ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:基本( 88 )

ツイッター

ツイッター

 長らく無視し続けてきた ”ツイッター” 始めました。

 よろしかったらフォローしてください。

 ブログもツイッターもミャンマーからできないんだよね。

  http://twitter.com/japanheart2010    
by japanheart | 2010-09-24 00:50 | 基本 | Comments(0)

副作用の法則

副作用の法則

 薬剤には、知っての通り、「主作用」と「副作用」がある。

 痛み止めの薬を飲むとき、痛みが止まるという働きが、主作用。
 胃が痛くなったり、じんま疹が出たりというのが副作用。

 人生ではこの副作用がきわめて重要になる。
 最近、このことに気づいて、にんまりしている。


 もう少し詳しく。

 たとえば、医者になりたいと行って、勉強をはじめ、大学に合格し、国家試験に合格し晴れて医者になったというのが、主作用(主目的)。
 その課程で、勤勉さや忍耐を身につけたり、大学でいい友達や恋人ができたり、将来の妻に出合ったり、クラブ活動でいい経験を持てたりというのが副作用(非主目的)。

 こういうことになる。

 さて人生でどっちが重要??
 答えは、ケース・バイ・ケース。時に収穫は副作用の方が遙かに大きい。

 だから、失敗しても、まずチャレンジしてみる価値がある。
 何せ、人生におけるこの副作用の法則に気づけば、やらない手はない。

 時に、目的は達成できないこともある。全線全勝の人生はあり得ないから、多くは失敗や徒労に終わる。
 それは誰もが経験済み。
 この副作用という、予想外のびっくり箱をひっくり返してみてはどうか?

 これを生み出す秘訣はただひとつ。
 ダメ元でもいい、目標を立て、チャレンジしてみること。

 行動する、しない。
 これにかかっている。
 ただそれだけ。たったそれだけ。
 あらゆる可能性の扉は、行動によって開かれる。

  びっくり箱をひっくり返せ!

 この私、それに気づいてから、大口たたいて、とにかくやってみる。

 この副作用を期待して。
 主作用は、まあ達成できたらうれしいかな、と考えている。
by japanheart | 2010-06-29 00:19 | 基本 | Comments(2)

エコ(ECO)という考え

エコ(ECO)という考え

 最近、巷にかしましい”エコ”なるものついて私の意見を述べてみたい。

 ”マイナス5%”というフレーズは耳が痛いくらいによく聞くようになった。

 どのようにしてこれが始まったかが大変重要なのは、歴史の意義を知る者には、避けて通ることができないことだとわかる。

 企業というのは基本的に、お金にならないことはしない。
 ということは、このように技術の改善を、大量のお金を投資することは、自らは積極的に行わない。行っても儲けられる、あるいは投資を回収できる保証などないからだ。
 言い過ぎかもしれないが、無理やりエコさせらた、あるいはせざるを得なかった、というのが正解だろうと思う。
 なのに、何で、エコやっていますとしきりに言うのか?
 私には理解に苦しむ。なじまないということかもしれない。
 多分そこに一抹の、うそ、が感じ取れるからだろう。

 どこの施設だって、大きな施設ならば、冷暖房を弱め、温暖化防止のためエコしましょうという。
 正解は、電気代が節約したいだろう。

 車だって、家電だってみんな、ガソリン代、電気代が安くなります。
 温暖化防止に、、、と、煽ってくる。
 正解は、あなたも温暖化防止に協力できます、お金が節約できます、だから買ってください。

 世の中には、流れがあって、企業だってその流れに逆らえないだけかもしれない。

 前置きが長くなったが、本当の”エコ”とはどんなことなのだろうと考えたのだ。


 本当の”エコ”とは、やはり人のこころの中にしかない。
 しかし、社会がそれを声高に叫べば叫ぶほどに、個人の生活は肥満化している。

 マイナス5%!といいながら自分の人生の時間を、いかに無益にだらだら過ごしているのか。
 最も大切な自分の人生の無駄をマイナス5%もできないで、何が電気代、車の燃費がマイナス5%だ?

