特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:医者の本音( 103 )

今時の若者を恐れる

今時の若者を恐れる

 よくよく昔から、否定的なニュアンスで「今時の若者は、、、、、!」というフレーズが使われる。
 実は私も最近は若者でなくなったのでこのフレーズをよく使う。
 しかしながら、その後の言葉が少し違うのだ。
 しかもこの若者というのもただ目の前にいる若者たちをさしているのではない。
 世界中の目に見えない、得体の知れない若者たちたちをも指している。

 私はこう言うのだ。
 
「今時の若者の中に、油断ならないやつが紛れ込んでいる!」

 1980年代を境に若者はおとなしくなり、少年犯罪も減少の一途をたどる。
 海外にひとりでやってくる若者でさえ、昔の若者のように大人びた人は少なく、何となく幼さを残す。
 意見を求めると、中学生のようなことをいう大学生も多いのが現状だ。
 かつて日本人たちは海外へ出たくて仕方なかった。
 戦争に負けて、中国や朝鮮半島、台湾やアジアから引き上げその後、長らく海外へ行く選択肢はなかったのだ。
 パスポートを持つことさえままならない時代が続き、ようやく最近は多くの人が自由に海外に行ける時代になったのだ。
 こんなにいい時代なのに、ビビッて出ないやつが多いし、頭も心も幼稚になっているので私もこの世代をなめていた。

 ところが、ところがである。
 この日本人の閉鎖性に時代が風穴を開けつつある。
 多くの若者の才能が、その触媒を得て、目覚めようとしている。
 
 世界を一瞬にして情報が駆け巡り、SNSを通じて簡単に情報をやり取りする世代が、あっという間に大人たちが造った世界観、価値観を塗り替えていく様を、見せつけられている。
 
 国際協力、国際医療の世界だって私たちが日々、コツコツと積み上げているにこんな若者が、思いつきで、何気なく、いとも簡単に、明日世界観を塗り替えてしまうかもしれない!という恐怖感に日々さいなまれる。

 世界には侮れない若者がたくさんいることを、私は知っている。
 
 上の世代が造ったものに挑戦するのは気持ちいいし、こころも晴れる。
 しかし、下からの追い上げよりもこころを焦らせることはない。

 これからは上も下も気にしながら生きていかなくてはならない。
 
 大変なことになった。

 
 

by japanheart | 2014-09-17 13:00 | 医者の本音 | Comments(0)

力を抜いてね

力を抜いてね

私は今まで少し力んでいたような気がする。
エネルギーもあったし、欲もあったし、見栄もあったし、意地もあった。

しかしながら私の人生には幼い頃より、なぜか厭世観があって、もう一人の自分がなぜかいつも忠告してくる。
「そんなに組織を大きくすることは意味あるの?」
「そんなにお金を稼いででどうする?」
「そんなに名前を知ってもらって何がうれしいのだ?」

いつもいいところになると、この忠告というか警告というか、内部の声に私は何がしかに理由をつけて応えねばならなかった。
そして、その応えた結果が、現在の有り方の質の上昇を結果的に生み出してきた感がある。

それはそれで自己を見つめる作業であったし、大いに意味があった。

でも最近は、人生もっと力を抜いてみたら、どうなるのだろうと思うようになった。
きっと全て最終的には上手くいく様な気がするが、なかなか勇気もいることだ。

そう悩み考えているうちに、やっぱし今後、自分のやるべき大きな仕事は教育じゃないかと思い出した。
単に、医者を教育するとか医療者をというだけでなく、大きく日本の若者や子どもたち、そしてその向こうのアジアの若者たちに、何か人として大切なことを伝えていくことなんじゃないかと。

彼らががんばってくれれば、私が成し遂げた仕事の数万倍の成果をこの世に提供してくれる。
幸いに、医療を私の代わりにやってくれる人たちがかなり多く活動を助けてくれるようになった。

だったら、やっぱりここからは人間教育でしょ!
ということで、今後また何かいいアイデアを考えて発信するつもり。

by japanheart | 2014-08-15 10:17 | 医者の本音 | Comments(0)

