宣告ーその2
2006年 11月 09日
いくつか最近私が遭遇した経験を語ってみたい。
あるこちらの看護師が自分の故郷に帰ったとき、いとこの若い女性を診て欲しいと何時間もかけて連れてきた。
お腹の辺りに固まりがあるらしい。
触ってみると確かに固いしこりを触れる。数ヶ月前からあるらしい。
超音波をしてみた。
お腹の中のリンパ節がいくつも大きく腫れていた。
おそらく悪性のリンパ腫か何かの腫瘍のリンパ節転移ではないかと判断し、大きな病院で検査をしてもらった方がいいと、大都市の病院を紹介した。
なぜか数日後、そこで簡単な検査だけ受けて帰ってきた。
私は少し複雑な気持ちになった。ここではどうせ治療もろくにできないのに。
私が彼女に病気のことを少し話し始めたときに、その女性が語り始めた。
その内容は、
最近父親が病気で亡くなったこと。
その治療のため、沢山の借金ができたこと。
家族は亡くなった父親と自分と母親しかいないこと。
彼女は泣き笑いをしながら、こう言った。
「本当に、うちの家族は運が悪いことに、父親の次は私が病気になってしまいました。もうお金もないし、母親も可愛そうです。たった一人で村で私の帰りを待っています。」
そう言われても、私には何もないのだ。何もないくせにこう言ったのだ。
私ができるだけのことをしますから、また12月に母親と一緒に入院の準備をしてこちらに来てください。
先日、アマゾンに蘇生する木の樹皮の一部からとった抗がん作用のある薬を手に入れていた。
アメリカでは抗がん剤として認可を受けているらしい。
この薬はたいへん高価な飲み薬だが、無料で分けてもらっている。
私は西洋医学の医者だが、何でも使う。目的ははっきりしている。患者を治すということ。
日本では、患者を治すこともできずにいるのに、民間療法や代替療法を拒否する医者もいるが、私は何でもいいと思っている。第一、私たちは世の中の全てを知っているわけではない。
今回もこの若い患者はわらをもつかむことだろう。
ならば一緒につかもう。
こういう医療もある。