ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:天職( 16 )

とにかく動け!

とにかく動け!

 今,自身5冊目の書籍の出版準備にかかっている。
 出版社の人たちとこの2日間ずっと、話をしていた。

 彼らが出してくるキーワードに私の考えを重ねる作業を繰り返した。
 キーワードから見えてくる考えや哲学は、それなりにあるが、改めてその考えや哲学をもつにいたったエピソードを、振り返ることが出来た。
 それはやはり私には収穫だったかもしれない。

 その言葉や哲学には、すでにそぎ落とされてしまっているが、もともとは感情がくっついていた。
 そのそぎ落とし前の感情を、想起することが出来たからだ。

 その時の感情を想起することで、再び、その言葉に命が吹き込まれる。
 自分の考えや思いは実は、自分の中ではばらばらに存在していて。ある問いかけや経験でいきなりリンクして意味を成してくることもある。

 だから密度の高い経験は多くしておいたほうがいい。
 それは一時、記憶の中にに封印されるが、やがて別の経験によって釣り上げられ、自分の人生に何らかの意味ある影響を及ぼしていく。
 特に若いうちがいい。
 歳をとってしまうと、何をしても密度が薄れていく。

 私が若かりし頃の自分にタイムスリップしてあったら、どんなアドバイスをするだろうか?
 多分こう言うだろう。

 Move!
Move!!
Move!!!


 
by japanheart | 2013-05-23 02:20 | 天職 | Comments(2)
魂のメス-1万人の命を救った小児外科医

 昨年の3月に毎日放送が近畿地区エリアを中心に、土曜の深夜1時から
           「魂のメス-1万人の命を救った小児外科医」
 と題して、私のミャンマーやカンボジアでの活動を1時間、放映してくれた。
 深夜の1時からの放送にもかかわらず、視聴率が5%を軽く超え、異例の事態となった。

 その放送の英語バージョンがつくられ、海外の映画祭に出展された。

 昨日、制作会社のプロデューサーの方からお電話いただき、2つの賞を獲得したらしい。

 ドイツ・ハンブルグで開かれたワールド・メディア・フェスチバルの
           ドキュメンタリ-部門で銀賞。

    アメリカ・ロサンゼルスで開かれたUS国際映画祭の
         ドキュメンタリー社会問題部門で第三位受賞。


  
 欧米の人たちの目線から見たこのような活動は一体、どのようにとらえられているのだろうか?
 何かストイックで、宣教師の禁欲的な生き方に、重ね合わされているのだろうか?
 それでも評価を受けたというのは、もちろん作り手の能力があっての話であろうが、
 そこにある種の、独創性や日本的な文化を感じ取ったからではないだろうか。
 どんなに大きく、すばらしいことをしても、彼らがそれをまねれるならば、あるいは彼らのやり方そっくりであったならば、多分評価はそれほどでもなかったかもしれない。

 今こんな時代だからこそ、日本人が、日本が、このように評価されるということは、意味のあることだと思う。

 私の活動は、かねがね書いてきたように、日本の歴史と深くつながっている。
 それゆえ、私の活動に対する評価は、すなわち、それを辿れば、日本の深き文化や慣習にその源があるゆえ、日本の文化や在り方に対する評価なのだ。
 
 この世界からの賞賛を、今、苦しい思いをしてがんばっている全ての日本人に捧ぐ。
 
 
by japanheart | 2011-07-12 15:28 | 天職 | Comments(3)

追伸: 氷室京介 様

追伸: 氷室京介 様


 先日、スタッフ数名とコンサートへ参戦させて頂きました。
 ありがとうございました。
 本当は、こっそり行きたかったのですが。

 スタッフが、皆、かっこいい!!と横でうるさく言うのが、邪魔でしたが。
 やっぱり、バラード最高でした。たくさん歌って頂き、感激しております。
 すばらしい。すばらしいアーチストだと、わからせて頂きました。

 コンサートの中で、MOONという曲を歌って頂き、ありがとうございました。
 宇宙からの視点が、私たちにあれば人はどんなに優しくなれるでしょうか。
 あの曲のように、私も人生を、世界を俯瞰してゆきます。
 
 

 すぐにアメリカに帰って、レコーディングということ。
 多分、またお会いできるときは、さらに高くそして前にと、進化されているのだと思います。
 私も、負けないように前にずんずん進んで行きます。

 また近い将来、ぜひ!


