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ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:子どものこと( 47 )

アジアの小児がんの子どもたちを救おうと思う


 この時期にカンボジアに病院を設立する。

 

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 20年以上の間、アジアの途上国で医療を行ってきて確実に人々を取り巻く疾病状況にも変化を実感する。

 現在はラオスと中国の国境の山岳で医療をしていても、ミャンマーの僻地にいても、カンボジアの田舎町で医療をしていても、その町で暮らす人々の多くはみな市販のミネラルウオーターを飲んでいる。

 多くの人々はインスタントラーメンを当たり前に食べている。

 20年以上前、アジア最貧国といわれた時代のミャンマーは、川の水や池の水を簡単な陶器でろ過して飲んでいる人々が多かった。最近ではあまり見かけなくなってしまったが。


 日本人の多くはいまだに勘違いをしているかもしれないが、下痢で命を落とす子どもたちは今やそう多くはないのだ。

 どこのも町にも抗生物質は多くの種類そろえられており、いつでもそう高くない値段で購入できる。

 もちろん点滴も受けることが大抵はできるのだ。

 これらの変化は、アジア全体の経済状況の底上げが大きく影響している。

 その中でも中国の経済成長は思わぬところで、多くの人々の命をあくまで意図せず、結果的にではあるが救っている原因の最たるものだと思う。


 もし国際機関やNGOをはじめ多くの人々が相変わらず30年前のコンセプトでものを考え同じ行動を繰り返しているとしたらその多くの努力は結果には反映されておらず無駄になっているかもしれない。


 そのような社会的変化の中で、私たちもメインで対応するべき疾患を変えるべき時期が来たのだ。

下痢や急性の呼吸器疾患だけでなく、多くの子どもたちが命を落としている疾患とは何なのだろう?


 ひとつは、先天性の心疾患。生まれつきの心臓奇形がある。これは100人に1人の割合で生まれてきており、形態の異常を手術等で修正しなければ多くの子どもたちが命を落とすことになる。

 おそらく、ミャンマーだけで1年に1万に以上の心疾患の子どもが産まれ、多くは治療できずに死んでいく現状である。出生率からするとカンボジアは3000人以上、ラオスは1000人以上生まれていると思う。

 ミャンマーではなんと子どもの心臓外科医はたった一人も存在しないのだ。

それが何を意味するかは誰でも理解できると思う。


 長年見過ごしてきたこの事態に私はとうとう昨年から手を付け始めたのだ。

いろいろ動いて結果的には、東京女子医大の小児循環器科と国立循環器病センターの小児循環器科の日本を代表する人々が協力をしてくれることになり、産経新聞社の基金を使い、多くの医療者を現地に派遣、現地の医療者を日本に招聘して勉強してもらいつつ時間をたっぷりかけて子どもの心臓病の医療者たちを育成することになったのだ。ジャパンハートの役目はそれら全ての現地での動きをコーディネートすることになり、この4者で時間をかけて子どもたちのいのちを救っていく活動が昨年から始まった。


 実は、もうひとつ私が長年見過ごしてきた病態がある。

 それは小児がんだ。

 その多くは白血病であろうと思われる。

 日本では年間2000~3000人の小児がんが発生するといわれている。

 そして白血病の場合は今では多くの子どもがサバイブできる状態になっている。

 ところが、私たちが活動するミャンマー・ラオス・カンボジアでは昔の日本のようにほぼ全滅している可能性が高い。

 カンボジア、ラオスではおそらく十分な抗がん剤すら揃っていないかもしれない。


 しかし、時代はそういう国々でも、日本のように多くの子どもたちが救えなくても、日本のたとえ半分の割合の子どもたちでも救わなければならない時代になったと感じている。

 日本のような高額な医療をできなくても、昔から使っている今では薬価が下がった薬を使った治療であっても、半分くらいの子供たちが救えるのではないかと私は希望を持っているのだ。


 日本政府は多くのお金を日系企業にサポートを与え現地の富裕層相手の病院建設のために私たちの税金から拠出している。それはもちろん無策で行っているわけではない。日本の製品を世界に販売していくためのサポートをしているということだろう。

 しかし、その税金はおそらく現地の貧困層の人々には届かないだろう。


 昔、ミャンマーの医療機器メーカーの人が私にこう言ったことがある。

「金持ちは私立病院に行き治療を受ける。その次にお金を持っている人々は政府の病院に入院し治療を受ける。その人たちよりお金がない人は政府の病院に入院はするが、何もしてもらえずそのまま亡くなる。本当の貧乏人はどこへもいけずに静かに村で死んでいる。」


 日本の良識ある国民は自分の税金がどちらに使われたいのか、もう一度、自問してもらいたい。

 貧困層の病院なのか?

