬間を持つしかない。
多くの時間はその瞬間のために犠牲にされる。
しかも歳を取り、自分に何も課さなくなった人間からはこの瞬間、永遠なる現在は失われていく。

お金がほしければ求めればいい。
それを目的にしてしまえば、やがては”永遠なる現在”から遠のいていく。
若い頃はお金や権力のパワーに振り回される。
それはそれで若い頃は充実も満足感も得ることができる。
しかしいつしか、同じパワーに満足できなくなる自分を感じることになる。
まるで麻薬中毒患者のように。

若かりし頃魅力的だった多くの人間が年老いて魅力が衰えていくのはどうしただろうか?
肉体が弱り、老衰していくのは仕方ない。
しかし、私は人間力や芸事というのは極論すると、死ぬまで進化するものだと思っている。
だから武道の達人は書や絵画の達人でもありえるのだ。
武道の最高の極意は、戦わず勝つというのがある。
これは技術に支えられた人間力のなす業であり、芸術の領域に属するものだ。
年老いた白髭の老人が若い猛者たちをバッタバッタと倒していく武道の達人のイメージのようなものが強くある。

自らの人生に何をどう課すのか?
それが最も大切になってくる。

人生50年。
ここから先は、それぞれ人は芸術性を帯びていかねばならない。



by japanheart | 2014-09-23 10:25 | 随想 | Comments(0)

折に触れ

折に触れ

最近はどうも昔のことをよく思い出す。
子どもの頃、中学生の頃、高校の頃のことなどなども思い出す。
その時々で自分なりに一生懸命のつもりだったのかもしれないが、本当に時間がもったいない人生を過ごしてしまったと思う。

先生も後悔してるんですか??
とよくスタッフにも言われるが、当たり前に普通の人以上に後悔している。
悲しいかな時間は戻らない。
どうしてこんなになってしまったんだろうか?とよくよく考えてみると、原因はたった一つのことに辿りつく。

”正しいと思ったこと、いいと思ったことを実行しなかった。
実行してもすぐにあきらめた。”

ホントこれだけだった。
お粗末さま、、、、。

これからどれほどの時間を有意義に使えるのだろうか?

私は世の中でそれほど重宝はされていないと感じることが度々ある。
多分、私自身が世の中を大切にしていないからだろうと思う。

それと同じなんだろう。
自分がいいと思ったことや正しいと思ったことを自分の人生で自分に形にしてあげないから、自分の人生は何も返してはくれないのだろう。
 
10代のとき日本でグタグタしているくらいだったら、アジアやアメリカの学校へでも行けばよかったかな。
勇気を出して。
今ならば、こころから奇声を発して気合をいれ、全力で突っ込んでいけると思うが、、。

若い世代には、私からのお願いなんだけど、どうか10代や20代の頃の私の敗戦の仇を討ってもらいたい。
よろしくお願いします。



折に触れ、その時代の自分を映す歌を最近、思い出している。

面白いことに、自分の人生のなかで何度も現れた人生の歌というべき歌が2つあった。

中島みゆきの ファイト!
という歌と
竹内まりあの 時空(とき)の旅人
という歌だった。

私の尊敬する偉大なミュージシャンの
浜田省吾さん と 氷室京介さん  の人生の歌としては現れなかった。ちょっと残念、、、。
歌もさることながら、彼らはその存在そのものが、レジェンドだから許してもらおう。
きっと僕なんかよりも、もっともっと彼らを必要とする多くの人々の”人生の歌”として彼らの歌は存在している。

やっぱり音楽はいいな。
すごい。

私もせめて彼らのように、彼らの歌のように人々の人生を色づける存在になれるように、まだまだがんばるしかないな。
50歳にして振り出しに戻ったような心境だ。







by japanheart | 2014-09-03 05:51 | 随想 | Comments(0)

こころの年齢

こころの年齢

こころの年齢というものがある。
最近、サプリや食事療法、肉体改造などによる今流行りの実際の年齢よりかなり若く見える体の話が巷を賑わしている。
しかし、私の経験から言うと、もちろん肉体が若いのはいいことだという前提だが、実際にある経験を人生の中で味わっていくときの幸せ度は、肉体の若さと相関せず、こころの年齢に相関してそれが決まる。

分かりやすくいうと、いくら50歳で20歳の肉体が持てても、所詮、50歳のこころので感じる幸せしか感じることができないということだ。
50歳で、20歳の女性と恋愛しても、20歳の頃のような気持ちや感動はなく、50歳、その年齢相応の恋愛しかできないということ。
一瞬、感情の高まりはあるかもしれないが、それは長続きはしない。

人には、こころの年齢に見合った生き方、感じ方というものがある。
そのことを知らねばならないだろう。

それぞれの年齢に見合った経験を積み重ねていく。
人間とはそういう風に、生きていくしかない。

今の私には、人生の大きな目標というのは存在しない。
ジャパンハートの代表としての目標はあるし、医師としても目標もある。
しかし、私のという人間の目標は存在しない。

私という人間は、ただただ、生きていることに幸せを感じることしか有り様を表せないのだ。
到達点もない。
今、このときを、いかに密度高く充実した時間にするか、それしかない。
”永遠なる現在”を意識した生き方。

そういえば、こころの年齢を重ねると感じることがある。
私だけにある感覚かもしれないが、時代とのマッチングを色で見分けるという感覚だ。
今までの時代は、原色の時代だった。
濃い赤や茶色、青もそう。
しかし、これからは薄い色の時代になる。
薄いピンク、薄い青、薄い緑。
そういうイメージを持っていない組織は時代に取り残されていく。

たとえば古いデパートは何色をイメージする?
医師会などの制度は、どんな色?
日本政府は何色だろうか?

ジャパンハートはもちろん薄い色に導いていく。

まあ、そんなこともこころの年齢を積み重ねると何となく感じるようになる。
肉体は、衰えを隠せないが、歳を少しずつとっていくのも悪くないかな?と自分を慰めている。



by japanheart | 2014-06-29 19:45 | 随想 | Comments(0)