 
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by japanheart | 2011-02-14 22:18 | 天職 | Comments(8)

黙々として

黙々として

研修医の頃、毎日忙しく働かなければならなかった。決してよくできた研修医ではなかった。まあしかしごたぶんに漏れず拘束時間だけは長かったように思う。
春に病院に就職し、気がつけば秋だった。病院からの帰りの夜道、肌寒くて息を吐きながら空を見上げたら,星がきれいだった。もう秋なんだとふと感じたのが、
数ヶ月ぶりに季節を感じることだった。

 なぜか昼も夜もずっと一生懸命に働くことは人としての義務のような気がしていた。たとえ何日休みを取っていなくても病院からの帰りの夜道に
工事現場で働く人を見れば、こんな夜中でも黙々と働く人たちが本当に立派に見え、自分がだめな人間に思えた。何となく罪の意識すら感じていた。


 今でもこうして日本にいて家族と過ごしていると何となく、世間に申し訳なく感じてしまうことがある。
多くの人たちががんばっている姿を見たときに,ふとそう感じるのだ。

 まだまだ一流にはなれていないのだと思う。
 結局、誰かと自分を比べてしまっている。

 自分は自分の人生のスタイルを通せばいいだけだと言い聞かせる。
 
 他人の能力を羨んだり,他人の境遇を羨んだりしているうちは、まだまだなのだと思う。

 人間に生まれたからには,ゴリラの力を求めない。鳥のような跳躍を求めない。
 私という人間に生まれたからには、だれかのような能力を求めない。
 私にはどんな本性があるのだろう?

 今は黙々として,自己を見つめる。
by japanheart | 2010-04-26 00:39 | 天職 | Comments(3)

守・破・離

守・破・離

ジャパンハートのもうひとつの活動地カンボジアに、今2名の看護師と1名の医師が入っている。
そこで、今後の大まかな方針、現地の状況も自ら確認するためにカンボジアに来ている。

 看護師独自の活動を、自ら調整・構成できるか、これからの1年にかかっている。
ジャパンハートの研修を終了した、あるいはその途上で、自分たちが必要と思う場所で、必要と思われることを実現してゆく過程である。

 他人の考えたこと、他人のやってきたこと、それをなぞっているうちは、まだまだ最初の段階。
すなわち「守」。

 自分がたとえば私の世界観から出て行こうともがいている段階にさしかかってこそ、
すなわち「破」。

 こののち自分のオリジナリティーの世界をもててこそ、
すなわち「離」。

「破」にいたらなければ、この世界に対して自らの存在価値がなかったとも言える。
by japanheart | 2009-03-02 19:48 | 天職 | Comments(1)

30年後の私が思う

30年後の私が思う

 私はよく最近は30年後の私はどう感じているかを考える。
 当然、想像しているので実際とは違ってくるし、第一、生きている保証はないことは百も承知。

 私にとって30年後とは一体どういう時間かというと、
 今、44歳の私は74歳になる。男の平均寿命から考えると、かなり動けなくなっているかもしれない。
 医者はとうに引退している。少なくとも技術的には。
 この近い将来に死を意識したときの私の感じ方はかなり重要だと思う。

 おそらく私は後悔している。どう口で後悔などないよい人生だったと言っても、心の中では他の何かよい人生を失ったのではないかという釈然としない感覚を持っていると思う。しかしまあ、ふたつの人生は歩めないので仕方ない。
 どんなに立派に、どんなに挑戦に満ちた人生であったも、生に対して未練は残る。私にあと10年あればと考えるだろう。


  しかし、逆説的に、どんな人生を生きても、後悔するならばといつも心の声を発する。

 思いどうりに生きよう。
 様々なことにチャレンジしよう。
 できる限り恐れずに前に進もう。
 コンプレックスなど些細なことといつも考えよう。
 できる限り幸せをふりまこう。
 