 アフリカの1国や2国を十分救えるほどの食べ物を、まだまだ食べれるうちに大量に捨てている国が、マイナス5%とは開いた口がふさがらない。

 自分たちの食卓を見てみろ。
 高カロリーの、栄養のバランスも無視した食事が並んでいないか?
 自分の部屋を見渡してみろ。
 自分の家を探ってみろ。
 使いもしない、もともと必要もなく、欲しくもなかったものが5%以上あるだろう。

 社会にあふれる、形だけのマイナス5%など、どれほどうそ臭いかわかる。
 それらを演出する人たちの、私生活はマイナス5%やエコからは程遠い。

 本当に地球のことを考え、エコを叫ぶなら、まず自分の私生活を省みることだ。
 そこからしかエコは始まらない。

 自分の人生の無駄を時間的にも、物質的にもマイナス5%してみてはどうか。

 もっと違う世界が見えるようになる。

 日本社会のあらゆるゆがみは、個々人のこころのゆがみの総和である。
 皆が自分の人生のうち、特に私生活をマイナス5%できれば、日本がマイナス5%達成するのはいとも簡単なことだ。

 マイナス5%は企業が、宣伝的にするものではなく、個人が私生活で実践するものだと思うのだ。
 私生活が、締まればやがて仕事に波及する。
 そしてやがて、その個人を含む企業全体に波及する。それが順番だ。

 社会がそれを殊更に、大声で喧伝するときは、気をつけた方がいい。
 歴史をみれば、そう証明している。
 
by japanheart | 2010-05-30 09:19 | 基本 | Comments(2)

子どもの才能

子どもの才能

 多くの子どもを才能をまざまざと見せつけられることがある。
 ああ、自分も子どもの頃、そうだったかもと思うとちょっとうつろな気持ちになる。

 才能なんて何でもいいと思ってしまう。
 
 そういえば私は結構器用貧乏な少年時代を過ごしたともう。
 何をやってもそつなくこなせるような少年時代だった。

 それで努力というのが、全く苦手であっという間に友人たちに抜かれていったような気がする。

 だから努力する人間には今でも敬意を払うし、畏れもしている。

 今、私の子どもたちも、自分のどんな才能に気付きし、そして開花させるだろう。

 子どものことばかりではなく,私自身の才能をもっと開花しなくては。
by japanheart | 2010-05-15 00:09 | 基本 | Comments(1)

体験と理解

体験と理解

 体験は大切な理解至る過程だ。
 体験なくして理解へ至は、地図を持たずして砂漠に放りだされるがごとく、時間と人生の無駄を生む。
 しかし体験は理解とは違う。
 この間には天地のさがある。
 このことを正に理解しなければならない。

 たとえば現地にやってきて、1週間ほどそこにいて「分かりました」といって帰って行く人たちがいる。
何がわかったかというと、多分 現地の環境や海外で医療するということがどういうことか、あるいは途上国の現状とか、文化慣習とかなのだろう。

 それは明らかに誤解している。
 何年もいても上記のような事柄に,正しい解を見つけることはできないでいる。
 彼らはただ経験しただけ。
 薄っぺらい紙を1枚、手にいれた。
 この紙を何枚も積み重ねなければ、形は現れない。
 あるいは折り紙のやり方を初めて習った。
 紙を何枚も使って造る芸術のような折り紙の造形を造るにはまだまだ時間と経験を要する。
 
 一度、野球を経験したからっといって上手い打者になれるわけではない。
 いろいろな経験を積み重ねて、打撃というもに対する体感的な理解を経てはじめていい打者になれる。

 敵から城を守る城壁というものがある。
 「経験」とはその城壁を構成する一つひとつの石のようなものだと考えればいい。
 一つひとつ時間をかけ積み上げてゆき、やがて大きな高さが生まれる。
 それがある一定の高さになるまでは,城壁の役目は果たさない。
 ただ単なる石の積み重ねがある高さと幅を持ったときはじめて、それが敵から城を守る壁になる。
 その壁を「理解」という。

