ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:活動記録( 372 )

アジアの中の日本へ

アジアの中の日本へ

 医療支援をするときにも、災害救援をするときでも、たとえ戦争をするときでさえ地政学上の優位性という概念を欠落させていると、組織の命運を失ってしまう。

 アフリカはヨーロッパから近く、南米はアメリカから近い、しかし日本からははるか遠くに位置する地域になる。
 だからおそらく日本からアフリカや南米を支援しようとすると、アジアに比べて何倍もの資金を必要とし、成果も思うように残せなくなってしまう。
 逆に、ヨーロッパの国々はアフリカを支援しやすく、アメリカは南米を支援しやすい。
 緊急支援ですらアジアならば翌日には支援を届けることができるが同じ資金を用意してもアフリカにはどのくらいに日数を必要とし、しかも到達できる援助どのくらいに目減りしてしまうのだろう?

 
 第二次大戦時、真珠湾攻撃を敢行した日本海軍は全く地政学上の常識を無視したものだったと思う。
 はじめからサイパンやフィリピンでアメリカ海軍を迎え撃っておけば日本はあんな惨めな結末はなかったと思う。

 戦争も支援も距離に比例して兵站は伸びきることになる。
 これは現在でもまだまだ変らない現実だと思う。

 だからアフリカや南米で支援を行っている組織の苦労は想像に余りあるし、本当にがんばってほしいと思う。
 逆に、アジアを拠点に支援をしている私たちは当たり前に、もっと多くの成果を残さなければ努力が足りないということにもなる。

 この夏も、秋も、そして冬を迎える今も日本からの医療スタッフはたくさん訪れミャンマーでは医療活動を50人体制で行うことができている。
 これがアフリカならば参加人数は10分の1 程度になる可能性が高い。

私の考えでは、日本はやはりアジアでしっかりと成果を残さなければならないのではないかと思う。
日本政府にはされども、アフリカや南米でがんばる日本人たちにもう少しサポートをお願いしたいと思う。

 国単位でみれば、アフリカや南米は将来は日本にとっては大切なパートナーになる国々が多くあり、将来の投資になるので。そんなことは政府の人間も分かりきっていると思うけど。

 今後も日本の誇りとなるような活動をさらに発展させていきたいと思っている。
 僕がやるんじゃなくて、これからもたくさんやって来るであろう日本の次世代の人たちが中心でやってもらいたい。

 私もいつまでもこんな激しい生活ができるわけないので、よろしくお願いします。
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 (日本から参加したボランティア医師・看護師たちと 2014年11月)
by japanheart | 2014-12-01 15:27 | 活動記録 | Comments(0)
マイノリィティーマインド


私の中に人間が能力を開発しやすい環境というものがあるという自覚がある。
その環境とは、ひとことで言うと、マイノリティーマインド(少数派的精神状況あるいは弱者的精神環境)をもつということになる。

これは私の造語だが、これの反語なる言葉は、マジョリティーマインド(多数派的精神状況あるいは強者的精神環境)となる。
途上国で人材育成をしてみて大切なのは、もちろん個人的な情熱や能力ということもあるが、それを発揮する上でも大切な前提がある。
それがマイノリティーマインドだ。
ジャパンハートの活動に参加してくれた人間ならば分かると思うが、ミャンマーをはじめカンボジアでも、一般的なイメージと乖離するくらい現地人の中に優秀な人間が育つ。
なぜならば、彼らにはトレーニングする環境が現地人にあるにもかかわらず、マイノリティーな状況下なのだ。
多くの日本人の中の、少数の現地人という環境。
それが秘訣となる。

アジア人は一般的に日本人よりも働かないと思われている。
それはアジアという海外ではおおむね正解である。
なぜなら、彼らが自分の国で、サボっても手を抜いても自分を大甘にみてくれるの環境をよく分かっていて、それに甘えているからなのだ。

