ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:活動記録( 372 )

どんな医療が必要とされるのか?

 今後、アジアの途上国ではどんな医療が必要とされるのか?
 よくされる質問の一つだ。

 結論は、日本のような医療かな、、、。

 アジアは急速に経済発展し、近代化が加速する。
 電話線のない生活は、電話線のようなインフラを引くことを飛び越え、携帯電話の普及が先に来た。
 カンボジアでもミャンマーでもラオスでも、田舎のそれこそ農家の人たちが、スマホを日日の生活に当たり前に所有している。
 先日、ラオスの田舎から日本につれてきて治療した1歳の腎臓がんの子ども。
 ある時、ラオス首都ビエンチェン郊外で手術をしていたら、ラオス人スタッフが私にハイ!とスマホを渡した。
 するとそのスマホの画面の中でその子が笑って手を振っている!
 えー!この子、すごい田舎の子と聞いていたのに。そして、この親も普通にスマホもって生活しているわけ?

 私が活動するミャンマーの中部ワッチェ村の慈善病院。
 なんと、最近は入院患者がほとんどスマホを覗き込んでいる。
 こ、こんな田舎でも!しかも3G,,,,,。

 国が閉ざされていた頃、手術は特に私たちが最もお金をかけないでやれる方法を選択することは正当だった。
 日本では簡単なヘルニア程度の手術でも、腹腔鏡というカメラを使った手術をいちいち大金をかけて行っている。時間もかかるし、お金もかかる、おまけに全身麻酔が必要になる。
 でも、たぶん今ではそれがスタンダードになりつつあるのかもしれない。

 私たちは、そうはしていない。
 局所麻酔ですむし、お金もほとんどかからない。

 でも、もしかしたら、とふと思う。
 今後、この治療法を行うことは、遅れた治療を行うことだと、例の医師たちがまた揶揄してくるかもしれない。
 だから、もしかすると患者には良いか悪いかは別として、日本と同じような治療法を選択しなくてはならなくなるときが来るような気がする。
 お金もかかるだろう。

 もしそうしなければ、日本人たちは遅れた治療をしているということになるかもしれない。
 というのも、経済発展は都市部の富裕層に日本と同じ型の同じ価値観の医療を提供するようになるからだ。
 そしてそれが標準になり、それが正しい治療法だということになるかもしれない。

 医療は発展という名目のもとで、当たり前に産業化され、当たり前に高額化し、人々は貧しかろうが豊かであろうが、今までよりもたとえ効果は同じでも確実にたくさんの金銭的な要求をされることになる。
 これは果たして多くの人たちを幸せにする仕組みなのか?
 
 特に国民皆保険制度のないアジアの国々では患者負担は大したものになるだろう。

 
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by japanheart | 2015-03-20 02:02 | 活動記録 | Comments(0)
子どもひとりの命ーいくらなら払う?


 アジア各地で医療をしてきて、日本人からするとわずかなお金が払えなくて子どもの命が亡くなってしまった話は枚挙に暇がない。

 かたや日本では心臓移植をするために海外に旅立つ子どももいる。1億円は最低必要だろう。

 私はジャパンハート組織してからすでに10人くらいは日本へ子どもを搬送し治療をしてきた。
 現在も2名の子どもが日本で治療を受けている。

 1名は産経新聞の心臓病専門の基金を利用し、東京女子医大で心疾患の治療を受けている。
 もう一人は首にできた巨大な腫瘍で昨日、手術を20時間もかけて岡山の国立医療センターで受けることができた。

 海外から子どもをひとり連れて来て治療を行うのは決して簡単なことではない。
 1度や2度は出来ても、10度、繰り返すのはなかなかの仕事になる。
 
 手術や治療というのは最後の山場ではあるが、それまでにはさまざまな苦労がある。
 まずは1月以上の期間、医療用語のわかる通訳の手配とその宿泊先の確保、また患者とその家族の搬送、
日本サイドでは、長期間海外の病院という閉鎖的な環境で生活をしなければならない家族や外国人通訳に対するメンタルケアーというフォローも必要になる。

 そしてお金の問題もある。
 
 まともに日本で保険外の治療をしたらあっという間に1000万円くらいは請求される気がする。
 
 初めて日本に患者を連れてきたとき、そのくらいのお金は覚悟をしていた。
 そんなお金を一度に、しかもたったひとりに投入するなどということは、ちょっとどうなの?と多くの人に揶揄された。
 ほかにもたくさんそんな患者がいるでしょ??という感じだった。
 私はそうは考えなかったから日本に連れてきたが、そういう人は1億円もかけて世間から寄付を集めて心臓移植を受けようという日本人のことをいったいどうかんがえるのだろうか?

