発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い
2020-06-13T15:07:44+09:00
japanheart
特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。
Excite Blog
ブログ引越しのお知らせ
http://japanheart.exblog.jp/29050917/
2020-06-13T15:07:00+09:00
2020-06-13T15:07:44+09:00
2020-06-13T15:07:44+09:00
japanheart
事務局からのお知らせ
このたび、吉岡秀人のブログをより多くの方へお届けするため、
誠に勝手ながら、excite blogからnoteに引越しすることとなりました。
▼noteの吉岡秀人ページ
https://note.com/japanheart
さっそく新しい記事を投稿していますので、
今後はぜひnoteの吉岡秀人ページをフォローいただき
ご覧になってください!
excite blogに掲載のブログ記事は、
しばらくの間そのまま残しておきますので、
また是非くりかえしお読みいただけると幸いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
ジャパンハート 広報
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変化に備えよ!
http://japanheart.exblog.jp/29003479/
2020-05-13T04:42:00+09:00
2020-05-18T17:30:45+09:00
2020-05-13T04:44:50+09:00
japanheart
基本
ある時、恐竜からすれば本当に偶然に地球に隕石が落ちて来た。
それにより、あれ程高温多湿だったこの地球が冷え始め、体表面積の大きい恐竜たちはどんどん死滅していった。しかし、体長1m50cm程度の動物達はその寒冷の環境下でも生き残る事ができたという。
ある環境下で最強ということは、環境が大きく変化すれば最強ではなくなる可能性が高い。むしろ恐竜たちの様にバタバタ斃(たお)れていく可能性もある。もしも環境が大きく変化しても大丈夫であるということは、今までの環境がその組織や生物に最適化されたものではなかったか、その組織や生物にはその環境変化に順応できる形質、すなわち多様性が内在されていて、新しい環境に順応し変化できたということだろう。
組織も動物も大きいと強いが、環境の変化には順応力が低いかも知れない。
今の世界で恐竜に当たるものはなんだろうか?
国家か?
グローバル企業か?
それとも今、私達が正しいと信じている民主主義や貨幣経済なのか?
恐竜でいう体表面積に当たるものはなんだろう?
今回の新型コロナウイルスのパンデミックで考えてみた。もしもこのウイルスが隕石ほどのインパクトがあるとしたら。
これから何が変わるのだろうか?
どんな価値観や形態が滅びていくのだろうか?
75年前の世界大戦が終わった後のような変化が世界を襲うことになりそうだ。
あの戦争の前はアジアやアフリカはほぼ全て植民地であり、国家なんて存在しなかった。その後から次々に国家が生まれ今では当たり前のように現在のイメージができている。中国にも東南アジアにも南米にもアフリカにも、全て国家が存在しなかったって信じられる?
ここからまた、今までの延長線では考えもしないような世界になると思う。75年ぶりの歴史的な非連続性社会構造変化だ。
私はわくわくがとまらない。
今までは多分、経験的には無理だろうと思っていたことが、物理的にも精神的にもボトルネックが外れることになる。
逆に、今まで権威や規模を誇った組織や形態が今まで通りに同じ価値をこの国で持っているようならば、日本はきっと駄目になっているだろう。
世界で最も保守的で仕組みや価値観を自ら変えられない国は日本だろう。
だから少し不安に思っている。
指針としては、
組織や成果で規模や数量を誇るよりは、質を誇れるようになった方が時代の力を受ける事ができる。さらに、個人が今まで以上に価値を持つ時代になるので、常に質を追求する姿勢を持っておく。
偏った価値観を絶対視せずに、色んな分野と関わりを持つ、できれば自分の視界外の分野や人と合流してみる姿勢と謙虚さを堅持する。
日本人やアジア人は経験の重要性を過大評価せず、若い世代、それこそ十代や二十代の人たちの可能性や能力を正当評価して、積極的に利用し社会発展や改革のために役立てる。特に日本はそれやらないと。
企業や個人もお金を目的とせず常にそれを手段として何を為そうとするのか意識して生きていく。今まで以上に。
特に経営者や企業は表層的な理屈付けではなく、トコトン何故、その規模を大きくするのか? 何故、それを大量生産し社会に供給する必要があるのか? それが本当に社会利益になるのかをずっと考え続けておく方がいい。結局、長い目で見たら社会利益になっていなければ社会から捨てられる。
一年後、どんな世の中になってるのだろうか?
楽しみ。
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誇り高く生きたいから
http://japanheart.exblog.jp/28927003/
2020-04-07T06:13:00+09:00
2020-04-07T10:27:40+09:00
2020-04-07T06:15:22+09:00
japanheart
活動記録
「自分たちは安全な場所から医療をしているんだ」
「患者がどんな重い病気でも結局は自分には関係ない」
「そりゃ、検査の時に患者に付き添いレントゲンの被曝が多少あるとか、手術や輸血やその他の医療行為の最中に感染のリスクがあるとか。けれどそれでも患者達の場所から比べると随分と安全な場所にいるんだ」
「手術が失敗しても、検査が上手くいかなくても、医療者は死にはしないから」
でも、今回ばかりは少し違ってる。
今回のコロナウイルスはいつも安全な場所にいる医療者達をかなり危険な位置まで近づけている。
圧倒的に市中の一般市民よりも犠牲になる確率は高いのだ。
私達医療者にはいま、目の前に4つの生き方が提示されている。
この時、たとえ日本にいようが、海外で医療をしていようが、私達、医療者の前には天から4つの生き方を提示されているのだ。
1 ウイルスに勇敢に立ち向かい、そして自分も生き残る
2 ウイルスに勇敢に立ち向かい、しかし自分もウイルス感染にたおれる
3 ウイルスに恐怖し逃げ出し、そして自分は生き残る
4 ウイルスに恐怖し逃げ出し、しかし自分もウイルス感染にたおれる
あなたならばどの生き方を選択するだろうか?
私はどうせ医者になったのだから、こんな時こそ、ウイルスに立ち向かいたいのだ。
もしかしたらウイルス感染にたおれるかもしれない。命を落とすかもしれない。
でも私は死の床で「これでよかった。自分の信念と人の為に戦い死ねてよかった」と思える自信がある。医者でよかったと思える自信がある。
でも逆にもしも逃げ出してしまったら、たとえその後、生きていても医者を辞めるかもしれない。そんな臆病な自分が許せなくて苦しむと思う。医者を続ける資格がないと思ってしまうかもしれない。
私は、私達は、”病で苦しむ人達のためになりたい” と医療の世界に飛び込んだ。
もちろんそれは、自分が世の中から必要とされたい、してほしい、期待されたい。そしてそういう自分を自覚し、自分の人生を肯定したかったからだろう。
海外で私の元にやってきた医療者達も、多かれ少なかれそう感じていたと思う。
人はこういう経験を通して本当のプロフェッショナルになる。
自分の人生と仕事を通して、自分のミッションに誇りを持つようになるのだ。
私はそういう医療人をつくりたい。
最高の医療人には、高い精神性の人間でなければなり得ない。
精神性の高い人間は、困難が目の前に立ちはだかろうと、逃げはしない。
人々が病で苦しんでいれば、我が身に困難が降りかかろうと、人々の為に喜んで前に進むだろう。
人生100年時代、そういう人間はたとえ医療人としての人生が終わった後でも豊かな人生を送っていけるのだろう。
中国でも、ヨーロッパでも、アメリカでも、医療者達は誇り高く戦っている。
彼らにできて私達にできない道理があるはずがない。
何で医療の道に来た?
我がスタッフたちよ、そして日本の医療者たちよ、がんばれ!