ところが海外にいるミャンマー人やカンボジア人は本国にいるその人々よりもよく働きよく学ぶ。
そして結果的に優秀な人材になる傾向が強い。
日本人だってそうだろう。
単身、アメリカやユヨーロッパなどに留学や働くために乗り込んだ人間は、そのようにがんばるものだ。
だから結果がついてくる。
ブラジル移民やアメリカ移民がすごい成果を残すのはそういう理由からだ。
自分の存在や能力を認めてもらうためにそうするしかないのだ。
同じ人間が本国にいると、そう簡単には上手くいかない。
なぜならば、人間は多数派的環境になるとそれに甘えてしまうからだ。
海外へ英語を学びに行っても、話せない人は折角のマイノリティーな環境を捨て、日本人たちでつるみはじめ、結局、マイノリティーマインドの利点を生かせないまま能力を開花させずに終わってしまう。
その結果、危機感を失い、精神的不安定感や圧迫感を嫌い、努力をしなくなる。
だから1年経っても話せない。

言ってしまうと、海外へ行ってもマイノリティーマインドをもてる人間は、国内にいてももてる可能性が高いので、わざわざ今の時代、語学を学ぶために留学する人必要はないのかもしれない。
まあ、習得がスピードアップはするし、問題点や文化も理解しやすいのでそれなりのメリットもあるが。

話を戻そう。

マイノリティーマインドは、たとえ自分がマジョリティーの状況でも、持ち続けることができればきっと人間の能力は思ったより開花する可能性がある。
常に孤独に耐え、自己の存在の危機におびえ、時間を惜しみながら事柄に対処する。

もっと大切なのは、マジョリティーマインドの弊害に陥らないことだ。
多数派になると人間はエゴが拡大しやすい。
エゴの拡大は個性の発揮とは違う。
個性の発揮とはすなわち、先天的素質の開発。
エゴの拡大とは後天的くせの増長だ。
気をつけなければならない。

多数派でないと思っている人間が、いじめはしない。

人は知らず知らずの間にマジョリティーマインドをもってしまう。

もしいつもどこでも自分の能力を目覚めさせたいと思うなら、このマイノリィティーマインドを心がけるといいと思う。
自分はいつも少数派で弱い立場なのだと自分にいいきかせ、自分を制御するといい。

また逆に、人を育てたければマイノリティマインドを持たせるような環境を用意するといい。

これは私が現場で得た知恵だ。

是非、お試しあそばせ。
by japanheart | 2014-11-11 11:01 | 活動記録 | Comments(0)

日本のNGOの将来について

日本のNGOの将来について

これからの日本のNGOはどのようになっていくかというとそれは既に大方、決まっていると思う。
どうせ欧米型のNGOのようになるに違いない。どんどん大型の組織が生まれる。
多額の宣伝費をかけ、多額の寄付を集める。
多くの資金が必要な事柄を抱える組織はそれはそれで仕方ないと納得するしかない。
寄付は宣伝に2億円かければ6億円は集まる。
寄付する日本人たちはそれで納得するだろうか?自分の寄付が宣伝広告費になっていくことに。

しかし現在、多分そういう団体に多くの人たちはその現実を知らず寄付しているから、納得する以前の問題かもね。

世界に出て本当にしっかりした規模の活動をしていこうとするとどうしても資金はいる。
だって、そこで働く日本人たちも現地スタッフも給料を立派によこせというのだから、どこかを削れるわけではない。
規模だって妥協できるはずもない。人命や人生がかかっているような事柄であればなおさらだ。

日本社会との妥協ラインは一体どこなのか?
ずっと考えてきたんだけど、最近はある事柄を思い出した。

昔のロンドン軍縮会議の戦艦の比の妥協ライン。
大英帝国:アメリカ合衆国:日本=10:10:6.97
このとき、日本が7になれば、イギリス、アメリカとも日本に単独では勝てない可能性が強いと踏んでいた。
そのくらい日本の海軍は能力があったということかもしれない。

ということで、何の根拠もないけど、欧米型のNGOが10の宣伝費をかけてお金を集め、何かをしたときに、私たちは6.97くらいの宣伝費をかけ、お金を集め、欧米の大型のNGO以上の成果を出すということを考えてみた。
日本のスタッフにはそれくらいの能力と成果を求めることになる。

足らないところは人的な資源とその能力で有史以来補ってきたのがこの日本という国柄だから、まあ、今後もそんな感じで行くしかない。

何でも欧米のやり方にまねする必要はないと思う。
効率論は、時として破られるのだ。
とにかく勝ちゃいいんだろう的なのりで日本の企業は、世界を席巻してきたしね。

世界に冠たる日本のNGOを作ってみたいと思う。
その時、それはもちろん、今までに誰も見たことがないような宇宙戦艦ヤマト的な組織のインパクトになっていたいものだ。

日本のNGOは一体、どうなっているんだ??といい意味で畏れられたい。

ここから10年で日本もアジアも大きく変わる。
10年後、NGOはどうなっているのだろうか?