気がつけば

気がつけば

 気がつけば、今年49歳になる。
 時間に責め立てられているような、そんな感覚の中にいる。
 
 長い歴史の中でつい最近まで、ほとんどの日本人たちはとにかく食を確保するために、その時間のほとんどを費やしてきた。
 というか、古代から人間ずっとそうだった。

 美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は日本の名曲の一つだが、その中で登場する母親のように、日本人たちはみな、その日の生活を何とかするために、嫌な仕事でも、惨めなおもいを味わっても、我慢して、我慢して、わが為、わが子の為、わが親のためとがんばってきたのだ。
 戦争中の、慰安婦たちも、誰が好き好んであんなことを年端も行かないうちからするものか。
 贅沢がせめてもの慰めだったのだと思う。
 炭鉱で働いていた多くの労働者たちもまた、頭の良し悪しに関わらず基礎教育すら受ける機会をなくし、危険な仕事についていたのだと思う。
 それもこれも、生きていくためだ。

 翻って、今の日本。
 時間をもてあまし、一体、何にそれを使っている?
 ある若者は、生きていてもあんまり意味なさそうだから、別に死んでもいいと思っているという。
 そういう風に感じているということ自体が、贅沢な状況なのだ。
 死んでもいいと思えるのは、贅沢なことだと認識しなくてはいけない。
 
 食の心配からほとんど開放された今の日本で、このあまりにあまった時間を何に使うのか?
 これが命題だ。

 先人たちができなかったような本当の贅沢をしなくてはモッタイナイ。
 本当の贅沢とはなんだろうか?
 おいしいものを食べて涙が止まらなかったことがあるか?
 無ければ、それは本当の贅沢ではない。
 戦争中や戦後に、まずい水団を食べて涙が止まらなかったという話はよく聞いたが、それは本当の贅沢だ。
 
 有り余った時間をたっぷり使い、何をする?
 
 私の残りの人生はきっちりその贅沢の時間を作るために努力したい。
 そこで、私にとって本当の贅沢の時間とはどんなものかを考え続けて生きたい。
 
 厄介なことに、本当の贅沢な時間や機会を持つためには、その必要条件がある。

 貧素な水団を最高の料理にせしめたのは、戦争と飢餓だった。
 エジソンに発明の喜びを授けたのは、数え切れないくらいの失敗の体験だった。
 お釈迦様に悟りならしめたのは、その前の難行苦行だった。
 
 最高の贅沢には、その前段階としてどうしてもその逆向きのベクトルの時間が必要になる。
 それを持つ覚悟がどうしても必要になる。

 神はよく知っていて、苦労をいとわないものには、果実を与えるのかもしれない。


























 


by japanheart | 2014-02-26 18:38 | 医者の本音 | Comments(0)

人生、暇つぶし

人生、暇つぶし

 最近、よく考えるっていうか、子どもの頃からすっと思っている。

 人生って何?

 これは、永遠の命題かな。
 ホント、人間に国家なんていらない。何か左翼みたいなことを言っているが、僕は左翼や共産系の人々の言っていることは理解できるが、現実と摺り合わないので、信用しない。
 国家なんてものは、何のために出現したのだろうか?
 多くの戦争を経験した今、これが出現したことで救われた人の数と、この国家なるもののために死んだ人の数は一体どっちが多いのだろうかとふと思ってしまう。

 最近、韓国の何とかという大統領が、あちこちで日本の悪口言いまくっているけど、日本と韓国の戦前・戦後の汚れた関係を知っていれば、あの言動はお粗末なものと言わざるを得ない。
 大体、どの国でも自国民を裏切って苦しめているのは、その国の人間であるという大人の洞察が最近できるようになったのだ。
 ミャンマーの国境の方の子どもたちをタイや中国に売っているのはミャンマー人。
 買いに来るのは、タイ人と中国人。
 戦国時代の日本で、若い女を武器と交換したのは戦国大名。
 買ったのは外国の商人。仲介したのは宣教師。
 イギリスと清のアヘン戦争。国家で議決まで、アヘンを売りつけることを決定したのはイギリスという国家、それを受け入れ売りさばき、清人をアヘンでぼろぼろにしたのは清人。
 戦前戦後を通じて、何も知らない一般の日本人を食い物にしたのはアメリカという占領国の手下になったこの国の権力者たち。

 しかし、いつもこういう事実を知るために思うことがあるんだ。
 人間、たった80年程度の人生。
 たとえば、男の人生。
 上手いもの食って、気ままな異性関係をすきな時に持つ。
 それ以外に、一体、本質的に、何を求めてそれ以上の欲を持ってしまうのだろうか?
 中毒じゃないのか?
 
