特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:活動記録( 373 )

オープンマインド

”オープンマインド”になること


 弦の引きがなければ弓矢は前に飛ばないように、ジャンプするときの屈曲がなければ高さが望めないように、人が成長するためには必ず成長の方向と逆方向の力が必要となる。

 

これについて大切なことがある。


 それは、逆方向の力がかかるのは必ずその初期の段階であるということ。

そして逆方向の力を長く引きずると必ず失速するという事実。


人生の経験上、ストレス、たとえそれが、ある時期の学校でのいじめや入社してから、あるいは職場が変わってからの上司からのパワハラなど、見方を変えれば人生や能力アップのためのバネになるということである。


それがどのように結果に作用するか、人生がめちゃくちゃになるのか、その経験がもとでより成長し上手くいくのか?

 問題は、その時間の長さにあると思う。


例えば、長く弦を引きすぎるとどうなる?

ジャンプ時の屈曲を長時間するとどうなる?

と考えれば良い。

弦を長く引きすぎると弦が切れるか、腕が疲れて弦は緩む。結果、前への飛距離は著しく損なわれる。

ジャンプ時の屈曲を長くすると、疲れて立てなくなるか、膝がこわばんで伸びなくなる。結果、ジャンプ時の高さが失われる。

 それと同様に、虐待やいじめ、パワハラは長時間行われてはいけない。

だから虐待やいじめ、パワハラからは早めに救い出す必要がある。

良いタイミングで救い出された人は、それを受けなかった人より、この理屈からいうとより成長することになる。

 人生、成果と損失は裏表。


鹿児島の離島、徳之島から出て日本最大の医療グループのひとつ徳洲会病院をつくった徳田虎雄の成果を成し遂げさせたのは一体誰なのか?

私の意見は、彼なかりせば、日本の救急医療の発展は10年ほど遅れていたのではないか?と思っている。

その彼を初期の段階でしきりに潰そうとしたのは誰だったか?

それはなんと日本医師会だった。

徳田虎雄自身は、この医師会との戦いによって成長したと思う。

多分、相手が強敵ゆえ医者を辞めて国会議員にもなったのではないだろうか?

だから、私に言わせれば、現在の徳洲会グループを生み出したのは皮肉にも日本医師会だったということになる。

最初から、徳田虎雄を無視しておけば、彼は地方の巨大病院のいち経営者程度に収まって、全国にまたがる今の徳洲会グループはなかったかもしれない。

しかし、彼は少し長く医師会と戦いすぎた感がある。その期間をもっと短くしていたら今頃どんな組織になっていただろうか?


翻って、自分にその理屈を当てはめてみたときに、軍政下のミャンマーに単身乗り込み、それなりの苦労をしてここまで来たのだが、どうしても自分でなければならない、自分がやらなければならないと意気込んでここまで来てしまった。ミャンマーの医療レベルのお粗末さに時に怒りを覚え、気の毒なこの人々のためにもっとがんばろうと、どんどん自身を先鋭化してここまでやってきた。そしてそれなりの仲間や支援者たちも得て、それなりにやってきた。

 しかしある時、ふと、時間の流れの中に何か大切なものを忘れてきたのではないか?と感じたのだ。


 多分、長く弦を引きすぎた。


だから決心したのだ。

もう一度できるならば、弦をゼロ点に戻して引きなおそうと。


大きな人間になりたいと思いながらここまでやってきたのに、その疲れや必死さから気がつけば時にギスギスと人を傷つけ、仲間を信用することもできずに、心から大切にもできていなかったのではないか。

家族は、分かってくれる、信じてくれているはずと勝手に都合よく思い込み妻や子どもたちに迷惑をかけここまでやってきたのではないか。


こんな人間が、大きな人間であるはずがない。

大きな人間になりたかったのに、なんとちっぽけな人間に成り下がっていたのだろう。

そう気付いた。


そう気付いたとき、心に一つ、フレーズが思い浮かんだ。

”オープンマインド”



心開けば、世界が違って見えた。


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自分がやらねば、自分しかいない、と信じ込んでいた頑なな心を開いてみたら、そこに多くの才能ある人々を発見した。

自分が一番がんばっていると思っているその思いを手放したら、自分はなんと多くの人に支えられているのか、そしてその向こうにそれぞれがんばっている多くの人たちの顔もはっきり見えてきた。

私がいない間の日常を苦労しながらも生きてきてくれた妻や子どもたちの姿、それを支えてくれていた自分の母親の姿も見えてきた。


私は長く屈曲しすぎていた。


だからもう一度、今度こそ高く飛ぶために、いいタイミングで膝を伸ばして見せるのだと誓った。


心をオープンにし多くの才能ある人々を発掘し、サポートしていくと決心した。

それこそが社会を最も潤すことになると心底、分かったのだ。


そして今度こそ、ビッグな人間になろうと決心している。

ビッグな人間とはより多くの人々のその才能を開花させ、成長させた人に与えられる称号かもしれない。

私の本心が大きな人間になりたいと言っている。


そのためには、心を開き、世の中のあらゆることを見ていきたい。

心を開き、多くの人たちに接していきたい。







 


by japanheart | 2017-05-30 03:30 | 活動記録 | Comments(0)