誰も思いつかないそんな世界に踏み込んでみたいと思う。






by japanheart | 2014-10-22 03:21 | 活動記録 | Comments(0)

身の程を知ること

身の程を知ること

今年で、私が国際医療を担う医師になることを決心し医学部を目指しまる30年が経過し、
海外医療をミャンマーではじめてからまる20年が過ぎ、
ジャパンハートをつくりまる10年が過ぎた。

 何だかんだの節目の今年、で、外務大臣表彰と沖縄平和賞をいただく事ができた。私自身にとってはそれはさほど意味を成さないが、支援してくれた人々や活動を支えてくれたスタッフたち、そして苦労をかけた家族のためにも、なんだか理屈の通った言い訳ができたみたいで少しほっとしている。
 
 最近では、現地人医療スタッフや日本人医療スタッフたちがどんどん力を付け私は引退前のピークアウトしたかつての名打者のように代打で時々、舞台に立たしてもらっている感じがする。
 スタッフたちにそのように言うといつも、「そこにいてくれることに価値があるんです!」といわれるが、
それではなんだか病院のいたるところにある仏像と同じ扱いだな、と素直に喜べないでいる。
 技術を見せつけないと人から尊敬を勝ち得ないようでは、人としてまだまだだと、反省している。

 たまたま先日全く偶然に、あるフォルダを開いたらこの10年間のさまざまな現地での活動の写真が何百枚と出てきて、懐かしい顔をたくさん見かけた。
ジャパンハートや私という人間に不満を持って立ち去っていった人間もその中にはたくさんいた。
しかし、みんないい顔をしていて患者と触れ合っていたり、笑顔で仲間たちと写っていたり、ホントみんないい時間を過ごしていたんだなと、改めて感じることができた。

そして何より思ったのは、このような人たちの努力の積み重ねで今の私やジャパンハートという組織があるのだなと、思った。
そして、その中の誰というわけでもなく、その人たちの人生の合力の功績に対して自然と敬意と尊敬の念、そして感謝の想いが沸いてきたのだった。

この節目の時期に天は、驕るのではなく足元を見ることと、自己の身の程を知ることを私に要求している。



by japanheart | 2014-08-25 03:46 | 活動記録 | Comments(1)

一から広がる世界

ようやく、ラオスの腎臓がんの子どもは日本に来れた。統計的には日本で治療できれば生存確率は7から8割。
あと1週間、来日が遅れていたら繰り返す嘔吐や低栄養、脱水あたりで死んでいたと思う。
あのタイミングでラオスを訪問できてよかった。

日本人たちは今日も、肥満を気にしながらおいしいものを食べ、世界の飢餓の子どもたちを心配する。
所詮、他人のいのち。
それは、現実に起こっているだろう事だが、映画の中の出来事のように感じる。
それはそれで仕方ないことだと思う。
人間は、同時に空間をまたいで生きることはできない。
アフリカの飢餓が、カザの空爆が、どんなに許しがたい現実の出来事であろうとも、自分の現実にならない限り動けないのだ。
人間とはそういうものだ。

そう考えるとこれらに介入するためのポイントは、それを如何にそれぞれの人間にとっての現実にできるかということになる。
しかし、それは向こうからはやってくることができない。向かうからやってくるような認識を作り上げることができるのはマスコミの力だと思うが、それを行使できるマスコミと人間が少ないのは悲しいことだ。
 いくら有名人でも自殺した人間の話や芸能人のゴシップを繰り返し流しても、誰も助かりはしない。
日本の政府にアジアの富裕層相手の病院建設のためにODAを与えるその5%でも貧しい子どもたちの有効で、確実な
わたしたちのような活動にまわしてくれるのが国民の声だとしたら、TVや新聞をそのようのな貢献のためにたとえ3%でも裂くのが世界の常識になればいいなと思う。