 これからジャパンハートは医療者だけでなく海外でも国内でも多くの学生や一般の人をはじめとする人たちを受け入れる。
 こられる方々はぜひ、経験を積んでもらいたい。
 それはやがて城壁を造ってもらうためのものだ。
 もくもくと積み上げてゆく。
 人生は長くないので、早くしかし、堅固に積み上げ、その形を顕わにしてほしい。

 
by japanheart | 2010-05-02 09:12 | 基本 | Comments(1)
自分のことでないことなどあるのだろうか?ーその2

 前回の話には続きがある。
 
 たとえば好きで飛び込んだ世界でいつしか囚われの身になり、あるいはそれに近いような状況、戦争やビジネスの世界などよくある話だが、誰かに無理矢理、何かをを押しつけられたとしよう。

 そこでは、どんな自分のためがあるのかというと、戦争ではそれを聞かなければ殺されるか、それ以上にヒドイ目にあわされる、ビジネスでは命までは取られることはないかもしれないが、確実にひどい目にはある。
 そこに働く深層心理は、挫折する自分を認めたくない、他人に評価されない事実を受け入れたくない等々の心理が働くから、敢えて嫌々でも働き続ける。
 そう考えれば、無理矢理とはいうものの自分のために、自分の身や心を守るためにという打算が働いていることになる。
 突き詰めれば、誰のためでもなく自分のためにということになる。

 子どもが飢える。
 母親が自分の食料を分け与え死んでゆく。
 それすら母親が望んだことだから、彼女自身の大切な子どものために自己犠牲を背負ったよろこびの行為であるとすれば、すなわち自分のためだといえる。

 しかし、上の2つの例は、それを行う人間の満足度に大きな差がある。
 いったい何か?

 何が同じ自分の行為として発せられたものなのに、こんなにも大きくその満足度をわけているのだろうか?

  行為の因が自らの意志で発せられたか、否か。
  これがすべてだと思う。


  私が、人は何かをするとき自らの意志で一歩を踏み出さないといけないという故である。

 誰かに強制されてやり始めるなど自分の人生にあってはならないことだと誰もが認識している。
 私もそう思う。

 しかし、恐ろしいのは、知らない間にそう思い込まされ強制されていることは多いのだと気づく必要がある。

 いい大学を出たら幸せになれる。
 本当か?
 いい大学とはどんな大学なのだ?
 まさか偏差値が高い大学ではあるまい。
 有名な出身者が多いことではあるまい。それとあなたが有名になることは何も関係ない。
 もし出ても幸せになれる保証がどこにある?
 お金が人より多く稼げれば幸せだと誰が決めた?
 少しのお金でも幸せに暮らしている人はごまんといる。その逆も数え切れない。

 政府系組織や公務員は安定している?
 何が安定というのだ?
 毎日決まった仕事をすることか?
 首を切られないことか?
 つぶれないことか?
 それを幸せと誰が決めたのか?
 そこに働くことにステータスを持つことは勝手だが、ステータスなど社会が無理矢理はめ込んだ鎖だと理解すべきだ。

 多くの人間が尊敬してやまない坂本龍馬や西郷隆盛や織田信長は、安定の中に生きた人だったか?
 毎日同じ仕事をすることを望んでいたのか?

 どこで働いてもいい。
 嫌々でなく、強制されるわけでもなく、自らの意志でいつも一歩出て働くことが人生の質を変える。
 政府系の組織にいようがそうでなかろうが、お金をたくさんもらおうがそうでなかろうが、関係ない。
 
 すべてが自分のための行動なのだ。
 だからもし他人に強制されて始まった行動だとしたら、意識していようが、無意識にそうしていようが人生乗っ取られてしまっているということだ。
 戦争捕虜のように。
 奴隷のように。
 それを気持ちいいとか、安定していると感じていることを、奴隷根性が染みついたという。
 
 私がアドバイスあることがあるとしたら、まずすべては自分のためにやっていると認めること。
 そして安定したり、安心したり、世間の評価にあわせて組織を見たりしたら、危ないと認識することだ。
 私は本当はどう思っているのだろうか?こんな安定を得て、それで何がしたいのだと考え続けることだ。

 鎖を解き放ってこそ、本当に自分のために生きてゆける。
by japanheart | 2010-02-17 00:09 | 基本 | Comments(12)
自分のためでないことなどあるだろうか?