 富裕層の病院なのか?

 私はせめてその10分の1でもいいから、もう少し貧困層にも届く税金の使い方を自国の政府にはしてほしいと、一国民として純粋に思うのだ。


 しかし、嘆いていても始まらない。

 誰かがこのような貧困層の人々でも医療が受けれる病院をつくらなければならない。

 だから自分がはじめようと思ったのだ。

 誰かに期待していても何も始まらないから。


 スタートが1日遅れれば何人もの子どもたちの命が失われるかもしれない。

 だから、そこに1日でも早くたどり着けるようにお金も十分ないのに建設をスタートさせてしまった。

 

 その病院がいよいよこの6月あたりからスタートする。


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 アセアンは昨年末経済統合され、ユーロのようになっていくだろう。

 既に医療者の免許の統合に向けて進んでいる。

 この病院に各国の若手の医療者たちを集め、日本の医療者が指導・教育できる仕組みをつくる。

 各国からバスや格安の航空機を使いやってきた病気の子どもたちを各国の医師や看護師たちと一緒に治療する。


 まずは第一期の段階は周産期の治療から始める。安全なお産と新生児へ対応になると思う。

 そして第三期を迎えた段階で、小児がんの子どもたちを受け入れ始める。


 それが早くなるか遅れるか?

 私たちのファンドレージングの能力、そして医療者をはじめとする日本人たちの力を私たちがどれくらい集めれるかにかかっている。


 今はボードにのって静かに時代の大きな波を待っている。 


 PS:

    先日、ラオスで5歳の男の子が白血病で静かに死んだ。

    お金がないから、当たり前にタイに治療にも行けなかった。

    父親は虫の息になったわが子を見て「タイに連れて行きたい」と言った。

    私たちは無力だった。

    ただ病院のベッドに寝かせておくことしかできなかった。昔の日本の医者のように。

    

    この光景が私たちが活動する国々で毎日、毎日、何十回も繰り返されている。

    



by japanheart | 2016-02-29 01:35 | 子どものこと | Comments(2)
人間には「拘束(或いは、緊張)と開放」という時間のバランスが必要だと思う。
そして必ず順番も、「緊張 ⇒ 開放」の順番だと思っている。
これは誰でも経験的に、直感的に理解できると思う。

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人は弱さゆえ緊張を嫌い、開放を望む。
これが最初から開放の状態を持ち込むと惰性や怠惰という状態になってしまう。

緊張とは、ある場面では抑圧であり、弾圧であり、強制である。

たとえば、
飢餓があれば、食の有り難さを知る。
極度の弾圧、抑圧があれば、本当の自由を知ることができる。

有名な「夜と霧」の著者は第二次世界大戦時ナチスの死と隣り合わせのアウシュビッツ収容所で本当の自由とは何かということに気付いたと回想している。

肉体もそのようにできている。
高く、あるいは遠くへ飛びたければ、屈曲という肉体的緊張をまず必要とし、その後、その緊張を進展という開放状態にもっていかなければならない。

何の話かというと、実は今回は教育の話をしたいのだ。

私は子育てであれ、学校教育であれ、まずはある種の拘束状態を子どもに与えなければならないと思っている。
特に初等教育は、まず社会のルールを少しづつ教えていく時期なのだが、この時期にある種の強制が必要になる。
算数をする。国語をする。音楽をする。子どもたちが嫌がろうと、まずは強制していかなければならない。その強制は、極度であれば折れ曲がりすぎて膝が伸びなければ飛べないように、子どもにとって適度なもの、もっというと飛び上がることができるギリギリのところまでいけると効果は最大になる。ここが教師の能力の問題になってくる。上手く誘導する教師はいい教師ということだ。

例えば子どもに、算数を過度に強制すると、子どもは算数自体を拒否するようになる。だめ教師はこれをしてしまう。

さらに難しいのは、中学校の教育だ。ここまで義務になっているから、必ず強制されることになる。
中学の各教科は、それぞれにいろいろな学問の基礎を学ぶのでどれも一度は強制をしたほうがいい。向いていないことが判明したら、高校にいかないという選択肢も与えられている。
しかし、もし一度も強制しなければおそらく、多くの子どもたちはその課題から逃れ、その学問的素養から生まれる様々な利益を、生涯にわたって失うことになるだろう。
だから強制的にそれを一度は学ばせる必要がある。

