負ける戦いはしない
2015年 03月 03日
この10年はずっとミャンマーの医師たち、特に自分が偉いと思っている医師たちによってずっと活動が邪魔されてきた。
そういう問題と取り組み続けた10年間であったともいえる。
今でもそうだが、この手術はするなとかあの手術はするなとか多くの注文をつけてくる。
それをのらりくらりとかわしながら、じわじわと自分の思うところを実現していく戦法をとってきた。
なぜならば、私たちはミャンマーやカンボジアでは外国人たちであり、マイノリティーな存在であり、力がない存在だからだ。
我慢できなくなって、切れてしまったらおそらくそこで終わりになってしまう。
我慢、我慢の日日。
海外でその国の人間と裁判をしたり、揉め事を起こして勝つことはまずない。
どんなにこちらに正義があっても、結果は負けることになる。
それはもう常識として意識しておかねばならない。
アメリカでなぜ、黒人がいまだに白人警官からリンチにあって殺されても、白人は無罪になるかというと、アメリカというのは白人の国だからだ。
前に、ブログに書いた女の子で腸閉塞で危うく死にかけた子は、人工肛門を救命するために造った。
ちょうど腸が一塊になって腐って、全身状態いも悪かったので空腸という場所に人工肛門を造ったのだ。
通常の場所とは少し違うが、状況からとにかくそうした。
やがて子どもは元気になるが、この子は遺伝病で、消化管にポリープが多発するのだ。今回も、それが原因で腸が閉塞し、腐ってしまったのだ。
胃や十二指腸は胃カメラで見ることができ、大腸は大腸カメラで見れるが、小腸はカメラで見ることは難しい。
そこで、小腸の人工肛門から検査をし小腸にポリープがあれば人工肛門を閉じるときにそれを一緒に取って、また今回のようになることを避けようと考えた。そこで、活動地から近いマンダレーという都市の大きな政府の病院で検査をしてもらう依頼をしたところ、、、、。
子どもの付き添っているミャンマー人スタッフ2名がその大学病院の教授と医師たちにこっぴどく怒られたらしく、びびりまくって助け求めてきた。
「この子の腸は日本人の医者によってめちゃめちゃにされた!」
「その日本人の医者は、本当に外科医なのか??」
「その医者をここに連れて来い!」
から始まりまあずっとやられたらしい。
こういうときはいつもむかつくが、冷静に対応する。
いつものことだが、かなり冷静に対応する。
決して怒ってはだめだ。
話が大ききなればなるほどこちらが不利になる。
ここは日本ではない。
そこで、ミャンマー人の責任者と私がいつも阿吽の呼吸で対応する。
私は決して表に出ない。
ミャンマー人同士で解決させる。
ここはミャンマーなのだ。
決して怒らないように指示を出し、そしてしっかりと彼らが嫌がる、あるいはびびる資料を用意する。
彼らはあくまでも公務員だから、政府の一員としてルールを守らねばならない。
ジャパンハートはミャンマー政府と正式に契約し医療活動をしている契約書。
これは保健大臣と交わした契約書になる。
保健省から医師会を経由して、正式に発行された私の医師免許。
内務省からの許諾書。
そして私の経歴や経験。
その他、もろもろ。
もしこれにケチをつければ彼は政府や内務省(今は情報省の機能もある)の許可にクレームをつけたことになる。
もちろん私の今までの手術や治療の経験値は、彼らのそれよりも大きく上回っている。
そうして今回も、騒ぎは静かに収まった。
ミャンマー人責任者に教授はさっと資料を見た後こういったそうだ。
「日本の先生は、忙しいのに子どものためにがんばってくれましたね!」
その一部始終を横で見ていた怒られた二人のミャンマー人スタッフは、その後こう言ったそうだ。
「あまりの態度の違いに、びっくりしました!!」
長年やっているといろいろある。
ひとつずつ、ひとつずつ乗り切って10年たった。