第二次世界大戦の前に杉原千畝という外交官が迫り来るナチスやソビエトの迫害からユダヤ人を救うために数千枚のビザを日本本国の命令に逆らって書き続け多くのユダヤ人を救った有名な話がある。
これのポイントは、彼にとってのユダヤ人はやはり自分にとっての現実になったということだ。
彼には大切なユダヤ人の友人がいたという。11歳の少年とその家族だった。
彼が書いた命のビザの最初のものはその家族に対するビザだったのだ。
彼にとっての現実は、迫害を逃れたいと逃げてくる多くのユダヤ人たちではなく、この家族だった。
その家族がいて、そしてその向こうに数千人のユダヤ人たちがいたのだ。

それが私がたった一人の命の医療にこだわる理由なのだ。
私の前に現れたラオスの1歳のがんの少女こそは私の現実であり、世界に多く存在する同様の子どもたちはいまだに現実ではない。
しかし、あえて言うと、そのまだ見ぬ子どもたちが、この1歳の少女の向こうに存在すると確信している。
多くの子どもたちを救いたければここから始めるしかない。
自分と接点のない世界の悲劇は、私の人生に力を与えてはくれない。

理性は動いても、心が動かなければ、世界は変えれない。

今日、岡山医療センターでこの子の手術が始まる。
日本の小児外科の重鎮で中四国地方でナンバーワンの小児外科医 青山興司先生と彼の後継者でこれから日本の小児外科の世界を背負ってたつだろうと私が確信している中原康雄先生が執刀してくれる。

昼寝でもして結果を待とう。




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by japanheart | 2014-08-07 02:36 | 活動記録 | Comments(1)

常識を疑え

常識を疑え

 国際貢献なんて、特別な人間じゃないとできないということが常識だった。
 特に医療は、経験年数があって、英語などの外国語もできないと、やる資格すらないのだというのが常識だった。
 国際医療貢献は、保健・啓蒙活動が中心で、治療を主とする臨床医療を行うなど、時代遅れだと当たり前に思われていた。

 私はこれの全ての常識を疑った。
 もちろん揶揄もされたし、非難もされた。
 しかし、自分のこころの声と内なる基準に素直に従ったのだ。
 もし言葉が大きな障害になって、医療ができないとすると、医療はサイエンスではなくなってしまう。
 途上国で臨床医療をすることが、時代遅れならば、目の前にある先進国で行われている臨床医療そのものも否定されるべきものだからだ。
 
 今から思えば、それらは常識などではなく、単なるトレンドであったのだ。

 果たして、途上国の数万人の人間がその恩恵を受け、たくさんの人生が救われた。
 英語などしゃべれなくても国際医療をしたものは数千人に達し、実際の途上国の患者たちに医療を届けた日本人は数千人に達した。
 
 つまらない世間の常識など、吹き飛ばしてしまえばいい。

 日本でも医療過疎地があるのに何で外国なんだ?
 日本で小児科医が足りないのに、なんで外国でやるのだ?
 自分ではそのために行動できない人たちの非難をたくさん受けた。
 そんな彼らの常識に目もくれずに、自分のこころの声に従った。

 その結果、海外に来た人たちの力を借りて海外だけでなく今では日本国内の僻地・離島に派遣した医療者も100人以上になった。
 日本の小児科がなかなかできないがんの子どもたちと家族のための事業も始めることができた。

 今回もラオスから1歳の小児腎臓がんの女の子をつれてきて日本で治療する。

 何でその子だけなんだ?
 ほかにも一杯、同じような子がいるじゃないか?
 と声が聞こえそうだ。
 
 一人も海外のそんな子どもを助けることができない人間たちがそんなことを言っても説得力があるか?

 一人でも助かりゃいいじゃないか!
 
 多くの人を助ける仕組みを作るのは大変なことなんだ。
 その大変さも知らないから、簡単に建前論を言う。
 
 そんなこと、簡単にできていれば日本で医者たちも今みたいに苦労はしていない。

 力ない人間はこうして、一人ひとり丁寧に助けていくしかないんだ。

 ラオスの腎臓がんの1歳の女の子は8月、日本に来て治療を行うことが決定した。

 

 

by japanheart | 2014-07-19 10:27 | 活動記録 | Comments(1)
これからのアジアで何をするのか?

