ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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カテゴリ:基本( 89 )

迷走するくらいなら時間を忘れろ

 今でも多くの迷子たちがジャパンハートにはいる。
 どこでも、どこの組織でも同じかもしれないが。

 これからどうしていったらいいかわからない。
 自分が何をしたいのかわからない。
 何となく、気力がなくて、どう生きていいのか分からない。

 何をしたいのかは、私だって分からない。
 神様があなたにだけ特別に教えてくれるわけではない。
 衝撃的に、これをやりたいとか、これを手に入れたいなどと思うのは人間あまり人生で多くは経験できない。
 あるのは、何にもないような日常が、ただだらだらと続く。
 ほとんどの人が、そんなもんだと思う。

 場所を変えようが、やることを変えようが、すぐにこの世界に再び埋没する。
 人生を変えるきっかけがほしい?
 どうせ、きっかけをあげても、あなたはしないだろう。
 何度も同じパターンの憂鬱で、不安感たっぷりで、生の実感が乏しい人生を送り、やがて年おいて死んでいけばいい。

 私の人生でないから、別に気にしない。


 あなたが、もしも本当にこの不安な、迷走した、人生から抜け出したいと思うならば、私には妙案がある。

 興味ない人や、今までどおりに人生を歩みたい人は、ここで読むのをやめてほしい。
 どんないいアイデアでも、絵に描いたもちになる。
 簡単に、それから抜け出せると甘く考えている人間も、時間の無駄だから読まないほうがいい。
 人生は、生老病死、苦しいものだ。


 私があなたに示す案は、”没入”というアイデアだ。
 一旦そこに入ったら、しばらく出てくるな。

 国際医療に世界にはいったら、つべこべ言わずに、時間を忘れるくらいやってみることだ。
 あれもこれもと考えるな!
 考えてもどうせ実力がない人間は、どれも自分のものにはできない。
 勇気を出して飛び込んだのなら、そこで時間を忘れ、我を忘れるくらい必死になって、しがみつけ!
 人生、そんなに何度も勇気が出ないだろう?

 私はもう、狂うほどに、やりきったといってみたら、自分に返れ。
 本当に何もかも忘れ、あらゆる力を振り絞り、やりきってたら誰だって新しい世界が開ける。
 その虚脱感の向こうに、その停滞感の向こうに、新しい世界は必ずある。

 人生は一回きりだということを、忘れない。
 
 私が小学生の頃、同級生500人にヒーローは数人しかいなかった。
 今は、あっちこっちに社長や部長や、取締役や先生たちがたくさんいる。
 自分が子どもの頃、この人たちの多くは脇役で引き立て役で、ヒーローでも何でもなかったはずだ。
 どうして、こんなに大人になると、偉い人が増えるのだろうか??
 私は、大人の世界は、子どもの世界よりもレベルが低いのだと考えている。
 だから、ちょっとした勝利者になるのはそう難しいことではない。
 子どもたちは安心して大人になっていい。

 しかし、何をやっても面白かった子どものときより、没頭できるものが少なくなってくる。
 子どもの頃に戻り、もう一度そこからはじめるしかない。
 一度少しでもやりたいと思ったことは、我を忘れ、時間を忘れ、没頭してみたら?

 年取って、もうすぐお迎えが来るときに、自分の人生に小銭を残したり、銅像を残しても仕方ない。
 もうほんとうに、いろいろあって疲れたな、、、、そろそろ休みたくなったといいながら、あっちの世界にいくのもいい。


  迷っているな、と思ったらつべこべ言わずに、目の前にあるそこにもうこれ以上無理ですというくらいのエネルギーを落としきってから、もう一度、顔をあげなさい。
 次に、顔を上げたときは、世界が少し色が変わっていることに、気づくだろう。
 そしたら、また顔を下ろして、目の前のことにまたエネルギーを注げ、時間が消えるくらい必死に。
 
  ”分かった??”


