ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:活動記録( 373 )

再現性という魔術

再現性という魔術


 私は”ゴッドハンド(神の手)”ともてはやされている人間は、好きになれない。
 別に、嫉妬からそう言っているのではない。

 組織を、あるいは医学と置き換えてもいい、それを発展させていくためにもっとも大切なことは何か?
 上にいる者たちの芸術性と下にいる者たちの再現性だと思う。
 
 マニュアルというものがある。
 これの正体は、下にいる者たちの平均への引き上げの目的にある。
 能力高きものは、マニュアルに従えば当然、パーフォーマンスは低下する。
 なぜならば、人を相手とする場合、この世に同じ人間は存在しないからだ。
 医療で考えると分かりやすい。

 ある患者が、重症の治療の状態にあるとき、この患者に薬を与えるタイミング、その量、あるいは人工呼吸器の設定を変更する条件などは、すべて最適化されるべきタイミングというのがある。
 ところが、マニュアルというのは、何時にどのくらい薬を使い、何時に血圧をはかりとすべて決まっている。
 それは、能力が低いものが患者を看る場合にはかなりメリットが多い、しかし、医療のレベルが高いものがそれに従うとき、患者にとっての最適化のタイミングをみすみす逃すことになる。
 よって結果は、実力以下になる可能性が高い。

 では社会にとってマニュアルを作ることは是か非かといわれれば、それを作るほうが圧倒的に利益が大きい。
 STAP細胞を引き合いに出すまでもなく、再現性をなすことが科学であり、それが人類の進歩を約束してきたといえる。

 ゴットハンドな人間は、再現性がない。
 よって、社会にとってはメリットよりもデメリットのほうが大きい。
 私たちが考えなくてはならないのは、そのゴットハンドを誰もができるものにどう仕上げていくかということである。

 彼しかできない手術を、ある機器を発明することによって誰もが再現可能な技術にすることが科学であり、社会利益が最も達成されることなのだ。

 ゴットハンドを会いも変わらず重宝する日本は、医学が科学ではなくて、芸術であると勘違いしているらしい。
 それはよくないことだ。

 それは突き詰めれば、宮本武蔵が、銃弾を切り落とすという幻想まで抱かしてしまう。
 達人 宮本武蔵はほとんど未訓練の兵隊が撃った銃弾に当り死んでしまう。
 その兵器を発明するのが科学ということだ。

 だから私はスタッフを再現性をもって引っ張り上げていこうと誓っている。




by japanheart | 2014-05-24 10:38 | 活動記録 | Comments(0)

未来のイメージを絞る

未来のイメージを絞る


 日々、同じ時間を過ごしていると段々退屈になる。
 人間というのは、一旦、征服してしまうと山でも、男女関係でも、手技でも、国家でも、、、。
 興味が半減してくる。

 そこで生まれる余力というか、未消化感というかそういうものが先へ進むエネルギーになっていくのだろうが。

 先日、約2週間の間に、200件ほどの手術をチームで行った。
 もちろん若いスタッフは、医師も看護師もがんばっていて大変充実した時間を過ごしていたに違いない。
 ところが私はというと、確かに体は年々きついが、この未消化感が強く、満足などしない。
 あるおいしい食べ物を食べ続けると、何度目にかは、
 「うん、おいしい。この味、この味。こんな感じ。」という程度の事態になるが、私のとっての200件の不朽の2週間はそれとさして換わらない。

 そこで生まれてきたこの余力を集めて、ある形にしていく。
 それが未来の目標ということになる。
 だから、日常をサボっていたり、目の前の事態に振り回され続けている人間には、未来の目標は生まれにくい。
 
 最近気付いたのだが、そのときにはじめの未来の目標というかそれと、ある未来の時点にたったときのその現実との乖離があまりに大きくなっているのはなぜか?
 どうして想像した、あるいは希望した未来と現実がこうもずれまくってしまうのか?

