特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:なぜミャンマーか( 2 )

歴史の感じ方

歴史の感じ方

 ミャンマーは第二次世界大戦で、日本が展開した国で、イギリスそして植民地インドの軍隊と主に交戦した。

 多くの日本人が死に、多くの現地人が死んだ。もちろん対戦相手の軍人たちも。

 ある意味、戦争の是非はともかく、近代戦は国際法上、軍服を着て指揮官の統制下にある兵隊たちによる戦闘と考えられる。
 その意味では、都市への無差別爆撃は、多くの非戦闘員を殺傷しており、野蛮行為ということになる。
 おおよそ文明のある人々がやることではない。未開人のやるべき所業。
 アメリカをはじめ、多くの国ではそれをやっている。いまだに。
 だから原爆の投下という行為は、言わずもがなで、つける薬はない。

 私は日本人であるという事実を、強く認識、自覚している。
 だから日本人の死に対して、たとえそれが軍属であっても、非常に同情的で感傷的に扱う。
 他人はどうかは知らないが、私は自然とそうなる。

 講演をはじめ、多くの機会に、ミャンマーで亡くなった19万人以上の日本人たちに同情を示すと、時々、現地人のことは良いのか、相手国の人々への同情は良いのかという人がいる。
 正確に私の感情を吐露すると、同情心が私に起こるとすると、日本人10に対して、現地人7,敵国の兵隊は2くらいしかない。
 それはおかしいだろうか?
 それを同じでないと、おかしいと感じる人がいるかもしれないが、そうだから仕方ない。
 理屈ではない。
 だから正直に、異国で戦争なんぞで亡くなった日本人たちが気の毒だと思うと言う。
 そして、ああミャンマーの人もたくさん迷惑しただろうな、そして亡くなった人も気の毒だとふと思う。
 私は、多くの子孫に先祖の遺恨を押しつけてもらいたくはない。
 おまえの5代前の、じいさんが俺のじいさんを殺した謝れと言われても、私の知ったことではないし、私には関係ないと、私は答える。
 しかし、おまえのじいさんが死にかけたとき、俺のじいさんが助けたそうだと言われれば、ありがとうと素直にお礼を言える。
 わかってもらえるかな?

 淡々と歴史の事実を教えることは大切。しかし、感情や考えを押しつけてはいけない。特にネガティブな感情の強制は控えるべきだと思っている。
 どう感じ、どう考えるかは本人の自由意志の問題で、同じ人間の中でも年齢や経験、その時々で大きく違ってきてもいいのだ。

 どうせ教えるなら、子孫に伝えるべきは、身に覚えなおない反省や歴史観ではなく、感謝のこころ。
 第二次世界大戦の時、多くのミャンマー人が日本人を助けてくれた。
 迷惑もかけたけど、今も友達として見てくれている。
 ありがたいな、ということを伝えなければいけない。
 それが、建設的な未来を生み出す。
 
 反省しろ、謝れという人がいるけれど、そうしたい人はすればいい。
 昔、在日韓国人の友人に、豊臣秀吉の朝鮮出兵を反省してほしいと非難されたことがある。
 反省したい人は、やればいい。
私は豊臣の時代の日本人のことを反省などしないけれど、この国に残った在日の人たちとは、 良いも悪いも含めて、ありがたい関係をつくっている。

 今、ジャパンハートのスタッフに、ある優秀なミャンマー人の若い女性がいる。
 彼女のおじいちゃんは、第二次世界大戦の時、スパイ容疑で日本兵に連れて行かれて帰ってこなかったらしい。
 でも、私はこの家族ともいいつきあいをしているし、彼女を本当に立派な社会人にするために、協力する決意をしている。
 こんなの罪の意識でやっていられると思う?
 この人たちに対して、私には感謝の意識しかない。
 そんな過去があるにもかかわらず、家族も彼女も私を日本人として大切に扱い、ひとりの人として評価をしてくれている。

 先祖のために、子孫がいい関係を築けないなどということがあっていいわけなどない。
 
 私は”反省”より”感謝”こそが、いい未来を生み出すと思っている。
 
by japanheart | 2011-02-19 01:00 | なぜミャンマーか | Comments(4)

過去は変えられる!

ミャンマーでの8月15日の意味
私がミャンマーでの医療に関わりを持ってから既に10年が経ちました。
この国にいて今も私の胸にあるのは、この大地には20万人以上の日本人が眠っている、という想いです。草生す屍、という言葉があります。今はそこにもう屍は存在しませんが、多くの日本人の手によって建立された、慰霊碑がそこにはあります。しかし、、、、。その慰霊碑も今では訪れる人も減り、あるものは崩れ、その多くは草生す碑、としてそこに存在します。その姿は、まるで今の日本人のあの戦争や多くの犠牲者に対する記憶をはじめ、様々な心の形の表れのような気が致します。
あの戦争から60年目の今日、このビルマの大地に立った時、私の心には1つの思いの言葉が木霊します。
「過去は変えられるのだ。私達の手によって。」
 未来はまだ私たちの手にはない。しかし、今を変えることによって、過去に生きた人々の、その存在の意味を変えることはできる。それは、過去を変えることに他ならないのだ、ということです。
あの多くの人々の犠牲を単なる、死に終わらせることなく、意味あるものにしなければならないのは、子孫である私達の使命なのだと。私達には彼らの死を、負から正に昇華させることこができるのだと。そのためには、あの戦争から私達は、ごくごく当たり前の事実を学び取り、それを実践していけばいいのだと。
それは、「人の人生は、それぞれに尊い」のだ。
という事を知ること。そして、それを日々の人生の中で実践し、人を大切にし、人の存在の意味を認め、ともに理解しあいながら暮らしていく努力をする、という単純な事だと思います。
かつて、進め、進め、玉砕しろ。あるいは国の為に死ねと、言われた人々には皆、それぞれの人生があり、それは全て尊いもので、決して誰も他人にないがしろにされてはいけないものだったのだ、ということを学び、私達が他人の人生を自分の人生のごとく大切にしていく事が、多くの戦争でなくなられた人に対する最大の慰霊になるのではないかと思うのです。
 戦後60年目のこの日、8月15日に、多くの英霊が眠る、ビルマにいて、そのことを感じ、草生す碑の前で静かに頭を垂れるのです。
写真の塔の周りには亡くなられた無数の日本の人々の名前が刻まれています。

e0046467_1419043.jpg

by japanheart | 2005-08-15 14:22 | なぜミャンマーか | Comments(0)