 まあしかし、航空券代やもろもろの費用はどうしようもないが、治療費か目玉が飛び出るくらいに国立病院機構の岡山医療センターは安くしてくれている。
 だから何度もそこで治療を行えるのだ。
 ありがたい事に。

 わが子であれば、いったいいくら払う?
 親友の子どもだったら?

 私たち医療者は、自分の家族のつもりで患者を診るという心構えがある。
 自分の子どものつもりで治療する。

 ならばいくら払えるのか?
 他人の子どもに、いくら払えるのか?

 人として、医師として、いつもこの理想と現実の間で苦悶することになる。

 現地で医療をやっていてもそれは日常的に当たり前に突きつけられる課題なのだ。

 そういう子どもを現地で治療できるようになると経費はかなり削減されるが、ゼロになるわけでもなく、それでも結構、大きな金額になると思う。治療を現地人の医師がやろうと日本人がやろうと関係ない。日本人の医師たちは無償でやっているのでむしろコストはかかっていない。


 現地人たちで出来るようにと声を大きくして言う人間も多いが、患者から見ると助けてくれれば、別に現地人の医師でなくてもいい。
 しかし、現地人たちだけですべて回ることがそれほどすばらしいことか??
 本当にそれが自立などというのか?
 その考えはおかしくないか?
 私が、現地人たちで回るようになったほうがいいなと考える理由は、単に効率の問題で、それ以上でもそれ以下でもない。不規則な日本人医療者の流れだけでは、医療が安定しないからだ。
 
 世界中で人が入り乱れて、国境をまたぎ、産業界は外国人が無数に外国で働いているが、なぜ医療界は外国人が多く混ざっていたら自立できていないというのだろう?
 大体、今年からアセアン各国は医師免許が統一されどこでも働けるようになる。
 ヨーロッパでもそうじゃないのか?
 そのうち日本もアセアンと免許の統一がなされないと誰が言える?

 だから古い枠組みの考えに汚染されて、簡単に上から目線で自立などということを言わないほうがいい。

  さて、今回連れてきた子は首の腫瘍の13歳の男の子。
 ミャンマーでは2度、組織を調べたが悪性ではなかった。
 だから連れてきて手術をしてもらったが、今回もし日本の検査結果で悪性の所見が出れば、傷が治ればすぐにつれて村に返し、死ぬまで静かに家族で過ごしてもらおうと思う。
  日本の子どもにするように無理な治療はしない。
  
 長年、ミャンマーの人々と付き合ってきて、今はそういう形が一番いい医療だと思っている。
  

興味ある人は以下をのぞいてください。
  頸部腫瘍ミャンマーの男の子「ピョーくん基金」
 
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by japanheart | 2015-03-13 02:17 | 活動記録 | Comments(0)

負ける戦いはしない

負ける戦いはしない

 この10年はずっとミャンマーの医師たち、特に自分が偉いと思っている医師たちによってずっと活動が邪魔されてきた。
 そういう問題と取り組み続けた10年間であったともいえる。

 今でもそうだが、この手術はするなとかあの手術はするなとか多くの注文をつけてくる。
 それをのらりくらりとかわしながら、じわじわと自分の思うところを実現していく戦法をとってきた。
 なぜならば、私たちはミャンマーやカンボジアでは外国人たちであり、マイノリティーな存在であり、力がない存在だからだ。

 我慢できなくなって、切れてしまったらおそらくそこで終わりになってしまう。
 我慢、我慢の日日。
 海外でその国の人間と裁判をしたり、揉め事を起こして勝つことはまずない。
 どんなにこちらに正義があっても、結果は負けることになる。
 
 それはもう常識として意識しておかねばならない。
 アメリカでなぜ、黒人がいまだに白人警官からリンチにあって殺されても、白人は無罪になるかというと、アメリカというのは白人の国だからだ。

 前に、ブログに書いた女の子で腸閉塞で危うく死にかけた子は、人工肛門を救命するために造った。
 ちょうど腸が一塊になって腐って、全身状態いも悪かったので空腸という場所に人工肛門を造ったのだ。
 通常の場所とは少し違うが、状況からとにかくそうした。