 ある程度の食や異性関係を構築できたら、本質的な生きる目的は達成できているはずだが。
 有り余るお金をつかって、ちょっと贅沢をしても、本質的には何も変わらないだろう。
 それは、エコノミークラスで海外へ行くのと、ファーストクラスで海外へ行くのでは、中では多少待遇は変わっても、飛行時間が短くならないのと同じで、本質的には変わらない。

 有り余ったお金やエネルギーを彼らは、やり場なく、暇つぶしのために投入しているとしか思えない。
 それでも何か、意義を見つけようとして、国家のためとか、人々のためとか、社会のためとか言っているんじゃ、ない?

 まあ、人間だれでもそう。
 僕もそうだと思う。
 
 もし、あなたが人のために生きたいとか、世の中のために生きたいと思ったならば、あなたはすでに、基本的な幸せを持っていると考えたほうがいい。
 
 そうでないのにもしそう思っているとしたら、誰かに洗脳されているか、自分が何かの病気か何かで存在が脅かされているかどっちかだ。

 ボランティアをするのは信じられないとか、お金を払ってまでとやるのはちょっととおもっているのは、多分、まだ基本的な幸せを実現していない人だと思う。

 ボランティアをする人はまあ、基本的には幸せであると思う。

いくらリッチになって多少、威張って生きてみても、たかだか、数十年。

 あっという間の、風の如し。
 
 

 

 

by japanheart | 2014-02-19 11:30 | 医者の本音 | Comments(4)

停滞するということ

停滞するということ

最近はどうも停滞気味。
 実は私は停滞を、マイナスには捉えていない。
 特に年齢のせいもあるかもしれないが、そういう心持ちになっている。
だから、焦燥感はあるが、悲壮感はない。

 何でも上手くいきすぎると、なんだか得体の知れない不安感に襲われこのあと急落下するんじゃないかという思いに捕われる。

 それと逆に、停滞があるとそのあとなんかいい事があるんじゃないかというこれまた得体の知れない思いが押し寄せる。

 まるで生体防御反応のようだ。

 中国の昔の考え方に、中庸(ちゅうよう)というのがある。
 調べてもらえばいいが、まあ、極端に触れないあり方がもっとも理にかなっているという考え方。
 中国の医療の考え方も同じ、体が悪いのは、陰陽のどちらかに極端に引っ張られているので、真ん中に戻すという考え方だ。

 これは生来のものか、親から織り込まれたものか、どうも私には楽観的な部分があり、ピンチのときにはいつも何だかきっとこの後はすごいいいことにつながっている気になってしまう。
 現実にはそうでもないときも多いが。

 たとえば発酵とは、腐らすことだ。
 発酵がなければ、ワインは生まれない。
 人間も同じ、一回、つぶさないとその先の世界には進めない。

 たとえば熟成とは、天の調整時間だ。
 天が、発酵状態の存在に意味と価値を与える時間だ。

 発酵と熟成期間を、私のかなでは停滞と位置づける。


 早く、早くと焦るわが心を、もう少し待て!と天が諌める。

 10代の頃の私は完全にいけてなかった気がする。
 腐っていたかもしれない。
 でも、そのとき思っていたんだ。

 きっと40歳になったら花開くんじゃないかって?
 発酵に20年以上かかった。

 まあ、人生はそんなものだから、焦らずにいけばいい。
 でも、毎日を疎かにしてはいけない。
 おいしいお酒をつくるときは、毎日誰かがしっかり見ている。

 あなたの人生を見ているのは、神様かもしれない。
by japanheart | 2013-10-27 10:44 | 医者の本音 | Comments(1)