小を捨てて、大を為す

 小を捨てて、大を為す


その人の持っている特別な能力が、皮肉にも逆に可能性を奪うということがある。


私はミャンマーで医療をはじめて23年経ち、多くの患者たちを治療しここまでやってきた。

1995年当時、ミャンマー政府から医師免許を出され、医療行為を継続的に長期間に許されていた外国人医師は私だけだった。



最近まで外国人がミャンマーで医療をやるためには、大きく分けて4つの方法が存在した。


1つは団体を作り、団体と政府が正式な契約を結び、政府の管理下の病院で働くことだった。

しかしこれには問題があって、全額ほぼ自己負担の医療を行っていたミャンマーでは、本当に貧しい患者は政府の病院にはかかることはできなかった。


2つ目は、軍と関係を結び軍関係の病院で軍属とその家族、関係者に医療を行う選択肢。


3つ目は、民間病院に営利目的で入り、短期間の医療を定期的に繰り返し行うという形だった。

  ただし短期型の医師免許には50万円ほどかかり、しかも富裕層しか治療を受けにこれないので、貧困層へ医療を届けるという選択はなかった。



そして私が選択した4つ目の方法があった。

  ミャンマーでは僧侶が特別な地位にあり、独自の世界観を築いている。

そこは通常、政府もあまり意見を言えないようになっている。

当時のミャンマーは、大きく分けてはっきり3つの権威・権威が存在していた。

  政府・軍・僧侶。

今では、それは当時と比べて相当弱くなっている。

そしてこの4つ目の選択肢を私は選ぶことになった。それは、僧侶が運営する病院で働くというスタイルだった。

 ここで働くメリットは大きく3つあった。


1.国民の多くが敬虔な仏教徒であり、国民から信頼されている。

. 比較的安価な値段で治療が行える。よって、貧困層にも医療を届けることができるかもしれない。

3.政府や軍の関与を受けにくく、政府のように制限を加えたりされずに、自分たちの正しいと思える医療の形を追求できる。

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 やはり政府の病院だと、ミャンマー人の医師と一緒に手術に入り、多くはミャンマー人医師たちに執刀させなければならない。ミャンマー人外科医が上手かろうとそうでなかろうと、ミャンマーという国の中でやる限り、ミャンマー人医師によって医療が行われているという形が政府的には必要だからだ。

しかも、相手のペースに合わせてやらなければならず、今では1日に20から30件の手術を行うが、政府系の病院では朝から夕方の4時まで、1日に数件の手術件数に設定され、大人は大人、子どもは子どもと病院も施設も担当も違うので成果も手間も目減りし、対応にも大きく手間を取られてしまう。

 さらに、政府のミャンマー人医師たちは非常に薄給だったので、通常、当直医を残して昼からはほとんどアルバイトに出かけてしまう。この状態で日本人だけが病院に残り、医療を継続するのは到底不可能だった。


そして私たちがどうしても成し遂げたいことがあった。

 それは医療を受けられずにいる貧困層の人々に医療を届けることだった。


 富裕層や中間層は民間病院あるいは政府の病院で医療を享受することができる。しかし、この国中のどこの病院でも医療を受けられずにいる貧しい人々が医療を受けられる可能性があるのは僧侶の運営する病院のみだった。

ただ僧侶が運営する病院の本来の目的は、僧侶を治療するためであるので、僧侶は無料あるいは安価な値段で医療を受けることができたが、一般の国民はそうではなかった。そこでどうしても交渉が必要になった。

どこよりも安く医療費を設定するために根気強く交渉を続けた。

そして政府系の病院の約10分の1の治療費で手術ができるようになった。これで貧困層にも医療を届けれるという形が整った。もちろん、もっと貧しい人々には無料で医療をできる仕組みも作った。村長の作った患者の生活環境を証明する書類を持ってきて、病院管理している僧侶の承認をもらえば、治療は全てタダにできた。


軍関係の病院はおそらく最も医療をしやすかったと思う。しかし、権力闘争の激しい軍内では組む相手を間違うとあっという間に天国から地獄に共倒れで落ちていかねばならない。

民間病院は、営利を求められ、富裕層の人々しか治療を受けられない。私たちの目的とする貧困層に対する医療提供の道は閉ざされる。

政府系の病院は上記のように様々な制約があり、主に中間層の人々の治療を担当することになる。

 

 これらの問題を上手く調整できそうなのは僧侶の病院しかなかった。


権力や営利とは距離を置き、権威と共にあることを決めた。


しかし、医療を始めても様々な問題に突き当たる。

いくら安くしても、患者たちの中には病院への交通費すら払えない人々も結構いることを知った。

患者たちは、病院まで平均で4時間、遠くからの人々は48時間、果ては医療費の高い海外からも帰国し我々の病院で治療を受けに来た。


交通費の払えない人には代わりに交通費を払った。


また問題が起こった。

ミャンマーの病院では食事が出ない。全部、自炊あるいは外食になる。外食は村の人々にとっては相当の負担になる。もちろん、患者本人のみならず付き添いの家族の分も必要になる。

入院期間が長引くとその食事代に圧迫されあっという間にお金が尽きる人たちがいた。

そこで、勝手にお金は配れないので、毎日1ドル分の食事クーポンを配り、病院近辺の食堂で食事を毎日1ドル分購入できるようにした。これをすることによって、患者たちからかなりの金銭的ストレスを軽減できるようになった。


ところがまた新たな問題が発生する。

子どもの難病や火傷の手術はどうしても入院期間も長くなり、多くの患者たちが治療半ばで離脱をしなければならないようだった。

これを何とか解決するために、子どもの治療費・交通費・入院費・食費は一律に全部無料にした。

入院費や治療費はもちろん、病院は子どもの親に大人の手術患者同様にチャージしてきた。

僧侶といえども病院を善意だけでは運営できないので、お金を患者からはある程度取らなければならないのだ。

結果、子どもの親に代わって私たちが病院に治療費と入院費を払っている。

自分で治療して自分で治療費を払うという笑えない状態だが、そうしなければ貧困層の子どもたちに治療を安定的に実現できない。


 私はいつも自分が何を達成したいのか、何をなすべきかを見失わずにやってきたつもりである。そのためには多少の無駄や非効率は許容している。


何人もの人から、「無料はまずいのでは?」とか、「金持ちの子どもも治療を受けに来ますよね?その人たちからお金を取らないのですか?」と言われたこともある。

しかし、考えてみてもらいたい。貧困層の人々は情報から最も遠くにいて、最も力の弱い立場にある人々だ。

もし、富裕層の子どもからお金を取ったらどうなるだろう?