 やがて子どもは元気になるが、この子は遺伝病で、消化管にポリープが多発するのだ。今回も、それが原因で腸が閉塞し、腐ってしまったのだ。
 胃や十二指腸は胃カメラで見ることができ、大腸は大腸カメラで見れるが、小腸はカメラで見ることは難しい。
 そこで、小腸の人工肛門から検査をし小腸にポリープがあれば人工肛門を閉じるときにそれを一緒に取って、また今回のようになることを避けようと考えた。そこで、活動地から近いマンダレーという都市の大きな政府の病院で検査をしてもらう依頼をしたところ、、、、。

 子どもの付き添っているミャンマー人スタッフ2名がその大学病院の教授と医師たちにこっぴどく怒られたらしく、びびりまくって助け求めてきた。
 「この子の腸は日本人の医者によってめちゃめちゃにされた!」
 「その日本人の医者は、本当に外科医なのか??」
 「その医者をここに連れて来い!」
 から始まりまあずっとやられたらしい。

 こういうときはいつもむかつくが、冷静に対応する。
 
 いつものことだが、かなり冷静に対応する。
 決して怒ってはだめだ。
 話が大ききなればなるほどこちらが不利になる。
 ここは日本ではない。

 そこで、ミャンマー人の責任者と私がいつも阿吽の呼吸で対応する。
 私は決して表に出ない。
 ミャンマー人同士で解決させる。
 ここはミャンマーなのだ。
 
 決して怒らないように指示を出し、そしてしっかりと彼らが嫌がる、あるいはびびる資料を用意する。

 彼らはあくまでも公務員だから、政府の一員としてルールを守らねばならない。
 
 ジャパンハートはミャンマー政府と正式に契約し医療活動をしている契約書。
 これは保健大臣と交わした契約書になる。
 保健省から医師会を経由して、正式に発行された私の医師免許。
 内務省からの許諾書。
 そして私の経歴や経験。
 その他、もろもろ。

 もしこれにケチをつければ彼は政府や内務省(今は情報省の機能もある)の許可にクレームをつけたことになる。
 もちろん私の今までの手術や治療の経験値は、彼らのそれよりも大きく上回っている。

 そうして今回も、騒ぎは静かに収まった。
 
 ミャンマー人責任者に教授はさっと資料を見た後こういったそうだ。
 「日本の先生は、忙しいのに子どものためにがんばってくれましたね!」

 その一部始終を横で見ていた怒られた二人のミャンマー人スタッフは、その後こう言ったそうだ。
 「あまりの態度の違いに、びっくりしました!!」

 長年やっているといろいろある。
 ひとつずつ、ひとつずつ乗り切って10年たった。
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by japanheart | 2015-03-03 04:59 | 活動記録 | Comments(0)

いろいろ告知

いろいろ告知

1) このブログをはじめてから、このブログ経由で私に意見を求めてくる人も多いのだが、このあたりで一言。
 ブログでのコメントはしないことにしている。
 正確にはできなかった。
 ミャンマーではネットに全く接続できなかったし、最近まで私のブログやジャパンハートサイトは検閲の対象だった。都市部でもメールにアクセスするのが精一杯だったのだ。
 URLを開くなどというのは最近できるようになったといってもいい。
 
 それと、このブログは私のブログだが個人的な相談を受け付ける場所とは思っていないので、もしも聞きたいことがある人は、FACEBOOKの私のページにアクセスし、そこからメールを送ってもらいたい。今後は。
 個人的なメールの送れるはず。また、私がアクセスしにくい場合は、ジャパンハート事務局から可能な範囲で連絡をするようにしているし。

2)今年も3月に学生対象のフェリーツアーをまたやりますよ。
 中学・高校・大学と学生ならば誰でも参加可能。
 神戸港から大分港までフェリーに乗りながら夜中までディスカッション、翌日は温泉付き個室の、ホテルに泊まり、すべて行程食事つき2泊3日で(20000円+消費税程度)になっている。
  交通費もフリー代込みですね。
 関西や中国・関東から参加しやすいかな??
 LCCが成田、関空から大分まで乗り入れているので、帰りはLCCでお帰りください。
 九州を数日旅行して帰るのもいいかもね。
 九州各地からLCCは飛んでますよ。
 早めに申し込みを。先着順らしい。

 http://www.japanheart.org/event/2015/post-28.php

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3)あと、ジャパンハートの学生部会HEART’sのイベント案内。

 認定NPO法人ジャパンハート学生組織HEART's主催
チャリティーバブルサッカー大会


北欧で誕生し、今話題のバブルサッカー。
サッカー未経験者であっても、誰でも楽しく参加できる大会です!
当日は、あのトゥギャザーで有名なスペシャルゲストも来てトゥギャザーして下さります!
皆様、奮ってご参加ください!