鎧を誇る人たちへ

鎧を誇る人たちへ

 スポーツの世界は医者の世界と違ってつくづくいい世界だと思う。
 ほとんどの場合、過去の栄光や現在の肩書きなどは現在は何の役にも立たないからだ。
 ところが医者の世界は、そうはいかない。

 例えば専門医という制度がある。
 誰かを評価するときに、すぐに専門医を持っているかなどと言ったりする。
 柔道や空手や剣道も同じで、何段を持っていますとやったりする。
 だから、みんなそれを求めて迷いなく進むことになる。

 ところが、このような世界から遠く離れて生きている私にとってはこんな制度など何の意味もないことになる。
 できるかどうかが全ての世界にいる。
 スポーツの選手達は、数字や結果が確実に表れるので、私はいわばこのような世界観の中にいる。

 専門医や段位を持つというのは、私から見れば同時にリスクを背負うということになる。
 柔道3段ですと威張っている人間が、初段の人間に試合で負けたときの心情はどのようなものだろうか。
 もし小児外科や形成外科、消化器外科の専門医を持っていますと、それを拠り所したり誇りにしている人間より、私のほうが圧倒的に手術が出来れば一体どう思うだろうか?そういう人間は例外だと、黙殺してしまうのだろうか。
 人間、形だけを追い求めてはいけない。
 中身のともなわない器など、滑稽でしかない。

 専門医や段位などという形は、自分の中のひとつの到達目標であって、外に向かって誇ったりしてはいけない。ましてやその尺度で他人を見ていると、世間知らずの自分が恥ずかしくなるからやめたほうがいい。

 ミャンマーやカンボジアにもたくさんの医療者がやってくる。
 日本での量的経験値では、多分、生涯私の追いつく人間は少ないと思う。

 繰り返しになるが、地位や名誉は、他人に誇るものではなく、それを使うことによって世のために役立てるためにこそ、天から与えられたものだと認識する。
 形や器にとらわれず、いつも他人の真の実力、すなわち中身を見抜く目を持つ。(その為には自らが形に重きを置いていてはならない)

 専門医をもつことよりも、たくさんの手術を経験し、たくさんの患者を経験することを基準に日々過ごす。
 
 どの世界にいても真の実力をつけるように生きていく。
 結局はそれが、どんな時代でも、どんな世界でも、自分を助ける唯一の力になる。

 中身がないのに器だけ立派なものをもっている人間は、見ていてみっともないと悟らねば。
by japanheart | 2013-08-07 01:21 | 医者の本音 | Comments(1)
浜田省吾さんのコンサートに想う

 浜田さんがあまり宣伝もせず、ずっと続けていることがある。
 JSファウンデーションという財団。
 ここの代表が佐藤さん。とてもいい人だが、口は悪い。
 こんな人が昨今少なくなってきているので、貴重な存在であることには変わりない。

 その財団の財源はもちろんコンサート会場で寄付されるファンからの募金が主なものだ。
 はっきり言って、浜田省吾というミュージシャンは私の子どもの頃から活躍していた人だ。
 私が彼を知ったのは30年以上前のカップヌードルのコマーシャルの挿入歌からだが、中学生の頃、11PMという当時としては少し進んだ夜の番組があったがそこで司会のかわいい女の子が、「私、浜田省吾さんのファンで、、、」といったのをなぜか今でも記憶している。
  まあ、どうでもいい記憶だが。

 今回、初めてコンサートにお邪魔して驚いた。
 だって、声が昔と同じでまったくあのままだったからだ。
 30年前のあのままの声が聞こえるのだ。
 私の大学の頃は、彼の歌をよくカラオケでみんな歌っていた。
 隣の部屋の同級生の部屋からは、いつも浜田省吾の歌がスピーカーから聞こえていた。
 
 コンサート会場で、ファンのみんなに感謝を伝えるメッセージが彼から送られる。
 その声のトーンとリズムから、本当にこころから、この人はファンに感謝している、周りのスタッフにも感謝していると感じた。
 