現在の日本の問題点は、勉強が嫌になった子どもに、高等学校で教育を受けることを社会が暗黙に強制しているところにある。その目的がいい大学に入るとか、いい就職をするためとかいうのだから情けない。

学問が過度の強制になっていいことは一つもない。

そのような子どもたちには、中学校を終わると高校や大学など行かなくても別の能力開発のための道を作ることも大切なことだと、いつか社会が変わってくれる日を待っている。

一度、枠に押し込めることは本当に大切な要件で、私は海外の医療現場でも必ずこの手順を踏む。
まずは正しいと信じるやり方で、医療者たちに我流や経験を一旦捨ててもらい、私のやり方、方法に強制的に従ってもらう。おそらく心の中ではかなり反発もするし、かなりのストレスを抱える人も多いが、必ず強制する。

なぜならばこれこそが、その後の医療者たちの飛躍を生むからだ。
言い方を変えれば、私のやり方を習得するということは、私の人生を自分の一部にしたということだ。
ある学問を学ぶということは、人類の歴史の一部を自分のものにしたのと同じだ。

そしてやがて私のやり方から開放されたとき、過去の自分の経験と今私から奪い取った経験が融合され、自分自身の能力がさらに進化し、新しい自分を手に入れることができる。

そして人生はそこからが勝負になる。
さらにその先にある全く新しい時間に自分を進め、何かを生み出していくという段階になる。
自分だけのオリジナルなものを生み出すということだ。

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それはまた、ある学問をまず強要され、学び終わったら、そこから新しい理論や発見をしていく過程と似ている。
こういう階梯をかつては、「守・破・離」と呼んだわけだ。

 守というのは高く飛ぶために、膝を屈曲すること。
 破というのは極限一歩手前まで曲がった膝を伸ばしはじめ、元の高さまで膝が伸びること。
 離というのは元の高さより高く飛び上がること。

小学・中学時代の強制は、人生に守を与えることだ。ここがない人生は、決して高くは飛べない。

必ず学校教育が必要なわけではないが、なければそれに変わる何かを用意しなければならない。
その理屈でいうと、子どもを叱る教育も大切だということだ。はじめからほめて育てるやり方は、いきなり子どもに飛び上がれといっているようなものだ。しっかり叱り、いいタイミングで褒めまくる。
これが守・破・離に則ったやり方だ。

子どもは賢いので、親の顔色ばかり見ている、或いは親に気を使っている、或いは親に変に洗脳されている子ども以外は、何かに付けて親から与えられた習い事も無理やりやらされている、親がやらせたがっているとちゃんと理解している。
うちの小学生の子どもたちも堂々とそのように文句を言うのだ。
しかしこれは立派なことだ。少なくとも私はそのように感心したのだ。
しかし今、子どもたちには、君たちのいう事、感じていることは全くその通りだが、今はここに書いてきた理由により、少なくとも小学生のうちは強制しますと宣言している。

守の状態は苦しいものだ。体重を支えながら膝を折れ曲げる動作はストレスフルなのだ。
(親の役目はここまで。)

どこでその重さから開放されるのか?
それはまさに折り曲げ始めたゼロ点を通過した瞬間からだ。


そのことも知っておいたほうがいい。
ゼロ点を過ぎればできるだけ脱力したほうが高く飛べる。
そのことも知っておいたほうがいい。

要するに、親は干渉したりしゃしゃり出ない方がいいということだ。

 ゼロ点というのは人生でいうといつになるのか?
 
日本という社会は、大学生になっても、社会人になっても親が出てきたりする。
それはわが子の成長を阻害する行動だと思ったほうがいい。

社会人の子どもが海外に医療ボランティアに行きたいという。
そして、親が反対しています、とか。親が帰って来い、とか。いい始める。
心配するのは分かるが、親は基本的に子どもが死ぬまで生き続け、面倒はみれないのだ。
だから、そんな親の発言は子どもの人生の発展を上から押さえてつけているようなものだと思う。
 

ゼロ点というのはいつなのか?もう一度しっかり考えてみたい。
中学卒業したときなのか?
高校卒業か?大学卒業か?
それとも社会人になった時なのか?