【開催目的】
ジャパンハートがミャンマーに設立した養育施設である「Dream Train」では、サッカーが大人気です。
私たちは、子どもたちにプロサッカー選手という夢の選択肢を一つ増やしたいと考えています。

「Dream Train」からプロサッカー選手が輩出され、それを目の当たりにした子どもたちが希望を抱き、
ひいてはそのループが継続される環境を作りたいという思いを抱いています。

その実現に向けた、「Dream Train」への寄付、サッカーを行うための環境の整備、
それに付随した現地・国内での活動に充てる資金を集めたいと考えています。
また、ジャパンハート、HEART'sの活動を多くの人に知ってもらう機会になればと考えております。
https://www.facebook.com/events/908610852513137/

【日時】
2015年3月22日(日)
14:00-18:00

【場所】
Fisco Futsal arena としまえん
都営大江戸線「新宿から直通20分」豊島園駅下車
西武池袋線「池袋から直通14分」豊島園駅下車
西武有楽町線練馬駅乗り換え豊島園駅下車
http://www.fisco-co.com/

【参加対象者】
誰でもご参加頂ます。サッカー未経験者も大歓迎です。
チームは18チーム募集致します。また、メンバーが5人以上集まらない場合は個人(または数名)でも参加頂けます。個人で参加される場合はできる限り、個人参加者同士、お友達同士でチームを組めるよう配慮致します。

【参加費】
チーム参加:30,000円/1チーム(5~10名)
個人での参加:3,500円/1人
尚、収益は全て、「Dream Train」への寄付、サッカーを行うための環境の整備、それに付随した現地・国内での活動に充てる資金と致します。

【申込方法】
申込は先着順となります。下記のURLよりお早めにお申込ください。
http://urx2.nu/gi6k
記入後、メールにて振込先をご連絡致します。
振込が確認出来次第、申込完了となります。
振込は1週間以内にお願い致します。

【大会ルール】
・バブル(正式名称:Bumper)を着用し、フットサルとほぼ同じルール形式で開催。
・審判は主催者側で行います。
・5対5でチームメイトと交代でローテーションしながらご出場頂きます。その内1名はバブルキーパー(しかし、バブルを被っているので手は使用できません)
・試合は2コートにて行います。
・43試合(1コート2試合)
予選(40試合)…総当たりのリーグ戦で行います。(5チーム×4リーグ)
決勝(3試合)…トーナメント戦
・優勝チームには賞品を用意しております。また、他にも各種表彰がございます。
・競技ルール:バブルサッカー(バブルフットボール)の公式サイト参照
 http://bubble-football.jp/about
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by japanheart | 2015-02-22 00:47 | 活動記録 | Comments(1)

ルーチンワーク

ルーチンワーク

 日日の細かいルーチンワークを大切にすることを現場ではよくスタッフたちに言っている。

 ルーチンワークは日日の土台を作り、その土台の上にあらゆる成果をのっけいていく事になる。
 土台がよく崩れていたり、形が変わってしまうと成果が積みあがらない。

 朝起きたら歯を磨く、顔を洗う、宿題をする、ご飯を食べる、、、、。
 こういうものがあなたのルーチンワークならこれらをきっちりやることをお勧めする。
 週に一回、あるいは月に一回これをする、あれをする、年に数回これをするあれをする。
 これもルーチンワークならばそれも忘れずにしなければならない。
 これらができていないで新しい試みやチャレンジ、改善などしても成果など目減りするばかりだ。
 
 人は大きな成果ばかりに目を奪われ、小さな積み重ねが大きな成果につながっていることを忘れがち。
 私たちの体がひとつひとつの細胞から出来上がっていることを意識して生きるのと同じ。
 これを忘れているとある日ある時、大きな落とし穴に陥ることもある。
 たとえば、大病を患う。それをいきなり病気になったような錯覚に陥る。
 しかし、人間の体とていきなり大きな病気発生しない。体の中で少しづつ病気が進行していく。
 この進行の具合を、いつ感じることができるのかといくことになる。
 早ければ早いほど、命への影響は少なくなる。
 
