マイノリィティーマインド
2014年 11月 11日
私の中に人間が能力を開発しやすい環境というものがあるという自覚がある。
その環境とは、ひとことで言うと、マイノリティーマインド(少数派的精神状況あるいは弱者的精神環境)をもつということになる。
これは私の造語だが、これの反語なる言葉は、マジョリティーマインド(多数派的精神状況あるいは強者的精神環境)となる。
途上国で人材育成をしてみて大切なのは、もちろん個人的な情熱や能力ということもあるが、それを発揮する上でも大切な前提がある。
それがマイノリティーマインドだ。
ジャパンハートの活動に参加してくれた人間ならば分かると思うが、ミャンマーをはじめカンボジアでも、一般的なイメージと乖離するくらい現地人の中に優秀な人間が育つ。
なぜならば、彼らにはトレーニングする環境が現地人にあるにもかかわらず、マイノリティーな状況下なのだ。
多くの日本人の中の、少数の現地人という環境。
それが秘訣となる。
アジア人は一般的に日本人よりも働かないと思われている。
それはアジアという海外ではおおむね正解である。
なぜなら、彼らが自分の国で、サボっても手を抜いても自分を大甘にみてくれるの環境をよく分かっていて、それに甘えているからなのだ。
ところが海外にいるミャンマー人やカンボジア人は本国にいるその人々よりもよく働きよく学ぶ。
そして結果的に優秀な人材になる傾向が強い。
日本人だってそうだろう。
単身、アメリカやユヨーロッパなどに留学や働くために乗り込んだ人間は、そのようにがんばるものだ。
だから結果がついてくる。
ブラジル移民やアメリカ移民がすごい成果を残すのはそういう理由からだ。
自分の存在や能力を認めてもらうためにそうするしかないのだ。
同じ人間が本国にいると、そう簡単には上手くいかない。
なぜならば、人間は多数派的環境になるとそれに甘えてしまうからだ。
海外へ英語を学びに行っても、話せない人は折角のマイノリティーな環境を捨て、日本人たちでつるみはじめ、結局、マイノリティーマインドの利点を生かせないまま能力を開花させずに終わってしまう。
その結果、危機感を失い、精神的不安定感や圧迫感を嫌い、努力をしなくなる。
だから1年経っても話せない。
言ってしまうと、海外へ行ってもマイノリティーマインドをもてる人間は、国内にいてももてる可能性が高いので、わざわざ今の時代、語学を学ぶために留学する人必要はないのかもしれない。
まあ、習得がスピードアップはするし、問題点や文化も理解しやすいのでそれなりのメリットもあるが。
話を戻そう。
マイノリティーマインドは、たとえ自分がマジョリティーの状況でも、持ち続けることができればきっと人間の能力は思ったより開花する可能性がある。
常に孤独に耐え、自己の存在の危機におびえ、時間を惜しみながら事柄に対処する。
もっと大切なのは、マジョリティーマインドの弊害に陥らないことだ。
多数派になると人間はエゴが拡大しやすい。
エゴの拡大は個性の発揮とは違う。
個性の発揮とはすなわち、先天的素質の開発。
エゴの拡大とは後天的くせの増長だ。
気をつけなければならない。
多数派でないと思っている人間が、いじめはしない。
人は知らず知らずの間にマジョリティーマインドをもってしまう。
もしいつもどこでも自分の能力を目覚めさせたいと思うなら、このマイノリィティーマインドを心がけるといいと思う。
自分はいつも少数派で弱い立場なのだと自分にいいきかせ、自分を制御するといい。
また逆に、人を育てたければマイノリティマインドを持たせるような環境を用意するといい。
これは私が現場で得た知恵だ。
是非、お試しあそばせ。