ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:活動記録( 373 )

足場を確保する

足場を確保する

 ジャパンハートでは年次ミーティングを4月に行う。
 今年はすべてのプロジェクトの報告を聞くだけで、3日間かかった。

 ジャパンハートという組織をつくってから9年目。
 たった数人ではじめた活動がそうなった。

 おそらく詳細を聞けば多くの人は驚くだろう。
 少ない予算でこれほど多くの人が動き、これほど多くのアウトプットを出していることに。

 展開する活動に、予算がついていかない。
 今まで多くの大企業にも知見を得たし、政府の予算を当てにしたいことも度々だった。

 しかし、軒並みだめだった。
 彼らほとんど振り向かなかった。
 とんでもなくどうでもいいプロジェクトや団体、不正がはびこっているあるいはろくな使い道もないのに、集金能力だけに長ける組織にそのような企業は協力し、日本政府もそれを後押ししているのを何度も経験してきた。
 むしろチェックの本当に厳しいわずかな財団や組織だけが私たちを支援してくれているというおかしな事態になっている。

 もしジャパンハートが、アメリカにあり、アメリカンハートなる組織であったなら今頃、すでに規模は10倍以上になっていると思う。
 日本社会に、日本の支配層に失望しながらのこの10年だった。
 そしてこれは今でも続いているのかもしれない。

 このような苦しい状況の中、少なくとも私たちを支えてくれたのは個人単位の市井の人々だった。
 もしかしたらそここそを”日本”と呼ぶのかもしれない。

 そして、いつも思うのはこつこつでもいいから、大きな幸運など期待せず、自分たちで、自分たちの力で少しずつ、少しずつやって行こうじゃないかということだった。

 そうやって足場を固め、確認し、地道にこれからもやって生きたい。

 結局、人間は自分の手に触れるもの、しっかり自ら摑んだものだけが、本当の収穫になる。
 どこか誰かの大きな力によって身の丈以上に大きくなってしまうとしたら、醜いぶくぶくの腫れ上がった得体の知れない組織になってしまう。
 
 そしてそこで働く人々は決して、幸せにはなれないような気がするのだ。

 いつか大きなホームランを打ってやろうと心に決めている。
 野球の選手が、バッターボックスに入ったとき、何度の何度も足場スパイクでしっかり作るように、
 今、しっかりと足場を固めてみたい。
 
 いつの日か、その弾道が
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多くの人々の心を酔わせるようなアーチを描いてみたい。 
 
by japanheart | 2013-09-21 01:27 | 活動記録 | Comments(1)

久しぶりに口唇裂

久しぶりに口唇裂

 口唇裂というタイトルでブログを書いたのはもう8年も前かもしれない。
 あの頃は、確かに今よりもずいぶんとレベルはひどかったと思う、我ながら。

 あの頃に、ある専門家からやめた方がいいと遠まわしに言われたこともあった。
 じゃ、お前が私の代わりにここに住んでやってくれっていうふうに思っていたが。

 よく、未熟なレベルでやるべきでないという人もいるが、私はそうは思わない。
 なぜならば、この貧しい患者たちは、どんなレベルの人に治療をしてほしいとはねだってはいないからだ。
 彼らは治療というものを受けれるだけで幸せなのだ。本当に彼らはそう思っている。
 
 患者あってこその医師であり、医療だ。

 このくらいの専門的実力がないものはこういう活動をするべきでないというのはやっている側、医者側の理屈だ。

 私は心臓病も、脳の病気も、肺の病気も、子どもの病気も産科や婦人科も全部診ている。
 口唇裂の手術ができないのなら、すべてやめないといけないことになる。
 どれも十分ではないことなど若い頃から自覚している。
 
 文句はある人間はここにそれだけのスタッフを連れてきて、同じ成果を上げてほしい。
 そう思って20年やってきた。

 まあ、ともかくそれでもめげずにやってきた、、、口唇裂の手術。
 今ではおそらく年間の新手術件数は、日本でもトップクラスになっていると思う。
 専門家たちが聞いたらみんな驚いているから。