あなた方の前には4つの生き方を用意した。
好きな道を進むがいいだろう。
PS: 私も海外への航空便が運航を再開したら、直ぐに現地に戻るよ。
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エイプリルフールの戯れ言
http://japanheart.exblog.jp/28918262/
2020-04-01T13:35:00+09:00
2020-04-01T15:04:12+09:00
2020-04-01T13:37:00+09:00
japanheart
戦争
世界には文明のスライドを唱える人々がいる。数百年毎に東洋から西洋へと振り子の様に文明の中心が移るという仮説だ。
これは過去そのように移ってきたとまあ、半ば強引にそのように理屈を付けしてきた仮説なのだが。
”15世紀頃から始まったヨーロッパ文明の世界制圧の歴史は、今回のコロナウイルスで終わると思う”というのが私の仮説になる。
第一次世界大戦、第二次世界大戦で本来はそれは終わるはずだったと思う。
正確には第0次世界大戦、すなわち日露戦争から始まったヨーロッパ文明制圧の終焉は、これでほぼ確定される。
本来は第一次・第二次世界大戦で終わるはずだったヨーロッパ文明は、アメリカ大陸を発見し、北アメリカ大陸には主にイギリス・フランスが、南アメリカ大陸には主にスペイン・ポルトガルが文明を移植した。第二次世界大戦後は、特にアメリカ大陸に文明や力の中心がシフトし、あれから75年、正確には約100年程度、その制圧の延命がはかられたと理解してる。
個人的には第三次世界大戦が起こりそれが終焉するかもと思っていたけど、人類は少しは利口になってそれが起こらなかった。しかし、「文明がスライドする」という大きなシフトが起こることには変わりなく、それがウイルス感染によって引き起こされることになったのだ。
その文明シフトの観点から予測すると、今後、このウイルス感染の予想はヨーロッパ大陸やアメリカ大陸では更に酷くなるが、次の文明拠点のアジアではそれほど酷い状況にはならないのではないかと思っている。
慌てふためくヨーロッパやアメリカをこれから世界は目撃するだろう。そしてヨーロッパは酷く衰退するのではないかと、ちょっと心配してるのだ。それに比べてある程度上手くこのウイルス感染をコントロールできたアジア諸国は自信を深めこれからその文明をかつての様に高めていく。
日本はどうだろうか?
その観点からいうと、日本の役目はほぼ終わっているから。
日本がアジアで1番初めに発展したことも、日本がたった一国で世界を相手に戦った第二次世界大戦の結果、アジア諸国やアフリカ諸国が独立して今日の国際状況を作ったことも、全て含めてほぼ役割は終えてる感じがするのだ。
パナソニック創業者の松下幸之助翁は「文明発展は時計回りにしか回らない。なぜだかは分からないが、そうなっているのや!」と言ったらしいが、多分、本格的にアメリカ大陸からアジア大陸へとそれが来たと思っている。
日本が唯一、ある程度の発展した場所として生き残るためには、少子化を克服することが必要になると思っている。ただ、今の日本政府の場当たり的なやり方ではほとんど効果は出ないと思う。
では、お前に代案あるのか? と問われれば、一応はある。
キーワードは、中央集権体制の破壊。
昭和の初めに戦時体制として作られた東京集中の中央集権化を破壊すれば、自然に少子化は終わると思う。
衆議院は東京、参議院は大阪に移す。各省庁はそれぞれ各都道府県に移し、道州制を加速させる。そして今回のウイルス感染はリモートワークを加速させ、地方企業にまたとないチャンスを生みだし、首都圏という企業立地の価値を著しく低下させることになる。
東京圏に3500万人以上住まわせ、かつてないほど劣悪な通勤を若い男女共にさせ、更に経済的にも圧迫して、どうして子どもを何人も産めようか!
地方分権・分散を進め、小さな政府に向かっていかないと少子化は止むことはないと思う。そう考えると、少子化のそれは全て政治の責任なのだと思う。
これを政治が達成できれば日本は残り、できなければヨーロッパの後を追って衰退していくと思う。
そして衰退が加速すると日本からアジア諸国への移住や人口分散が加速して起こると思う。
エイプリルフールだからね。
全部、私の勘違いかもしれない。
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幸せを知る
http://japanheart.exblog.jp/28867906/
2020-02-28T20:57:00+09:00
2020-03-02T09:29:56+09:00
2020-02-28T20:58:51+09:00
japanheart
基本
幸せと感じているものを一つずつそぎ落としていく。
どうしてもゆずれない本質的なもの以外はそぎ落としていく。
本当に食べれることの有り難さを体感智するためには、断食しかない。
しかも一カ月程度の断食が必要かもしれない。
あなたが食べれば幸せと感じている、寿司やステーキやお菓子やケーキなどの食から順に断っていく。
次に当たり前のお米や卵や野菜や諸々を断つ。
コーヒーやお茶を断ち、やがて水のみの生活にする。
そしてさらに、水の量の制限に至る。
これを全て意識的にやってのけてみる。
既にこの頃には空腹感からは開放されている。渇きのみが肉体に自覚されているだろう。
ほとんど全てのものをそぎ落としたこの時に、かつては全く認知できていなかった、当たり前にあった水の甘みやうま味を体感智できる。
これを有り難き幸せの状態という。
健康も同じだろう。
筋肉を付けるとか、早く走るとか、マラソンやトライアスロンに出場するとか入賞するとか、山に登れるとか……。
全て大病をすれば捨て去る事になる。
きっと死を間近に意識した時、人は当たり前に日々、食べ、歩き、寝て起きて、笑い、泣く。そんな当たり前の日常の尊さを体感智する。
本質的な幸せの自覚は日常の密度を大きく変えていく。
我が子の事も同じなのだ。
ジャパンハートがやっているSmileSmileProject(がんの子どもたちの旅行のサポート)などを経験してると、最後に親が子どもに望む事は、いい子でいることでも、勉強ができる事でも、いい学校や就職先を得ることでも何でもない。ただ、そこで生きて存在してくれていれば、それ以上何も望まないのだ。
親にとって子どもに望むことは、そぎ落としていくと、ただ生きていてくれることだと分かる。そして、それこそが本質的幸せであり、それ以外は贅沢な幸せなのだと分かるのだ。
だから昔、一休上人はこう詠んだのだ。
「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。この上の幸せはなし。」
だから幸せには二つの方向性があることが理解できる。
一つは付ける幸せ。いつもあなたが求めているものだ。
もう一つ、そしてより本質的な幸せ。そぎ落としのその先にある幸せ。
そしてとても個人的な見解なのだが、そぎ落としの方向の豊かさや幸せを得なければ、本当には人生は豊かにはならない。それは空気や水の有り難さを自覚できることに似ている。
豊かさは積み上げるだけではなく掘り下げる事もできるのだ。
別の角度からの例えとしては、かつてある武道家は無数の技を身に付け本当に取り込んだ時には、技を捨て去ることになると表現した。
その時、無敵となると。
そして、海外医療も実は同じなのではないのか。
敢えて詳しくは語らないが、そぎ落として、そぎ落として、その結果。
全ては自分自身の為にやっている行為だと悟ることになる。
他人のためにやっているという人は、その入口にいるに過ぎない。
そういう人間は常に主体としての自分と客体としての患者を意識する。
だから心が常に動揺する。
しかし、全ては自分の為なのだと体感智すれば、医療という相対的な行為から客体が消え去り、主体としての私だけが存在する世界観になる。病人や病気を相手にしながら、常に我が人生との対話を積み重ねていく。
つまり、病というものを通して我が人生と向き合っているというそれだけの状態がそこにある。
大した病気や危険を目前に置き、避ける事も逃げる事も自由。
誰も私を責めることはなく、逃げてしまえば責任など発生しようもない。
リスクを取らなくても臆病とは言われず、自らに理性的な判断なのだと、言い聞かせる事もできる。
未来は多層的に広がっているだろうが、その中で選べる未来はたった一つ。
それ以外の未来はそれこそ未来永劫、この世から消え伏せる。
その決断がよかったかも悪かったかも分からぬまま時間は進んでいく。
どんな時もそこにいるのは、満たされた私でもなく、満たされない私でもなく、他人の為に頑張っている私でもない。
ただひたすらに心の声に従ってやらねばならぬことを為している自分が存在している。
すでに求道の道のただ中にいる。
誰かが口にする理屈は既に遠い風の音のようになっているだろう。
その時、私はボロを纏っているのか、暖かい立派すぎるコートを着ているのか、藁を噛んでいるのか、贅沢な食を噛み締めているのか。
どちらでも構わないのだ。
心の目はそんなところを見てはいない。
表面的な豊かさや貧しさなど、私を何も縛りはしない。
水の美味しさを知っている人間には、それ以外は誤差に過ぎない。
私の人生にとって最も大切なものは何かを知ることは、まさに水の美味さを知る事なのだ。
あなたも自分自身の人生と対話してほしい。
他人の意見や目線などの世界から離れて。
リスクをとって未来を開く方がいい未来が訪れると信じているのか?