 人生というのはリズムが大切だから、このリズムを取るというのも日日のルーチンワークにかかっている。
 私たちが日日生きていく中で、自分の中から外界へ表出されるあらゆる事柄は、自身の感度さえよければある程度自分で感じたり気づいたたりできるのではないかと私は思っている。
 それを具体的には、こういう感じであるとか、どこが悪いとか、そういうことはできないかもしれないが、違和感としては感じることができるのではないか。
 その違和感というのは、いわゆる自身の安定するリズムの乱れ、リズムからの乖離ではないのか。

 日日のルーチンワークをしっかり確立して、自身のリズムを知ることは必要だ。
 心地いいリズム、安定的なリズム、狂いはじめのリズム、大きく逸脱する直前のリズム、、。

 そういえば昔々、今から40年前。私は人間には個々人のバイリズムといういうものがあることを知った。
 それがどれほど正しいのかはわからないが、自分のリズムは必ずあると思う。なんせ人間の細胞も振動しているのだから。

 大きな個人のバイオリズムは運命みたいなものかもしれないから変えようはない。
 しかし、リズムを知れば、人生のパターンみたいなものは知ることはできる。
 人間はそのパターンから逃げることはできないが、それを知れば、準備はできる。
 人間が弱いのは、不意打ちに弱いのだ。
 不意打ちでなければ、構えや防御をとれれば、ある程度の衝撃は緩和される。
 だからどうせ避けることができない不運のリズムも、そのパターンを知っているかどうかによって、不意打ちにもなるし、そうならせないこともできる。
 大きなリズムの変化は小さなリズムの乱れから予測する。
 特に大きく逸脱する直前のタイミングを知れば、準備に入れる。

 日日のルーチンワークはそのすべての源になる。
 まずはそれをしっかりとやることだ。
 日日のいいいい加減さが、未来の大失敗の主因となる。
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by japanheart | 2015-02-16 00:27 | 活動記録 | Comments(1)

患者が患者を連れてくる

患者が患者を連れてくる

 どこの病院でもそうかもしれないが、どうしても外科をやっているとその多くは命には早晩関係ない疾患も多くなる。
 特に、途上国の現場ではいまだに胃がんや肝臓がんの根治手術はできないでいる。
 その後の抗がん剤治療もないので、どうせ完璧な救命はできないからという理由もある。

 こういう、いわゆるがんの治療をしないでいると、なんか人を助けていないような気に陥るスタッフもいる。
 いのちに近々は危険がないような病気の手術をたくさんしていても仕方ないのではないか?
 という感じになる。
 私はかねがね言っているが、医療はその患者やその周りの家族の人生の質の改善こそが使命だと認識している。いのちを救う作業はその一部に過ぎない。

 しかし、どんな人の質をもっとも改善してあげたいか?と聞かれれば、死にそうな子どもたちやその家族の人生の質の改善が一番に頭に浮かぶ。

 いわゆる途上国では助からないようながんのような病気で、しかも超強力な治療をしなくても助かるようなレベルのもの。あるいは、1時間以内の手術で取り急ぎ救命できるできるものなどなど。

 ところが難題があってこういうレベルのものは、実はその国中に散ってしか発生しない。
 ということは、このような病気は患者側からこちらに向かって来てもらわなくてはならない。

 ではどうすればこういう病気がタイミングよくやってきてくれるのか?

 答えは、いのちには危険が早晩ない患者たちをどんどん治療するという方法しかない。
 そこに行けば医療があると多くに人々に認識してもらい、そしてそこで治療を受けた患者たちが自らその話をしてうわさが広がり、徐々に徐々に、患者たちがそこを目指すようになる。

 たいしたことがない病気だと患者を拒否したりしてはいけない。
 1円の大切さを認識できない人間は、1万円を得ることは難しい。
 たいしたこともないと思える多くの患者たちこそが、大きな川の流れを作り、その流れに乗って重症の患者たちがやってくる。

 3日前、ラオスでお腹がパンパンになった1歳の子どもがやってきた。
 昨年、ラオスの1歳の腎臓がんを日本で治療を行ったが、そのことうわさを聞いたそうだ。
 どうやら、胆管か卵巣か?しっかり検査するまで、はっきりわからないがしっかりとした治療が必要になる。