 この原因は一体?

 その答えが少し分かり始めた。

 それは今の自分という存在や思考の認識のイメージが現実とずれているからなのだ。
 それを修正しなければ未来は、時間と共にどんどんずれはじめて、ある一定時間がたてばすっかり現実が希望や想像とずれていることになる。
 それはそれでいいと言う人もいるかもしれないが。
 
 これを修正する方法を私なりにすでに考案をしているが、今日は書かない。
 灯台下暗しだが、誰もしていない方法で、少々、アイドリングに手間取るが誰にでもできるといえば誰でもできる方法だと思う。

 ヒントをひとつ。

 聖書の言葉。
 はじめに言葉ありき!
 をかみ締めよ。


by japanheart | 2014-05-09 10:28 | 活動記録 | Comments(1)

不完全さを刻む

不完全さを刻む

 残念ながら、私の人生の記憶は失敗ばかりに彩られている。
 幼い時に食べたものの記憶ですら、ジンマシンを起こしたものや無理やり食べさせられたものの記憶が一番強烈にある。
 
 本気で望んで、失敗したときの記憶ほど消しがたいものはない。
 多分、死ぬまで思い出すことだろう。

 私の前で死んでいった多くの子どもたちを思い出すたびに、いつも、”私もいつか死ぬから”と言い訳のようにつぶやいてしまう。
 全ての子どもを助けれるなんて思うのは傲慢すぎると分かってはいるが、神の力を持ちたいと思ってしまう。
 全ての子どもが死なない世界がその後どうなるか?
 知らぬ身のわがままかも知れない。

 どんなに富を蓄えても、どんなに権力を欲しいままにしても、どうせ死は訪れる。
 世界で一番の権力者になったものは、どのような心境で死を迎えるであろうか?
 それを想像したとき、お前も私も何も変わらないじゃないかと、少しいい気分になる。

 脳のしわと頭の良さは全く関係ないと思うが、人生のしわと人生の豊かさは確実に関係する。
 しわは深いほど、豊かさは増す。
 
 豊かさというのは、いい実感というのとは異なる。
 豊かさは、強いて言えば、密度のことだ。
 死ぬときの木の走馬灯が、あっという間に終わっては、モッタイナイ。
 密度を増すには、失敗の体験が成功の体験よりも重要な役割を果たす。
 とにかく、失敗の体験が、記憶に深く留まる。

 成功したいと、一生懸命がんばるとき、人は力が入ってしまう。

 必死の失敗経験を、このあたりでしてみようと、ことに望むとき、どのくらい力が入るだろうか?

 必死の失敗体験。
 これを行うためには、自分の実力以上のことに望むほうがいい。
 とにかく、ちょっと背伸びした挑戦を3回に1度くらいはしたほうがいい。
 
 失敗しても、死ぬときの走馬灯の映像スクラップへのアップロードだと割り切って。

 今日も、そんな感じでいってみようと思う。
 

by japanheart | 2014-03-19 10:36 | 活動記録 | Comments(2)
今年も国際貢献を学ぶ学生フェリーツアー

 今年も神戸発-大分 2泊3日 国際貢献を学ぶ学生フェリーツアーを3月29~31日に開催する。
 費用はホテル、フェリー、食事も全てついて19900円で何とか!
 ホテルは昨年同様に温泉つきで、きれいな個室のビジネスホテル。
 
 現地、大分では地元をはじめ九州の学生も2日目に参加してもらい大いに盛り上がろうと思う。

 私は全行程参加する予定。
 夜は、私と恒例のタイマン質問コーナーをぶち込んでいる。

 詳しくは、以下を参照。
  



 いつも言うことをここでも繰り返そう!
 若ければ若いほど参加したほうがいい。
 アルバイトをするなんてもってのほか。
 若いうちは親に借金に決まっている。
 少しでも若いうちのほうが、はるかに多くものを吸収できることは私が保証する。
 年取ってから働く賃金は、若い頃の3倍になる。借金は年取ってから返せ!親は利息は足らないものだ。
 何なら踏み倒せ!それを喜んでくれるバカ親も多いはず。

 年をとると賃金は学生時代の3倍になり、人生の感度は3分の1になる。

 若いうちに、ちまちまとはした金を稼ぐやつは、時間の価値を知らないやつだ。
 若いときは、体力と無謀さに任せて冒険するのが良いに決まっている。

 若者たちよ!どんどん前に前に!
 どんどん外へ外へ!