 私は結構、早い時期だと思っている。
by japanheart | 2016-01-13 23:11 | 子どものこと | Comments(0)
ラオスの子ども助かった、、、と思う

 先般からお伝えしていたラオスの胆道拡張症の1歳の女の子は無事に手術を終え、回復に向かっていることを伝えたい。

 岡山や広島から行っていただいた小児外科の先生方や、ミャンマーから帰国前にわざわざ行っていただいた遠藤先生にも感謝をしたい。

 ラオススタッフも皆さん平山を中心にがんばって関わってくれた。
 資金的サポートをしていただいたJSファウンデーションやこの子のために寄付を頂いた方々にも感謝します。

 一人の子どもためにいったいどれほどのエネルギーを裂くことが出来るのかというのは大した課題だが、一人の人間を助けるのはそれほど大変なことだとも教えてくれる。
 この世の中はどうも総論と各論のバランスが取れないことが多い。
 なるべく少ないお金でなるべく効率よく人を助けたいと思ってはいても、今回のように大したお金をかけないと助けられないこともある。
 かつて、アメリカにいって心臓移植のための治療は1億は必要だった。
 そのお金をマラリヤの薬に代え、アフリカやアジアにばら撒けば数万人の命を救える可能性だってある。
 よく学生たちに質問されることに、そんなタイプの質問が多い。

 もっと効率よく多くの人を救いたい、救うべきではないかと語ってくれる学生も多いが、昨今の世界情勢の中で、いろいろな人たちがそう考えてさまざまな試みをしているが、果たして結果はどうだろう。
 結局、私の人生という各論では、一人ひとりちまちま確実に救ってきたこの長い年月のほうが、結果ははるかに良かっただろう。若い頃に理想に燃えて大風呂敷を広げ、多くの人々を一度に救おうと張り切ってやってこなくて良かったと思う。きっと上手くいっていなかったから。
 
 世界中でさまざまな難問に大きな希望を抱いて取り組んでいる人も多いが、果たして上手くいっているのかな?
 地球温暖化の問題は解決しそうなのかな?
 感染症のブレイクアウトや、核廃絶の問題はどうなっているのだろう?

 先般読んでいた書物の中に、1980年代アメリカの異常な殺人や薬物中毒、レイプやその他のをはじめとするさまざまな犯罪発生は、行政や専門家たちのさまざまな希望に燃えた試みによっても、一向に鎮火しなかった。多くの専門家は1990年代はさらに悲惨な状況になると予想していた。ところが、すべての人の予想に反して1990年代からアメリカの犯罪は減少の一途をたどる。
 それはさまざまな勇敢な試みの成果ではなく、実は、全米の多くの州で中絶を認めたからだったそうだ。
 貧困層の子どもたちは大きな犯罪予備軍だった。
 その予備軍になるべき子どもたちがこの世に生まれず中絶によって、命を奪われていったということがその犯罪の減少の一番の理由だったそうだ。

 まあ、人間の知恵などというものはその程度なのかもしれないが、それならば確実に助けたほうが時間さえかけれればきっと成果も上がる。小さな成果なのかもしれないが。

 今回もその試みをしてみたわけだ。
 何とか上手くいきそうだと思う。
 
 今はこんなに元気になっている。

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by japanheart | 2015-04-21 00:45 | 子どものこと | Comments(0)

いのちの授業

いのちの授業

 今年から小学生を対象に、”いのちの授業”を始める。
 一クラス程度の少人数相手の授業にしたいと思っている。

 小学生の講演会を全校生徒にといってよく頼まれるが、それが平等だと教師たちが勘違いしている節がある。
 小学校の1年生と6年生に同じ話をしても、同じように理解はできない。
 低学年には低学年の話し方があって、それをすると高学年は興味を失う。

 しっかりいのちについて理解してもらいたいと思えば、どうしても高学年に焦点を与えることになる。

 そうすると、低学年はきっとあまり分からないだろう。
 相手の理解度も無視して、一部の人たちに理解できる内容をすれば、それこそ私は不平等だと思うがいかがだろうか?