 
 
 

 
 
 
by japanheart | 2013-09-15 02:48 | 基本 | Comments(2)
基本的な事柄は人生をつくる

 今カンボジアにいて、短期参加者たちに朝から怒った。
 「おはようございます」の挨拶もできない。
 こちらからしても、返事をしているのかしていないのかわからない。
 こっちには全く聞こえないので、無視しているのと同じなわけだ。
 礼儀正しかったかつての日本人は幻となった。

 カンボジア人は、ちゃんと挨拶をしてくる。
 しかもスタッフたちは日本語で丁寧にしてくれる。
 この差は、なんだと思う。

 挨拶をしろ!!と怒れば今やパワハラだ!とやられるに決まっている。
 しかし、企業は大体挨拶もできない人間は採用などしない。
 はじめからアウト!
 上司もパワハラをすることもない、かもしれない。

 しかし、ここでは言わせてもらう。
 挨拶しなさい!できなければ帰りなさい。

 ここへ短期でくる人間は数日しかいない。 
 ここはカンボジア社会であり、そしてジャパンハートの団体の活動の中だ。
 彼らははじめ異物であり、部外者だ。
 この社会に、この組織に受け入れてもらわなければならないはずだ。
 だからこそ、自分からカンボジア社会やジャパンハートのここのスタッフたちに受け入れてもらう努力をしなければいけない。
 自ら挨拶をし、自ら笑いかけ、自ら前に出て自分の存在をアピールする。
 そうしなければ、数日間はあまりに短すぎる。

 ジャパンハートだって、そんな人間には来てもらわなくてもいい。
 ちゃんとコミュニケーションを取り、人間関係を持とうとする人に来てもらいたい。

 彼らは皆、自分を変えたかったり、多くの友人を得たかったり、病人たちのために働きたかったり、さまざまな動機を抱えてここへくる。
 確かに、知識として、こういう時にはこのように声をかけなさい、このように笑いかけ、このように目線をあわせと教えられているだろう。
 そしてそのようにして見せることもできるだろ。
 しかし、そんなの本心じゃない。
 本心じゃないから、頭で考えたことで、心から行っている行為でもない、だから、すぐにぼろが出る。

 自分が忙しいときには振り向きもせず、話もろくに聞かない。
 患者にはいい顔をしても、同僚や部下には冷たい。
 仕事は、いい加減で、いつも他人のせいにする。

 どこにでもいるだろう。
 そういうあなたもそうではないか??

 挨拶は、他人と世界が混ざり合う最初で最小の、入り口になる。
 それを無意識に拒否しているということは、何を意味するのか?
 口では友達もほしい、新しい世界を見てみたい、自分を変えたいといっていても、こころの隠れた欲求は、そうは言っていない。
 こころの声は、混ざり合いたくもなく、コンタクトしたくもなく、他人との交流を拒否しているのだ。
 それがあなたの隠れた本心だ。
 だからいつまでも世界が変わらず、いつも不平ばかり言っている。
 友達も大して増えない。

 ほんの小さな人生の基本事項をしっかりと行うだけで、人生は大きく変わり始める。
 あなたの最強のコミュニケーション・ツールが動き始めるはずだ。
 「おはようございます!」
 「こんにちは!」
 「ありがとうございます!」
 「さようなら、またお会いしたいです!」

 大きな声でしっかりといってみてほしい。
 これらの言葉は他人の耳に入るだけでなく、わが耳、わが心に染み込んでゆく。
 そしてやがて、私は多くの人たちや多くの出来事と、”リンク” したいのだと、いや、するのだ!と認識し始める。
 そして、、、現象が動き始める。


 人生の基本をおろそかにしてはいけない。
 これをないがしろにして、普通の人間に人生の開花などありえない。

 人生を開花させたければ、基本的な事柄を継続してやり続けることは、”MUST” だ。
 やっとほうがいいのではなく、”やれ!”ということだ。

 先日、同じことを6歳の次男に、言って聞かせた。
 今日は誰に言った?
 20・30才台の人間だよ。

 いつも言っているが、人生は基本だ。
 基本さえできていれば、大過なく生きていけるのだ。
 もう一度、基本とは何かを見つめてほしい。
 
by japanheart | 2013-09-11 04:04 | 基本 | Comments(0)

一度目の気力

一度目の気力

 激しい医療環境の状態があるのは認める。
 昔からそうだった。

 私がいるミャンマーのサガインの病院は私がここで始めたときから戦地のような環境の中でやってきた。
 わずかな資金とわずかな医療資材や設備、そして人員しかいなかった。
 みんなで歯を食いしばって気力だけで、いつもいつも乗り切ってきた。