きっと、日本人の医療を受けるにはお金が必要だと噂が広がり、交通費すら負担の大きい貧困層の人々がまずはじめに来なくなってしまう。

だから、たとえ富裕層の子どもでも無料で医療を行う。それは、無駄ではなく貧困層の人々のための投資なんだと理解している。



ひとつひとつ問題を解決して、今では年間2000人近い人々の手術をできるようになったのだ。


しかし、問題はまだまだ起こる。







by japanheart | 2017-03-31 15:10 | 活動記録 | Comments(0)
プロセスに学ぶ賢者、結果にだけ学ぶ愚者

 これは絶対的に正しいかどうかは分からない。
 しかし私の人生では真実であった。
 今日はその物語。

 途上国でずっと医者をしてきた私にとって、手術はまさに格闘だった。
 途上国で手術を始めた20年前、私にはほとんど何もなかった。
 アジアの田舎の家屋の一部屋を改造した手術室で、私の手術は行われていた。
 ベッドすら、木で現地の大工が作ったものだった。
 停電は頻発し、平均して1日に2時間しか電気は来なかった。時には1週間以上全く来ない時もあった。
 薄暗い部屋では昼も夜も現地人スタッフ数人が両手に抱えて照らす懐中電灯が全ての明かりであった。
 電気メスもなかった。道具もろくなものはなかった。
 それどころか、麻酔薬も日本のようにガス麻酔はなく、静脈麻酔と局所麻酔しかなかった。
 だからどんなに長い手術でも1時間程度が限界だった。それでも後半は薬が切れてきて患者も私も、暴れる患者たちを押さえつけるスタッフも何度もつらい思いをした。
 さらに医者は私だけで、看護師すらそのほとんどの期間存在しなかった。
 今から思えば仕方なかった思う。
 私にとってはそれでもやるのか、やらないのかという選択肢だった。
 そして現地の貧困層の人々にとってもそんな私の元で手術を受けるのか、それとも諦めるのかという選択肢しかなかったから。
 だから、私の手術は早い。普通の日本人医師の約3倍のスピードで進むと思う。
 上手いかどうかは別だが。
 それはその環境が私の与えた当然の帰結でおそらく誰でもそのような環境で手術を行い結果を出そうとすればそうなったと思う。
 


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 あれから長い時間が経って多くの日本の医者たちの手術をこの目で見てきた。
 そしてある時、あることに気付いた。
 何で私の手術はこんなに早く、彼らの手術はこんなに遅いのか?
 それでもなんで私の手術のほうが大抵、上手くいき、彼らの手術がトラブルのか?
 はさみで切る時間、糸を縫う時間、一つ一つの動作のなかで器具で組織を扱う時間。
 これらは、私と彼らではそうは違わない。
 なのになぜこんなに手術時間が3倍も結果的に違うのか??
 要するに、問題は動作と動作をつなぐその間(ま)に答えはあった。

 そして、その間(ま)にはさらに二つの要素があると思った。
 一つ目は、彼らには無駄な動きや不必要な動きが多いということ。
 多くの日本の外科医は私の使うおおよそ3割から5割増しの視野を必要とするために、多くの組織を切ったり開いたりして傷めることになる。
 だから患者のダメージも大きい。術後の痛みの程度が断然違う。
 さらに手術時間も短いから麻酔時間も短く、私が手術した患者たちは術後の回復が早い。
 しかし、本当に大きな差は次の二点目から生まれてくる。
 それは、日本の外科医たちはいくつかの作業を繰り返した後に、次の判断をしていることが多いということだ。
 詳しく言うと、A点からB点まで組織切るとすると、例えばそれにハサミを入れて半分くらい切ったときに、どうかな?と確認作業をする。
 あるいは腫瘍の側面を露出するとき、何回か器具でそこをほじくって、それから、どうかな?上手くいっているかな?何か見えるかな?という確認を行う。
 そしてその結果で、次のステップを決めて作業が続いていく。
 ところが、私は同じようにA点からB点までハサミを半分いれていても、実はずっとその過程を追っかけてはさみの先を微調整させている。その結果、彼らのように半分の地点で作業が中断し、そこから動き出すというような作業の断絶は普通はせず、すっと最後まで動いて一気にA点からB点まで切ってしまう。しかし、その作業の間中、脳とハサミは微調整をしながら作業を連続的に進めている。
 腫瘍も同じで、数回の作業の繰り返しの後の結果で次のステップを決めてはいない。たった1回の作業中ずっと、五感を使い連続的に判断をしながら微調整を繰り返している。
 いずれも、脳と体の機能は連続して発動され途切れるたり中断したりすることはない。
多くの場合、このプロセスへの連続的集中が結果の差になって現れいるのではないか?と考えている。

 そしてここからが多くの人にとって大切なのだが、このプロセスへの連続的集中という結果に圧倒的に影響する秘訣に、ほとんどの人は気付いていないのではないか?ということだ。
 
