変化する安定
2015年 03月 31日
人は上手く自分を誘導しなければ努力などしない。
世のほとんどの人間は、大体、怠け者に生まれついている。
たとえばかつてブログに書いたマイノリティーマインドを持つように環境設定するのは有効な方法だと思う。
とにかく外国に行かなければ自分がマイノリティーになれないわけではない。
国内でも、学校でもそれはコンセプト次第で可能となる。
医師や看護師にも、若いうちは2年長くても3年くらいで職場を変わるように勧めている。
人間3年も同じ場所にいると慣れてしまって、ついつい初心を忘れ怠惰に時間を生きるようになる。
こういう変化を嫌ったり、恐れる理由は安定の喪失にある。
しかし、今日と明日同じでありたいと願う。
明日と明後日同じでありたいと願う。来る日も来る日も同じでありたいと願うが、それは不可能だと知っている。
人の世は自己の肉体のように遷ろう。
というか、肉体もこの世の定めのひとつに過ぎない。
同じであると思っていた今日は、昨日とは違う。明日とも違う。
人に肉体が、日日朽ちていくように、形あるものはそれが完成したときから崩壊へ向かう。
私たちが願う安定は、その状態がずっと継続してほしいという願いは、この世に存在しないものを欲していることだと知らねばならない。
もしそれがあるならばそれは、死かもしれない
安定とは、常に変化するある秩序をもった状態のようなものだ。
コップに入った水は、激しく分子がぶつかり動き回る。しかし、静かの表面の水面をたたえている。
すべてものは変化する中に安定を形成する。
だからこそ変化を恐れてはいけないのだ。
変化を恐れることは、死を求めることだ。
常に変化しようと心に意識している状態は、常に生命力を開花しようとしていることと同じことだ。
変化を恐れない。
変化を求める。
変化の中の安定を知る。
それが、そういう状態そのものが、生きているということなのだ。