 環境が悪い、設備が貧弱だ、薬や資材の期限が過ぎている、何度もいわれてきた。
 でもないよりはマシだった。
 そんな医療でもなければ患者たちは救われなかった。
 そして私たちのかわりも、また誰もいなかった。
 そんな批判を真に受けても、不満を言った人たちが長くここに留まり私達の代わりになってくれることはなかった。

  この世に、自分の人生と全ての貯金をはたき、貧しい患者たちのために医療をやり続けてくれる医者など、誰も現れない。
 お金は、使えばなくなる。
 そして、寄付者など誰もいなかった。
 だから、みんなで節約し、古い薬でも、古い糸でも出来る限り、見極めながら使った。
 ミャンマー人の医者達も、同様にみなそうしていた。
 そうやって一人でも多くの人に医療を届けたいと思ってきた。

 ここに来る看護師たちを離島に派遣し始めた。
 もちろん離島の人材不足を助けたかったからだ。
 しかし彼らの給与を取り上げた。
 そして、ほぼ全額、現地に投入した。
 一部の看護師たちから不満が起こった。
 私たちが働いて稼いだおい金をなぜ、寄付しなければならないのかと。
 私の答えは明確だ。
 「お金が欲しければここではなく別の組織に行ってくれ。」
 ここは、誰もがお金を払ってボランティアに参加する組織なのだ。
 患者や貧しい人たちのために、現地で働きたいと思っていた看護師たち。
 そしてそれを実現した看護師たち。
 そして、連続するスキームの中で離島に行った看護師たち。
 だから離島の婦長クラスの看護師たちは気の毒がって、皆親切にしてくれた。
 でも、とうとう、お金を払わずにとんずらする看護師たちが数名現れた。
 正直者が馬鹿を見る。
 だから、看護師たちの給与を取り上げるのをやめた。
 せいぜい、その稼いだお金で贅沢をしてくれと思っている。
 
 どんなときでも気力というのは大切だ。
 気力は、体力から出る。
 体力がないものは、気力も減る。
 歳が行くほどに、お金を出すにも気力を振り絞らなければならない。
 だから、若い人より歳をとった人間ほど、お金に執着し、色々文句を言ってくる。
 自分の人生に、全力で人生向い合いたいと多くの人は志望動機に書いてくる。
 全力とは、知力も体力も、気力も、財力もということだと思った。
 私の全力という内部基準ではそうだから。
 でもどうやら違ったらしい。

 忙しい環境になるともう限界ですとすぐに言う。
 やらないでいることを指摘されると、出来ませんとすぐに開き直る。
 気力がなえれば、もうだめなんだ。
 こころがマイナスに開き直ったらもうそこから前には進まない。
 どんなことがあろうと全ては自分の内部との、調整になる。
 
 高い山を登るとき、高い山ほど、上ばかり見ていたらもう登れなくなる。
 たくさんの患者が現れたら、患者の数ばかり見ていたら、もうみれないとさじを投げることになる。

 山が高いときは、足元を見ながら、一歩、一歩と数えて歩く。
 確かな一歩を感じながら歩く。
 患者が多きときは、一人、一人また一人、としっかり患者と向い続ける。
 
 続けさえすればやがて時間が全てを解決する。
 人間には時間を投入しても解決できないような問題は、そう多くはない。

 ひたすら全力で。
 全力とは、自分の全てをそのために出し惜しみしないこと。
 社会から大切にしてもらいたい、評価してもらいたい、そう思うんだったら、まず社会のために自分の方からもっているものを差し出す。
 それが当たり前と思っていた。
 2割残せば、その分、受け取るものは目減りする。
 半分残せば、もっと目減りする。

 人生にはイチかバチか攻めないといけない時が、一度や二度はある。
 そのときに、余力をもって攻めたり、逆に守りに重点を置いた戦いならば、勝ち目はないと思う。

 ここへ来る多くの医療者は、ここを人生の分岐点とは思っていないらしい。
 
 せめて1年、せめて1月。
 自分が関わる時間は、出し惜しみするな。
 自分に小さな利益を誘導しようとするな。
 愚痴るな。
 弱音を吐くな。
 甘えるな。
 小さなことに拘るな。
 