 

by japanheart | 2014-02-09 07:16 | 活動記録 | Comments(0)

若者をどうするのか?

若者をどうするのか?

 若者をどのように扱っていくのか?
あるいは、
 若者がどのように生きているのか?

という命題は国にとっても個人の人生にとっても非常に重要な事柄だ。

戦争中、日本人が若者たちをどのように扱ったかを考えれば察しもつくが、年寄りばかりが残ってしまうような状況では国の未来は決して明るくはならない。
 戦争は多くの若者が戦いそして死ぬものだ、だから未来を明るくしないことは自明ということになる。
しかも、年寄りたちがその指示を出しているから始末に終えない。

 今の日本の将来が暗く見えるのは、経済の問題よりむしろ若者たちの相対的な減少によるものだ。
 日本の経済で暗かったら、アジアの国々の未来はもっと暗いことになる。
 貧しい国の生活や戦争を経験したものなら、人間は生きていくだけなら食物の確保だけで十分だと感じるはずだ。
 
 実は、若者をどのように扱っていくのか?ということよりも、若者たちがどのように生きているのかの方が、さらに重要なのだ。
 今の日本が暗いのは、そこのところが一番問題だと思う。

 若者たちが、飛躍できる仕組みをしかなくてはならない。
 それが、年長者たちの重要な役目になる。

 医者の世界を見てみよう。
 私の意見は、日本の医者の世界は最悪の状況だと思う。
 一般に、多くの医師たちは30代ではまだまだ未熟だと認識しているし、社会もそのように扱う。
 医者は40代や50代が中心なのだ。
 問題はそのことではなく、若い世代の知力体力ある医師たちが、自分が若いうちは未熟だと考えてしまうその慣習にある。
 だから外科医でも、手術を十分にさせてもらえなくても、なんだかんだと理由をつけてその組織に長いできる。
 人生はそんなに長くはないのに。
 一般の社会を見てみるといい。
 20代の若い世代の成功者や元気な経営者がどんどん出てきてみんな焦っている。
 それなのに医者たちはのんびりしている。
 定年の年齢は同じなんだけどね。
 それがなぜかというと、医者の世界は50代や60代の年長者たちが支配しているからだ。
 彼らが、自分たちを基準に成功者の社会のイメージをつくっている。
 その価値観を若い世代の医者たちも受け入れている。
 愚かなことに。

 かくて時間と才能が失われていく。

 別に20代で凄腕の外科医が出現しても良いし、30歳そこそこで偉大な内科医が出現しても良いのに。
 そりゃ、無理でしょ、とあなたは考えるかもしれない。
 私は断言する。
 あなたの頭も、彼らにいかれている。

 若者たちが、自らの可能性を制限しているのは見ていて割り切れない。
 古い制度にしがみつかされ、知らぬ間に年老いてゆく。
 それは社会的損失ではないのか?

 謙虚さのない若者は見苦しいが、才能を封印しようとしている若者は惨めなものだ。
 ちりゆく桜の”いとをかし”の物悲しささえ宿らない。

 今一度、おのおの、自己のあり方を見つめなおすべし!
 