 さまざまな理由で、可能性を諦めて行く。
 さまざまな理由で、毎日流されてゆく。
 こんな人生など私には拷問で、牢屋に入れられた状態と一体、何が違うと言うのか?とさえ思う。
 あなた方は無期懲役の罪ですでに牢屋の中にいるのだ。
 愚かなことに宣告したのは、自分自身で、しかもそこがいい世界だと勝手に思い込んでいる。
 30年後に分かる。覚悟しておいた方がいいかもしれない。


 30年後の自分が、泣いている。今、泣いている。
 こんな人生など、私の人生ではないと叫んでいる。
 私はもっと可能性のある生き方ができたのにと地団駄を踏んでいる。
 未来の自分が生き方の修正を皆に迫っているのだ。
 今、すぐに。

 
 
 
by japanheart | 2009-02-22 01:55 | 天職 | Comments(0)

医者になったことーー2

医者になったことーー2

1年目の浪人の医学部を目指したいと宣言した時、多くの友人が反対した。
大きなお世話だが、ある友人は私に「国立の医学部というのは東大とか京大へ行く人が医者になるといってゆくところで、君みたいな成績のものが行くところでない。ましてや、君は理系ではなく文系ではないか。」と丁寧に嫌味と忠告をくれた。
あの時、私は彼らの言うことを尤もだと思って聞いていた。
あの時、私を含む誰もがそのは無理だと思っていた。
しかし、私には一つだけ心に引っかかったことがあった。
誰もが私の無謀さを、そして可能性を疑うのは理解できる。しかし、なぜ、私自身が自分の可能性を信じれないのか。この10代の終わりに私は私の可能性を信じれなかったり、疑ったりしたら、これから先の長い人生どれほど、私は絶望を感じながら生きつづけなければならないのだろうか?
私は私の可能性を信じてあげねば、自分が浮かばれなかった。

2年目の浪人生活が始まった。
1年目まで文系のクラスにいたのに、国語・数学・英語すべて、偏差値は30代だった。
やはり去年と相変わらずみんなを元気ずける存在だった。
しかも今年は初めて勉強する理科まで加わって、本当に泥沼にはまり込んだ心境だった。

 やはり成績は低空を飛び続け、10月の終わりまでさして希望は持てない状況が続いた。
 このまま私はどうなった行くのかと不安から夜も眠れない日がたびたびだった。


 その眠れない夜はいつも天に語りかけた。
 そして、私は神仏と取引をした。
 どうか私を医者にして欲しい。
 私は生涯、恵まれない人のために働くからと。

 信心する心の薄い私にはもちろん神仏は何も答えてはくれない。
 せめてもと毎日仏壇の水は代えた。
 神仏は下賎な取引などしないのだ。今なら分かる。若いころの苦い思い出だ。


 11月ころから、不思議なことに成績が急上昇し始めた。
 なぜかしら12月ころには、偏差値で60はゆうに超えていた。
 医学部が射程圏内に入ったのだ。
 
 私は高校時代から一度も満点に縁のない男だった。
 それがこの年の本番の共通一時(今のセンター試験)で満点を取った。

 そして2次試験。
 当時、国立大学は全て同じ日に一度だけ試験を行った。
 だから、学生たちは皆、一発勝負だった。たった1校しか受験できなかったのだ。
 決して出来は良くなかったが、合格していた。
 
 情けないオトコに神仏が情けをかけてくれたのだ。
 ただ感謝した。特定の神仏の信仰など私には無かったが、あらゆる存在に感謝した。

 だから、今もその下賎な取引の約束を果たしている。
 若気のいたりで、時々後悔している。

 
 
by japanheart | 2009-02-12 01:16 | 天職 | Comments(1)

医者になったことーー1

医者になったこと-1

 そういえば、昔のことを思い出したので年寄り臭いが、少し書いてみる。

 高校時代の私は、全く勉強しなかった。友達や女の子と遊ぶのが生きがいだった。
お陰様で、完全に浪人した。更に言うと、卒業すら危ぶまれた。
何せ高校時代、遅刻はいくらしても欠席記録にはならないことを知っていて、高校3年のころは毎日のように昼ころから学校に通っていた。
 
