特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

日本の医療のゆくえ

日本の医療のゆくえ

途上国にいて当たり前に感じるのは日本の医療はサービス業になってしまったのだということだ。

私たちの行っている途上国の医療現場は完全に福祉事業である。

やればやるほどに赤字になっていく。



日本の医療のゆくえ_e0046467_14255284.jpg



日本では、いつから患者のことを、患者様というようになったのだろう?

私が医者になった頃は、患者さんといい、患者たちのことを、吉岡さんと、さん付けで呼んでいた。

今では、きっと吉岡様なんだろう。


その頃は、患者たちは強制的に病院を移し代えられる事は多くはなかった。

今では、救急期が過ぎれば何だかんだと理由をつけ、慢性期の病院に簡単に転院させられてしまう。


いつからこんなにも経営をうるさく言うようになったのだろう?

確かに、日本の病院経営は杜撰だった。

医者が院長でなくてはならないというきまりで、昨日まで患者を長年見ていた医師が60歳くらいになって初めて年功序列で今日から経営をしてる有り様は、通常のビジネスの世界ではありえないことかもしれない。

物品は自然に沸いてくるという感覚で、今からすると異常と思えるほどにいくらでも無駄使いが許されていた。

だって物品は使えば使うほど保険請求できたのだ。


やがて日本経済がゆっくり停滞し始めたとき、少しづつ、保険行政が変化し始める。

徐々に締め付けられた仕組みは、現在に至り、患者さんを患者様に変えてしまった。


あの頃の医師たちは、自分たちが従事しているのが、サービス業だと理解していなかっただろう。

自分たちは福祉や社会保障の分野の一員だと理解していた。

だからサービス残業は当たり前だった。

24時間働き続けてもがんばることが出来た。

患者のためという、御旗があればどんな激務でもこなさなければならないのだと理解していた。

大都市の私立大学病院の研修医たちは、時間無制限の激務をこなしていても給料はなかったとこも多い。わずかに「何とか費」という名目でひと月に23万円程度のお金をもらっていたのだ。

この国は社会主義の完成形かと思われるほどだ。

ちなみに今でもこれをやっている大学病院があるらしい。それは法律に触れることをそろそろ政府も指導したほうがよろしいと思う。

一般人が聞けば、驚くかもしれないが、おそらくいまだに医師の給与は卒業年で分野に関係なく同じ給与が払われている。皮膚科であろうが内科であろうが、外科であろうが、平成4年卒業した医師の基本給は同じなのだ。(やっぱり社会主義国家だ!需要と供給の経済的関係など全く無視している)


でも、しかし、である。

それは医師たちが、社会福祉、社会保障の戦士だと信じ、自らを慰めていたからこそ成立したのだと思う。病院は経営下手で慢性赤字、誰も労働に対して十分な給与などもらえていないからこそなんとなく成立していた異常なシステムだったのだと思う。


しかし、患者さんが患者様になった現在、医療は福祉事業からサービス業になってしまった。

ところが、患者たちは相変わらず医療者に、福祉事業の戦士であることが当たり前だと思い、そういう視線で見ている。

医療者もなんとなくおかしいんじゃないかと思いながら、サービス業者になりきれず、給与も増えることもなく相変わらず福祉の戦士の発想で医療を行っている。

家族の時間を大切にしたいから、今日は早引きしますなどと口が裂けてもいえない。

福祉の戦士にワークライフバランスなど、あってはならないのだ。

患者の命のためならば、お金は無尽蔵に使っても仕方ないと思っている。

感染率を1%落とすために、たとえ数千万お金がかかってもそれは当たり前で、別に議論すべき話題だとも考えていない。

患者に入れる点滴が上手く入らず何度も失敗をしても気にしているのは無駄にしてしまった何本もの針のコストよりも患者の目線や自分の勤務スケジュールの狂いだったりする。

たとえ針や物品に値段が書いてあっても、誰も本気で気にしている人間などいない。


政治家や官僚の無駄使いを否定し、大企業の救済への税金投入にこれほど否定的な人々は、30兆以上の税金を使い成立している医療現場では、その意識もなく、税金の垂れ流し状態である。相変わらず福祉の戦士の医療者は経営感覚は乏しいのだ。患者様のためという御旗があれば、すべては仕方ない必要経費なのだ。


医療をどのように位置づけてやっていくかは、私たち国民の運命に直接影響する問題だろう。

医療者に福祉の戦士であり続けてもらうには、税金の更なる投入が必要になるだろう。

なにせ、近年の医療物品は特許だらけで信じられないくらい高い。福祉の戦士たちは、それらを患者さんのために惜しげもなく死のその瞬間まで大量消費してくれることだろう。

一方、サービス業と割り切って接してもらうと、もっと給料を払わなくていけないだろう。もっといいサービスしてほしければ、もっとお金を出さないと。


いずれにしてもお金を払わされる運命のようだ。



日本の医療のゆくえ_e0046467_14301698.jpg


もう医療は今の国民が払う税金程度のお金ではまわらなくなっているのだ。


私の予想では、きっと日本は二重保険制度が主流になる。

皆保険の適応範囲は限定され、それ以外は任意保険にてカバーする仕組みに変わっていくだろう。

車でいう、自賠責が皆保険に相当する感じになるだろう。

それゆえ新薬や最新治療は皆保険ではカバーされず全て自費負担になるだろう。

それを目当てに海外の保険会社が乗り込んで来る日も近い。


だれもが、最新の治療を感謝もせず、当たり前に受けれる時代は終わろうとしているのかもしれない。


これから私たちは医療分野で、福祉の戦士が討ち死にしていく光景を目の当たりにすることだろう。






by japanheart | 2015-09-03 06:41 | 活動記録