 なぜそう感じたんだろうか?
 多分、私はミャンマーみたいな今の日本人にとってはまったくなじみのなかった、いわゆる地の果てで、誰からも知られることもなく細々と医療を自分の貯金だけではじめた。
 このお金が尽きるとき自分の行う医療も尽きる。
 しかし、私のことなどは誰も知らなければ、多分このまま世界から忘れ去られていくことだろうと何となく感じながら医療を行っていた。
 運命は、しかし、少しずつ私に微笑みかけてくれた。
 支援する人が、少しずつ現れてくれたのだ。
 初めのころ私を本気で支援してくれた人たちのことは決して忘れない。
 一人、一人と、本当に私と向き合ってくれた支援者やスタッフは、浜田さんのファンやスタッフと同じなのかもしれない。

 どんなミュージシャンだって、無名の時代もある。
 苦しい時期もある。
 それを乗り越えて今がある。
 それを乗り越えてこれたのは決して自分だけの力じゃないと彼はわかっていると思ったのだ。
 だからこその心からの感謝だった。

 JSファンデーションはジャパンハートをずっと支援してくれている。
 ありがたいことに。
 それでどれほどの子ども達が恩恵を受けたことだろう。既に数千人は恩恵を受けている。

 浜田さんの歌を本気で聞いているとき、横から百戦錬磨の佐藤さんが、聞こえにくい歓声の中でも私に向かってこう言った。
 「こうやって彼が体にいくつになっても鞭打って歌ってくれる。それでJSファンデーションがあるし、そのお金で多くの子供たちが助かっている!」

 う~ん、さすがに佐藤さん!
 しっかり押さえるところは押さえてくる。
 こういうプレッシャーを時々もらわないとお金のありがたみを失うから、私にもジャパンハートにも必要なことだ。

 コンサート後、楽屋でビールをどうぞと勧められて一緒に飲みながら、浜田さんと少し話をした。
 とてもいい感じの人だったな、、。
 少しして、スタッフがファンが出口で待っていますと言って来た。
 じゃ、ファンが待っていますので行きますと。やっぱりファンが最優先の人なのだ。
 
 硬い握手をして別れた。

 また、がんばって子ども達と向かい合わないといけなくなった。

 

 
 


 
 
by japanheart | 2013-07-24 23:40 | 医者の本音 | Comments(2)
小児医療を考えるーその1

 小児医療を考えてみたい。
 実はジャパンハートは、国内事業として離島や僻地に医療者を派遣する事業もしている。
 それ以外に、実は今年から私の恩師のたっての頼みで小児科医のいなくなった尾道市民病院に小児科を2名派遣していた。彼は市町村合併で統合された2つの市民病院の統括管理者になり、経営の改善を任されたのだ。

 尾道は人口15万程度の地方都市。
 病院勤務の医師は、JAの総合病院に8名いる。
 この病院は新生児もやっているから決して楽ではないだろう。
 
 この地域である事が起こった。
 尾道市民病院は、市からの繰入金によってようやく黒字。実質は赤字の病院。
 しかも、すでに数十億の借金がある。
 近い将来、病院建て替えもせまり、これにはまた100億単位の金額がかかるだろう。

 そこで、彼は経営改善のために奔走するが、院長が抵抗し始める。
 要は、もっと働けといわれ、嫌だと抵抗したという感じだ。
 実質赤字なんだから、もっと働けと。
 この院長はあと2年で退職金をもらってめでたく退官予定の内科医だ。
 
 そして、彼は出身大学に泣きつく。
 この病院はその大学からの派遣が多い。
 そこで、市長が大学病院に呼び出される。
 そこでおそらく、、、このままのことをしていると医者達を撤収させると脅される。
 ここで、市長がビビッてしまう。
 
 実際、大学にそんな力は今ない。
 誰がそう言って脅したか知らないが、そんな勝手なこと同じ大学の他の教授たちも、絶対に付き合わない。
 大体自分の知らないところでそんなことを勝手に約束していること自体に不快感を示すだろう。
 しかし、この市長は、そのことを知らない。
 時代はまだかつての大学医局全盛の時代のように考えてしまった。

 ここから、ことは尾道市という範囲を飛び越えて動き始める。
 
 まさに時代錯誤のような事態が起こり始める。

 この管理責任者は、大赤字だった国立病院を日本一の黒字国立病院にわずか4年でしてしまった実績を買われて、尾道市政がいわゆる三顧の礼を持って迎えた人間だった。
 
 ここで押さえておかなければならないのは、なぜそのような人間を迎えなければならなかったか?
 答えは明白。
 誰も、病院経営ができないからだ。
 特に、院長はすでに、病院経営に失敗している。

