口唇裂という病気
2005年 08月 21日
口唇裂という病気ーその2の女の子の術後7日目
(写真は口唇裂の手術抜糸直後の子供たちです)
今日は口唇裂の3回目ですが、この手術を含め、私がなぜこの国で手術を行うようになったかをお話します。今から10年前、初めてこの国に来た頃、私は手術は行っていませんでした。それはとても手術を行えるような環境が少なくとも私には与えられていなかったからです。私に与えられていたものは現地の家屋と数人のスタッフのみでした。私以外に医療の専門家もいませんでした。西洋医学を学んできた私には少なくとも薄汚れた家屋の一角で手術をすることなど到底、思うべくもないことでした。しかし、次から次へと見るからに悲しみを誘わずには居れないような人々が手術という治療を求めて、私の前に毎日のように現れました。しかし、私にはその現実を受け入れる覚悟もなく、日本の医学の常識に固執していました。日々患者は治療を求めて押し寄せます。ある時私はスタッフ達にこう聞きました。「ここに手術を求めやって来る患者達を今のように私が手術をしないで帰していても、彼らは10年後、いや20、30年後でもいい、手術を何処かで受けることが出来るだろうか?」と。スタッフ達の答えは決まっていました。「多分生涯、治療を受けれる可能性が低いと思います。ここで受けるチャンスを逃せば。」というものでした。私は現実から逃げていただけなんだということは、自分がよく知っていました。この場に及んで私は遂に日本の常識、日本の医療の範疇を捨て去る決心をし、止むに止まれず手術を始め今日に至ります。この気持ちは現在も変わりません。私の変わりに誰かもっと良い医師や看護師がここに来て彼らを見てやってくれよと思っているのです。今もそしてこれからも私は、止むに止まれずここでこうしています。