 高校3年の進路指導の時、教師はてっきり私は就職すると思っていて、資料を用意せず、翌週再び進路指導になった。
 その指導でも、大学へ行きますと意気込む私に、これだけ受けて1つうかるかどうかです、と全て女子の短大の名前を書いた資料を並べていた。(今は知らないが当時女子の短大で男子をわずかに募集していた学校もあったのだ)
めでたく浪人。
予備校に入るのに、5回も試験を受けようやく新学期ギリギリに受かった。
友人たちからは、私は特別に1回目から5回目までの合計得点で受からしてくれたのだと、笑えない冗談を言われた。

 1浪目でも生活は変わらなかった。相変わらず遊んでいた。そして合間に適当に勉強した。
結果は、明らかだった。しかし、この底辺の時機に私は自分が医者になるという光をつかんだ。そして、決心した。
 大海を知らない蛙の如く、その無謀さに気づかなかったが、今考えるとそれこそが、神の加護だったとイスラム教徒なら言うかもしれない。
 偏差値は全ての科目で、30代であらゆる受験生を元気付ける存在だった。

なぜ、医者になると思ったのか?
   突然思い出した気がした。
   それが自分の使命のような気がした。
   気のせいだと何度も振り払ったが、頭から離れなかったのだ。
   
 私は文系で、医学部に進む選択肢はほとんど無いのは分かっていたが、それが私の進むべき道に見えた。
  損得感情など微塵もなかった。
 ただ、医者になり、誰でもが一度は思うように、不幸な境遇の人たちのために何かしたかった。
そういう衝動が自分の中に沸き起こったのだ。


  
by japanheart | 2009-02-07 03:42 | 天職 | Comments(1)

続ける事

続ける事

 何年も活動をしてきて、何人もの人が私の前を通り過ぎていった。

 私はよく参加した人に、質問するのだが、このような活動を生涯続けてゆくつもりか?と。

 長期で参加した人たちは、ほとんどそのつもりだと答えることが多い。

 ある人は進学し、ある人は別の分野に行き、ある人は元の職場に復帰する。

 今も何か続けているのだろうか?

 また将来やりますでは、ライフワークとは言わないだろう。

 趣味というほうがいいかもしれない。

 様々な状況が起こるかもしれないが、途中でやめてしまっては、自分の言葉にあまりにも責任がなさすぎだろう。
 できないなら最初からあまり言わないほうがいい。自分への戒めもこめてそう思う。

 考え方が合わない、、、、それもわかる。
 自分の状況が今は厳しい、、、、それもわかる。
 経済的にもう持たない、、、、それもわかる。

 どれもこれも社会人にはよくあることだ。
 言い訳や妥協はいつでもできる。

 将来の陽の目を信じて、今、極貧に耐え、夢だけを追っかけている、役者の卵のほうがましか。

 私とあなたの状況は違う。
 私とあなたを比べて、うらやましがったり、妬んだりしても仕方ない。
 そうだろ。

 それぞれが自分で限界を決めればいい。
 その投資に見合った、報酬しか受けることはできないだけだ。

 今、いなくなった人たちは何をしているのだろう?

 言葉どおり、このような活動を続けているのか?

 続けることは、大変なことだ。
 
by japanheart | 2008-09-20 00:00 | 天職 | Comments(0)

組織化する

組織化する

 様々な問題があったが、ようやく組織化し始まる。
それそれがそれぞれの役目を認識したとき組織として動き出す。

誰かが自分の代りをしてくれるわけではない。
自分こそがやってゆくのだという気持ちが大切だと思う。
与えられた仕事だけこなすのは他人に人生を乗っ取られているのと同じだ。
自分で様々な工夫、挑戦を繰り返してみると何やら人生やりがいを見出すだろう。

この世にただ一つの「 一 」になりたければ果敢に人生に挑戦し続けるしかない。

私にできることは何なのか?
私にしかできないことは何なのか?

本気で求めれば、時を置いて答えは与えられる。
by japanheart | 2008-04-20 21:39 | 天職 | Comments(0)