 私は自分に正直に生きていたいといつの頃か思った。
 だから自分に対しては嘘はつかないように心がけている。

 私たちが人生を進む中で、自分のためでないことなどあるのだろうか?
 
 こういう世界、いま私がしているような援助の世界でも、現地の人のためになっているのか、それでは自己満足ではないのかなどなど、いろいろ意見がある。
 だからテレビの中でも私は敢えて言ったのだ。
 自分のためにやっています、と。
 偽らざる心境だ。
 
 昔ある企業家が、敗戦のショックある日本で子どもたちにまともな未来を、と一生懸命がんばって自分の会社を大きくし、日本復興のの一翼を担った。そして次の目標を立て、家庭生活を豊かにした、また将来の日本を担う若者たちの養成もした。
 ずっと社会のためにがんばって生きた。そして世の中も彼を称えた。

 でも敢えて私は言う。
 彼は自分がそうしたかったからそうしただけだ。
 社会がそれを彼に強く要求したわけではない。
 自分の使命と欲求に突き動かされ、そうしたのだ。
 苦しむ国民を見て、何とかしたいと思ったのもすべて自分の欲求なのだ。社会からの欲求ではない。

 だから、それを社会のためにしましたと言ってはいけない。
 それが最初でない。自分がその現状に我慢できなくて、動き出したのが始まりだ。結果として、過程として、それを目指したのだ。
 
 海外で困っている人がいるから、医療活動をやらねばならないは嘘だ。
 正解は、海外で困っている人がいる現状を私は見過ごすことができないので、医療活動をやりますだ。もっといえば、やりたい。
 私がやりたいのだ。

 常に私の意思が最初なのだ。海外の人たちの現状や要求が最初ではない。

 私たちのあらゆる行動は、何らかの意味で自己実現になっている。
 だから、本質的には自分のために始めた行動ばかりだ。
 突き詰めれば、自分のためにやっているのだ。
 どんな行動も。

 それを理解していないと、自己肥大を起こす。
 自己肥大は、膨化した醜いエゴを表している。

 私のために生きています。
 私のためにやっています。
 それが世のため人のためになっています。

 そう答えられなくてはならない。
 そう答えることができる人の言うことは信用できる。

 どんなに声高に、立派な業績を並べても、自分のためにやっているといえない人間の言うことなど私は信用しない。

 
by japanheart | 2010-02-15 00:42 | 基本 | Comments(3)

一日一生

一日一生

 いつも現地で私の部屋といっても、狭く囲いがあり、木で組み立てたベッドがおいてあるだけのスペースを私が現地に滞在中、掃除を自主的にしてくれている日本人の看護師がいる。

 でも、ちょっと彼女の生活にはムラがあって、夜寝るのが遅い。食生活にもムラがあるし、精神的にも時々ひどく落ち込むときもある。

 そんな彼女が、やはり時々、その掃除をサボることがある。
 とても忙しいとき。
 疲れて大変なとき。

 先日はそれでほとんどサボった。
 そして最終日に私は怒った。
 もちろん彼女が私の部屋を掃除することなど義務でもないし、強制したわけでもない。
 だからやりたくなければやらなくてもいい。
 でも、自分で始めたことだ。

 それでも私は彼女を怒った。

 私たちの人生には時間がない。
 
 日々のわずかな在り方や小さな達成を積み重ねて私たちは少しずつ成長してゆく。
 そしてその成長は強制ではなく、自己の意思で行われればさらに大きくなる。

 たぶん、少しの障害やストレスで自己弁護を重ねて、彼女は今まで何でもあきらめてきたに違いない人なのだ。だからここへ参加し、自分の人生を変えたいと思っている。
 調子のいいときは誰でも他人に親切にできる。でも自分が大変なときでもそれができることが重要なのだ。
 自分の状況がどうあろうと、同じレベルで物事を達成しようという姿勢が。もちろん医療者にとっては。