 毎月、ラオスで続けている巡回診療。そして手術ミッション。
 その延長線上に、腎臓がんの子どもがいて、そのまた先にこの子どもがいた。
 この子以外にも、もう一人右目の周辺が大きく腫大した1歳の子どももやってきた。

 人生も同じかもしれない。
 日々の些細なことをしっかりこなすことが、大きな成果を生み出すのだと思う。
 そういう意味では、毎日の一つ一つの事柄を大切に扱っていく心がけは必要だと思う。
by japanheart | 2015-02-08 13:17 | 活動記録 | Comments(0)

子どもの前で

子どもの前で

 先日面白い記事をどこかで読んだ。
 子どもを部屋に入れて、ひとつ飴を箱から取らせる実験。
 子どもには1つだけ取っていいというルールにしておく。

 その部屋の子どもの前に鏡を置いた場合と、そのまま何も置かなかった場合。どのような差が生まれるか?

 鏡をおかずに取らせた場合は2つ以上の飴を黙って取った子どもたちが多かったそうだ。
 鏡を置いた場合は、10人に一人も多くは取らなかったとか。

 この記事を読んで私は、子どもにとっての鏡とはなんだろうかと考えてしまった。

 真っ先に、思い浮かんだのはやはり鏡とは親だということだ。
 親が、年寄りに席を譲ることを普通にできれば、子どももそれが普通になる。
 親が、汚いことをすれば子どももその価値を許容するようになる。
 難しいことにこの鏡は表と裏があって、たとえば、他人に冷淡な人間が親だとすると、子どもはほとんど同じような冷淡な人間になるか、その親を軽蔑して生きるがゆえに、過度に親切な人間になるか、どちらかだろう。
 いずれにしろ子は親の正と負というか、表と裏いうか、そんな感じに育ってゆく。
 それがまた、両親の影響が何割ずつ混ざり合うかによって微妙な感じになっていくと思う。

しかしながら、やはり親ができる方法というのはただひとつ正しい姿を見せるしかない。
親も人間だから、いつもそうする必要は全くない。子どもの前だけで十分だと思うが、立派な父親母親を演じる。演じる必要がある。さりげなく、さりげなく。

 人間は善はコントロールできても悪はコントロールできない。
 だから悪い親を演じて、子どもをよい人間にする方法を望まないほうがいい。
 なぜなら、その子どもはその過程で深く傷ついてしまうからだ。
 その傷ついた自分を癒すために、他人を癒すようになる。
 逆に、悪い親を持つ多くの子どもは、他人を傷つけることによって自分を守ろうとする。しかし、傷つけた他人はやがて自分を傷つけに来る。

 子どもがずるいことをしたり、うそをついたりしたら怒る前に、本当はしまった!と思わないとだめ。
 自分のそういう部分をそういう部分を子どもは拡大再生産しているだろうと思う。

そういえば先日、大学入試のセンター試験があったが、多くの親たちが子どもの成績がよくないとがっかりしている。
 大体、何になりたいかもはっきりしない高校生にあれになれこれになれと親が言うのはいかがなものかと。
 子どもが自分が勉強したいといったから中学から私立に行かした親も多いが、これは根本的に親が勘違いしていると思う。
 小学校の子どのどれくらいが本当に勉強が楽しく好きで進学を希望していると思っているのだろう?
 なぜ、子どもたちが勉強して進学を望むかといえば、理由は明白で、親が言うように将来のためなんかではない。大体、そんなこと実感を持って10歳そこそこの子どもが理解するわけがない。
 じゃ、何が子どもたちが進学を望んだ理由かというと、、、。
 親が喜ぶから。これに決まっている。
 子どもたちは親のために進学している。
 長い時間をかけて子どもは親の気持ちや志向を理解し、自らも知らず知らずのうちに親の期待に応えようとする。
 いじらしいじゃない。
 だから悪い点数をとっても、子どもを罵倒したり否定したりしてはいけない。
 私たち親のためにがんばってくれてありがとう!と言わなければ。

 やっぱり、親は子どもの鏡なんだ。
 だからこういう受験は鏡の中の自分(親)が先に笑って、それに合わせて実際の自分(子ども)が笑うような違和感がある。

 もうそろそろ既存の成功モデルが崩れていっているのだから、いろいろな希望を子どもとじっくり話し合って相談したらどうだろう?

