どうしたものかと思う
2014年 12月 30日
どこの国にいても助けられない子どもたちはいる。
ジャパンハートではスマイル・すまいるプロジェクトというがんの子どもたちを対象とした企画をやっているんだけど、いくつもの依頼がやってくる。中には生命の危険水域に入ってしまった子どもたちもいて、これはもう厳しいかも?と親なり主治医なりが判断して連絡が来ることが多い。
なんとも無力感にさいなまれるのは親も医療者も同じだろう。
日本にいてもこんな感じだから、途上国ではもっと厳しく、戦う前から勝負あったという感じの子どもたちに会うことになる。
先日ラオスから10歳の背中の腫瘍の子どもの連絡が来て、自分で診るまでそりゃはっきり分からないけど、下半身は麻痺に陥っているらしい。
ラオスの大きな病院で手術を受けてから、麻痺になったようだ。
次に、ベトナムまで連れて行き検査入院。生検して、しこたまお金取られて何も説明されず返ってきた。
麻痺はどうも、腫瘍の浸潤によるものらしい。
この時点で、既にあきらめの心境になる。
中途半端な抗がん剤だの、大掛かりな手術などはかえって命をちじめるだけなので、近い将来そっとこのまま看取ることになりそうな気がする。
こうやって何度もこのような子どもたちに会ってきた。
日本で医者やているときは、がんで子どもを亡くすと散々殴り合って負けた感があった。
こちらでは、戦う前から負ける試合に挑むような虚無的な感がある。
こういう子どもたちをもう少し救えるようにならないかとがんばっているが、どこまで行っても全ての子どもたちを救うことはできないのだろうということも何となくわかっている。
どうして子どもが死ぬことはこんなに悲しいのだろうか?
人間付き合いが長ければ長いほど本当は情が移って悲しくなるはずなのに、幼いというだけでたくさんの時間を共有していなくても悲しくなるのはなぜ?
きっと遺伝子の中に何かその理由が刻まれているのかもしれない。
今年よりは少しだけでも世の中の病気の子どもたちのためになるような2015年にしたい。