 やると決めたら、きっとやり遂げようとすること。
 たとえ些細なことでも。
 もちろんこれは誰にでも言えることだ。
 誰でもできないでいることなど山のように抱えている。

 しかし、敢えてそう言うのだ。


 「一日一生」という言葉がある。

 もしこの掃除が自分がこの人のためにできる最後の掃除だったら?
 もしこの食事が家族とできる最後の食事だったら?
 もしこの会話が、この友との生涯最後の会話だったら?
 この手術が私の生涯最後の手術だったら?
 、、、、、、、、、、、?
 もし最後の、、、?



 たぶん私たちはこころを込め、一つ一つ確かめるようにそれを行うだろう。
 真心を生み出すのは、常に自分のこころ。


 人間生まれてきて何を達成できるかどうかはわからない。
 そして、達成したことが成功の全てではない。

 たとえ途中で人生折れても、終わっても、その方向にこころのベクトルが向いていることこそ、成功と呼べる。

 成功、不成功は他人が達成に対して与える規準に過ぎない。
 その人にとっての、人生の真実はその過程にこそある。


 だから、こころを込め一日一生、行為を時間の中につむぎ出してゆく。

 
by japanheart | 2010-02-04 23:35 | 基本 | Comments(4)

悪い癖をなおす

私がスタッフたちを見ていていつも思うのは、どんな時でも傍観者であることが当たり前になっているということだ。

手術中だって、手術の視野を何をしている時でも意識していなければならない。
手術室の中にいればたとえ忘れ物を取りに来ても、どんな役割を持っていても、術野に意識が行く必要がある。すべての動きは手術をうまく行かせるためのあらゆる行動である。技術的なことうまい下手はその後になる。
自分が気になる時だけ、少し興味を示しても、ものにはならない。

何においてもそうだ。
食事を作るとき、他人と話すとき、野球をしているとき、、、。
すべて自分に直接関係ない場合もあるが、それに参加しているならその事柄に集中しなければならない。
人には行動パターンがあって日々すべての在り方が、まったく同じように繰り返される。何かを特別意識した時だけが人生の成果として現れないのが人間の恐いところだ。無意識の習慣こそが人生を創っている。
1日、2日、1月、1年そして5年とそれが蓄積されてゆく。
食事を作るにしても、野球をしても、結果は大きな差になる。

とにかく自分が少しでも関係していれば、傍観者のようなふりをしないで積極的に関わる。意識を前に出す。
そうすれば数か月もすれば驚くようなことが起こる。
だまされたと思って本気で試してみてほしい。
by japanheart | 2010-01-29 06:05 | 基本 | Comments(4)

思うこころ

思うこころ

 日本と外国を激しく行き来する。
 当然現地には、手術後や治療中の多くの患者たちを残して日本に帰国する。

 いつも心がけていることがある。
 それは患者から決して意識を離さない事。
 うまくいっている患者たちのことは、忘れてもいいのかもしれない。
 しかし、そうでない患者たちからはたとえどんなに遠く離れていても決して意識を切断しないことにしている。
 それが結果に影響するかどうかは分からないが、するに違いないと思い込んでいる。

 いつも患者たちを残して帰るとき、自分に問いただすことがある。
 この中の患者一人でも、いのちや人生にかかわるような事態が起こったとき私はすぐにここへ有無を言わさず帰ってくる覚悟があるか?
 答えは、いつも YES。
 そう自分に答えて、そして現地を後にする。

 日本にいても実は同じようなことをしている。
 自分の子どもや家族に何かがあったとき、すぐに日本にかえるか?
 そして答えは、YES.

 いつも日本と外国の子どもたちにこころをつなぎ続けている。
 それが家族も患者も守るとなぜか信じている。
 
by japanheart | 2010-01-19 23:08 | 基本 | Comments(4)