これからのアジアで何をするのか?
先日のインドネシアの調印は無事終了した。
インドネシアは東西に広がる島々からなり、その広さはアメリカ合衆国と同じ位になる。
ここで災害が起こればどうすれば医療団をアプローチさせることができるのか?
インドネシア政府主導の青年団2万8000人所属の全国組織TAGANAという団体をカウンターパートにこれから災害訓練を行っていくことになった。
フィリピンもそうだが、一部の医者やクリニックの人たちと懇意にしてその人たちに支部をつくらせいざという時に動くのは限界がある。
そして、アジアの国々の人々は今までのような格下の相手ではなく、対等のパートナーとして上手くやっていってくれると思う。
だからそれぞれの国でジャパンハートがカウンターパートにするのは全国的な組織ということになる。
インドネシア、フィリピン、ミャンマー、徐々にその範囲を拡大していく。
さて今日の話はそれよりも、アジアの今後を俯瞰して私たちがやっていかなくてはいけない役割とは何かについて再確認しよう。
1)これからのアジアは、貧富の差はどんどん広がる。
2)意外かもしれないが、東南アジアの国々はかなりのスピードで高齢化社会に突入していく。
3)国民皆保険を十分に発達できないような経済格差が都市部と地方に存在する。
(都市部と地方の経済格差は30から40倍になるといわれている)
ここから導かれる解は、貧困層は相変わらず医療にアクセスしにくい状況が続くということになる。
これらに人々に医療を届けていくのがこれからも私たちの使命のようだ。
さらに私がもう一つやってみたいことがある。
今まではあえてそうしなかった方法だ。
その地域の人々に見合ったレベルの医療を提供していくということだったが。
簡単に言うとミャンマーの貧困層の人々に、日本の人々が受けているような最新の医療行為はしないということだ。
それなりの理由があったからだが、、。
これを大きく変えていこうかとも思っている。
せめて、手術は最先端の手術器具を使い、先端の治療を行ってあげたいなと。
そうすれば、富裕層の人たちほどではないにしても、それなりの満足と安心は得ることができる。
これが正しいことかそうでないかは分からないが、誰も損しないならやってみよう。
最近すごく感じていることがある。
それは、ジャパンハートの医療のあり方自体がもうすぐ大きく変化するだろうということだ。
それは私たちの要求というよりは、時代の流れということだと思う。
それに、適応するように変化すればそうならざるを得ないということだろう。
最後に、、、。
人間、時間があれば余計なことを考えてしまう。
目の前のことに、一生懸命に生きて死んでいくのが幸せなのだろうか?
ふと振り返れば、あっという間の数十年。
大きな目標を掲げ、あるいは何かの目標や目的を達成するために、今日や明日はやりたいことや時間を犠牲にして生きてみる。
そんな生き方は今の私にはもうありえないと思う。
その生き方をできる人間は、無邪気にも明日や数年後の自分の生を信じている人間だけだ。
私には、その確信が持てないのだ。
だから、せめて今の時間に生の確信を求める。
大きな栄達は結果であって、目標にしてしまっては人生台無しになる。
その過程の時間を常に、意識して生きてみたい。
私はあとどのくらいのことを成すことができるのだろうか?
たとえ、どんなことが成せたとしても今日という一日一日に満足しなければ、死んで生きているようなものだ。
人は生きて、そして死んでいかねばならない。
この部屋の窓の外から入る夜風が心地よい。
私はこの風の心地よさを感じるために生まれてきたのだ。