 たった60分程度の話のなかでは限界がある。

 話を戻そう。

 いのちの授業は、無料で行う。
 交通費は負担してもらうが、講演費は無料。

 子どもたちにいのちについて理解してほしければ、自分のいのちを相対化するような経験を持たさなければならない。
 人は他人と比べて初めて、自分の立場を理解する。
 
 安全で、解毒化された日本の子どもたちに、打ち込む予防接種みたいなものだ。
 社会が、親が、面倒見すぎているのかもしれない。
 大人から見て気の毒なことが、本当は子どもにとって必要なことだってたくさんある。

 そういえば、ずいぶん前にミャンマーの子どもが亡くなるストリーを写真を少し入れて小学校かどこかで話したことがあった。
 あとで校長に、あの話はちょっとまずいようなことをと言われた。
 結末が不幸になるような話はしないでほしいと言う。

 世界は、不幸で満ちている。
 世の中には、残酷な世界もあるんだ。

 それを知ることも大切な教育だと思う。

 おとぎ話の世界だけを、子どもに押し付けてどうする?

 人は死ぬ。
 人は病気になる。
 
 別に、不思議なことではない。

 いのちの教育は、人が死ぬということから、教えていかなければならない。
 
 
by japanheart | 2013-11-03 08:18 | 子どものこと | Comments(2)

我が家のルール

我が家のルール

 この度、我が家にルールを設けることにした。
 もちろん子どもたちが守るべきルール。
 もともと我が家は、私が不在が多く女性たちによって子どもたちがほとんど育てられてきた。

 そのため、非常に子どもたちは上手く女性と付き合う術を心得ている。
 甘え上手で、ごね上手。
 必ず最後は、勝利している。
 このことを常々、私は苦々しく思ってきた。
 しかしながら、彼らもなかなかで、私がいるときには非常にいい子どもを演じている。
 時に尻尾を出して私に怒られるが、なかなか尻尾を出さない。

 それでも子どもの性格によっては上手く人生を乗り切っていきそうな長男と、たぶん大きなリスクを負いそうな次男。

 今回日本に帰国し、新しい学校に通うことになったが、長男は合格通知をもらったものの、次男は上手くいかない。何とか会議を開いてもらい合格したらしい。長男とあわせ技で。

 教師たちは何を不安に感じたのだろうか?
 
 次男は、時に父親を求める傾向が強い。
 これは彼が、父性というものを、必要としているからに違いない。
 父性とは、秩序であり、ルールであり、力であり、安定であり、時に強制である。

 このような種類のものを次男は求めているに違いない。
 もともと長男よりエネルギーレベルが高く、いつもその処理を上手くできない次男はさまざまな問題を周辺と起こす傾向が強い。
 これが、高学年や中学生になったときに上手く誰もコントロールできなければ、周辺に悪影響を及ぼすことは目に見えている。
 おそらく、教師たちの一部は、これを感じたと思う。

 しかし、私はこの子と上手く付き合っていく自信がある。
 この有り余るエネルギーを上手く誘導してやれば、さぞかし景色のいい時間をすごすことになるだろう。
 失敗すれば誰もが地獄の時間に変わるかもしれない。

 そこで、子どもたちに父性の一部を流し込んでいくことにした。
 これがしっかりできれば、必ず上手くいく。
 甘やかしは禁物だ。

 人間には勉強よりも大切なことがある。
 正確には、勉強の前に習得しておかねばならないことがあるということだ。

 今回、私が子どもたちに宣言したルールを少し書いてみよう。

 1.朝起きたら「おはよう!」とあいさつをする。
 2.ご飯はのこさず食べる。
 3.食器は、流し台まで持っていく。
 4.いってきますと元気にいう。
 5.くつは、ちゃんとそろえる。
 6.使ったものは元の場所に戻す。
 7.便所掃除を毎日順番にする。
 8.宿題はすぐにする。
 9.ご飯の後は歯をを磨く。
10.

20.呼ばれたらいつも、「はい!!」と元気に返事する。


 とまあ、ざっと20個程度のルールを決めた。
 
 こんな当たり前のことができれば、子どもはちゃんと育つ。
 当たり前のことを当たり前にしていないから、おかしくなっていく。
 夜更かしさせたり、間食をひどくさせたり、問題は親にある。

 親が、ルーズだから子どもがルーズになる。 
 親がサボっているから、子どももサボる。
 小さいうちから、親の背中を見て生きてきたのだから、そうなるに決まっている。
 子どものやりたいようにさせることは自由でもなんでもない。
 社会でも好き勝手にやったら、捕まるのと同じだ。
 好き勝手にやることは、他人の自由を侵害するからだ。