それともそんな信心は採用していないのか?
あなたはどちらの人生を信じているのだろうか?
あなたは、あなたが誰かの事を思い祈りを捧げるその行為に、あるいは誰かへの思いはきっと届くと信じている、その在り方を採用するだろうか?
もしあなたが、私と同じくそれを信じているのならば、きっと今日助けられなかった同じ病に苦しむ人を、あなたも10年後はきっと救えていることだろう。
あなたが1番好きなことは目の前のそれか?
あなたがそんな風に生きたかったのか?
あなたは誰かの為の犠牲だと言うけれど、ホントにそうすることがその誰かを最も幸せにする保証はどこにある?
いつもいつも自分と対話してみることだ。
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ジャパンハートの目標
http://japanheart.exblog.jp/28836532/
2020-02-08T08:30:00+09:00
2020-02-12T13:16:54+09:00
2020-02-08T09:05:24+09:00
japanheart
基本
たとえ専門家でなくてもそんな足音はよく分かる状態になっている。
”20年”は、私が時代を測る尺度として考えている時間の概念だ。
私が生まれた1965年は丁度、第二次世界大戦が終わって20年目。1945年、日本は焼け野原で壊滅していた。
わずか20年で日本は既に東京オリンピックを終え、その5年後にはアジア初の万国博覧会である大阪万博に数百万人が押しかけたのだ。
1985年はプラザ合意を終えてドルの自由相場に移行し、日本は翌年からバブルに突入する。
それからわずか5年目の1991年、ベルリンの壁は崩壊し、ソビエト連邦は瓦解、東西冷戦は終結した。
20年後の2011年に東日本大震災、その10年前の2001年はニューヨークで旅客機がワールドトレードセンターに突っ込んだ911のテロが起こり、時代が大きく変わっていった節目となっている。
それから20年。
どんな時代になるのだろうか?
大きくうねる社会の中で怯え続けていても仕方ない。自分は自分にしかできないことをしっかりやっていくことを考えないと。
私にしかできないことは何だろう?
私がいなければなかった世界とはどんな世界なのだろうか?
そう考えてジャパンハートの近未来をビジョンしてみた。
私がいなければなかった世界がそこにあるための必要条件、そしてその指標。
ジャパンハート三つの指標
1)日本一のブランドとなる
2)日本一の規模となり、多くの雇用と絶大な裨益者の利益を実現する
3)これから勃興するであろう無数の日本のNGOの先導役となり、時代を加速させる
三つのうちの2)3)を達成するためには1)の通過点を押さえなければならないだろう。
特に3)は時代からジャパンハートが課せられた使命だと感じている。
なぜ、ドラッカーがこれからはNGO・NPOが世界の主役の一翼になると考えたのか、この世界の流れを見ていると少しずつ分かる気がする。
私が若い頃に流行ったようなアイドルはもう生まれないとよくいわれる。
その事と同根のように思う。
すなわち、この世界はかつてないほどに個人が大切にされ、個性や多様性が重要視される時代になり、それは今後も加速していくだろう、きっと。
大切で個性的な個人は、多様性を大切にする世界の中で、彼らの細分化された要求を世の中に発信し、そしてそれを世の中で叶えてくれる存在が顕れてくる。
誰もが同じものに価値を感じなくなる。いやむしろ、同じものしか好まない人間を世界は軽蔑するようになっていくのかもしれない。
大企業のマスを対象としたマーケティングは、どんどんその規模を縮小していくだろう。
きっと近い将来、大企業のしていたマスマーケティングは何と効率の悪いやり方だったのかと、反省の材料にされていることだろう。
例えば、テレビの車のコマーシャルは、巨額のお金をかけて免許のない人々や子どもたちにもマーケティングをかけていることになる。
これからは個人情報を元に、ターゲットマーケティングにどんどん切り替わることだろう。遥かに低コストで、遥かに効率よく成果を出すことだろう。
では、誰がその細分化された個人の要求を叶えてくれるのだろう?
それは大企業では不可能なのだ。
そう、それがNGO・NPOの主戦場となるなのだ。
無数に現れたNGO・NPOが、細分化された社会的ニーズにマッチングしていくだろう。
大企業は抽象度の高いプロダクトを生み出さなければやがて衰退していく事になるだろう。そしてその衰退までのサイクルはもうかなり早まっていると思う。
そしてそういう環境がおおよそ実現した世界では、企業とNPO・NGOの格の違いはほぼなくなり、より大きな母集団に向けたニーズに応えようとする企業と、小さく細かいニーズに応えようとするNPO・NGOとどちらで働きたいか、あるいはどちらの方が働きがいかあるのかというその基準で職場が選択される。
多くの若者が新卒でNPO・NGOに就職し、優秀な若者もたくさん入ってくるだろう。
一流企業や商社に入った若者が数年で辞めてNPO・NGOに転職する光景を当たり前に見かけるだろうし、その人たちがさらに時代の流れを加速する役割を担う。
また、もしかしたらメインの職場をどちらに置くかは別として、その両方に籍を置く人も多く存在していると思われる。
そして、今後しばらくジャパンハートがその先頭に立ち、多くのNPO・NGOを刺激し、誘導し、サポートしながらどんどん時代を先へ進めていきたいと思っている。
で、結局、その先に何を見ているのかというと、
人の価値が、その人生の価値が、どんどん大きく高くなってる、そういう世の中にしたいと思っている。
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才能というもの
http://japanheart.exblog.jp/28777772/
2019-12-31T13:12:00+09:00
2020-01-01T13:27:40+09:00
2019-12-31T13:16:20+09:00
japanheart
基本
最小限の犠牲で済ませ、何かを手に入れながら前に進む。
才能が一つしかないという意識がベースにある時代は、その才能を開花させるための大きな犠牲は時間をかけても許容される。
もちろん、その犠牲はその才能に全て転化される前提だし、そもそも健康寿命がかつては大変短かった。日本はつい最近まで社会的制限が多く、人間がいくつもの才能を開花させるには、ちと人生、時間が無さすぎたのだ。
私が子どもの頃の50年前は定年が50〜55歳程度で、肉体労働の人が多く彼らは50歳を過ぎれば体はガタガタだったと思う。私の子ども達の時代、平均寿命予想は100歳を超えているから、なんと、かつての定年退職年齢はまだ人生の半分くらいのところになる。
”人間にはいくつもの才能がある” と理解したこれからの時代は、時間がかかる大きな犠牲を払うことは、寿命が延び投資時間をたくさん持てるにもかかわらず逆に人生全体で見ると投資対効果の効率が低くなる。才能の開花は、一つの才能が次々と別の才能をいもズル式に引っ張り出すという表れ方をするからだ。
だから、最小限の犠牲で済ませながらどんどん効果を相乗的に生み出し、成果を出していく。引っ張り出された二つ目、三つ目の才能が逆向きに一つ目の才能を刺激して大きく成長させるようになる。一人の人間の中にある才能は互いに連動性をもっていると思う。だから、一つの才能の開花だけにあまり時間をかけすぎない方がいいと思う。
テストみたいなものだと思ってもらうといいかな?