 先日のインドネシアの調印は無事終了した。
 インドネシアは東西に広がる島々からなり、その広さはアメリカ合衆国と同じ位になる。
 ここで災害が起こればどうすれば医療団をアプローチさせることができるのか?
 インドネシア政府主導の青年団2万8000人所属の全国組織TAGANAという団体をカウンターパートにこれから災害訓練を行っていくことになった。
 フィリピンもそうだが、一部の医者やクリニックの人たちと懇意にしてその人たちに支部をつくらせいざという時に動くのは限界がある。
 そして、アジアの国々の人々は今までのような格下の相手ではなく、対等のパートナーとして上手くやっていってくれると思う。
 だからそれぞれの国でジャパンハートがカウンターパートにするのは全国的な組織ということになる。
 インドネシア、フィリピン、ミャンマー、徐々にその範囲を拡大していく。

 さて今日の話はそれよりも、アジアの今後を俯瞰して私たちがやっていかなくてはいけない役割とは何かについて再確認しよう。
 1)これからのアジアは、貧富の差はどんどん広がる。
 2)意外かもしれないが、東南アジアの国々はかなりのスピードで高齢化社会に突入していく。
 3)国民皆保険を十分に発達できないような経済格差が都市部と地方に存在する。
   (都市部と地方の経済格差は30から40倍になるといわれている)

 ここから導かれる解は、貧困層は相変わらず医療にアクセスしにくい状況が続くということになる。

 これらに人々に医療を届けていくのがこれからも私たちの使命のようだ。

 さらに私がもう一つやってみたいことがある。
 今まではあえてそうしなかった方法だ。
 その地域の人々に見合ったレベルの医療を提供していくということだったが。
 簡単に言うとミャンマーの貧困層の人々に、日本の人々が受けているような最新の医療行為はしないということだ。
 それなりの理由があったからだが、、。

 これを大きく変えていこうかとも思っている。
 せめて、手術は最先端の手術器具を使い、先端の治療を行ってあげたいなと。
 そうすれば、富裕層の人たちほどではないにしても、それなりの満足と安心は得ることができる。

 これが正しいことかそうでないかは分からないが、誰も損しないならやってみよう。

 最近すごく感じていることがある。

 それは、ジャパンハートの医療のあり方自体がもうすぐ大きく変化するだろうということだ。
 それは私たちの要求というよりは、時代の流れということだと思う。
 それに、適応するように変化すればそうならざるを得ないということだろう。

  最後に、、、。 
 
人間、時間があれば余計なことを考えてしまう。
 目の前のことに、一生懸命に生きて死んでいくのが幸せなのだろうか?
 ふと振り返れば、あっという間の数十年。
 大きな目標を掲げ、あるいは何かの目標や目的を達成するために、今日や明日はやりたいことや時間を犠牲にして生きてみる。
 そんな生き方は今の私にはもうありえないと思う。
 その生き方をできる人間は、無邪気にも明日や数年後の自分の生を信じている人間だけだ。
 私には、その確信が持てないのだ。
 だから、せめて今の時間に生の確信を求める。

 大きな栄達は結果であって、目標にしてしまっては人生台無しになる。
 その過程の時間を常に、意識して生きてみたい。

 私はあとどのくらいのことを成すことができるのだろうか?
 たとえ、どんなことが成せたとしても今日という一日一日に満足しなければ、死んで生きているようなものだ。
 人は生きて、そして死んでいかねばならない。

 この部屋の窓の外から入る夜風が心地よい。
 私はこの風の心地よさを感じるために生まれてきたのだ。
 

by japanheart | 2014-06-22 02:40 | 活動記録 | Comments(3)

日本政府を嘆く

日本政府を嘆く

 政府は国民以上にはならない。それは、国民から選挙で国会議員が選ばれているいる以上は当たり前すぎ話し。

 どうして、人間は上に立ったと思った瞬間から、このようになってしまうのだろう?
 あるいは相手が、政府の役人だと思った時から、日本人たちはそんなにへりくだるのだろう??

 今、国際協力の分野での日本政府のやり方はパターン化されていて、まず比較的簡単な草の根の支援を政府の予算の一部を使って行う。
 次に、JICAなる組織を使ってどんどん援助を落としこめて行く。
 それで結構いい線いけていると考えているのが彼らである。

 しかし考えてほしい。
 世界は広い。
 そんなものでカバーできるわけがない。
 
 見る人が見たら、穴ぼこだらけで、笑っちゃう!