 これらのルールを定め、これを守らせていくのが父性だと思う。
 力ずくで、従わせずに、繰り返し我が身で示しながら、繰り返し、繰り返しやっていくつもりにしている。

 我が家の子どもたちの才能を目覚めさせるために、今からいくつかのことを考えているが、いいタイミングで繰り出していきたいと思う。
 子どものエネルギーを少しも目減りさせたり、失わせてはいけない。

 このやり方は、国際看護長期研修でも取り入れていく。
 もちろんもっと複雑に、もっと体系的にやっていく。

 いい人間が、いい医療ができる。
 特に看護の分野はそれが顕著だと思うから。

 まずは、立派な人間をつくりたいと考えている。
by japanheart | 2013-08-23 02:53 | 子どものこと | Comments(1)

エネルギーの行方

エネルギーの行方

 最近の子どもたちはつかみどころがないとよく言われる。
 先日、中高生向きのスタディーツァーを、ミャンマーでやった。
 この時の子どもたちの感想が、私にはショックだった。

 ここに来た子どもたちは、口々に生きている実感が持てたと語った。
 まだ、15歳前後の子どもたちだ。
 いったい、日本では何が行われているんだろうか?
 
 子どもたちに媚び、個性重視の名の下に、至れり尽くせり。
 結果、子どもたちから生きている実感を奪っているという、由々しき事態になっている。

 ここで整理しておきたいのだが、個性を重視することと、嫌いなことをさせることは決して矛盾することではない。
 いい年になってしまったら、どうせ嫌いなことなどしなくなるのだ。

 だからこそ、若いうちに嫌いなことや苦手なことをさせなければならない。
 これが子どもたちの将来の、土壌の栄養になる。
 根が張らない子どもなど、大きな木に育たない。

 人間には睡眠を除くと、本質的には欲求は2つしかない。
 性欲と食欲だ。
 性欲は、今の日本では著しくコントロールされる。
 ゆえに、子どもたちのエネルギーは、別の経路に流されることになる。
 学業であったり、スポーツであったりと。
 これらが本人の個性にうまく合致してくれていたり、いい指導者にめぐり合ってうまく誘導してもらえればキット、いい人生をイメージして前に進んでいけるし、本人も日々、充実した時間をもてる。
しかし、何もこれといったものが持てなかった子どもたちは迷走する事になる。

 かつては暴走族や夜遊びということになった。
 結局は、教育者を親を中心とした大人たちが、彼らのエネルギーをうまく誘導できなかったせいだ。
 彼らが、そういう世界から抜け出していけるのは、時間がたって、別のエネルギーのはけ口というか、誘導先を見つけるまで待たなければならない。だから、多くは20歳を過ぎたころまで時間が必要なのだ。

 しかし、こういう子どもたちはまだ、エネルギーを保って生きていることになる。
だから、別のエネルギーの回路が開け次第、すぐにうまく社会適応していけることが多い。

 ところが問題は、エネルギーのはけ口を持たなかった子どもが、自らエネルギーレベルをとした場合だ。
 生きているエネルギーレベルを落とすことによって、自己を保持する。
 こういう子どもたちが、引きこもる。
 引きこもれば、時間がたっても、自身でエネルギーレベルを上げない限り、社会復帰などできない。
 そして、このエネルギーレベルを上げるという作業は、大変な作業になる。
 そう簡単に一度、止めたタービンを回転させることは大変なことだ。
 寒い冬に車のエンジンをかけるのと似ている。
 それくらいのエネルギーを逆に初動で必要とする。
 ゆえに、引きこもりはなかなか直らない。

 これらを解決するには、エネルギーをうまく誘導する人間がいる。
 もちろん、仕組みとしてそれが行えれば言うことはない。
 しかし、それにはある程度の情熱と人間的なレベルが必要となる。
 教育とは、まさにそういう作業だ。

 親の子どもへの甘やかしはご法度だし、社会の子どもたちへの迎合はあまりすべきではない。
 傷が深くなる。
 情熱をもち傷つくことを恐れない教育者たちもたくさん必要になる。

 もし、本当に誰もが教育こそ大切だと思っているならば、真剣に子どもたちと向かい合わないと大変なことになる。

 私は、本当に思うのだ。
 こんな大人たちばかりで、本当に子どもたちがかわいそうだと。

 貧しいながらも目が輝いているアジアの子どもたちや、アフリカで少年兵として生きている子どもたち。
 彼らの目のほうが、日本の子どもたちより力があるのだ。
 それは、おそらく、生きていることをしっかり自覚しているからだと思う。
 生きながら子どもたちを殺していては、子どもたちがかわいそ過ぎる。