 最近では専門家がきても、何も言わなくなった。
 何せ、ここでは日本の3分の1の時間でやりきらないといけない。
 そんなことをする人は少ない。

 でも、子どもたちは、家族たちは、本当に幸せそうなんだ。

 誹謗や中傷、そして妨害は幾多もあったし、その人の価値観を押し付けられて押さえこまれそうになることもあった。
 しかし、めげずにやってよかった。
 誹謗中傷した人は、それっきりだからね。
結局、口だけで責任なんて取ってくれないのだ。
 
 たくさんの子どもたちに、未熟な技術で迷惑をかけたけど、ここから少しずつ、世の中にお返しをできそうな気がする。

 8月28日から3日間で17件。
 口唇裂の手術を、国境の町でやってきました。

 子どもたちのかわいくなった顔をどうぞ、見てやってほしい!!

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by japanheart | 2013-09-08 15:49 | 活動記録 | Comments(2)

寿命の話

寿命の話

 日本人の寿命は、この80年で約2倍になっている。
 昭和の10年頃の日本人の平均年齢は男子45歳、女子47歳程度だった。
 子どもがたくさん死んでいたに違いない。

 戦後の焼け野原から登場した戦後日本を再生してきた経営者達の多くは死ぬまで一筋、自ら興した会社の経営と発展に生涯を捧げたのだ。
 あの頃は、人生50~60年が平均。ましてや、戦争でいつ死ぬかという時代を生き抜いた人たちにとっては、そんな時代とても人生が80年も続く前提の生き様など存在しなかった。

 だから、50歳を過ぎても、ひたすら同じ人生を継続することを選ぶようになる。
 だって、誰も自分が80歳まで生きるという前提で、考えていないから、近い将来しか見れなかったに違いない。

 しかし、今、寿命を考える前提が60歳ではなく、80歳になっている。
 あるいは85歳かもしれない。

 そうすると、今までの人たちと同じ時間軸で人生を考えてはいけない。
 50歳を過ぎても、もう一時代を築けるくらいの時間がある。
 そういう前提で生きていく。
 だとすると、、、。

 会社の発展や、その延長線上での栄達だけで人生で終わってしまっては勿体無い。

 50歳を過ぎれば、もっと何というか、自分の人生の質を本質的に高めてくれるような生き様に最後はシフトしていく方がいいと思う。私の人生は最高に個性的で、楽しく、しかも美しいというような感じか、、。
 
 会社を大きくしたり、名声を得たりという、そういうことだけで満足するには現代は人生は長すぎるのだ。

 今は、50歳からもうひとつの人生を頂いているんだから、昔の人たちよりもっといい夢が見れるはず。
 しかも、日本の以外のアジア人たちはまだまだ、物質的な豊かさを謳歌していないゆえに、生涯それを目指して終わって行く人たちがほとんどだ。
 いい夢見れるのは、日本人の特権だと自覚しなければならない。
 
 隠居して、毎日暇をもてあましていては勿体無い。
 これは若いときから意識して、どのように生きるかの準備を何となくでもはじめたほうがいい。

 50を過ぎれは、心構えはひとつ。

 ひたすら、”人生の質”を意識する。
by japanheart | 2013-07-16 09:00 | 活動記録 | Comments(0)
がんばったあなたへの感謝

 ラオスのミッションが終わった。
 手術はいつもながらの疾患が多かったが、何とか無事に終わってほっとしている。

 思えば、ラオスで新規プロジェクトをすると決断してから1年以上がかかった。
 看護師のHさんに、その全てをゆだねる形で企画が進められていく。
 
 何かといえば上手くいかない土地柄、思い通りにいくことはほとんどなかったに違いない。
 まるで自分の人生のようではないか。

 今回のような立ち上げ計画は、多分彼女には向いていなかった。
 私がはじめそうであったように、私はミャンマーで新規立ち上げをしたとき日本ではただの医者しかしたことがない自分が何でこんなことをしなければならないのだろうと思っていた。
 彼女も多分そう思ったに違いない。ただの看護師なんだと何度も言ったことだろう。