 私も子育てしていて反省させられることも多いがなるべく立派な父親を演じようとしている。

 
 
by japanheart | 2015-01-30 10:54 | 活動記録 | Comments(2)

ラオスの少女

ラオスの少女

 約5ヶ月の及ぶ小児腎臓がんの少女が岡山での治療を終え、先日帰国した。
 日本へ治療に来る前は、状態が悪く、もう間に合わないかも知れないと焦ったが、結果的に何とか間に合ってくれた。
 腎臓の腫瘍が大きくなり、消化管を圧迫し通過障害を起こし、ミルクや食物を食べれば吐くの繰り返し。
 親は状態があまり良くないとは理解はしていてもそれほど危機的は状態とは理解していない。
 明るい顔して笑顔も見れるが、こっちはいつ急変するかとヤキモキしている。

 当初の予定を前倒しして何とか日本へ駆け込んだ。
 
 国立病院機構の青山先生や中原先生に大変お世話になりながら、手術と抗がん剤治療、放射線治療を完結できた。
 国立病院の関係者各位には本当にいつも感謝している。
 
 青山先生は10年以上前に私が大学で講師をしていた頃の教授だったし、中原先生は同僚だった。
 今もってつくづく、人間関係の大切さを実感させられる。
 
 しかしながらいつも思うのは、この子どもを助けるために幾人の人間の協力を受けたことだろう。
 人間は知らない間に多くの人たちに助けられて生きている。
 しかしながら、そうやって受けた恩などにはつゆぞ思い至らず、自分が他人に対してしてやったことばかりを覚えていたり、自慢したりする。
 大体、おぎゃーと生まれたときから親をはじめどれほど他人に助けられたことか。
 こういう事実を忘れちゃいけない。
 
 医者の世界だって、技術を習う時間はたった数年かもしれないが、後進に教える期間は何十年とある。
 看護師だって同じ。
 どこの世界だって同じ。
 それくらい社会に対する恩返しにはかかるのだ。
 これは天の仕組みだ。
 受け取れば、きっちり利子を取られる。
 与えればきっちり利子を与えてくれる。
 後進に教えない人、めんどくさがる人がいるが、こういう人を恩知らずな人という。

 このラオスの少女もやがて誰に助けれらたか忘れるだろう。
 しかしそれはそれですばらしいことだ。
 この子を助けることに参加した人たちは、それぞれに皆幸せを何らかの形で受け取っている。

 この子に関わる中で私たちは、人というのはこのように多くの人に支えられ、助けられて生きている存在なのだと知り、日々感謝の心を失わないことを知るべきだ。
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      (ラオスへ帰国後の子ども)

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by japanheart | 2015-01-23 06:09 | 活動記録 | Comments(0)
また死にかけたじゃないか


 クリスマスの頃、それはイブの夜だった。
 私は日本から素敵な恋人たちの大切な日に毎年空中移動をすることにしている。
 今年もまた、ミャンマーへ向かう。
 夜ようやくジャパンハートの宿舎けんオフィスに着くと、1人の子どもがジャパンハートの看護師に付き添われて待っていた。
 今日昼頃よりお腹が痛くて苦しんでいるという。

 お腹を触ると少し塊が振れる。
 医療機器がここにおいてあるわけではないので、触ることしかできないが、いくつかの病気を頭に思い浮かべながら子どもを診察し、一度、浣腸をしてみた。

 あまりよくならない。

 その後点滴を採り、経口のものは全て控え、朝まで様子を見た。
 あまりよくならない。
 
 子どもの唇を見ると色調の変化があり、ある疾患が思い浮かぶ。
 遺伝性の病気で腸にポリープができる病気だ。
 このせいで、腸閉塞に陥っているのではないかと考えた。
 私たちの医療活動地はそこから600KMは離れているので、はい、今すぐなどと簡単にそこまで運んで入院させるわけには行かない。

 朝になって私はそのまま手術のために活動地に飛行機で向かう。
子どもはそのままヤンゴン市内の病院で検査を受け、そのまま入院になるだろうなと予想をしながら受診指示をして出発した。

 その日の夕方、ヤンゴンから電話が入り、超音波で腸閉塞ですという診断ですという。
 予想通り、例の病気による腸閉塞。
 すぐに手術の準備に入っていると思いきや、入院はしなかったという。
 診断してそれだけだった、、、。