 なぜならば多くの人は結果のみに集中しすぎているからだ。

 分析もデータ収集も、テストの評価や反省も、スポーツにおけるビデオの分析もすべて結果しか見ていないことになる。
 結果から修正されるものは実はそう多くはないのではないか?
 地震があったとき、まさに地表の被害を見て次の対策を立てても、なかなか有効な対策になっていないように、やはり地下でどのような過程でそれが発生するのかを知らなければならないように。
 あるいは、結果として起こっている政治家の不正でその政治家をやめさせても、そのような政治家を生み出しているそのプロセスを修正しなければまた同じことが起こるように。
 
 学生のために少し言うと、これはもちろん試験である問題を結果として解けたということに、あるいは解けなかったということにフォーカスしてはいけないということになる。
 実は、大切なのはその試験を解いているときに、どのような思考過程である公式のような思考基準をどのように導入してやっているかを客観視することだ。試験のときは、それができなければ、自分の時間で問題を解いているときにその解いているプロセスをずっとモニターし続け、どの回路を使うのが正しいのか感覚的に理解することだ。
 問題を解き終わってから答え合わせをして、結果的にどこが間違っていたかを正そうとしても、効率が悪くなる。

 自分の正解に近づけたければ、結果を待って修正すると、手術のように時間はかかるし、正解率も悪くなる。
 ある方法である事柄に臨もうと決めたとき、その過程、すなわちそれを行っている最中に、微調整を繰り返し、思考をフル回転させ続ける。そして、その結果が出たときには、それはそれで反省したり分析したりはするのだ。
 しかしおそらく決定的な修正や新しいアイデアへの気付き、ゴールへ辿り着くためのある種の感覚への目覚めは、既にその過程で獲得されていることだろう。
 結果から逆に導き出して得れるのではなく。

私たちは自分の中にある感覚で普通はこれを自然に行っている。
 人と話しているときに、会話のある分量で区切って流れを決めているわけではない。
 そういう人間は、コミュニケーション能力が低いといわれる。
 そうではなく、刻々と変わる表情や声のトーン、雰囲気や様々な要素を途切れることもなく分析し、修正して会話を行っている。
 ところが、事柄が自分の外にあることと認識しているときは、過程ではなく、結果を分析して修正しようとする癖がある。
 だからそのことをいかに自分の内側にあるものと認識できるのかということが大切になると思う。
 これは分かりやすくいえば、自分で自分の体を手術する感覚を身に付けるということだ。
 自分の体を自分で手術するとき私たちは、脳はフル回転し、体からの瞬間瞬間の情報は脳に伝達され、瞬時に微調整が行われていくだろう。そして、おそらくその時の最高の能力を発揮することだろう。
 
 だから、白けて仕事をしていたり、いやいや物事をしていたり、その状態はもう最高の状態を発揮するのには程遠い状態だといえる。
 これは大切な自分の人生と自分の目の前の時間が分離している状態だ。
 
 人は愚かにも、気付かないことがもうひとつある。
 そうやって、いやいや仕事をしている、毎日をだらだら過ごしている、適当に手を抜いている状態というのが、実は本来は連続的修整をなすべき自分の人生のプロセスそのものになっているという事実だ。
 5年勤めたらまあ、辞めようか。とか、面白くなく、やる気もないけどもう少しだけ人間関係で続けるか。
 などとやって、ある時間が経ったときに反省したり修正したりしているその姿が、日本の医者たちがいくつかの動作を繰り返してから修正する姿と、全くかぶってはいないか?
 そして、それははじめに書いたようにトラブル率が高くなるあり方なのだ。
 
 人生で最も大切なものは時間。

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 人生の時間を大きくセーブするためには、そして自分の人生の正解率を上げるためには、
 今、この瞬間、瞬間を最適な正解を求めて微調整し修正しながら進む以外にない

 そのための必要条件は、今、自分の人生の目の前にある事柄にフルコミット。すなわち、自分と時間の一本化である。
 自分の体を自分で手術するときの感覚だ。
 目の前にある事柄に白けているということは、すなわち自分の人生に白けているということ。
 人のことを愚痴っているというのは、自分の人生を愚痴っているということ。
 
 これが人生というのは今この瞬間にあるということの意味だと思う。
 
  
 





 

by japanheart | 2016-06-10 03:56 | 活動記録 | Comments(0)

日本の医療のゆくえ

日本の医療のゆくえ

途上国にいて当たり前に感じるのは日本の医療はサービス業になってしまったのだということだ。

私たちの行っている途上国の医療現場は完全に福祉事業である。

やればやるほどに赤字になっていく。



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日本では、いつから患者のことを、患者様というようになったのだろう?

私が医者になった頃は、患者さんといい、患者たちのことを、吉岡さんと、さん付けで呼んでいた。

今では、きっと吉岡様なんだろう。


その頃は、患者たちは強制的に病院を移し代えられる事は多くはなかった。

今では、救急期が過ぎれば何だかんだと理由をつけ、慢性期の病院に簡単に転院させられてしまう。


いつからこんなにも経営をうるさく言うようになったのだろう?