 ところが、、、、。
 
 実質、管理責任者の権限の制限が始まる。

             尾道市民病院
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by japanheart | 2013-06-22 10:56 | 医者の本音 | Comments(0)
フラストレーションの本質

 最近はフラストレーションを色々感じる。
日中の問題、日韓の問題、慰安婦の問題、、、政治家もフラストレーションが大変だろう。
これらの問題は、全て、日本とアメリカの問題に帰結される。
アメリカさえ何も言わなければ、もっと早くけりが着く。
世界の中で最も日本に内政干渉をしているのはアメリカ。
内政干渉を通り越して、コントロールしていると早く日本人達は気づかないと。
基地はなくならないよ。
マスコミの論調も、今のまま、どこも同じになってしまう。
そして、多くの日本人達のこころと、政治家の言動が乖離してしまう。
そして誰も政治を信用しなくなる。
政治家も100人連続で討ち死にしたら、日本は変わる。

さて、先日数日ヤンゴンで休養を取った。
なんだか最近、得体の知れないフラストレーションを抱えている。
本当はこの得体の知れないフラストレーションは2年ほど抱えているけど、なんだろうか?
齢のせいか?
はたまた、環境のせいか?
解消しようにも、相手の存在が見えないために戦うことが出来ないできた。
アメリカみたいに、嘘でもいいから勝手に敵を作り出して、適当に戦ってみるか?
これをしたら、多分、疲弊するだろうな、自分が。

なんだろう?なんだろう?敵はどこだ?と思い続けてやっとことの本質に気づいた。
的は外ではなく、中にいる。
私の中に入る。
今の日本と同じじゃないか。
内なる敵こそ、真の敵。

そういえば、今まで私が幸せを感じてきた瞬間はいつも、外に向かって何かを出している時だった。
人間の本質は、面白いことに外に向かって何かを出すときに満足と快感を伴う。
食べ物をとるときの満足と快感は、排泄のときの満足と快感に比べ弱いものだ。
食物を食べるときの満足と快感は、人間の根源的な生命に対する安全と安心に由来している。
排泄の満足と快感は、どこにも由来のないただの快感であり、満足なのだ。強いてあげれば、本能そのものに源があるといえるかもしれないが。

冒険家や格闘家、あるいはその他、命がけの何かを目指す人々は、この根源的な満足と快感を求めて生きることになる。

人間は何かを本気で、命がけで志したときには必ずこの快感と満足に向かう。
そのとき、人間の中では、排泄が起こっている。
技を習得したとき、練習しているときに満足はあるが大したことはない。
技を出して、人を倒したときに心の満足と快感を得る。排泄の段階だ。

とにかく何かと、溜め込み、出すのが嫌いな人はそういうレベルの低い満足しか味わっていない。
それが、もっともいいものだと勘違いしている。
日本という国も、貯蓄性が高い。溜め込むことが、将来の安心と安全を保障しているかもしれない。
しかし、それはいかなる本質的な満足ともつながらない。
人も国も、企業もみんな同じだ。


人材も、育てることは国や企業にとって安全や安心を生むかもしれないが、それらの人材が使えないと本質的な豊かさは企業にも国にもやってこない。


私のフラストレーションの源は、どうやらその辺りにあったようだ。
すなわち、十分、アウトプットできていない。
宿便が残っていた。
自分の能力がアウトプットしていない。
もう十分でしょといってくれる人もいるが、それは違う。
自分のことは自分しか分からない。
自分で、それが出来ていないからこんなにフラストレーションを抱えている。

自分の才能や能力は出して減るものではないし、どんどん出していかないといけないと思う。

これからもっと、もうちょっとアウトプットを出すようにしていきたい。

人間が、生まれて初めて感じる快感は何か知っている?
排便したときの快感なんですって。
by japanheart | 2013-05-15 12:32 | 医者の本音 | Comments(1)