一つ目の問題が難しく、それに時間を食われて余裕をなくすより、二つ目、三つ目の解ける問題からスタートして余裕をもって最後に一つ目の問題に戻るように、人生も限られた時間しかないのだから。
働いてお金を稼ぎ、そのお金を元に技術や知識を学び、それを使って更に新しいビジネスを創めお金を大きく生み出し機会を創出し、更に大きく稼いだお金で投資して、新しい生活を手に入れる。友達を増やし、世界の観光地をまわり、見識や記憶を増やし、、、というように、やっていく。
私は随分長い間、途上国のインフラの整わない貧相な設備でしかも不十分な金銭的財源と人的不足の中で医療をしなければならなかったので、手術は普通の日本人医師よりも早く、手際のよい手術をする。
しかし、外科手術はアートではないので、見た目にいくら手術が上手く見えても、バイオリンやスポーツのように評価されるのは少し違うと思っている。
例えば、野球は打てればどんな道具を使ってもいいわけではない。通常、木で作られたバットを使う。その条件下で成績を競う。バイオリンも良い音が出せればどんな人工素材を使ってやってもいいわけではない。その楽器は既にバイオリンとは呼ばないだろう。
ところが、戦争すら武器の制限があるのに、医療には制限がない。
素材も機器も、その他どんなテクノロジーも患者に対する利益・不利益の効率が良ければどんな手段でも普通は問題ないのだ。
学生時代、テストではカンニングは罰せられたのに、新しい機器が臨床現場で使用されるときはマニュアルを横に置き、それを見ながら、しかも横から機器メーカーの人間にアドバイスすら堂々ともらいながら手術が行われる。
極論すれば、どんな手段でもいいから患者を最も治せるものが正義なのだ。
別に、見た目のテクニックは本来どうでもいい。
だから、時代に照らし合わせれば、これからは時間をかけて見た目上の上手さを求めるのは正しいやり方にはならないと思っている。
それよりも最も患者の治療成績を上げられるテクニックとテクノロジーを取り入れ、時間をどんどん飛び越えていくのがいい。
徒弟制度のような医師の仕組みは早晩、壊れると私は見ている。
この制度はこれからますます投資対効果が薄くなるから。
これから医師は、医師だけで集まってやるのではなく、企業やできればベンチャーと組んで新しい価値を創出していったほうがいいと思う。
そうすれば、その医局には創造性に優れた優秀な医師がたくさん集まるだろう。
大学の医局には、出来上がった商品を売る人間だけではなく、新しい価値を共に創ろうとする多くのベンチャーが引っ切りなしに出入りしている未来でなくてはならないと思う。
話を戻す。
これからの人類、特に日本人は伝統的に「一つの事をやり込め」と教えられてきた人々なので、人間はいくつもの才能を持つ動物であると証明していかねばならない。
そのためにいい方法は、目的とプロセスを一致させてしまう事だ。
旅行に行くために、頑張ってお金を稼ぐのをやめる事だ。
旅行そのものが金銭的財源を生み出したり、お金を稼ぐ仕事が人生の学びや楽しみを十分満たしているように生きること。
”ボランティアに行くか、旅行に行くか” ではなく、その両方を満たすアイテムを探しあてる事。
そして、その体験を再び、人生に投下できるように位置づけて置くこと。
もちろんそこで出会った人々との新しいネットワークや繋がりもその一つだと思う。
単なる思い出つくりは、やめたほうがいい。
働くという行為とボランティアという行為の分離。
こういう発想は時代遅れになる。
それから全て頭で考えて理解してるような気になることは危険。
体験を重視した方がいい。
常に、理想や思い込は現実とズレるから。
将来、途上国で医療をしたいのだが今どんな事をやっておけばいい? とよく質問を受ける。
これに正解はない。
もしも正解があるとしたら、それは今すぐに途上国で医療すること以外考えられない。
体験してそこから自分に合った正解に向かって思考を進めるしかない。
私にはその人の正解などは到底、分かりようがないからだ。
体験してそれを次の自分に投下していく。
未来は行動した人間にのみ確実にその道を示し、微笑むようにできている。
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狂気を宿す−その2
http://japanheart.exblog.jp/28759053/
2019-12-20T00:13:00+09:00
2019-12-20T15:54:59+09:00
2019-12-20T00:15:36+09:00
japanheart
戦争
果たして、 私にはそんな狂気を宿せているのだろうか?
想像しただけで人生からエネルギーを吸い取られてしまうような経験を経て来たのか?
時として最愛なる人を失うことは自分の命を失うよりも耐えがたいことがある。
我が身、我が人生を振り返った時、彼らの悲しみに匹敵するような苦難を私は経験してはいないと思う。
この身には、多分、彼らのような"狂気"など宿せてはいないだろう。
そんな"狂気"の力を得なければならないと、ひと月もの間、全く食事を絶ち、水のみで過ごしたこともある。
しかし、到底、彼らに匹敵するだけの"狂気"は我が身には宿せなかった。
人はつながる。
直接的なつながりもあれば、空間を超えてつながることもある。
しかし、人は時間も超えてつながることもできる。もしかしたら次元すら超えて。
数百年前の欠片が現代の誰かに何かを語ることもある。
数百年前の武道の極秘が忽然と現代の誰かにその本義を伝えることもある。
あなたの残した生き様や思いが子や孫の力になることもある。
100年前の書物の一節にあなたが悶絶し、そして生き方を変えることもある。
そしてそれは、直接的に伝わるものと、いくつもの事象に弾かれて時間をかけてバウンドしながら伝わって来るものがある。
私に"狂気"と呼べるものがあるとしたら、それが多分、確かに私が受け取った"狂気"だったと思う。
私が初めて渡ったミャンマーの地では、50年前の第二次世界大戦で30万人の日本人達が戦い、そして約三分の二の20万人が散っていった地獄のビルマ戦線が繰り広げられていた。
戦争の"狂気"。
彼らはどのように生き、そして死んでいったのか。
彼らの思い、無念。
家族の思い、寂しさ。
現地の人々の思い、悲しみ。
時間と次元をバウンドしながらそれらは私のところにたどり着いてしまった。
50年を経てたった一人、医療を行いながら、激戦により数万人が亡くなりいまだ2万人が埋まっていると言われている大地に、戦後初めての日本人として住み、戦争を経験した多くの年老いた現地の人々、生き残った日本人たちの涙や一人ひとりの人生ストーリー、壁にいまだに残る当時の弾痕、安置された日本軍の朽ちた装甲車、お寺の境内に残された錆びた鉄兜、古ぼけた兵士の写真や日本に残してきたその家族の写真、そして多くの位牌、破れた日の丸。
どれもこれもが戦争の゛狂気゛を悲しく私に伝えていた。
それらを私はシャワーのように浴びすぎたのだ。
電気もほとんどこない、安全な水も紙も手に入りにくく、たった一人で孤独だった私には自身の境遇ゆえ彼らとリンクしてしまったのかも知れない。
その時、彼らの、そしてあの大地で亡くなった人々の"狂気"を私は受け取ったのだと思う。
それらが私をここまで導いて来てきた気がする。
たった一人、現地で医療をはじめた1995年。
苦しかった時、もう諦めようと思った時、どこに行ってもいつも私の周りには、あの大地で亡くなった日本人たちの無数の慰霊碑が存在していた。
その慰霊碑はその前にたたずむ私に、
「どんなに辛くとも、戦って死ぬよりはいいだろう?」と語りかけてきた。
そう、死ぬよりはいい。
私は人を殺すためではなく、生かすためにここに来れている幸せをかみしめたのだ。
「戦って死ぬよりはいい。」この言葉を私は何度繰り返したことだろう?