 全部終わったある日、全部まとめて天はあなたに感謝の意を示してくれる。

 

 
 
by japanheart | 2013-05-12 02:39 | 基本 | Comments(1)
やり切ることの、本当の大切さを知る

 今日はやり切ることが如何に大切なのかを知ってもらいたい。
 やり切るというのはどのくらいのレベルの達した状態なのかは、なかなか難しい問題ではあるが。
 
 挫折とやり切りは、近くて遠い関係にある。
 具体例をあげて説明すると分かりやすい。

 あなたが高校生でグラブ活動でテニスを始めたとしよう。
 テニス部の練習はつらい。
 ランニングや筋トレばかり。そして素振りの繰り返しの毎日。
 いつまでたってもボールを打たせててくれない。
 やがて段々面白くなくなってやめてしまう。
 テニス部に退部届けを出した。

 まあ、挫折はしたけれど、しかし、振り返るとこの経験は決して無駄ではなかった。
 自分なりに努力はしたし、いい経験もできた。それはそれで良かったし、今回の経験は、人生の中で何らかの意味をもってくれることだろう。
 これは、決して間違った認識ではない。

 では、やり切りはどんな経験になるのだろうか?
 そのつらい練習を乗り切り、やがてテニス部をがんばって3年間続ける。
 これをやり切った状態と仮定しておこう。

 ここで得ることが出来る経験とはなんだろうか?
 考えて欲しい。
 分かるだろうか?
 やり切りによって選れる結果は、単にテニスを経験したという以上のものを受け取れるということを。
 得れるものを、例えば列挙してみよう。
 
 テニスの大会に出れた経験や緊張感。
 3年間やりきったという自覚。
 テニスを通してできた生涯の友達関係や友情。
 テニスでの、思いで。
 様々な遠征や大会を通じて、校内を越えた人間関係。
 体力。
 毎日の充実。
 学校生活での勉強以外での、充実感。
 仲間意識。
 スポーツへの理解と意味づけ。
 などなど。

 テニスというスポーツを突き抜けてそれ以外の財産をたくさん持てていることが分かる。
 これこそが人生で、テニスをやったということ以上に意味を持ってくるのは簡単に理解できる。
 やり切りは単に、その事象を飛び越えて広がりを見せ、様々な恩恵を人生に与えてくれる。

 だから、何かにつけ中途半端はいけない。
 何かひとつでもふたつでも、人生の中でやり切っていくことが出来れば、大変な恩恵を受けることが出来るのだ。

 何度の挫折はしてもいい。
 人間だからね。そりゃ仕方がない。そんなに強い人間は、あちこちにいるわけないから。
 でも、人生の中で、いくつかはやりきった経験を持とうとしたほうがいい。
 ここは踏ん張りどころだと思って、がんばる時間が欲しい。

 一度突き抜けてしまえば、後は自然にやっていけるものだ。

 やり切るという感覚を、大切にして数年に一度は力を入れてみたらどうか。
 
 あなたが最後にやり切ったのはいつだったか?
 思い出してみて欲しい。
 
 
 
by japanheart | 2013-03-17 02:44 | 基本 | Comments(1)

中味との直結する何か

中味との直結する何か

ミャンマーに初めて来てから19度目の年を迎えた。
時間は早いものだ。
医療の他にも、色々なことに手を出しているが、多分私はどこまで行っても職人なんだと思う。

自分で何でも確かめたくなる。
誰かが大きな権力や金銭的な力、地位を持っていても、いまいち敬意を払う気にはなれない。
それはそれで多分すごい人なのだろうけど、それがどうしてもその人の本当の中味そのものだとは思えないからだ。
それに、私は本当の技術とは、匠の技だという感覚がある。
技とは、その人のオリジナリティーに根ざし、独自の味を出しているものだという感覚を抱いてしまう。

お金や権力や地位は技ではない。
そこに匠の概念はない。

技術屋の私は、そういうものには興味がないのだと思う。

日本は匠の国だというが、日本が世界に誇れるのは何もその人たちの技だけではない。
この技術者達は、ある意味日本で最も自立的に生きている人たちなのだと思う。
それは技術があるからなのか?
それとも、技術をつける過程でそうなっていくのか?