 
 
by japanheart | 2013-08-19 01:31 | 子どものこと | Comments(0)
ドリームトレイン:スタディツアー

 ドリームトレインの初のスタツア。
 先日、女優の戸田恵梨香さんもやってきたあそこ。

 NHKプレミアム「輝く女」で1月24日、31日と2週にわたって放送された施設。
 
 ここの施設を訪問希望する人が多いのだが、今までは政治的な状況もあり、ウエルカムで迎えることができなかった。しかし、今はほとんど問題なくここを見学できるようになってきた。

 3月の上旬にやるそうです。
 もちろん医療活動の病院見学も入っていて、その後、ここで子ども達と一緒に様々なことをやってもらおうと考えています。

 後半には私も皆さんの前で色々話をすることになりそうですが。

 先日、「輝く女」の撮影スタッフの方々とお会いしたら、戸田恵梨香さんはすごく感動していたそうな。
 そして、またドリームトレインにいって見たい、いや,行くと思っているそうだ。

 彼ら曰く、戸田さんは、必ず行く!と。

 皆さんもどうでしょうか?

 体験と時間は、お金をかけるに値する。

 詳しくはここを見てください
【募集中!】戸田恵梨香さんも訪問したDream Train訪問ツアー! 【2013年3月】




 
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by japanheart | 2013-02-09 00:24 | 子どものこと | Comments(0)

人生:五輪の書

人生:五輪の書

 かつて剣豪 宮本武蔵は死に近き時期に、洞窟に籠り自己の剣術・人生の集大成の書を書き上げた。
 いわゆる「五輪の書」のことである。

 人生生きていれば良いことも悪いこともある。
 時に自分の存在を消滅させたくなるほどのつらい目にもあう。
 私はいつも自分の子どもにはどんなときも人生を生き抜いていける知恵を与えたいと思っている。
 決して楽して生きろと言うつもりはないが、どんな過酷な状況をも生き抜き、子々孫々まで、私の遺伝子を伝えていってもらわねばならない。

 今後、何百年も私の子孫が生き抜けるような家伝を、内々に書き上げようと思っていた。
 そしてそれを静かに残して逝きたいと思っていた。

 構想としては、上下の2巻にし、子どもにも直感的にわかりやすく、そして親が見てもその深い意味をすぐに察知できるほどのものにしたいと思っていた。

 あまり早く書くと、武蔵のごとく死んでしまうかもしれないので、まあ慌てずという感じで将来書いていきたいと思っていた。


 しかし、、、。
 
 先日、ある出版社の人と話していて、こんな話をしたらぜひ今の日本の子どもたちの状況に少しでも光をということで、もしかしたら人生:五輪の書を出版するかもしれない。

 本当は、吉岡家の秘密の家伝にしたかったんだけど、仕方ないから上の巻は世の中に公開することにした。

 例えば、こんな感じ。

  「時間を味方にせよ!」

 「自分より明らかに強い相手には、立ち向かわず、一旦、逃げよ」
 そして
 「自らの中の戦いの時間を、引き延ばせ」
 「1年、2年、そして10年以上の戦い期間に引き伸ばせ」
 「やがて時がわが方に傾いたとき、一気に攻める」
 「10年、20年、30年静かに勝機を伺う」

 説明:あなたの子どもが学校でいじめられていたとしよう。
 あなたは言うだろう。「がんばって学校に行け」「話し合え」そして「がんばれ、がんばれ」と。
 しかし私なら、子どもに、聞くだろう。「どのくらいの力の差を感じるかと」
 
 そしてこうアドバイスする。
 「引っ越そう(逃げよ!)」と。

 「しかし、あと20年たったときには必ずや形勢を逆転させるのだ」と。

 もし男の子で、明らかに力や体の大きさに差があれば、逃げたほうがいい。
 精神的に追い込まれているなら、避けるか逃げるほうがいい。
 10年もすれば体の大きさも大小入れ替わる可能性がある。
 もっと強い友人たちができるかもしれない。
 20を過ぎれば、経済的な状況も力のひとつになってくるし、30を過ぎれば強さそのものの概念すら変化する。
 強さとは、人間力だ、サバイバルする力だとも認識もできるようになる。