 


by japanheart | 2014-01-25 09:08 | 活動記録 | Comments(1)

25歳の女性の話

25歳の女性の話

 その人は、生まれつきの腸閉塞だった。
 肛門が無かった。
 だから便が出なかった。

 生まれてすぐに手術して人工肛門を造った。

 それから25年人工肛門はそのままだった。
 肛門の手術をした。

 彼女には恋人がいた。
 恋人は、彼女の病気のことは知らない。

 人工肛門を直す手術は2年前に行った。
 簡単に言うと、口側の腸と、お尻側の腸をつなぐ手術だ。
 もっと簡単に言うと、2本のパイプをつなぐ手術。
 
 ところが、問題があった。
 そのパイプ、すなわち腸の大きさが4倍も違うのだ。
 4倍の大きさの入り口がある腸を縫い合わせなければならなかった。

 手術は、当時ミャンマーに来ていた日本の外科医が担当した。
 そして1週間後、便が漏れた。縫ったところに大きな穴が開いたのだ。
 おそらく、上側の腸が大きすぎて便がたまり、下のほうに縫った腸の中へ上手く通過しなかったためだと想像できた。
 そして再び、人工肛門を再度、逆戻り。

 仕事の持っているため、長期になかなか休めない。
 この国では、長期休みはすなわち、退職を意味する。
 
 そして2年。ようやく時間を確保して、今回、再び人工肛門を造ることに。

 前回の、便の漏れのせいで大腸も幾分か切除され、短くなっている。

 お腹を開けてみると、今度は6倍くらいの大きさに上下の腸の大きさが違っている。
 
 そして決断。

 拡張したすべての腸を切除した。
 大腸は、半分の長さになった。

 あれから10日間。
 今は元気に、おかゆを食べている。

 これから、25年以上の彼女の人生とは違う人生が始まる。
 恋人とも結婚も視野に入れていくだろう。

 彼女のために手術をしてくれた医師たち、看護師たち。
 お金を出してくれた人たち。
 ずっと飽きずに連絡を取り続けてくれたスタッフたち。

 すべての人たち苦労が報われるのは、これからかもしれない。

 たった一人の人間の人生を変えるために、一体、どれほど多くの人たちがエネルギーを使ったことだろう。

 医療というのは、こういう地味な世界だと肝に銘じなければならない。
 
by japanheart | 2013-12-13 08:51 | 活動記録 | Comments(0)
公休もらって国際医療へGO!

 先日、長崎県医療企業団とジャパンハートの間で正式にジャパンハートの海外医療サイトへの短期ボランティアが研修として認定された。

 長崎県医療企業団は、長崎県が主催する対馬や五島列島のなどの離島の病院および島原市や雲仙市などの公立病院を束ねる医療団のことだ。
 この地域の病院に半年以上、看護師や医師として勤務したものは、ジャパンハートの海外医療サイトでのボランティア活動が研修として認められ、正式に公休をとって活動に参加できることになった。有給や休みを取らなくてもいいわけだ。

 実は、対馬や五島はその病院が最終受け入れ先になることも多く、離島とはいえ比較的大きな病院が存在し、検査もほとんどそこで可能になっている。

 都会の看護師たちはぜひ、生涯一度は、1年、せめて半年は、僻地や離島での医療を体験してもらいたい。
 きっと、ジャパンハート看護師たちが声をそろえて言うように、本当に勉強になる素敵な時間になるはずだ。
 もちろん、給与もしっかり保障してくれる。しかも、海外医療にも参加できる。

 公立の機関が、勇気を持ってNGOと組み、人材確保に乗り出したことは特筆すべきことだ。
 そうしなければ、10年後は取り返しのつかないことになっているかもしれない。
 施設はあっても、結局は医療は人が行うものだから。人あってこその医療だ。

 企業団の理事長の先見の明と副企業長の努力はすばらしいと思う。
 裏で力を貸してくれた、佐世保区の政治家の人も知人で佐賀県のNGOーMIS代表の古賀氏にもこの場を借りて感謝したい。