確かに、日本の病院経営は杜撰だった。

医者が院長でなくてはならないというきまりで、昨日まで患者を長年見ていた医師が60歳くらいになって初めて年功序列で今日から経営をしてる有り様は、通常のビジネスの世界ではありえないことかもしれない。

物品は自然に沸いてくるという感覚で、今からすると異常と思えるほどにいくらでも無駄使いが許されていた。

だって物品は使えば使うほど保険請求できたのだ。


やがて日本経済がゆっくり停滞し始めたとき、少しづつ、保険行政が変化し始める。

徐々に締め付けられた仕組みは、現在に至り、患者さんを患者様に変えてしまった。


あの頃の医師たちは、自分たちが従事しているのが、サービス業だと理解していなかっただろう。

自分たちは福祉や社会保障の分野の一員だと理解していた。

だからサービス残業は当たり前だった。

24時間働き続けてもがんばることが出来た。

患者のためという、御旗があればどんな激務でもこなさなければならないのだと理解していた。

大都市の私立大学病院の研修医たちは、時間無制限の激務をこなしていても給料はなかったとこも多い。わずかに「何とか費」という名目でひと月に23万円程度のお金をもらっていたのだ。

この国は社会主義の完成形かと思われるほどだ。

ちなみに今でもこれをやっている大学病院があるらしい。それは法律に触れることをそろそろ政府も指導したほうがよろしいと思う。

一般人が聞けば、驚くかもしれないが、おそらくいまだに医師の給与は卒業年で分野に関係なく同じ給与が払われている。皮膚科であろうが内科であろうが、外科であろうが、平成4年卒業した医師の基本給は同じなのだ。(やっぱり社会主義国家だ!需要と供給の経済的関係など全く無視している)


でも、しかし、である。

それは医師たちが、社会福祉、社会保障の戦士だと信じ、自らを慰めていたからこそ成立したのだと思う。病院は経営下手で慢性赤字、誰も労働に対して十分な給与などもらえていないからこそなんとなく成立していた異常なシステムだったのだと思う。


しかし、患者さんが患者様になった現在、医療は福祉事業からサービス業になってしまった。

ところが、患者たちは相変わらず医療者に、福祉事業の戦士であることが当たり前だと思い、そういう視線で見ている。

医療者もなんとなくおかしいんじゃないかと思いながら、サービス業者になりきれず、給与も増えることもなく相変わらず福祉の戦士の発想で医療を行っている。

家族の時間を大切にしたいから、今日は早引きしますなどと口が裂けてもいえない。

福祉の戦士にワークライフバランスなど、あってはならないのだ。

患者の命のためならば、お金は無尽蔵に使っても仕方ないと思っている。

感染率を1%落とすために、たとえ数千万お金がかかってもそれは当たり前で、別に議論すべき話題だとも考えていない。

患者に入れる点滴が上手く入らず何度も失敗をしても気にしているのは無駄にしてしまった何本もの針のコストよりも患者の目線や自分の勤務スケジュールの狂いだったりする。

たとえ針や物品に値段が書いてあっても、誰も本気で気にしている人間などいない。


政治家や官僚の無駄使いを否定し、大企業の救済への税金投入にこれほど否定的な人々は、30兆以上の税金を使い成立している医療現場では、その意識もなく、税金の垂れ流し状態である。相変わらず福祉の戦士の医療者は経営感覚は乏しいのだ。患者様のためという御旗があれば、すべては仕方ない必要経費なのだ。


医療をどのように位置づけてやっていくかは、私たち国民の運命に直接影響する問題だろう。

医療者に福祉の戦士であり続けてもらうには、税金の更なる投入が必要になるだろう。

なにせ、近年の医療物品は特許だらけで信じられないくらい高い。福祉の戦士たちは、それらを患者さんのために惜しげもなく死のその瞬間まで大量消費してくれることだろう。

一方、サービス業と割り切って接してもらうと、もっと給料を払わなくていけないだろう。もっといいサービスしてほしければ、もっとお金を出さないと。


いずれにしてもお金を払わされる運命のようだ。



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もう医療は今の国民が払う税金程度のお金ではまわらなくなっているのだ。


私の予想では、きっと日本は二重保険制度が主流になる。

皆保険の適応範囲は限定され、それ以外は任意保険にてカバーする仕組みに変わっていくだろう。

車でいう、自賠責が皆保険に相当する感じになるだろう。

それゆえ新薬や最新治療は皆保険ではカバーされず全て自費負担になるだろう。

それを目当てに海外の保険会社が乗り込んで来る日も近い。


だれもが、最新の治療を感謝もせず、当たり前に受けれる時代は終わろうとしているのかもしれない。


これから私たちは医療分野で、福祉の戦士が討ち死にしていく光景を目の当たりにすることだろう。






by japanheart | 2015-09-03 06:41 | 活動記録 | Comments(0)
途上国で医療を発展させる

いつも活動をしていて思うのは私たちがやっている活動というのは何かしら型がきまっているような気がしてならない。
それは誰かから織り込まれたものではなかろうか?という不安感である。
国際医療活動というのはこういうものだという織り込み。
国際的な医療協力をすると必ずぶつかる壁がある。
それは、医療活動、すなわち患者を治療すること自体がこの世に存在していない、あるいはそれに近い状況にあるという現実だ。
大災害などの緊急救援を除いてはということであるが。
アメリカの医者が勝手に日本で医療を出来ないように、日本の医者が勝手に他国では医者が出来ないようになっている。
だからそこに如何に困っている他国の患者たちがいても、勝手に乗り込んで行って医療を施すことなどできない。
だから私たちもNGOとして活動国ではちゃんと登録し現地政府とこういうルールに則って医療活動をこういう形で行いますと
契約をしてから医療活動を行っている。
話を戻すと、一般的に日本にある医療系団体を名乗るところが他国で行っているのは患者を治療する医療活動ではない。
一般の人たちは医療活動というと、患者を治すということを思い浮かべるが、現実はそうではないのだ。
多くの団体が行っているのは、公衆衛生といわれる分野の、予防活動や啓蒙活動になる。
多くの医療者が、学生の頃、夢見ているのは海外の貧しい人たちに医療を行う自分自身の姿であるし、
そういう活動を志し、医療の道に入ったものも少なからずいる。
ところが、すでに学生のうちにそういう世界がほとんどないという現実のを知り、ここで彼らは医療活動を諦め、あるいは方向転換して公衆衛生を語り始め、目指すことになる。
その行き着く先が、WHOなどの国際機関なのかもしれない。
医療活動を出来ないことを悟った人間が自分の進むべき道がはじめからこのすばらしく価値のある分野しかなかったかのような、あるいはそこに進むのが必然だったような自己肯定を始めるのだ。
私からすれば、何事も経験なくして本当の良さも悪さも実感できないと自分の人生が教えてくれているのだが。