だからもう一度、力を振り絞りいつも立ち上がることができたのだと思う。
1995年頃、世界中のNGOが軍政下のミャンマーで活動許可を得れずに何年も待たされていた時、「お前は日本人だから信じる!」と言ってミャンマー政府がたった数カ月で私に活動許可を与えてくれたのは、私の力ではないと今でも思っている。
そして、不思議にいつも苦しかった時、私を現地で助けてくれたのは戦争時代からの縁ある人ばかりだった。
私が失ったのは今血のつながりがある人ではなく、きっとこの日本の長い歴史のどこかで私の血とつながっている、50年以上前に散った日本人たちだったのだと思う。
私が生まれた1965年。それより20年も前に私は大切な仲間を失っていたのだ。
私に宿された"狂気"は、正確には、私を含む私の周りに宿された"狂気"であり、何か危機的な状況に陥った時、いつも得体の知れない"狂気"の力に護られているような気がする。
かつて傷ついた日本人達を救ってくれたのは、名もなきミャンマーの農民達だった。戦争末期、日本と共にイギリスを相手に戦ったミャンマー(ビルマ)政府は、敗戦国にならず自国の独立を勝ち取るために敗色濃厚になった日本に対して逆に宣戦布告し、戦闘状態に突入する。イギリス軍に追われ、ミャンマー軍にも追われた日本人達を救ってくれたのは、誰だったのか?
それは、名もなき農家や市井のミャンマー人たちだったのだ。
だから、私は学んだのだ。
本当の最後の砦、日本の最後の安全装置は、武器ではなく現地の市井の人々に信頼されること、大切に思ってもらえていることなのだと。
それは日本政府がしている援助では決して得ることができない、人と人の時間をかけたつながりから生み出された信頼や恩義のみが可能にする安全弁だと思う。
中村哲先生がいたことは、日本にとっては幸いである。
アフガニスタンで日本人に何かあっても、多くのアフガニスタン人がその人を助けてくれるだろう。
そして、ミャンマーでは、もし何かあったら私が25年かけて医療を施してきたその人たちやその家族が、75年前のようにあなたを助けてくれるはずだ。
75年以上前に生まれたその戦争の"狂気"を私は受け取ってしまった。
そしてその"狂気"は私をこの道に縛り付け決して死ぬまで離してはくれないだろう。
でも、それが私の人生ならば迷わず行くしかない。
その先に何があり、どんな未来になっているのか?
行けば分かる、行かねば分からぬ。
これからどんな時代になろうとも、私はこれからもきっと戦争から生み出されたその"狂気"に身を包みながら生きていくと思う。
私が倒れた時、その歩いてきた道には少しだけ平和という状態の花が咲いているのだと信じながら。
この道こそが私の信じる平和の行使だと思っている。
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狂気を宿す−その1
http://japanheart.exblog.jp/28752198/
2019-12-16T18:23:00+09:00
2019-12-17T11:35:18+09:00
2019-12-16T18:25:52+09:00
japanheart
病と人間
先日、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師はかつて自身の息子を脳腫瘍で亡くしている。
その息子が危篤の途にある時にも、日本への帰国を現地の人々が勧める中でも、「ここで帰国すれば自身のこれまでの発言が嘘になる」と頑なに拒否したそうだ。
しかしながら、多分、彼は息子の死に際には傍にいてくれたのだと思う。
脳腫瘍の息子の死をみおくったその三カ月後、彼はある決意を宣言する。
飢えと渇きで既に亡くなってしまった、同じような幼い我が子を抱いたアフガニスタンの母親の姿を思い、息子の弔い合戦だと命を懸けてあることを決意したのだ。
今のアフガニスタンに最も必要なもの。
水と、彼らが生活できる場所、そして人々の生活の糧。
彼は医療を捨てて巨大な用水路の建設に乗り出す。
一切、そのための知識も経験もなかった。全て一からのスタートだった。
しかし、彼には一つだけ誰にもないものがあったのだ。
息子の命と引き換えに手に入れた"狂気"。
それから何年もかけて用水路は完成し、数十万人のアフガニスタンの人々の命と人生を救う事になる。
しかし、もう少し、もっと彼が生きていたらその数は何倍にもなったことだろう。
もっと多くの人々が彼の存在を知り、支援できていたら、もっと多くの人々が既に救われていたことだろう。
もう一人。
日本最大の民間病院群「徳洲会」を作り上げた徳田虎雄医師。彼は戦前、鹿児島県奄美諸島徳之島で子だくさんの家庭の長男に生まれる。彼が10歳の時、彼の幼い弟(三男)が激しい嘔吐下痢になる。嘔吐が止まらず、夜間母親は暗闇の中、山を越えて医者を呼びにいく。しかし、医者は貧乏人の農家の倅のためになどは来てくれなかった。そして、母親の報告を受けた10歳の虎雄はたった一人、夜中に山を越えて別の医者を呼びに行く。
しかし、その医者が三男のために虎雄の元を訪れたのは翌日の昼過ぎのことだった。既に、弟は息を引き取っていた。
この時、虎雄はこう思ったそうだ。
「今まで自分は医者というのは神様の次に偉い存在だと思ってきた。しかし、それは間違いだった!」
この弟の死が彼に"狂気"を与えたと、後年、彼は語っている。
徳洲会の年中無休、貧乏人からはお金を取らない、などの理念のオリジンは彼のこの原体験に根差して生まれたものなのだ。
自分自身に生命保険を賭けて、自分の命を担保に、彼はどんどんお金を借り入れ病院を増やし続ける。こんな"狂気"の元はかけがえのない弟を死なせてしまったその無念さと怒りだったのだと思う。
そして、この二人、中村哲医師と徳田虎雄医師にとっての大切な身内の死が、やがて彼らをして多くの人々の命を救い、やがてその身内二人の無念の死が昇華されその死の意味付けを変えて行く。
幼い息子と弟の可哀相な死があったからこそ、たくさんの命が救われたのだ。
彼らの死は決して無駄でもなく、意味のないものでもなく、多く命を救った尊い犠牲であったのだとこの医師二人は命を懸けで証明したのだ。
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運命を整える
http://japanheart.exblog.jp/28721985/
2019-11-28T02:08:00+09:00
2019-11-28T14:41:51+09:00
2019-11-28T02:09:33+09:00
japanheart
医者の本音
どうしたら医学部に受かるのかはイロイロな理屈はあるのだけれども、私は二つのことを同時にしなくてはならないと思っている。
一つはもちろん勉強。
勉強については専門家の人達に任せて今回はもう一つのことに焦点を当ててみたい。
もう一つというのは、運命を整える習慣のこと。
この中にはたくさんの事柄があって一概にこの事だとは言いにくいのだが、簡単に言ってしまえば勉強以外の全部の事かもしれない。
体力を整えたり、食事をコントロールしたり、試験当日に風邪を引いていない様に調整したり、家庭内の環境を上手く調節したりという、実に様々な事柄が含まれるのだが、これらは理性的には当たり前の事であって誰でもできる事だと思う。
私が重要視しているのはそのうちの理性以外のもの。あえて言えば理性ではなくて感性的なもの。
運気を上げると言えばご都合主義なのだが、正確にはやっぱり”運命を整える”という言い方が適当だと思う。
自分固有のリズムの狂いを調整し、知らぬ間に狂ってしまったリズムの乱れから起こる様々なトラブルを未然に防ぎ、人間関係や体調を調整し、身に付けた成果を滞りなく発現させる。
昔から剣の達人達が瞑想を取り入れていたのもおそらくこれが理由だと思う。身体を使う剣術の稽古とはおおよそ真逆の、静的な所作を何故あれぼど重要視していたのか? 何故、心という捉えようがないものに向かい合ったのか?