 今後の僻地の医療の未来は、都市部の医療者をどう循環させるかにかかっている。
 おそらく、意気揚々と自ら都市部の医療者が僻地に乗り込んでいくことが当たり前になるにはあと20年くらいはかかるだろう。まだまだ、医療者は都市部に集中するだろう。
 まだ、時代はそこまでいっていない。
だから、何かしら魅力ある仕掛けを都市部の看護師たちに示しながら、僻地医療を支える流れを作らないといけない。

 田舎の医療は、信頼関係で成り立っている。
 都市部では、人間関係が機能的な関係になりがちだろう。

 都市部の医療に疲れたら、一度離島に行ってみるといい。
 きっともう一度、看護の魅力に気づくに違いない。

 そのときは、ジャパンハートにぜひ声をかけてもらいたい。
 信頼できる僻地離島の病院を紹介してあげることができる。

 来年あたり、ジャパンハート主催でツアーを組んで看護学生を大量に、離島医療体験でもさせるかな。

 海外医療パートナーシップ推進事業


by japanheart | 2013-11-30 03:13 | 活動記録 | Comments(0)

憐れ、日本大企業

憐れ、日本大企業

今も、フィリピン台風の支援は続く。
昨日は200名の患者たちが押し寄せ、120名しかみれなかったそうだ。

東北の大震災のとき、ジャパンハートを支援してくれたのは誰だったか?

一般の日本人。
外国の企業。

今もジャパンハートを支援してくれているのは、ドイツのルフトハンザ航空であり、BMW、アメリカのインテルだ。
もちろん、同支社の日本人たちの尽力は大切な要素だ。

日本大企業は、全く、その気は無い。

ユニセフや日赤には、中身も確認せずに意気揚々と寄付をする。
JAlの機体には堂々と、ユニセフのロゴが刻まれる。

馬鹿な人たちだと相変わらす思うのだ。

中身もしっかり、確認せず、詳しくも知らず、ただ、それを何十年も続けている。
外国企業では、申請し中身をしっかり評価して、そしてお金が下りてくる。

そうしてもらったお金だ。

日本の大企業のこの前近代的なメンタリティーとあり方は何とかならないものか??

だから庶民の寄付が、無駄になる。

大企業群のこの偉そうな上から目線の、新しい力を無視したような、あるいは否定したような態度は、絶対に修正を迫るつもりだ。

このような大企業のあり方は、少なくとも日本の恥だと思う。

時代はすでに、次の段階に進んでいるのに。




by japanheart | 2013-11-24 13:26 | 活動記録 | Comments(2)
フィリピン台風被害緊急支援

 今回、フィリピンのレイテ島を中心に襲った台風被害に対して緊急支援を開始することになった。

 医師2名、看護師2名、ロジ1名の5名を第一陣で送り込む。
 今年開設した、タイのバンコク事務所を拠点に支援を行う。
 もちろん日本からも、スタッフが各地に向かう。
 
 私は本来、その国に拠点が無い場合は支援はしない方針だった。ジャパンハートはそういうスタンスだった。
 ミャンマー・日本・カンボジア・ラオスなどは事務局もあり、ロジがしっかりしているので、活動はすぐに軌道に乗るだろうし、やるべきこと、サポートすべきこともしっかり把握できるので、効果が上がりやすい。

 しかし、フィリピンにはそれがない。
 行き当たりばったりでは、何もできない。

 しかし、またもや支援をしたいと、海外のスタッフから連絡が入った。

 それであまり乗り気でなかった。
 医療者は何とでもなる。
 しかし,兵站をどすうるのか?

 これがもっとも大切だ。
 これが確保できるのか??
 