学生たちに、如何に公衆衛生が途上国では必要で、意義があるのかを何度も聞かされてきたが、私に言わせれば、医療のほうがもっと必要だろう!と現実を知っているだけに思ってしまう。
10年や20年かけてやらないといけないことがあるのは当たり前で、今すぐにやらないといけないことのほうが当たり前に多いのが途上国の現実だと思う。
どっちが必要だという話ではないが、私が20年以上の途上国医療から得た知見では、公衆衛生だけ発展させようとしても成果はあまり期待できないということだ。
医療や衛生というのは本質的には何によって発展するかという思考を飛び越えてしまうと、方法論やアプローチが変わってくる。
私は医療を発展させる最も大きな絶対的因子は何かといわれれば、自信を持ってこう答えるだろう。
「医療や衛生を発展させたければ、経済を発展させるのが最も効果的・効率的である!」
要するに、経済が発展しなければ医療は発展しにくく、衛生観念も発展しにくいということだ。

だから、その国の医療を発展させるのは医療界の仕事というより経済界の仕事であり、政治はそれを妨害しないようにしなければならない。
ミャンマー・カンボジア・ラオスの田舎の人が医療にかかるには、まず、雨季にはぬかるんで進めない泥の道を5時間も進んでこなけれなならない。
自分で歩けない患者だと、牛車や車の荷台に乗せられて数時間かけてようやく田舎の幹線道路に出る。そこでまたいつくるか分からない車やバスに乗り換えて数時間ガタガタ道を走る。
医療を届けたければ、そういうインフラの整備が必要になる。これは、国の仕事、経済が悪い国ではその整備が遅れるのだ。
折角、病院にたどり着いても医者もいなければ薬もろくにない。病院を作るにも医者を育てるにもお金がかかるのだ。
流通が成り立っていないのだ。
今日なくなった薬は、次はいつ補充されるかは分からない。

経済的に満たされ始めると、人は健康に意識が向かい始める。
健康になるために自発的に栄養に気を配り、衛生的な水を飲み、手を洗うようになる。
私的にはこの当りが衛生活動の最もいいタイミングだと思ってはいるのだが。

何でこんなに公衆衛生分野が大切なのだと、大声で騒がれるのかというとやっぱりそれに関与している人間が多いからかもしれない。
学生たちもその影響をまともに受けてオウム返しのように同じように理屈を述べる。
実はこの分野は大量のお金が流れ込む分野なのだという側面を見逃してはいけない。
数千万、数億の規模の政府や国連機関のプロジェクトがウヨウヨあるのだ。
ここに多くの団体が群がっているのが現状だ。
ほとんどこの補助金のみで運営している団体もあるほどだ。
国際機関や政府の関連機関で働く人間の待遇や給与を一般人が聞いたら、びっくりすると思う。

一方、私たちが行っているような患者を直接治療するという行為には通常、このようなお金は用意されることがない。
そのためほとんどは、独自に寄付を集めそれを財源とするしかないのだ。

よく大きな機関と医療活動の支援の話になったときに言われることがある。
「だって、医療活動は患者が死ぬでしょ?責任問題がね、、、。」

医療は患者が死ぬ分野ですよね?と聞き返すわけでもないが、公衆衛生をやっている人たちがもしその辺の意識が欠落していればかなり危険だというしかない。
自分たちが多くの人のいのちを一気に扱っている自覚なく行われた活動でもしやり方がまずく1000人が余計に亡くなっても、気付きもせず、その自覚もないということが当たり前に起こるのだ。

責任問題を恐れる人は、医療には向いていない。
人のいのちを預かっている自覚に欠ける人は、公衆衛生にも進むべきでない。

医療というのはいずれにしろ、人のいのちを預かっているという当たり前の自覚を要求される仕事なのだ。


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by japanheart | 2015-07-24 01:37 | 活動記録 | Comments(1)
ハフィントンポストにインタビュー記事

 あと数時間以内でしょうが、ハフィントンポスト(The Huffington Post)トップページにインタビュー記事が出ています。
 よろしければ、どうぞご覧ください。

  苦境で耳を傾けた「感性の声」

 
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by japanheart | 2015-06-07 18:57 | 活動記録 | Comments(0)