受験で合格しようが落ちようが、その人の人生にとって、終わってみればその後の人生に最高の結果をもたらすであろう、その結果へと運命を導いてくれるであろうその中継点に着地できるように。
人は知らぬ間に社会や親から洗脳を受けているものだから、それが本人の才能とズレがあることに気付かないまま、まるで自分の意思かのように勘違いして見当違いの方向へ人生をスライドさせていく。
医師に向いていない人間が医師にならないように。
医師になるよりもさらにその人の人生にとって、望むらくは人類にとって大切な別の才能が埋もれてしまわぬ様に。
運命を整えるということは、自分の個性や能力を自然に発揮させる方向へ向かうという言い方もできるかもしれない。
ところで、たとえどんな結果になろうとも、それぞれの人生に持ち越せるものがあることも合わせて知っておかないといけない。
それは本気で苦しんだ体験の事を指す。
この体験は応用が利き、死ぬまで何度でも使い倒せる。
だから中途半端や諦めは禁物だ。
空振りしてもいいから本気で球を撃ちにいくということ。
適当にバットを振って結果がホームランになってもその体験は人生にとっては単にムラを生み出す原因にしかならず、おそらく将来、知らぬ間にその人の人生の成果を目減りさせていくと思う。
さて、運命を整えるということにおいては、例えば、健全な野菜を中心とした食事を摂るという実際の行為よりも、健全な野菜を摂ろうという意思を常に意識していることが影響する。
運動が苦手な人間が3km走れる様になるよりは、毎日1kmでも必ず走る習慣を付けようと努力する意思が大切なのだ。
30分瞑想できるようになるよりは、毎日必ず5分続けて瞑想を繰り返す習慣を確立する思いが大切になる。
毎日、外界を遮断した中での掃除や決まった心地好いスピードのウオーキングをすることで、無意識にリズムを整え、そのリズムからズレた時の違和感を感得する。違和感というとても不安定なものの感得なので微細さが求められるため、常にリズムを整えるその人なりの技法を持っておいて、常に時間がある時には繰り返す癖をつけておいた方がいい。
目を閉じて深呼吸を10回するでもいいのかも知れない。
お経を何回も心の中で唱えてもいいのかも知れない。
単に右指先を同じ方向に5分回し続けるだけでもいいのかも知れない。
とにかく、リズムを正常に戻すためのトリガーが必要なのだ。
これを癖にしてしまうことで運命は整えられていく。
しかしながら、もちろん勉強は効率よく全力でやらなければならない事は当たり前。
レストランでいうと、勉強することはおいしい料理を作る作業と同じ。
運命を整える作業は強いて言えば、その料理を上手く人に宣伝する事。正当に料理のおいしいさを世の中に知ってもらうこと。ただし、おいしい料理でないと2度と店には来てもらえず、悪い噂も立ち、やがてそのレストランは潰れることになる。
同じ事が人生にも起こるので、くれぐれも勉強は手を抜かないように。心して。
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日本の知恵
http://japanheart.exblog.jp/28597777/
2019-09-29T05:17:00+09:00
2019-10-01T13:22:39+09:00
2019-09-29T05:18:27+09:00
japanheart
基本
仏教のイメージも相まって仏像の様なものが置いてあるのだろうと何となく想像していた。
神社は不思議なもので、石を奉っているところもあるし、刀を奉っているところもある。
しかし一番多いのは鏡なのだろう。
何故、鏡を奉っているのか?
しばらく意味が分からなかった。
昔は鏡というものが高価なもので、なかなか手に入れることが困難な宝物だったからかもしれないな、などと考えていた。
でも最近は人生少しばかり長く過ごしてきたこともあってか、なるほどそういうことね!と分かるようになってきた。
最近不思議と人生の様々な事柄の意味を言語化できるようになり、言語化できるようになると更に深くその意味を理解できるようになってきているような気がする。
人間は元々、宇宙に存在している意識体みたいなものだ。宇宙は本当は真っ暗闇だから私には私のことが全く分からない。
ただ、「我思う、ゆえに我あり」で、考えている自分がいるのだから、自分は存在していることだけは理解している。
しかし、どんな手足を持ち、どんな容姿で、綺麗なのか醜いのか、そもそも肉体を持っているのかすら分からない。
本来は。
しかし、宇宙には星がある。星の光が存在する。
その光が私を照らす。真っ暗闇の中に映し出された私の手足。私の皮膚。
私は自分が肉体を持っている存在であることを知る。
私たち人間には光が必要なのだ。光がなければ私たちは自分のことが何もわからない。
私たちにとっての光は、自分を取り巻く世の中のことだ。
自分の周りにいる人々のことであり、この世界全てのことだ。
私たちは人と交わり様々な感情を抱く。交わった時に初めて自分がそういう感情を持っていると知ることになる。
どんな感情が私の中にあるのか自分では全く分からない。
人を好きになって初めて自分にそういう感情が内在されていたことを知る。
世の中は私の全てを映し出す鏡なのだ。
鏡がなければ自分の顔を見ることができないように、世の中に映し出さなければ私たちは自分の何も知ることはできない。
神社にある鏡はそのことを私たちに教えている。
そして、もう一つ大切な意味がある。
私たちが世の中に当てて自覚したその全てのものは元々、私たちの中に内在されていたものなのだ。
人を愛おしむ感情も醜い感情も、全て。
多分、私たちは私たちに必要なものは全てはじめから持っている。
更に言えば、自分に元々内在されていないものはどんなに望んでも手に入らない。
人は何かを外から付けると思っているが、それは誤解だと思う。
外から能力は付かない。
自分に元々内在されていた能力が開花しただけなのだ。
何か努力する。
勉強でも、スポーツでも、何でもいい。
それは刺激であって、その結果として自分の中にあるものが目覚めているに過ぎない。
数学が解けるのも、100mを9秒台で走れるのも、全部その人の中に生まれた時から内在されていたものなのだ。
内在されていないものはどんなに努力しても、望んでも達成されない。
人間が空を自分で飛べないように。
何かを欲して私たちの多くは神社に行きそこで手を合わせる。
そこにあるのは、鏡。
そこに映し出されているのは、おそらく手を合わせる自分自身。
多くの神社は自分で自分を拝む場所なのだ。
だから、願いごとをしているのは、実は自分自身にお願いをしていることになる。
日本人は遠い昔からそのことを理解していたのだろう。
自分を拝み、自分にお願いすることが最も効果のある力を生み出すこと。
そこに鎮座するその神様たちはそれを多分、静かに見て笑っている。
そういう場所が神社なのだと思う。
人や組織に頼ってはいけない。頼るのは自分自身なのだ!といにしえの昔から教えてくれている日本の知恵なのだ。
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生き方の重心を意識する
http://japanheart.exblog.jp/28514841/
2019-08-12T04:51:00+09:00
2019-08-19T22:29:40+09:00
2019-08-12T04:52:39+09:00
japanheart
医者の本音
人間には、我々が感知・感得できるおおよそ全てのものが内在されている。
瞑想はその内在されているのもを感知・感得する作業かもしれない。