 まあ、しかし、ロジは、外部から精鋭を招き入れた。
 すでに現地でのさまざまな状況やネットワークを確保したらしい。
 それでようやく、私も不安ながら、GOサインをだすということになった。
 果たして上手くいくかどうかは不明だが、本日、先遣隊が出発する。

 ミャンマーの津波のときもそうだったが、若い人間が前に出るときに、私はあまり止めない事にしている。
 行けば、医療専門職ゆえ、邪魔になることはあるまい。
 しかし行くからには、どこの組織よりも、確実に成果を上げてほしいと願う。

 そういえば、ミャンマーのサイクロンそしてそれに続く津波のとき、日本政府の医療団は、かなり遅れて入ってきた。
 まあ、いつものことながら、遅すぎるということかな。

 私たちは海外での医療活動のために生きているから、せめてアジアで災害があったときは、真っ先に飛んでいって、被害者を救うことができれば有難い。

 まだまだ課題が多いが、組織も人間と同じ。
 経験を一つずつ積み重ねるしかない。

 とりあえず、今日、ジャパンハートは飛び発つ。
 


by japanheart | 2013-11-13 01:56 | 活動記録 | Comments(3)

5%の実感

5%の実感

 最近特に感じることがある。
 人は、どのようになれば満足した生き方というのだろうか?
 時間を忘れ、無我夢中で生きている、そういう状態以外に、果たして満足とか充実とかいう瞬間があるのだろうかと?

 冒険家 植村直巳はなぜに、死すまで冒険を続けたのか?
 イチローはなぜ、いまさらヤンキースへ移籍したのか?

 最近は、彼らの気持ちがわかるようになってきたと思う。

 人は、1000メートルの山を登ると、2000メートルの山を目指し、やがて地球上に存在するすべての頂きを制覇する。
 しかし、そこで終わりを迎えないのだ。

 人という性は、さらにその人に過酷な運命を要求する。

 その次に、人は地上に存在する最も高い頂きに、再び挑戦をする。
 しかも、前回よりもさらに過酷な条件を自分に課すのだ。
 前回よりも、険しい経路を選択をする、装備を不十分にする、たった一人で挑もうとしたりもする。

 その前回との違い、そのわずか5%のストレス、その5%の過負荷がその人の生きている実感となる。
 それが重過ぎると、すべてを失うことにもなる。
 それが軽すぎると、生の実感を感じることができない。

 悲しい人間の性かもしれない。

 上を目指しても人間はもう十分だと満足することはない。
 上に到達すれば、必ずもっと上を目指すことになる。
 そしてどこまでも、どこまでも満足しない。
 そして、現状にとどまることは、上を目指している人間にとっては、半ば死んでいるような状態と感じるのだ。
 生きていても、生きている実感がわかない状態。
 そういう人間には5%の負荷が必要になる。
 この5%の負荷を背負っているときだけ、その人は本当に生きている。

 この5%といつも向かい合っている人間は、現状にとどまっている人間の群れが、景色にしか見えない。
 違う世界の生き物に見える。
 まさに現実の世界と、霊界が同時に存在し、死者と人間が歩いていても交差するような世界を見ていることになる。
 
 そんなストレスを抱えて生きなくてもいいのではないかと思う人間も多いだろう。
 しかし、私の経験からするとこれは、どうしようもなく運命的な匂いがする。
 
 しかしながら、どんな人間も道を究めていけば、仕方なく放り出される世界であることも事実だと思う。

 どちらの道を行っても、終着駅は、死。

 人はなぜそこを目指すのか?
 
 本当の快楽とは何なのか?
 本当の快感とは何なのか?
 
 本当の快感は、本当の快楽は、必ず苦痛や苦しみを含むものだと理解しなければならない。
 うれしさだけの、喜びだけの、快楽や快感は、もっとレベルの低い程度のものだ。

 究極の快楽・快感は、激しい苦痛と苦しみのその先にある。
 それは経験したもののみ分かる世界だが、それを知ってしまったものは、本能でそれを求めるようになる。

 植村直巳もイチローも、その快感の中毒といえるかもしれない。
 
 
by japanheart | 2013-10-01 01:03 | 活動記録 | Comments(1)