 途中で、何度も様々な人とぶつかった。
 本当に途中でやめるかもしれないと私も思ったし、辞めた方がいいかもしれないともおもった。

 それでも彼女には必要な経験だと私のこころのどこかで思っていた。
 彼女はこういう仕事には私以上に向いていない。
 それでもだ。
 なぜだろう?
 彼女の人生にとって今回の経験は、大きな意味を持つと感じている。
 きっとかつての私がそうであったように。

 多分、彼女が得たものはあまりないと見えるかもしれない。
 単に、ラオスを立ち上げ、プロジェクトを行っただけに思えるかもしれない。

 しかし、私は思うのだ。
 これで彼女は、生涯、自分を自分で信用できるようになった、と。
 正に、彼女の人生にまだまだ細いが一本の芯が通った。
 これから毎日の葛藤の中で、ますますそれが太くなっていくことだろう。
 おめでとう,と言いたい。
 苦しんだ人間には、神様はちゃんとご褒美を用意してくれている。

 彼女は、根っからの臨床家だから、医療そのものの世界に戻ってくる方がいい。
 コーディネートは、他の人に任せればいい。
 それが、一番の彼女の居場所になる。


 人を見守るという作業は、簡単ではない。
 すぐに手を出したくなる。
 親になればついついやってしまう。
 いつもこれとの葛藤だ。

 これでようやく私の満足いく医療者が一人また誕生した。
 
 苦労してすっかりやせ細ってしまった彼女を、褒めてあげて欲しい。

 今年も私の元へたくさんやってくる者達も、彼女に続いて欲しい。
 容赦はしないが、後悔はさせない。
 
by japanheart | 2013-07-07 01:23 | 活動記録 | Comments(3)
小児医療を考えるーその3

 小児医療を考える。
 さて、この管理者の罷免によって、小児医療はこの市民病院から撤収するということが予想できた。
 しかし、市長はそれを断行する。

 小児外科に関しては、数も少ないし影響はないというコメントだった。
 本当に、そんなことを言っていいのかと思った。
 たとえ一人でも二人でも患者がいるならば、その人たちの面倒を見るのも市民病院の役目ではないのか?
 でなければ、何のための公立病院なのか?

 市長のプライドと院長の怠慢、ついでに言うと多くの市会議員たちの無関心によってこの町の子ども達は見捨てられたのだと感じだ。
 結果的にはそうだろう。

 今でも、何とか週2日ぐらいどこかから派遣してもらってお茶を濁そうとしている。
 いいかげんにしないと、10年後はこの町では小児医療は崩壊する。

 そのとき市長もちろん、院長も退職金をもらってすでに蚊帳の外だ。

 6月中旬、私は市会議員の約半数を前に、講演した。
 今の医師・小児科・医療界を取り巻く現状や広島県の小児医療の状況、医局のみに頼る医師確保の後進性など。
 自分達の手で、しっかりとした市民病院を運営し、若い医者が自らそこで研修したいと応募し、そしてそこに残っていくような魅力ある病院運営をしなければ、崩れ行く大学医局の人事に振り回されながら、一緒に崩壊していくしかなくなってしまう。
確かにお金でやってくる医者もいるだろうが、そういう人はお金でまた去っていく可能性が高い。
何よりも市民のためにずっといいついてはくれないだろう。
だから、しっかり病院運営をして、院長を先頭にみんなが一生懸命に働き、そして若手医師たちをしっかりと呼べる病院にしなければならないと。

 しかし、しかしだ。
 おそらく彼らも動きはしないだろう。
 この町の、子ども達の健康を行政がいい加減に考えていると思う。
 まず守るべきは、それではなかったか?
 例え、成人の科が撤収しても (絶対にそんなことにならなかったと思うが、、、なぜならばすでにこの病院は長い間そこで働いている医師ばかりで、院長もまた、その病院の医師たちからは全く信頼されていないからだ)、小児の医療を守れれば、この時代は、最低限の正義が守られたことにならないか?

