体温のある医療-3
2008年 12月 22日
この国では明らかに人の命や病からの解放は、お金の多寡に依存している。
日本では想像もつかないことかもしれないが。おそらく日本以外のほとんどの国では、自分が望む医療は、自分が差し出したもの、あるいは自分が現在持っている金銭に比例して与えられる。
神ならぬ身の私が、患者の命をどこで見切るかを決める。
誰も止めも批判もしない。
その任は時に重過ぎて、わが身を焼かれることもある。
その苦しみは、時とともにわが身、わが心に降り積もり今の私の生き様と人格の一部を形成している。
この患者は、兄弟たちが必死で見守ってきた。彼らの心も決まっている。
できる限り診て欲しい。
しかし、おそらく日本のように人の最期と言えぬほど、尊厳を否定された不自然な死は期待していない。
また最期は私が結論を出さねばならないかもしれない。
この子を見守ってきた看護師と私たちのミャンマー人スタッフ責任者のウテンゾウがこの病院の院長と死ぬかもしれないがみてやりたと交渉した。なぜそういうことを交渉するのか、悲しい現実である。
前の女医の院長なら即座に拒否しただろうが、最近代わったばかりの70歳台の院長は、家族が望むならOKということで入院となった。
いつも問題ばかり起こすあまりよろしくない病院のミャンマー人医師に代わって若くてよく働きそうなミャンマー人医師を私たちが連れてきたいのだが、この病院の理事長は、私たちがミャンマー人の医師を連れてくるのを拒否する。
どうも病院に私たちと私たちが雇ったミャンマー人医師を同時に働かすことは病院を乗っ取られると考えているようだ。
それで今までミャンマー人医師と私たちのトラブルは後を絶たない。
本題に戻る。
この患者は、本当に病院に搬送時、死にかけていた。
酸素を与え、ひっきりなしに痰を吸引し、ようやく少しずつ良くなった。
、が再び痰が自力で吐けなくなり、窒息寸前、気管に直接穴を開け、気管チューブを挿入しそこから直接、痰を吸引できる手術を行った。
栄養状態の悪さ。極度の貧血。呼吸もできないほどのひどい肺炎。
栄養の点滴、輸血、ありったけの抗生物質。
長年、寝たきりの、家族にとても愛されている子に、全てできることをしている。
(この子は話は出来ないが、全て状況を分かっている。)
このような国で、私のやり方に反対する保健衛生関係者もいる。
効率的に人の命を救うことが彼らの使命であるからだが。
私は何を見ているか。
当然そのような人たちの意見や中傷は眼中には無い。
私は頑固で、何を言われようがこの活動を始めた15年前から、いつも同じ様に行動する。
私の目線の先には、
この子の生命力がどれほど残っているか?
この子を取り巻く人々の祈りがどれほどあるか?
それを支える私たちの力がどれほど残っているか?
それを見ている。それを感じている。
この子はいまだに生死の境にいる。
一昨日、もう多分、死ぬかもしれないと泣いていた兄と今日、病院まで続く道の途中ですれ違った。
満面の笑顔で私に微笑んだ。
自分とつながる命の価値や重さが分かる。
統計や効率の中には、それは無い。
その世界では、その笑顔の意味を知ることはできない。
私はどうも器用か不器用か、この生き方しかできない。
しかし、一ついえることがある。
その笑顔の意味を知れるということは、笑顔を失った人とも多く出会いをしているということだ。
本当の喜びだけを知ることはできない。
本当の喜びは、本当の悲しみと対になっている。
高い尾根は深い谷があってこそ存在する。