 この大きな穴を誰が埋めるのかといえば、民間に頼るしかない。
 民間の人々が動き、政府のやっている間隙を埋めていくしかない。
 問題は、その民間も政府も、もうその内容や価値を判断できる人間がその場にいないことが問題なのだ。
 しかも、この上から目線とお金ほしさの下からのへりくだり。
 政府の援助をもらうと、よく言われることがある。
 きめ台詞はこれだ!「国民の税金なんで。」
 僕はその国民の一人なんだけどと思ってしまう。
 自分のお金を自分で大切に使えない人間はバカである。

 たとえば、私の専門分野。
 アジアの人命にとって最も重要なポイントは何か?
 そりゃ、子どもの命でしょ、となるが、カンボジア、ラオスの子ども病院は韓国が全部先に手を入れてすでに日本は蚊帳の外。
 ミャンマーの心臓病の子どもは100人に1人いて、手術をしなければ大方近い将来に死ぬ。
 しかし、子どもの心臓外科医は一人もいない。
 これってどう???
 100人に一人の子どもの命ってすごくない?
 これって日本がすればすごくない?価値があることない?
 未来永劫、100人分の1人が助かっていくってすごくない?
 
 でもそのことを発見できた人間は僕だけなんだ、、、、。
 
 でもそこはぐっと我慢して、外務省に行ったのだ。
 そこで外務省の人間から言われた台詞を国民のみんなが聞くとびっくりするぜ。国民の代表としていったのにね。
 アジアの富裕層相手の病院経営のためにしこたま企業を支援して支援金のお金を出すのはいいけど、せめてその一部でもアジアの貧困層の子どものために使う。本当に、本当にだよ、効果があるこんなことに国民の税金の一部をつかってもいいじゃない?

 どっちに税金を使ってほしいのか?
 聞いてみるといい。ドナーの国民にだよ。
 僕はきっと国民の常識を信じるね。

 アジアの子ども病院だって、日本がやればいいだよ。
 民間を信用しないから、そこにきづかなかったんだよな。
 わずか600万人の人口のラオスにJICAが派遣している人間の数と予算を聞いたら国民はほんとにそれがバランスがとれたことだと思うかな??

 僕に任せてくれたら、アジアでほんとに必要な医療支援は軒並み日本が主要な役割を果たせるようにする自信があるけどね。
 僕は民間の人間だからな、、。政府はまた適当にやるだろうね。


 今からインドネシアに行ってきます。
 インドネシア政府と正式に調印するんだ。
 災害の国際緊急救援の枠組みをアジア全域に張るその始まりよ。
 インドネシア政府はそれの価値を分かってるんだね。
 日本政府はね、だめ!!JICA,JICA,JICA.......
 やがていいポジションを子ども病院のようにほかの国に持っていかれる。
 
 でも安心してくれ!日本国民の若者たちよ。
 僕が君たちがそれを実現できる枠組みを身を挺して残しておくから。
 
 日本人はすごい!本当の友達だ!!
 日本人はありがたい!って
 必ず、君たちに言ってもらえるようなそんな仕事ができる枠組みを残すから。

 日本政府はぼくらのことをなめてるのかね??

 
 


by japanheart | 2014-06-08 14:50 | 活動記録 | Comments(3)
再現性という魔術ーその2


 再現性の効力についてまだ、認識不足のようだから今日も再度、それについて話したい。
 究極の再現性はどういうときに発揮されるか?ぴんと来ないからその有効性を認識できない。

 究極の再現性は実は、生死を分ける戦争のようなときにこそ発揮される。
 山本七平さんが生前、第二次世界大戦の日本兵の優秀さについて書いた場面がある。
 一読されたし。
 その優秀で強靭な兵士たちは、武器ももたしてもらえず到底、日本兵ほどの訓練も受けていないアメリカの若い兵隊たちに火炎放射器で黒焦げにされたり、爆弾で吹っ飛ばされたりしてしまった。