 10歳のときに戦ったら、木っ端微塵であったかもしれないが、勝負を捨てなければ、30になれば立場は確実に逆転する。すごい強さを持った人間になるんだといつも意識してこの20年過ごしてきたからね。
 相手とのあまりの差に、勝負すべき相手とも思わなくなる。

 だから今、無理に戦わなくてもいい。
 戦いたいなら、本気でやらずに軽く戦って軽く負けておけ。
 いちかばちかの勝負など人生1度あるかないか。何回もするやつは馬鹿だ。

 時間を自己の中で引き延ばせ。


  
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 ってな感じかな。こういう知恵が集まった本にする。


 
 
by japanheart | 2012-11-11 09:07 | 子どものこと | Comments(1)
いざ!出陣 with 息子たち

 この4月から我が家は,ヤンゴン在住。
 息子たちは日本人学校へ。 一クラス多くて10名。在学者がいない学年もある。

 そしてもうすぐ夏休み。
 妻は日本へと一足先に今日帰国。

 あまりなき組み合わせ。父親と息子二人。(今までは、いつもばあさんがそばにいたから)

 そして18日朝から,この愚息二人、7歳と5歳を引き連れ、活動地サガインへ初見参する。

 戦国の昔は,初陣というのがあって、武将たちはある年齢になったら息子たちを戦場に連れて行った。

 日本の父親は息子に働く姿を見せることがないだろう、今時。
 それができればすこしは家族関係が変わるかもしれない。

 私は,やりたい放題なので息子を本当は学校など行かせずに,ずっと活動地でお手伝いをさせたいが、
 妻に反対されて,今はあきらめている。

 そこで、夏休み+妻不在=やりたい放題 という環境を利用して、息子たちを,私の戦場、そしてジャパンハートの最前線、ミャンマーワッチェの慈善病院に連れて行く。

 そこで、同じように生活をさせ、活動の足を引っぱらない程度にお手伝いをさせる。

 父親などというのは,結局、背中で語るしかない。
 特に、小学生の頃にしっかり背中を見せておくと、素直に彼らの脳裏に沈んでくれる。

 それが今すぐにではなくても,将来、彼らの目に見えぬ力になったり、目標になったりするかもしれない。
 男同士の教育は、頭ではなく,肉体や五感を通して行われていく。
 

 私は親になったら,子どもにその働く姿を見てもらわないとと思っている。
 ジャパンハートのスタッフも,親になったら皆、子どもを連れて活動に参加すべし!
 子どもの見てる前ならば,いい加減な姿やかっこわるい姿は見せられない。

 子どもにとっても,親にとっても,最高の学びの場になるはず。

 これからはもちろん、ジャパンハートという団体が、親子でボランティアで共に学ぶという,そういう場所になればいい。

 ではさっそく、その第一号として,吉岡家が突入させて頂きます!

 
by japanheart | 2012-07-16 23:19 | 子どものこと | Comments(3)

長い夜を越えてゆく

長い夜を越えてゆく

 昨日は、大阪である大手企業の新人研修で講演をした。
 ここ3年ほど、毎年行っている。
 学生から社会人へと二週間ほどの合宿で変わっていく。
 私は関わるのは、いつも最終日の二時間ほど。
 既に、学生の殻が脱げかけている。
 良くも悪しくも、これから汚れていくのかも知れない。

 今日は、岡山に来た。
 今は羽田に向かう飛行機を空港で待っている。
 ここへ来た目的は、国立病院で、ミャンマーの少女、ニーニーの治療を受け入れてもらうための相談をするためだ。
 おおかたの日程が決まった。
 5月18日羽田に到着する予定にした。

 この少女と、家族の長い長い夜が明けてくるかもしれない。

 今回受け入れてもらう病院の小児外科医の先生も、資金集めの時、寄付をしたと言っていた。
 ありがたいことだ。

 ミャンマーの子どもたちの保護施設「ドリームトレイン」。
 もうすぐ子どもたちの数が150名になる。
 1年程度で6倍になった。
 
 子どもたちはもう陽の当たる場所へ出ているのかも知れない。

 大きなことはできないけれど、それでも少しずつ、少しずつ。
 そうやって長い間やってきた。
 
 長くやれば少しは成果が出るもんだ。
 皆さんも、あきらめずに何かを続けてみたら?
 私でも成果が出るんだから、同じように出ると思う。

 
 
by japanheart | 2012-04-13 19:42 | 子どものこと | Comments(2)