人は感知・感得できないものをそもそも認知できないし、脳はそれをスルーしてあたかもその人の人生にはその事柄は存在しなかったかのごとく振る舞うだろう。
その人の能力を開発するとは、外界の刺激や触媒を利用して、その人に内在している可能性を発現させていくことに他ならない。
特に私が最近、危惧していることがある。
自分自身にとっても社会にとっても、良い能力ならばどんどん開花させればいいようなものだが、世の中はどうもそんなに簡単ではないらしい。
世の中に大いなる恵みをもたらすものは、同時に大きな災いをもたらす可能性がある。
そして厄介なことにそれは宿命的なものなのだ。
何かを成すことができるというのは、ある性質のエネルギーを手に入れた(開花させた)ということだが、そのエネルギーの発現の方向性の違いによって、私の場合でいうと命の尊厳を守れたり、命を傷つけたりという結果をもたらしているだけなのだ。
もっとかみ砕いた例を挙げると、人の命を救うことができる医療技術は人を殺すことも、助けることもどちらもできるということで、単にその目的によって結果が変わるが、その本質は同じで、それを操る者はそのレベル(エネルギー)の可能性を開発させているということなのだと思う。
だからこそ1番大切なことは、どこに重心を置いた生き方をしているか? ということなのだと思う。
私は時にとても他人に寛容になれるが、時に同程度に酷く他人に怒りを覚えて責める事がある。
私は人の命を大切にしてとても敏感に対応するが、自分に危害を加えようとする人間や動物や昆虫には全く無慈悲に対応し、血を吸いに来る蚊は叩き潰し、その命を平気で奪っても何ら良心の呵責には苛まれない。
私は自分の好む臭いにはとても心地よさを感じるが、苦手な臭いの場所には全く近づきたくない。
これが私なのだ。
そしてこれは私だけではない。
人間はこんなものだ。
日米戦争で日本への原爆投下を計画して、毎日の様に多くの都市を爆撃し一般人の婦女子を殺しまくる指示を出していたアメリカ大統領のルーズベルトは、飼っている犬をとても可愛がって大切にしていた。彼にとっては人間の命よりも近くにいるその犬の方が、何倍も大切で尊いものだった。彼にとって日本人の命など、虫けら以下にしか感じなかったのだ。
ルーズベルトだけでない。
人間はこんなものだ。
自分の成果は誇り褒められたいくせに、他人の成果は否定し、足を引っ張る。
自分と同じ意見は過剰に評価するくせに、違う意見は叩き潰そうとする。
人間、自己の可能性を開発するということは、実は大きなリスクを伴っているゆえに、自己のコントロールを上手く効かせなければならない。
その可能性を大きく手に入れれば入れる程に、逆の形で世の中に発現させてしまうと大変なことになる。
だからこそ先ほど述べた生き方の重心が大切なのだ。
能力を開発した者は、してしまった者は、必ず意識して重心を世の中の為になる方向にもっていかねばならない。
なぜなら、自分が出したそのエネルギーの反作用を自分が受けることになるだろうから。
そのエネルギーを外部に放出したくない場合、残念ながら方法は一つしかない。自分のエネルギーレベルを全体的に下げること。その代わり、全体的にエネルギーレベルを落とすと生きる力が弱まる。
結果、気力が萎え、精気を失っていく。
水はやり過ぎても、やらなさ過ぎても植物は枯れてしまう。
人間も同じ。
自分の中にエネルギーを溜めすぎれば、人も腐ってしまう。
だから、外にエネルギーを循環させねばならない。
世の中の為に何かを成すのは自分の為でもある。
開花させた能力を世の中の為に使うのは、自分の為でもあるのだ。
そういう重心に日常を置いておく意識を常にもっておかなけばいけないのだと考えている。
とにかく、常に。
緩めば重心は知らぬ間に移動しているから。
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赤い風船
http://japanheart.exblog.jp/28468566/
2019-07-18T02:10:00+09:00
2019-07-18T17:54:08+09:00
2019-07-18T02:10:38+09:00
japanheart
子どものこと
そう遠くない昔、日本の子どもたちは本当にたくさん亡くなっていた。
昭和の戦前は日本人の平均寿命は45歳程度。
これは5歳以下の子ども達がかなり死んでいたということを意味する。
日本で1番大きな医療グループ徳洲会の創設者である徳田虎雄は奄美群島の徳之島で育った。
三番目の幼い弟がひどい下痢と嘔吐を起こしたため、虎雄は医者を呼びに行き懇願したが、一人目の医者は貧乏な農家には来てくれず、二人目の医者はようやく翌日昼過ぎにやってきた。その頃、弟は既に亡くなっていた。
この弟の死が、彼に狂気を与えたのだ。
そして、それが原体験となり日本中に病院を作っていく。
童謡に『シャボン玉』という歌がある。
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
これを作詞した野口雨情は長女みどりを生まれてすぐに亡くしている。この歌には、はかなく散った娘への切ない想いが込められているといわれている。
日本では多くの親や家族が本当に耐えがたい悲しみを背負ってきたのだ。
最近、YouTubeを見てたら、偶然にも私が子どもの頃に流行った懐かしい歌を発見して聴いてみた。聴いてみたら、なぜだかその歌に引き込まれ、ここ数日何度も何度もその歌を聴き、口ずさむようになった。
そして、これは偶然ではない! ということにようやく気づいた。
過去から未来へ時間が振れる。
その歌のタイトルは
『赤い風船』
歌詞は
あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
しっかりにぎりしめた赤い風船よ
なぜだかこの手をするりと抜けた
小さな夢がしぼむ どこか遠い空
そんなとき 誰かがほら
もうじきあの あの人が来てくれる
きっとまた 小さな夢もって
これは本当に、途上国の子ども達の事を歌っている歌だと思った。
”赤い風船”は子どもの命
”あの人”とはあなたのことだ!
あなたのことなんだ!
この歌を最近、毎日口ずさむ。
一人、一人と、私のもとに”あの人”が集い、そしてあの娘たちの赤い風船をつかみ取ってくれる人が現れることを願って。
私一人では、するりと抜けた赤い風船はどこかの遠い空に消えてしまう。
だから、あなたが医療者ならばあなたの技術や知識を貸してほしい。
あなたが学生や社会人ならば、あなたの時間や労力やネットワークを貸してほしい。
あなたが起業家ならば、あなたの持っている社会変革力の一部を分けてほしい。
あなたが普通の主婦ならば、あなたの周りの人に私たちのことを伝えてほしい。
あなたがまだ若い中学生や高校生ならば、必ず将来、私と共に働くのだと誓ってほしい。
私は必ず待っているから。
あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
しっかりにぎりしめた赤い風船よ
なぜだかこの手をするりと抜けた
小さな夢がしぼむ どこか遠い空
そんなとき 誰かがほら
もうじきあの あの人が来てくれる
きっとまた 小さな夢もって
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境界線を壊す
http://japanheart.exblog.jp/28449388/
2019-07-08T00:28:00+09:00
2019-07-10T14:07:05+09:00
2019-07-08T00:30:02+09:00
japanheart
活動記録
既存の境界線を消すことがその役割
国境! 人種! 宗教! 人が作った様々な制約! 貧富の格差による運命!