 それ以外にも、もちろん戦闘機のパイロットたちの優秀さは戦争が始まったときには世界でも群を抜いていたと思う。

 しかし、その優秀なパイロットたちは結局、初期のうちにほとんどが死んでしまった。
 名人ばかりをそろえても、それに続く平均的な人々も育っていなかったからだ。

 どのようにしてアメリカがその人的なギャップを埋めたか。
 その人的ギャップを上回る圧倒的な兵器を作り出したのだ。
 戦闘機もしかり。

 この再現性は、別の言葉でいうと、科学性と言い換えてもいいのかもしれない。
 科学性を、もって事に当るようになれば、個人の頭の中から思考が飛び出し、構造的に、そして具体的になっていく。
 構造的、具体的なものは誰にも再現が可能になる比率は圧倒的に高まる。
 東洋医学と西洋医学の差は実はそこにある。
 東洋医学の名医たちの医術は、再現性に乏しいゆえに、持続性が薄い。
 彼らはまさに芸術家のようなものだ。

 だからこそ私は、ジャパンハートという組織を再現性のある組織にする。
 そうすることで組織にも、活動にも永続性が生まれる。
 それができれば、社会が受けるメリットは圧倒的に大きくなる。

 日本人はマネージメントができないとよく言われる。
 それは科学的な思考が、できないことに起因する。
 科学的な思考が自分に落としこめるようになると、自然とマネージメントができるようになると思う。


 さて、最後にこれはいっておかねばならない。
 では最高の形はどういう形なのか?

 それは、上に立つものが卓越した芸術性を持ち、下のものが再現性を強く実現できているような組織である。

 日本の医者に多くいるゴットハンドたちは、どうも下の人間を大切にしていない人が多い。
 あるいは、一匹狼な人が多いのは困ったものだ。
 それはすなわち再現性の弱い組織を生み出してしまう。
 頭だけでっかくて、体が小さいとバランスが悪くなる。
 肉体も組織も同じである。 
 


by japanheart | 2014-06-03 02:40 | 活動記録 | Comments(0)

再現性という魔術

再現性という魔術


 私は”ゴッドハンド(神の手)”ともてはやされている人間は、好きになれない。
 別に、嫉妬からそう言っているのではない。

 組織を、あるいは医学と置き換えてもいい、それを発展させていくためにもっとも大切なことは何か?
 上にいる者たちの芸術性と下にいる者たちの再現性だと思う。
 
 マニュアルというものがある。
 これの正体は、下にいる者たちの平均への引き上げの目的にある。
 能力高きものは、マニュアルに従えば当然、パーフォーマンスは低下する。
 なぜならば、人を相手とする場合、この世に同じ人間は存在しないからだ。
 医療で考えると分かりやすい。

 ある患者が、重症の治療の状態にあるとき、この患者に薬を与えるタイミング、その量、あるいは人工呼吸器の設定を変更する条件などは、すべて最適化されるべきタイミングというのがある。
 ところが、マニュアルというのは、何時にどのくらい薬を使い、何時に血圧をはかりとすべて決まっている。
 それは、能力が低いものが患者を看る場合にはかなりメリットが多い、しかし、医療のレベルが高いものがそれに従うとき、患者にとっての最適化のタイミングをみすみす逃すことになる。
 よって結果は、実力以下になる可能性が高い。

 では社会にとってマニュアルを作ることは是か非かといわれれば、それを作るほうが圧倒的に利益が大きい。
 STAP細胞を引き合いに出すまでもなく、再現性をなすことが科学であり、それが人類の進歩を約束してきたといえる。

 ゴットハンドな人間は、再現性がない。
 よって、社会にとってはメリットよりもデメリットのほうが大きい。
 私たちが考えなくてはならないのは、そのゴットハンドを誰もができるものにどう仕上げていくかということである。

 彼しかできない手術を、ある機器を発明することによって誰もが再現可能な技術にすることが科学であり、社会利益が最も達成されることなのだ。

 ゴットハンドを会いも変わらず重宝する日本は、医学が科学ではなくて、芸術であると勘違いしているらしい。
 それはよくないことだ。

 それは突き詰めれば、宮本武蔵が、銃弾を切り落とすという幻想まで抱かしてしまう。
 達人 宮本武蔵はほとんど未訓練の兵隊が撃った銃弾に当り死んでしまう。
 その兵器を発明するのが科学ということだ。

 だから私はスタッフを再現性をもって引っ張り上げていこうと誓っている。




by japanheart | 2014-05-24 10:38 | 活動記録 | Comments(0)