自分を相対化すること

自分を相対化すること

 これも世の流れかと感じるが、この2年で円安が40%以上も進み、海外で円をドルに替え持ち出し支援を続ける団体にとってはとたんの苦しみを味わっている。
現地政府と交わす契約はすべてドルベースで500万ドルという契約でサインをした3年前は4億円という計算だった。
ところが日本政府が一気に円安を進めたせいで、それが今では6億円になる。なんと、1.5倍の円を払わなければ契約を履行できなくなっている。
かといって日本政府が支援のお金をわれわれのために回してくれるわけもなくさまざまな自助努力でこれを解消しなければならなくなっている。
私たちにとってははっきりいってこの円安誘導の金融介入は迷惑なだけだった。
アジアの経済勃興を肌身で感じているこの身にとっては、日本のこれからの失速はもうどうしょうもないのではないかと思ってしまう。
人口は毎年1%減り、少子高齢化も進み、中国をはじめとしてアジア各国はさまざまな分野で追い上げ、日本のフィールドを脅かしている。
さらにはアメリカやヨーロッパの国々の企業だってどんどん経済発展するアジアに食い込んできている。
医療分野だって20年前はアジア各国、どこの病院に行っても日本製品をたくさん見たが、今ではドイツだのフランスだの中国だのという製品ばかりで日本製品すっかり見なくなった。
気がつけば、日本の頼みの綱、車だってそうなっているかもしれない。
日本人は、この島国にの中で閉じこもり、長い間デフレを貪っていたのでいまだに気づかないかもしれない。
かつてオーストラリアなど物価が安くて、日本人たちはバンバン、旅行や留学に行っていた。
今、オーストラリアではラーメン1杯が2000円するということが日本人には理解できているだろうか?
一杯380円の牛丼が本当は、日本レベルのサービスも含めると1000円の値打ちがあると理解できているだろうか?
石油価格の暴落に修飾されてまだピンと来ていないのかもしれないが、今のままではやがて物価はどんどん上がり始めると思う。
世界レベルの視点で考えたときに、すでに円の価値は40%以上もこの2年で吹っ飛んだのだ。
銀行で1%にも満たない利子を受け取り喜んでいる間に、100万円は実質60万円になったのだ。
これから世界経済がさらに激しく混ざり合い、人々が流動していく。
本当に日本人たちはその準備が出来ているのか?

大阪都構想が否定されたようだが、それは決してシルバー世代の無料地下鉄代などをアピールして票集めるようなことをするものではなかったはずだ。
首都機能の分散と地盤沈下しもう何も有効な手立てを打てていない関西経済をいったいどうするつもりなのか?
昭和のはじめか、大正の頃は大阪は日本で最大の人口を抱え、最大の都市だった。
それは今ではこの様で、若い世代は生活にアップアップしている。
本当は大阪都構想は大阪市民だけの問題ではない。
大阪府民全体の問題であり、私の実家がある大阪市のすぐ上の吹田市にとっても将来、死活問題になるかもしれないのだ。
都構想の何が良い、何が悪い。言い分は全くそれぞれにあるが、今のままでは大阪は緩やかな自殺状態にあり、現状を変えなければいけないことだけは確かなのだ。

日本の国内だけを見ていては正解は得られなくなっていると思う。
アジアを見て、世界を見て、それで今どういう決断をすべきかを考えなければ、きっと将来大きな代償を払うことになる。

日本が韓国のように経済が悪化し、大学を卒業しても就職が厳しい状態になることは、決して悪いことでもないのかもしれない。
韓国人のように、生きるために韓国を飛び出し、世界に散ってゆく。
日本人も世界に散って、多くのビジネスを成功させれば、それは将来すごいネットワークとしてファンクションするに違いない。

日本は70年前、戦争に負けて、そして世界は日本語ではなく英語になってしまったのだから。
その時代に、外国人が日本で働くためには日本語試験なるものをパスしなくては働けないような縛りがある分野も多い。
今の時代にこれってどうなの?と思う。
日本も英語を小学生から導入し、もっともっと英語化をと国策としていっているくせに、これってどうなの?
もう世界で、アジアでそんなことをやっている国はあるのかな?
優秀な人が英語ではなく、日本語を優先して覚えて、日本を選択して来てくれると考えているのだろうか?
私がアジア人の親ならば子どもに将来のために、英語か中国語を習えと言うに決まっている。

若い人には一度は必ず海外に出ることを勧める。
日本という国と、自分という人間を世界の中で相対化しないと、きっと時代に振り回され自分の理想とか夢とかなんて実現できなくなってしまうから。

だから、、、

とにかく出ろ!
若いうちに出ろ!
何度も出ろ!
そして、アジアを感じ、中国を感じ、世界をその身、その若い感性で感じてつかみ取れ!

日本国内の、状況に右往左往せず、世界から日本を見て生きていけ!


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by japanheart | 2015-06-04 04:16 | 活動記録 | Comments(0)

伝えるべきもの

伝えるべきもの

 私の子どもの頃の同級生に有名なミュージシャンがいるのだが、先日彼の所属会社にお邪魔した。
 
 そのとき社長も一緒に同席されて、しばらく話をした。

 そのとき、社長が私に言っていたのは、それそろいい年になりつつあるからもっと体を労わっていかないといけないということと、人の持つメッセージ性というものだった。

 このメッセージ性は多くの人のあり方のヒントになるかもしれないので今日はそれをshareしたい。

大体かいつまんで言うと以下のようになる。

 1) 歌が上手いだけでは売れない。
 2) ルックスだけで売れることもないので、今はそういう人を求めてはいない。
 3) 売れる人には必ずメッセージ性というものが備わっている。
 4) 伝えたいメッセージが音楽を通じて、お互いの魂で感応して、伝わっていく。

 これは多分、音楽だけでない。
 きっと、人は何をするにしてもメッセージ性を持っていなければ、広がらないのだと思う。
 自分に備わるメッセージ性とは何か?
 自分は何を伝えたくて今、この仕事に就いているのだろうか?
 