 しかし、市長をはじめとする行政は、それを見誤った。
 
 私は、そして静かに言ったのだ。
 「市政は、子どもを見捨てた。私たちはこれにて小児科の派遣を撤収する!」

 ある市会議員が言った。
「それでは、子ども達が困る。ぜひ、派遣を続けてもらいたい。」

 そして私は答える。
「派遣を私達に要請する前に、皆さんはやらねばならないことがあるんではないでしょうか?
 私たちは、近い将来、沈んでいく泥の舟には乗りません。」

 子どもを守れない市長や、行政関係者は退室させるべきだと思う。
 次の選挙まで2年ある。

 その間、きっと、市民病院にまともな小児医療は戻ってこない。 
 すでに、岡山の国立病院の若手の医者達は、この病院での夜間救急からの撤収を宣言した。
 30年以上の長きにわたり、彼らのサポートによって続けてきた尾道市民病院夜間救急小児科が姿を消す。
 一度やめれば、小児科が再興されても、夜間の小児救急の復興は難しいかもしれない。

 尾道の子ども達やその親は気の毒で仕方ない。

 7月から不毛なこの件の裁判が始まる。
 この市長は、医療のことは知らない。
 教師あがりの人間だ。
 
 知らないからこそ、ブレーンを雇ったのに、それを排除すればすでに裸の王様だ。
 誰も幸せにしない決断の誤りは、反省されることもなく、どうでもいい、自分の威厳とちっぽけな力を見せつけただけだ。

 尾道市の子ども達にこころから同情する。
 

 
 
by japanheart | 2013-06-28 08:49 | 活動記録 | Comments(2)
中・高生向けスタディツアー

 ほぼ定員が一杯らしい。
 中高生のときに、実際の医療現場をみて、不遇な人たちのために働くことは将来の投資だ。
 語学留学やホームステイもいいけど、こういう形も、時代が生み出した新しい教育の形だ。

6歳と8歳のわが子たちはすでに何度も医療現場に訪れているが、日本の子ども達にも機会を提供したい。

 若かりし頃、自分より大人のおじさんおばさんたちが(医者や看護師たちのことだけど)、一所懸命に汗水たらして、必死な形相をして朝から晩までただひたすら、貧しい人たちのために働いている姿を目撃することはきっと、将来子ども達を助ける大きな経験になる。

 若かりし頃に、こういう活動に時間とお金を割くべし。
 残り少ないが、こぞって参加して欲しい。

 その最後の説明会がこの日曜日にある。

 ぜひ参加を!
 話を聞くだけでも、参加する価値がある。

ツアーは
 2013年7月29日(月)成田空港発 ~ 8月6日(火) 成田空港着 8泊9日
*前日 7月28日(日)に東京にてオリエンテーション

【説明会日程】
第三回:6/16(日)13:30~15:30(質疑応答含む)
説明会終了後、15:30頃より1時間ほど、ご希望の方を対象に、本スタディツアーに関する相談会を実施。



【予約・問い合わせ先】
ジャパンハート東京事務局
〒110-0016 東京都台東区台東1-33-6 セントオフィス秋葉原10階
TEL:03-6240-1564
FAX:03-5818-1610
email : japanheart@e-mail.jp

以下のページから説明会に申し込みを。

説明会申し込み
by japanheart | 2013-06-15 00:29 | 活動記録 | Comments(1)
ミチナ国立病院手術ミッション終わる

 ようやく国立病院での手術ミッションが終わった。患者たちは全て子ども。
 240名の外来患者、85件程度の手術を4.5日の間に終わらせることが出来た。
 
 手術は朝9時から始まり夕方の5時過ぎには終了するという、いつもよりのんびりした環境になった。
 まあ、医者達も公務員だから、仕方ない。
 公務員が就業時間を守らないと、誰も守らなくなってしまうだろうから。

 カチン州という州都にあるこの病院は、300ベッドの中規模病院で、ミャンマー北部ではおそらく最も大きな病院のひとつになる。

 ミャンマーの各州には、政府があり首相もいれば大臣もいて、比較的独自に運営されている。
 そういう様々な政府が連邦制を取って、今のミャンマー連邦が出来上がっている。