と、ふと、言葉が脳裏に浮かんできた。
多くの日本人の親は子どもを否定的に育てるのが当たり前だった。貧しい時代や生活するのが大変な国々ではそういう考えが一般的になってしまう。そうしなければ生きていけない、社会全体で協力し合わなければ生活基盤が維持できないそういう国々では、子どもたちは否定的に育てられる。
それは現実を知る大人たちの人生そのものの投影だったのだろう。
大志を抱けと子どもに教えたところで、大人達はろくな助けなどできはしなかったのだから。
誰もが肩を寄せ合い協力しながらやってきた。人類のそういう時間が如何に長かったことか。
かつての日本のように、あるいは中国やロシアのような食糧すら十分供給できなかった国々は大人達の可能性も子どもたちの可能性も多くは否定されながら育てられたのだ。
アメリカで自己啓発や肯定的な指導が盛んになったのは当たり前なのだと思う。アメリカは、この70年位の長い間、どこの国々よりも豊かで食べる事には不自由しなかった。そういう人々だから子ども達の可能性も否定せずにやれたのだと思う。もちろん、大人達も自らの可能性も肯定的に捉えられたのだと。
でも、
しかし、
時代は変わったのだ。
もう日本人達は十分豊かになって40年位は経っているんだろう?
変わったのに、相変わらず昔の貧しかった時代の子育てや他人への評価をしているのではないのか?
限られた環境や条件のなかで最高の成果を目指し人間の能力を作り上げていくという、日本の得意とするあり方は、既にこの時代にはミスマッチしている。
理由は二つ。
一つはイノベーションのスピードが人の能力アップのスピードを超えている。そして、もう一つは世界は狭い日本だけで動いてるわけではなくなり、何十億もの人々が連動して動く時代となり、限られた環境や条件の範囲が既に何十倍にも広がっているから。
なのに、日本人は相変わらず昔のままの、貧しかった長い歴史の考え方や文化が人々のあり方に幅を効かせている。
学校教育や職場環境、女性の地位や労働、あるいは少子化の問題でさえ同じように古い考えが人々の意識のベースにあり、それが人々の人生を、そしてこの日本という国を弱めていってると思う。
子どもが電車やバスの中で泣いているだけで腹を立てている大人達がいる国に未来などあるわけがない。
未婚の子どもを持つことが罪の意識を呼び起こす国に少子化など止めれるわけはない。
どこの利権か不明だが、高齢者に大量の医療費を注ぎ込み、若い人々の教育を無償化できない国に未来はあるのだろうか?
自分の人生を振り返り、そして自分の成してきた事を振り返ったとき、私は何をしてきたのか?何をしていきたいのか、本当は?
自問自答してみた。
そしたら、
私のミッションは
既存の境界線を消すことがその役割
と脳が答えてきた。
医療の世界はまだまだ、貧しい国では酷いものだ。
子どもが簡単に死んでしまう。
そんなに簡単に殺すならば、国家や免許の壁を取っ払ってくれればもっと人々は助かるのに、と思う。
なんで医療技術の低い医療者に、その国の人間だからいう理由だけで診てもらわなければならないのか?
世の中にはもっと良い医療者が、たとえ国籍が違っても、安い値段で医療を提供してくれるかも知れないのに。
国家という仕組みが人々を不幸にしている。
情報や食糧や物品は簡単に国境を跨ぐのに、なぜ、医療はこんなにも制約が多いのだろう?
日本政府もどこの国々も似たり寄ったりだが、その国の製品を売るために予算を付け、補助金を付け、企業を後押しして海外に出ていく。
物が溢れる時代に、メイド イン ジャパンだと誇らしげにそのようなことをしても、もう尊敬や信頼はかつてのようには獲得できないと何故、分からないのだろう?
これから未来のホントの国益はどのようなものになるのだろうか?
物を売ったり、ODAで中国の数分の1程度の予算を付けることがホントに国益になるのだろうか?
医療が必要な貧しい人々を無償で20年救い続ける事は、日本の為になっていないのか?
ミャンマーで死んでいく子ども達のために、生体肝移植や心臓病の治療や技術移転をしていることは、日本の為になっていないのか?
カンボジアで酷い生存率だった小児がんの治療を日本で最高の医療チームがいま、行っている事は日本の為になっていないのか?
日本の役人達は、NGOを低く見ている人間が多い。
ホントに私たちが正しいと信じる事など認めもしないし、そのように柔軟性を持たせる事もしない。ただ、自分達のルールに合わせなければ何も認めない。
だから、政府からの予算など制約が多過ぎてもらってられない。
個性など潰されるか封印されてしまう。
何のためにそれぞれのNGOがあるのかも意味をなさなくなってしまう。
政府が”これからは多様性が必要なのだ”とうそぶいても、やってることは中央集権の画一的なやり方のままだ。
NGOなど対等だとは思ってないのだろう。
政府は国民から税金でお金を集め、それを再分配するのが役目だが、そこに制約が多く付けられバイアスが大きくかかるのは、ホントに国民の希望通りなのか?
私が考える”国民に対する正義”は、より素晴らしい活動に税金を投下することだと思うけど。
どんなに立派な活動をしていてもまあ、日本政府から声をかけてくることはない。
それは不公平になるという理屈なのだと思うけど。
だから、いつもこちらから申請することになる。そうなると評価するのは向こうで、評価されるのはこちらになる。で、結果的に上下関係ができ上がるという悪循環だ。NGO関係者がペコペコしてる姿を見るのは悲しい気持ちになる。
だから、苦しくて大変でも自分でお金を集めるしかないのだ。
けれど、私は諦めない。
なぜなら、
私のミッションは
既存の境界線を消すこと
だから。
たとえ苦しくても、政府が税金を再分配してくれなくても、この世界にある既存の境界線によって起こっている様々な障害や不公正をなくしてやろうと決意している。
貧しいから質の悪い医療しか受けられないという常識を壊してやろう。
メイド イン ジャパンは物の質だという常識を壊して、「メイド イン ジャパンとは無形の日本人達の高い精神性」を指す言葉に変えてやろう!
多くの人々がここに集ってくれることを願う。
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大阪 講演会のお知らせ
http://japanheart.exblog.jp/28341124/
2019-05-27T07:20:00+09:00
2019-05-29T17:30:05+09:00
2019-05-27T07:36:56+09:00
japanheart
講演会
6月5日 大阪で講演会を行います。
普段は企業や学校法人など、とてもクローズな場で話すことがほとんどの為、一般の学生や社会人には話をする機会をなかなか持てないのが心残り。
何とひょんなことから知り合いになった占い師のTeraさん(この人凄いらしい)が講演会を企画してくれました。
占いなどほとんど信じない私ですが何故かこの人の言うことは良く聞くようにしてます。多くの人にはそれが意外らしい。
でも、少しイケてる人は占いを信じるらしい。
さらに凄い人間は占いを利用するらしい。
ということで、私は占いを利用してさらに凄い人間であろうと企んでいるということもある。
関西の人にはなかなか話をする機会がないので、少しお金はいるけど是非、お越し願えればと思います。
いい映画一本観たくらいの価値ある話はするつもりですから。
では、是非、大阪で会いましょう!
場所は大阪のBIGCAT
開催日2019年06月05日(水)時間18:00開場 18:30開演会場心斎橋 BIGCATアクセス〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1-6-14 BIG STEP 4階参加費前売り券3,000円 当日券3,500円 (税込み/自由席/入場時ドリンク代別途600円)プログラム18:30~20:30 吉岡秀人 講演会
20:30~21:30 インタビュアーとの対談(来場者からの質疑応答含む)
※時間、内容は予告なく変更となる場合がございます。ご了承ください。
チケット販売場所チケットぴあ(Pコード:641-656)
ローソンチケット(Lコード:54563)
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