時代の断層

時代の断層

 やはり本当のライバルがいなくてはならない。

 ソ連を失ってからの、アメリカは大変見苦しく、そしてどんどん弱まっている。
 それはそれで、日本という国の真の独立にとってはいいことだと思う。
 
 無理やり創り出した「悪の枢軸」や「中国」、「アルカイダ」、「イラク」「イラン」そして「テロ」などという概念は、虚しいだけだ。
 悪いあがきにしか見えない。

 そんなアメリカ失速時代の、ひとつの断層がまた見える。
 TPPへの誘導。
 どんなことでもそうかもしれないが、言いだしっぺが一番得をするから、それを口にしたと考えた方がいい。
 最初はともかく、今やTPPはアメリカのためにある。

 前にも書いたが、良い悪いは別。
 良かろうが悪かろうが、やってくるもんはやってくる。
 その覚悟と準備はするしかない。
 良くも悪しくも、アメリカに逆らって生きていける国は世界にないのも事実だから。
 笑い話だが、天変地異の次にどうにもならないのが、今のアメリカという国家で、中国を越えている。

 翻って、わが身を振り返る。
 そういえば、先日、日本最大の外科医の学会(今回は1万3000人以上が参加したらしい!)、日本外科学会の総会で発表を依頼された。

 時代は変わったもんだ。
 私が医者になった頃、海外医療したいなどといえば医局から痛い目にあわされた。
 そんな奴は、マトモな輩ではないので、取り合うなといわれた。
 もちろん日本に帰国後は就職につくことも難しかった。
 たった20年で、、。

 時代は変わった。
 そんなマトモでない人間の話を、皆で集まって聞こうという。
 しかも、日本で最も権威ある学会挙げて。
 誰もが予想しなかったことだ。私も含めて。

 医局制度が弱体化し、医療者が流動し始めた。
 大学に属することの最終目的だった安定した良い職場への永久定着は、大学の医局というシステムを経由しなくても、自分で直接、アクセスできるようになったのだ。
 さらに、TPPの加盟で保険が歪み、医療が変わっていく。
 もしかしたら、外国人の医療者が流れ込んでくるかもしれない。
 グローバル企業にとっては、医療者のコストは安ければ安いほうが良い。

 まさに、医療界は、幕末の日本と同じ。
 封建的な医局制度は権威を失いながら、今も続いている。
 医局からの、脱藩が止らない。
 
 佐久間象山や吉田松陰のごとくの時代を別の角度で眺めていた私のような人間の話を皆で聞く始末。
 
 TPPは黒船になる。
 こじ開けられる。
 医師会も医局も、もう時代の流れには逆らえない。
 時代の流れというのはそういうものだ。
 10年後、20年後の医師会や医局の姿を、語れるものがどれほどいるか?
 
 先日、開業している同級生達数名と食事をしたら、医師会の会合に出ると高齢化がひどく、真っ白な集団だといっていた。 髪の毛の色の話だ。もう年寄りばかりの集まりになりつつあるということだ。
 新陳代謝が上手くいっていない組織や肉体は、朽ち果てる。

 これも良い悪いではない。
 だからどうするかという、問題だ。
 今さら良い悪いを言っているより、準備をすることだ。
 
 幕末から明治に変わったときに、多くの一般人にとってはそれは自分達と関係ないところで起こったことだった。
 しかし、だからといって、明治になった後に、江戸時代の価値観のまま生きていくことが許されただろうか?
 新しい時代の法律に従わされ、新しい考え方や教育を受け入れさせられたはずだ。

 時代の流れというのはそういうものだ。
 嫌でも逆らえないのだ。
 受け入れるしかない。
 だから、それを前提で、どう動けば自分達が最も上手く時代とともに進めるかを考えた方がいい。

 私は、TPPなどなくても、医局は、医師会は変わらねばならないと思っていた人間だ。
 (別になくなれとはいっていないが)
 だから最大限に、この時代の流れを利用させてもらう。

 この世から、すぐに「医者」や「医療」が不必要な存在であるわけないのだから、今起こっているのは”システムエラー”なのだと、まずは認識することだと思う。

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by japanheart | 2013-04-14 22:15 | 医者の本音 | Comments(2)