以前、山本七平さんの書物の中でこんなエピソードを紹介していた。
第二次世界大戦のフィリピンで終戦直後のアメリカ捕虜収容所での日本人捕虜達のエピソードだ。
日本人たちの収容所では、必ず暴力が支配する。腕力に勝るものが、弱きものを従え、暴力によって服従させる。
その中でも、上級の士官達にはその傾向が極めて強かった。
しかし、それは全ての日本の軍人達に当てはまる傾向だった。

ところが、その中でそうならない集団があった。
それが、職人達の集団だった。
彼らは淡々と自分達がすべきことをし、自然にあるいは独自に秩序を作り、そして保った。

という大体、そんな感じの内容だった。


結局は、人間から暴力という力もあるという要素を表立って認めようとしない現在のような時代は、平時、すなわち平和な時代ということだ。
だから、理屈がまかり通る。
世の中は理屈だけでないと半ばわかっているのに、理屈が全てだと思ってしまう。理屈が通っていれば、自分が守られると思っている。
国と国との関係も、なんだかそんな感じで日本人達は思っているのだろう。

そんな理屈は、いざという時、普通の人間同士には通用しにくいのは、戦争のときでなくともわかるはずだ。

どんな時代でも、しっかりと自分を保って生きていけるのは、職人達のごとく、自分の中味と直結した何かを持っている人間だと思う。

本当に平和を生み出したいのなら、まずは自分の中に動揺しない何かを生み出すのが大切だと思う。
by japanheart | 2013-02-18 03:53 | 基本 | Comments(0)

発信する男になる

発信する男になる

 今日、活動地サガインからヤンゴンへ。
 まったく浦島状態で、世界中の情報網から取り残され感がある。
 ミャンマーのド田舎で、川風に吹かれながら過ごしていると、それはそれなりには気持ちいい。

 私が発信する男になってから、もうどれくらい時間が過ぎたろう?
 発信するというのは、まあそれぞれに目的があってやっていると思う。
 現在はさまざまな、発信ソースがあって、世の中の人たちと少なからず繋がることはできる。

 私の場合は、どうしても伝えたい衝動っていうのがあって、ブログを書いたり、書籍を出したりしている側面が強い。
 私の映像や書籍を見て、前に進んでくれた人たちもきっと多いと信じている。
 一方、まあ、明るさあれば暗闇ありのごとく、批判をする人たちもいる。
 いちいち気にしていられないので、無視しているが、他人を批判するのは結構、簡単。
 神様だって、よく批判されているのだから無理もない。
 あなたも一度くらい、「神様、何でこんな目にあわせるんですか!」っていったことあるかもしれない。

 文字は所詮文字だから、というと語弊があるが、まあ100%正確にはニュアンスは伝わらない。
 書籍は、それの著者以外に、その編集者の意図というか、思いというか、癖も反映される。
 これほど、本が売れない時代には、あえて挑戦的な表現や文体を使う編集者も多いので、なおさら、意味合いにずれが生じる。
 まあ、仕方ないが。

 しかし、結果的には、発信する男でありたい続けたいと思っている。
 私の場合、発信するという行為には、影の部分よりも明らかに光の部分が多いと感じるからだ。
 多くの人に自分の得た知恵を使ってもらいたい。
 たとえば、”理性の声を聞く前に、動け!”っていう言葉もそう。
 こんな感覚は、皆感じているはずだが、多くの人は、これを言語化できない。
 だけども、それを聞いてはっ!とするのは、皆の中に同じ感覚があるからだ
 こんなもの、私だけの専売特許であるはずがない。

 でも本当の、私の感覚を理解してもらうとなると、やはり私と同じ境遇・状況にいてもらえると、ぴんとくると思う。

 私の本を読んで、例えば、ボランティア賛美だとか、自分のためにこそやっている(と私は常々、言っている)ことは、ちょっとな??ていう人たちもいるから。

 そういえば、私はボランティアっていう、表現は自分には使わない。
 私の中でのボランティアっていう人たちは、あくまでも余力を使ってやっている人たちを指す。
 私は、全身全霊で向かい合っているので、この仕事は、私のミッション、すなわち天職だと感じている。
 
 私は現地に入ると、1週間でも2週間でも、固形物は取らない。
 水分のみで過ごす。塩分も取らない。(かつては水だけのんでいたが、周りが結構白けていたので、最近は日に2度、紅茶を飲む。時々さし入れられたコーラも飲むこともある)
 その間にも、手術は普通にする。寝るのはいつも明け方になる。
 このような境遇を、一緒に過ごしてもらえれば、きっと私の言わんとすることが、狂いなく感覚として瞬時に伝わると思う。

 しかしながら、
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日本でだれた生活をしている人には、うまく伝わらないかもしれない。
 
 



 
 
by japanheart | 2012-11-26 01:39 | 基本 | Comments(1)

時間を買って生きろ!