 そういうものを今一度点検してみてはどうだろう。
 表面的な理由ではなく、ずっとずっと自分の心の本音の部分に切り込んでいきながら、確認してみては。

 ちなみに、その同級生は、今ある自分のあり方を、私と同じだと言っていた。

 自分は自分のために、音楽をやっている。
 自分がやりたいから音楽をやっているのだと。
 何のために音楽をやっているのかわからなくなった時期を経て苦しみながら、その結論に達したようだ。
 自分のために生きるのだと悟った人間は強い。
 なぜならば、迷いがなくなるからだ。

 これからの彼にもっと期待をしたい。
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by japanheart | 2015-05-20 00:33 | 活動記録 | Comments(0)

自滅という考え方

自滅という考え方


 長くやっているやっている仕事や活動などが時々行き詰まるとき、いつも原点帰りというか、そもそも、何でこれを始めたのか、今まにこれを行っている理由は何なのか、という問いかけを自分に投げかけてみるのは大切だと思う。

 そのほとんどの勝負事は、それは人生に時折、訪れる勝負も同じであるが、負けるときというのはそのほとんどは自滅に違いない。
 個人的な課題、たとえば若い人の大学受験や資格試験にいたるまで、これは自滅によって失敗する。普段からの自己管理や理解や課題の先延ばしなど、すべてしっかりと普段から取り組んでいればきっと上手くいったはずなのに、結局は相手があってのことでも、私から見れば自滅というに等しい負け方である。
 それがたとえ国家的課題、たとえば戦争であっても、同じく自滅によって失敗、敗戦へと導かれる。戦後アメリカの情報操作によって、アメリカとはじめから日本は負ける戦いをしたという話になっているが、真実は日本の低レベルの戦略による自滅行為の連続の結果であると思う。
 この手の失敗は戦後の日中外交や日韓外交おいてもみられるわけで、日本国内調整の失敗による自滅行為の結果なのだ。

 人生は、国家的課題と同じで負けなければ良い。要するに、引き分けに持ち込めばいいわけ。
受験も自分が何とか納得できる範囲のところへ滑り込めば良いし、資格もしかり。戦争もアメリカに勝つ必要はない。上手く講和に持ち込んだり休戦に持ち込めば良かったということだ。

 小さな失敗を繰り返しながら、それを糧に大きな失敗を回避していくというやり方は非常に理にかなっているように思える。
 人間は失敗は不可避なので、相手がある場合は、どちらが決定的な失敗をおこさないで終わりを迎えることが出来るのかが肝要だと思う。
 その失敗が結果に影響を大きく及ぼすような場合を、自滅行為というのかもしれない。
わかりやすい例を挙げると、模擬試験である問題を解けず、ただ点数だけを見て、一喜一憂し、自分が間違った問題の復習も理解もせず、あるいはそこが解っていなかった所だとすら自覚せず、そのままやり過ごす。
 結局、本番の入試で同じポイントを衝かれる問題を出され解けずに、不合格になってしまう。
 このようなことだ。このようなことを自滅という。
 小さな失敗は模擬試験で間違うことだ。
 大きな失敗は、そのまま理解していない状況を放置することだ。
 入試の不合格は、単なる結果だ。
 なぜならば、入試を受ける前にすでによほどの幸運がない限り不合格は決まっているからだ。

 ここでの教訓は、小さな失敗はとても大切でそれをどう利用できるかだ。
 それを利用できない場合、それを自滅という。

 これは人生すべてに詰まった教訓であり、日日の小さな失敗を嫌う人間は結局自己の欠点に気づかず、あるいは発見できず、大きな失敗を犯してしまう。
 ということは、日日の小さな失敗を恐れる人間は、大きな失敗を犯す予備軍ということだ。
 日日、失敗を恐れて行動をおこせない人間は多いが、この人たちは失敗をせずに大きなことを成そうとしているということで、なかなか難しい課題に取り組んでいることになる。
 
 自滅していく個人や会社や国家の特徴は、

 1、小さな失敗をおこせない個人や社会
 2、小さな失敗から学べない個人や社会

 こういう個人や会社や国家は自滅していく。
 
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by japanheart | 2015-04-27 20:21 | 活動記録 | Comments(0)

変化する安定

変化する安定


 人は上手く自分を誘導しなければ努力などしない。
 世のほとんどの人間は、大体、怠け者に生まれついている。
 たとえばかつてブログに書いたマイノリティーマインドを持つように環境設定するのは有効な方法だと思う。
 とにかく外国に行かなければ自分がマイノリティーになれないわけではない。
 国内でも、学校でもそれはコンセプト次第で可能となる。
 医師や看護師にも、若いうちは2年長くても3年くらいで職場を変わるように勧めている。
 人間3年も同じ場所にいると慣れてしまって、ついつい初心を忘れ怠惰に時間を生きるようになる。

 こういう変化を嫌ったり、恐れる理由は安定の喪失にある。
 しかし、今日と明日同じでありたいと願う。
 明日と明後日同じでありたいと願う。来る日も来る日も同じでありたいと願うが、それは不可能だと知っている。
 人の世は自己の肉体のように遷ろう。
 というか、肉体もこの世の定めのひとつに過ぎない。
 同じであると思っていた今日は、昨日とは違う。明日とも違う。
 人に肉体が、日日朽ちていくように、形あるものはそれが完成したときから崩壊へ向かう。
 私たちが願う安定は、その状態がずっと継続してほしいという願いは、この世に存在しないものを欲していることだと知らねばならない。
 もしそれがあるならばそれは、死かもしれない

 安定とは、常に変化するある秩序をもった状態のようなものだ。
 コップに入った水は、激しく分子がぶつかり動き回る。しかし、静かの表面の水面をたたえている。

 すべてものは変化する中に安定を形成する。
 だからこそ変化を恐れてはいけないのだ。
 変化を恐れることは、死を求めることだ。
 
 常に変化しようと心に意識している状態は、常に生命力を開花しようとしていることと同じことだ。
 変化を恐れない。
 変化を求める。
 変化の中の安定を知る。
 
 それが、そういう状態そのものが、生きているということなのだ。
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by japanheart | 2015-03-31 19:45 | 活動記録 | Comments(1)