 今回のミッションでは、首相も大臣もやってきて子ども達をみまわっていた。
 病院スタッフも最初は、面倒くさそうだったが、偉い人たちが次々にやってくるので仕方なく働き始めた感じ。

 しかし、どんどんやっている間にモチベーションは上がり最後には、お互いにいい仕事をした感じで終われたし、互いに信頼も少しは生まれたようだ。

 日本からも数社マスコミが取材に入ってきたので、もしかするともうすぐ日本でこのときの映像が見れるかもしれない。

 
 私は何か新しいことをするたびに、自分の昔のことを思い出す。
 そしていつも最後に、「あの私が、マジか?」って。

 良いも悪いも併せ持ったどこにでもいる普通の人間としての私が、今ではこんなことやっている。
 あるいは、自分ひとりの力じゃないことも分かっているが、何がしか出来ている。
 じゃ、誰だってこんなことくらい出来るんじゃないか。
 病弱で、赤面症で、いつも何をやっても長続きしないと怒られた私がずっとこんなふうに続けている。
 
 まだまだ、まだまだ、自分の満足には程遠いけど、少しでも理想に近づくように。
 
 この同じ景色を一人でも多くの人たちに見せてあげたい気持ちで一杯だ。

 この景色を見に来る気はないか?

 
by japanheart | 2013-06-06 16:00 | 活動記録 | Comments(2)

通過点としての私

通過点としての私

 泣いても笑っても、大変だなと思ってもやらなければならないこともあるだろう?
 明日、早朝ミャンマーへ出発。
 
 明後日早朝にはミャンマーでまだ内戦が収まっていない地域に入る。
 そして手術。

 ありがたいことに私は何度もTVや新聞などに取り上げられ世間の目に触れている。
 私の出たそれらの媒体の影響に受けて、医師や看護師を目指した人たちはきっとたくさんいると思う。

 私にあこがれてとか目標としてとか、結構、たくさん言われることだ。ありがたいことに。

 まあ、しかし、断言しておくと、私はあなた方の目標にはならないし、私を目標にしてはならない。
 私など、単なる通過点と認識することだ。
 
 自分がどういう時代に生きているか感じて欲しい。
 私が生まれた頃は、まだ日本は貧しかったし敗戦を引きずっていた。
 30才頃までは、パソコンも持っている人間は限られ、インターネットやメールだって最近だろ?
 公務員に憧れ、大会社に入ることが多くの人の成功の雛形だった。
 アジアは貧しく、アフリカはどこも飢餓を抱えていた。
 ロシアはソ連で、東ヨーロッパは、社会主義だった。
 若者は、車を持つことが夢で、いつも磨いていた。

 今のあなた達より断然、いくつかの価値観に縛られれた時代を生きてきた。
 だから、私はこの程度の、生き様しか示せない。
 自分でも、割り切れない思いがある。
 
 あなた達は自由なんだ。
 今からすぐにでも世界に打って出れる。
 誰も異常なことだとは思わないだろう。
 地球の裏側にある情報に瞬時にアクセスできる。
 公務員にあこがれなくても、大企業に入れなくても別にがっかりしない。
 少し働けばすぐに1万円たまり、何がしかを食べて飢えることもない。

 だから、私のいる場所なんかで満足してはいけない。
 もっと、もっと、高くだ!
 もっと、もっと、遠くへだ!