 やばいと思った。
 多分、早くしないとえらい事になる。死ぬかもしれないと。
 しかし、ミャンマーの病院では日本のように一大事、すなわち死にかけているような局面なら分からないが、そうでもない患者を緊急手術をしてくれるような病院はほとんどない。特に夜には絶望的だ。
 特に内臓の病気は画像診断が止まるので翌朝まで確実に待たされる。っていうか翌夕方までかな。
 最低、今運よくヤンゴン市内の病院に入院しても、手術はだいぶ待たされそうである。下手したら1日や2日は待たされる。

 とっさに、できればそのままバスのチケットを取って600キロ離れた活動病院まで12時間かかるが送ることは可能かと聞いた。
 何とかぎりぎりバスのチケットが確保できて、翌朝到着。

 既に腸は破れたようで、お腹はパンパンになっている。
 全身状態もよろしくない。。。
 遅かったか!と思いながらも緊急手術。腸管壊死・腹膜炎から、ショックになっている。
 とりあえず、長時間の手術に耐えうる余力もない感じなので、腐ったり血流不全になっている腸管を1メートル以上切除して、人工肛門を造って今は救命を図る。
 術後も一晩中、脈拍は160回/分という状態だった。

 運よくというか、本当に運よく、その後、徐々に回復していく。

 ヤンゴンにあのまま置いていたら死んでいた!と思うとぞっとする。

 この子は強運の持ち主かも。
 私が帰国するその日に腹痛を起こしたこと。1日でもずれていたら、多分ダメだった。
 すぐにバスで搬送をすると決断できたこと、そしてバスのチケットが手に入ったこと。
 
 今は少しづつ、食事も採れて落ち着き始めている。
 やれやれ。
 
 今年も、サンタ並みに忙しく、ありがたいクリスマスのその日を天は私に与えてくれた。
 その生きるか死ぬか分からない危機的な手術日に実は一つお願いしたというか、イメージしたことがあって、それは術後まる3日目のその日に、この子の笑顔を見てやろうと。

 で、3日後、部屋に見に行ったら一瞬ほんの少し笑った、、ような気がした、、多分。

 それはまるで神様に微笑まれた気がしないでもない。e0046467_15555756.jpg

 
 
 
 
 
 

 
by japanheart | 2015-01-12 15:56 | 活動記録 | Comments(1)

どうしたものかと思う

どうしたものかと思う

 どこの国にいても助けられない子どもたちはいる。
 ジャパンハートではスマイル・すまいるプロジェクトというがんの子どもたちを対象とした企画をやっているんだけど、いくつもの依頼がやってくる。中には生命の危険水域に入ってしまった子どもたちもいて、これはもう厳しいかも?と親なり主治医なりが判断して連絡が来ることが多い。
 なんとも無力感にさいなまれるのは親も医療者も同じだろう。
 日本にいてもこんな感じだから、途上国ではもっと厳しく、戦う前から勝負あったという感じの子どもたちに会うことになる。

 先日ラオスから10歳の背中の腫瘍の子どもの連絡が来て、自分で診るまでそりゃはっきり分からないけど、下半身は麻痺に陥っているらしい。
 ラオスの大きな病院で手術を受けてから、麻痺になったようだ。
 次に、ベトナムまで連れて行き検査入院。生検して、しこたまお金取られて何も説明されず返ってきた。
 麻痺はどうも、腫瘍の浸潤によるものらしい。
 この時点で、既にあきらめの心境になる。
 中途半端な抗がん剤だの、大掛かりな手術などはかえって命をちじめるだけなので、近い将来そっとこのまま看取ることになりそうな気がする。

 こうやって何度もこのような子どもたちに会ってきた。
 日本で医者やているときは、がんで子どもを亡くすと散々殴り合って負けた感があった。
 こちらでは、戦う前から負ける試合に挑むような虚無的な感がある。

 こういう子どもたちをもう少し救えるようにならないかとがんばっているが、どこまで行っても全ての子どもたちを救うことはできないのだろうということも何となくわかっている。

 どうして子どもが死ぬことはこんなに悲しいのだろうか?
 人間付き合いが長ければ長いほど本当は情が移って悲しくなるはずなのに、幼いというだけでたくさんの時間を共有していなくても悲しくなるのはなぜ?

 きっと遺伝子の中に何かその理由が刻まれているのかもしれない。
 

 今年よりは少しだけでも世の中の病気の子どもたちのためになるような2015年にしたい。

 
by japanheart | 2014-12-30 08:12 | 活動記録 | Comments(0)