時間を買って生きろ!

 年年歳歳、歳をとるほどに時間の大切さを実感する。
 時間が、もっと手に入ればといつも思う。

 最近よく若い人たちに、「時間を買え!」とアドバイスする。

 時間は買える。
 お金で買えるならば、買ったほうがいい。
 若いときの時間ほど価値が高い。だから若いときこそ、時間を買う。

 あなたが、例えばジャパンハートの看護研修に参加する。
 参加のために決して少なくない単位の、お金を払う。
 これは、時間を買ったことになる。
 
 バスではなく、飛行機で東京から福岡まで行く。
 航空券のお金とバスのお金の差額が、あなたが時間を買うために支払った金額になる。

 ある時、ミャンマーに長期間いる看護師が、日本からやってきた別の短期の看護師にこう言われた。
「何で、お金ももらえないのに、この活動に参加するんですか?ましてやお金を払ってまで」

 長期で働く日本人看護師は、時間をお金で買う人。
 短期の看護師は、時間をお金のために切り売りする人。

 長期の看護師は、お金をはらって人生の大切な時間と経験を買ったのだ。
 
 病院で、やりがいもなくだらだら働く。
 給与のために、毎日不満を抱きながら働く。
 これは時間を切り売りしていることに他ならない。
 こんな人生は、どんどん時間がこぼれ落ちていく。
 気がつけば、定年を迎え、気がつけば、病にたおれ、気がつけば死の床にある。

 何も印象に残らないが、ただ享楽的に生きていけるかもしれない。
 うまいものを食べ、贅沢な日常を送れるかもしれない。
 しかし、決定的に人生の深い記憶が欠落する。
 歳をとっても思い出すのは、旅行や食べ物のことばかり。
 
 自分が、必死になって確かに生きていたんだという記憶が、ないのだ。
 何かに果敢に挑戦した思い出や苦しみの中から持って帰れた経験や知恵などという果実もない。

 時間をわずかなお金と引き換えに、切売りしていった結果。

 若いときは借金をしてでも時間を買わねばならない。
 いい経験、いい出会い。
 
 いい服やいい食事はいくら買っても、時間のセーブにはならない。
 こんなものは歳をとってから買えばいい。
 若いときの5時間の時給は、歳をとればわずか1時間で達成される。

 私は、いつも人を見るときこの視点で見ている。
 この人は、時間を売る人。
 この人は時間を買う人。

 時間を売る人とはなるべく、コンタクトしないようにしている。
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by japanheart | 2012-11-07 01:33 | 基本 | Comments(0)

「執念」という感覚

「執念」という感覚


 「執念」なんていうと、おぞましいい感じがするこの時代。
 先日、山本寛斎さんと2時間くらいお話したときに、あるビデオの中で彼が言っていた言葉だった。

 それは、寛斎さんはロンドン・ニューヨークで開花したとそのビデオの中では説明されていたが、唯一、後悔している時代があるらしかった。
 それがパリ時代。

 その時代に自分に足りなかった物は、何かと?
 あの時代自分が上手くいかなかったのは、自分には「執念」がなかったからだと、インタビューに答えていた。

 この言葉が,その日の私に一番響いた言葉だった。
 一番響いた言葉は,多分、私に一番必要な言葉。
 まさに、万象を師とすると決めている私にとっては,天の声ということになる。

 「執念」という、おおよそスマートとはほど遠い感覚。
 しかし、想いが「執念」まで高まらないと,ことは成らないのかも知れない。

 私は、この感覚をしばし頼りに物事を進めたい。
 執念を持つには、絶対的に自分のやろうとしていう事柄に信頼がなくてはならない。
 まず、これを持てるかどうか?
 なぜ、自分がその行動を取るのか?
 それをすれば何が起こり,どういう風に自分自身が納得できるのか?
 とことん、思い考えなくてはならないだろう。
 しかしながら、多分、執念を形にするその過程で,きっとそのことは答えが出るのだろう。
 
 しかし、つくづく、「執念」という言葉には、いい響きがある。
by japanheart | 2012-08-16 23:28 | 基本 | Comments(1)
どんな組織を作りたいのだろうか?