 時代が味方してくれる。
 
 私は感じているが、これからもっとすごい時代になる。
 やりたい放題だ。
 
 あなたたちが、うらやましい。

 
 
by japanheart | 2013-05-26 23:52 | 活動記録 | Comments(4)
紛争止まぬミャンマーの国立病院へ

 ミャンマーの国境地域カチン州。
 ここはミャンマー政府が最後に少数民族ともめている地域。
 時折、激しいの戦闘が行われ、爆弾も炸裂する。

 それゆえ、現地政府の役人もあまり近づきたがらない。
 もちろん海外からの支援も、今はストップしている。
 まずは少数民族問題を解決してからということだろう。

 実はこの地域の患者達は電車にバスなどを乗り継いで、下手をすると2日、3日かかって私たちがいる病院にやってくる。
 現地の政府からカチン州で何か支援をしてほしいということを依頼されて、今回何とこの地域の国立病院で子ども達の手術のために10名以上の医療チームを編成した。
 5日間にわたって現地で手術を行う。
 患者数は州都周辺に声をかけただけであっという間に150名以上が集まっているらしい。
 ほとんどの対象は、先天異常、いわゆる先天奇形ややけどの子ども達になるだろう。
 今回は60件くらいの手術を何とかして帰ってきたい。
 もちろん子ども達は全て無料で行う予定にしている。

 1年位前、現地に私は視察に入ったが、いたるところバリケードが張られ、夜間は外出禁止だった。
 あれからどうなっているのだろう??まだ紛争は続いている。
 ジャパンハートは、現地事務所を設置した唯一の海外のNGO団体だ。

 いつも思うことだが、やっぱり私には馬上にまたがって先陣を切って切り込んでいくのが、性にあっているのかもしれない。いつ弾の当たるかもしれない船上に立ち、仲間達にその姿を見せて戦うのが、今もその役目である。弾の当たらない場所で、指示を出しているトップなどは卑怯だとすら思ってしまう。

 ミャンマー、カンボジアでそうしてきた。そして、もうすぐラオスでもそうするだろう。
 
 ミャンマー国境の紛争地域、ミッチーナの国立病院で、あと2週間後、再び先頭切って切り込んでゆく。
 
 

 
by japanheart | 2013-05-08 00:59 | 活動記録 | Comments(1)

世界は確かに狭くなった

世界は確かに狭くなった

 世界は狭くなったと思わないか?
 20年前、アジアを歩いていたアジア人は日本人・台湾人・シンガポール人韓国人を除くとあまり多くはなかった。おばちゃんたちのツアーも日本人がメインだった。

 ハリウッド映画を見て、2000年頃までのそれとの違いに気づくだろう。
 それは主人公が、アメリカーヨーロッパーアフリカなどを動き回るようになったことだ。
 今までは、アメリカ大陸の中にいることが多かった。

 それがどうだ。
 今やアジアの空港はアジア人の若者であふれ帰り、韓国や中国の一目でそれと分かるおばちゃん達にいつでも進行方向を塞がれる。

 世界はかくも狭くなったのだ。

 ガラパゴスは、携帯の世界だけでない。
 日本人若者もまた、ガラパゴス化している。

 本当はすごいポテンシャルを日本人達は持っている。
 しかし、それを知らない。
 だからそれを使わないまま生涯を終えたりする。
 美人が美人だと知らずに生涯を終えるのは何となく美しさを感じるが、日本人の若者が、自分の能力を知らずに年老いていくのは哀れだ。
 
 世界に出てみるとすごいやつもいる。
 ひどいレベルのやつもいる。
 どちらも自分にはいい刺激になる。

 だから、若者は世界を知らなければならない。
 そういえば、最近日本でも、会社の採用にボランティア経験がかなり評価されるようになってきている。
 いいことだと思う。
 今、日本の会社は世界で戦える社員が欲しいのだから。

 宣言しておくと、私はこれからたくさんの若者を海外に連れ出す。
 そして日本を掃除してもらう。
 もっといい国に変えてもらう。
 18年前私は、ここに住み、このミャンマーの灼熱の大地で、第2次大戦の時、お国のために戦って亡くなった20万人の日本人に誓ったことだ。

 PS:夏に中高生のミャンマースタディツアーをする。
   一杯、申し込みが来ているらしい。医者や看護師も同行のツアーだから安心かな。
   学生達よ、一刻も早く世界を見て、近い将来、日本に新しい風を吹かしてくれ。
by japanheart | 2013-05-02 01:48 | 活動記録 | Comments(2)