 どんな組織を作りたいのかと考えることがある。
 匠の国、日本の生まれだから、やはり”質”こだわった組織を作りたい。

 安かろう、悪かろうではまるでどこかの国の商品のようだ。

 今までジャパンハートの現地での医療は、なるべくお金をかけないようにしてやってきた。
 海外に圧力をかけられ、発展から取りのこされている国では、余りに現地の医師たちを刺激すると活動自体が成り立たなくなるからだ。

 限られた資源の中で、日本より高い医療を目指すが、今までのコンセプトだった。

 しかし、これからはもう少しお金をかけるようにしたいと思う。
 それは、やはり質にこだわりたいからだ。
 まあ、そこはコスト対パホーマンス、ある金額で最高の成果を上げてみたい。
 医療は、一応、サイエンスだから。
 
 この毎日の質が、我が人生の質そのものと直結する。
 たとえお金に恵まれなくても、芸術家がその芸術の高みに達したならば、質の高い人生だったということになる。
 何を人生の中心軸にそえるか?
 私ならば医療ということになるし、専業主婦ならば、良き家庭を作るというこになる。

 さあ、どうだろうか?

 それぞれの人が、何に人生の軸をおき、そこでどのような質を追求するのだろうか?

 人生は、質に極まる。

 もちろん、量から生み出される質もあることは忘れてはいけない。

 人生は、ひたすら質にこだわる時期と、量を一生懸命、かけなければならない時期がある。

 私は量に恵まれた人生だから、いつも質を意識して生きている。
 
by japanheart | 2012-04-16 12:41 | 基本 | Comments(0)
人のために何かしたいあなたへ


 多くの人たちから、もう何度聞かれたことだろう?
 何かしたいが、何をすればいい?

 答えは自分でみつけるしかない。
 頭で考えるのと、実際、経験するのとではその答えは大きく異なることが多い。
 だから、現場で答えを見いだすのが一番良い。
 一番良いけど、すぐに自分の納得する答えが見いだせるかどうかは分からない。
 ましてや、人のためにもなり、自分のためにもなるような答えはそうは簡単に見つからない。

 自分では良いと思って、軽い気持ちで、何かをやり始めることも多いが、時間が経ってみて、一体、本当に人のためや自分のためになっているかどうかは、はなはだ疑わしいことが多い。

 何でも簡単には、いかないのは誰でも知っていると思う。
 あなたの人生が、教訓として既にそう教えてくれているはずだ。

 実際、現場で何かするのは、本気で良いものを作ろうとすれば大変なことだ。
 中途半端で、いい加減なもので良いなら、話は別だが。
 だから、いつも何かしたいのなら一時は、本気でやってみると良いと思う。

 事務局でボランティアなら、自分の予定も、一生懸命に調整しながら週1日でも良いから、2年3年と続けてみる。
 海外でそうするなら、1年や2年はしっかりと現地にいるか、毎年1週間程度しか参加できないのなら、それを10年続けてみる。
 お金を出すのなら、しっかりと相手を見極め、お金を出す。
 出したならば、支援は徹底して継続的にやる。

 いろんな異性と浅くつきあうより、たったひとりでも深くつきあってゆく方が、人生よっぽど豊かになる。
 これも人生の教訓だ。


 まずは、理想を思い浮かべる。
 そして現実を知る。
 そして落ち込み、そこから、全てが始まる。
 そして理想を捨てないで、我慢して、少しでもそこに向かって歩みを進める。

 人生はそんなに多くのことはできない。
 だから、心が動いたならば、その感覚を大事にして、それを実行する。
 あとは時間をかけて、しっかりと熟成すると、きっと思わぬ成果が現れる。
 
 お米からお酒が造られるという、事実を私たちは知っているはず。
 
 

 
 

 
by japanheart | 2011-02-10 01:30 | 基本 | Comments(6)